第6話 追うもの追われるもの
まるで爆発が起きたのか、と思うほど凄まじい地響きと粉塵が辺りに舞い上がっている。その突然の出来事に、酒場で酒盛りをしていた男達や夜道を行き交う人々が一体何事かと集まってきていた。
「なんだこれは……」
その場所に集まった人々が口にした同じ台詞。煉瓦造りの地面に大きく穿たれた穴と、辺りに散乱している煉瓦の破片。まるで地面の中から凄まじい力で開けられた様な違和感を覚えるその穴に人々は目を丸くした。
「……ぷはッ!」
その穴から幾ばくか離れた場所、瓦礫の山の中から姿を現したのは……ユーリアだ。ボロボロになった衣服と所々にある傷からは出血も見える。
ユーリアのサイドアップにしていた黒い髪はほどけてしまい、冷たい風に揺れているが、そんな事を気にする様子もなく、彼女は周囲を見渡し、追手を警戒しているようだ。
誰にも気づかれていない。
野次馬たちはユーリア達に気づいている気配はなく、地面に開いた穴を覗きこんでいる。逃げるなら今だ。背後に倒れているアルフの姿に気がついたユーリアはアルフの身体をゆすった。
さすがに下水道から勢い良く飛び出してきたアルフは相当なダメージを負っているのか、ぴくりとも動かない。切り落とされた左腕に、下水道の天井を突き破った背中は大きくえぐれ、身体からはボロボロと破片がこぼれ落ちている。
「……ちょっと、アルフ大丈夫?」
「は、はい。ちょっと待ってください」
ピキピキと亀裂音を発しながら、アルフがゆっくりと身を起こす。
「……体、大丈夫?」
「修復が必要です。でもさっきの人達が追ってくるはずです。今は急いでここを離れましょう」
「そうだね」
「ユーリア」
逃げる前に、とアルフは懐から魔術書を取り出し、ユーリアに渡す。
「貴女が持っていて下さい」
「え、なんで?」
「だってほら、僕は」
そう言ってアルフは「見て下さい」とボロボロになった体を見せ、肩をすくめる。
確かに、そんなボロボロの服じゃあ大事な魔術書を落としかねない。
そう感じたユーリアはアルフから魔術書を受け取ると、背負っていたリュックの中に押し込む。
「……移動しながら修復できる?」
「やってみます」
「うん、行こう」
そう言葉を漏らしながら、ユーリアはチラリと穴の方に目線を送る。
いまだ数名の野次馬達がなにやら声を上げながらその穴を覗きこんでいる。例の死の宣教師達以外にもこの街の憲兵隊が来るだろう。奴らに捕まるわけにも行かない。
追手の気配を確認しながら、穴に方向とは逆側の比較的明かりが少ない路地にユーリア達は走りだした。
***
死の宣教師から逃れることが出来たあの場所から数ブロック進んだ先、先ほどの場所よりもいくらか賑やかな場所にユーリア達は辿り着いた。
聖パルパス教会の総本山があり、街自体が厳かな雰囲気を放っているヴァルフォーレだが、中心から離れた場所であればこういった繁華街が多数存在している。王都キンダーハイムやチタデルとまではいかないが、まばらな人の流れがユーリア達とすれ違う。
「何なのよ一体」
怪訝な表情を見せながら物陰に身を潜めながらユーリアが吐き捨てる。
いつもと違う。今日のヴァルフォーレはおかしい。
「多すぎです、ね」
アルフが視線を辺りに散らせる。
彼らの苛立ちの原因、それは異様な程に警戒をしている憲兵達の存在だった。
陽はとっくに落ち、辺りは深い夜が訪れているのにいたるところに立っている憲兵、憲兵、憲兵。ひと目で判る物々しい警戒。それがアルフ達だけではなく、道を行き交う人々の空気をも尖らせているように思える。
「まさか僕達のことを?」
「違うでしょ。『大協約で禁止されている魔術書を奪われたから、盗人達を捕まえて』って憲兵に言うわけ無いじゃん。別の何かよ」
そう言われればそうか。被害妄想というか、ネガティブな考えは捨てたほうがいいのかな。堂々と歩いていいものを気にしすぎて挙動不審になっては怪しまれてしまう。
「身体、もう平気?」
「え? あ、はい。大丈夫ですよ」
ほら、とアルフは左手をコートの中から出しひらひらと揺らした。その動作だけ見れば、生身の様なアルフの身体。
アルフの身体は魔術効力によって作られている鉱石の身体だ。その肌に生命の温かみはなく、鉄の様に硬い。魔術によって形作られているために、今回のように身体の一部を欠損してしまったとしても、辺りの岩石を使えばすぐに修復することができる。
だが、アルフは未だに修復できないものがあった。
それは、生前の記憶。あの時、ユーリアに小さなゴーレムになったアルフを渡した男が行っていた「時間が経てば」という言葉どおり、少しづつ記憶は掘り起こされるように蘇っては来ているものの、ユーリアと交わした約束も、ユーリアとの想い出も今だに思い出すことが出来なかった。
「良かった。あとは、どうやってここを離れるか、ね」
小さくユーリアがつぶやく。
簡単には行かなそうだけれど、とユーリアが続ける。
この街を出るには、いくつも方法があるわけではない。東西南北にある大門をくぐるか、郊外につづいている下水道を行くかだった。
大門に教会が網を張っているのはいわずもがなで、だったら下水道を通った方が安全、と思ったが予想は大ハズレだった。最初から大門に向かっていれば、ひょっとして問題無く行けたかもしれない。
下水道が駄目だった以上、大門に向かうしか無い、あとは方法。徒歩でくぐるか、駅馬車でくぐるかの二つに一つだ。
「憲兵が僕達を探しているんじゃないのであれば、普通に一番安全な駅馬車に乗れるんじゃないですか?」
アルフの言葉にユーリアは少し考えこむ。パルパス教会としてもこの魔術書を公にすることは避けたいはず。だから憲兵に助力を求めることもあり得ない。それに、もし教会が追ってきたとしても、他の乗客が居る駅馬車の中で襲いかかる事はあり得ないだろう。
以外と行けるかもしれない。
「下水道の時は裏を読まれたし、今回も徒歩で出ると読んでいるかもしれないね」
「ですね。まさか正面きって逃げ場のない駅馬車は選ばないだろうと思っているかもしれませんね」
「うん。悪くないね」
行こう。時間が惜しい。
ユーリアがアルフの手を握り、怪しまれないようにゆっくりと足を進める。アルフの手のひんやりとした感触が、緊張で高鳴るユ自分の鼓動を、すこし抑えてくれているような気がした。
***
やはり想定通り、憲兵は僕達を探しているわけではなかった。
憲兵の横を素通りし、駅馬車の停留所に着いたアルフは安堵しながらそう思った。すでに南部行きの駅馬車は到着しているし、これに乗り込めばヴァルフォーレから出ることができるはず。
「意外と乗る人多いのね」
ユーリアがぽつりと呟いた。
確かに。乗客の中に溶け込みたい僕達にとっては有り難い話だけど、こんな時間なのに列が出来るほどだ。
列の最後尾に並んだアルフはそう思った。
「街を出るまで気を抜かないでくださいね。ユーリア」
「言われなくてもやってるっつの」
心配するアルフ達をよそに、駅馬車への乗車は滞り無く進む。
万が一の時にいつでも逃げられるようにアルフ達は車内の一番後ろの窓側に向かい合って座る。とーー
「隣、宜しいですかな?」
駅馬車はまだ停留所に止まったままだったため、警戒を解いていなかったアルフ達に、小奇麗な紳士が声をかけた。思わず身構えてしまうユーリアだったが、その男の姿を見たところ、先ほどの死の宣教師とは全く違う男だった。
髪は綺麗に整えられ、毛皮の襟に袖はタイトな長袖なウプランドを着こなした姿から想像するに裕福な商人だろうか。優しい笑みを浮かべている。
「はい、どうぞ」
危険は無いと思ったアルフが返答する。一瞬怪訝な表情を見せるユーリアだったが、男の身なりにアルフと同じ結論に達したのか、視線を窓の外に移した。
煉瓦づくりの街路の交差点に立つ憲兵の姿がみえる。その反対側にも。一体何があるんだろう、とユーリアが考え始めると同時に、ギシリと軋み音を立て、駅馬車が動き出した。
「魔術師協会の下部組織のお偉いさん方がいらっしゃるようです」
「……えっ?」
ポツリと呟いた男の言葉に、ユーリアは視線を男の方へ戻す。
「協会魔術院とか言う組織のトップが来ることになっているようでしてね。この物々しさというわけです」
協会魔術院。確か、大協約違反者を捕縛する実働部隊。
そんな組織のトップがヴァルフォーレに?
「噂ですけどね」
「へぇ」
そう一言返したユーリアは再度窓の外に視線を送った。
私達には関係の無い事。この街に誰が来ようと関係無い。ヴァルフォーレから離れた街でこの魔術書を使う。それだけだ。
ーーと、ユーリアの目に何かが映った。建物の上からふわりと宙を舞う、黒い影。
次第にこちらに近づいてくる、人影。
「……ッ! アルフッ!」
ユーリアが声を上げたその時、その影はすぐ窓の側まで来ていた。青白い肌、生気を感じない目。
「ユーリア!」
ユーリアの身体を覆うアルフの冷たい身体の感触を感じた時と、その影が窓を突き破り車内に飛び込んだ耳をつんざくけたたましい音が響いたのは同時だった。
「クッ……!」
アルフの身体に衝撃が走る。
咄嗟に振り向くアルフの目に映ったのは、先ほどの男の背に怪しく光る剣を突き刺している死の宣教師の姿。
「キャァァァァァッ!」
車内に乗客の叫び声が響いた。
まさか、こんな方法で来るなんて。関係の無い乗客まで問答無用で手にかけてまでーー
「逃がしませェん」
逃げ惑う乗客で混沌とした車内を死の宣教師、ロンドの気だるそうな声が斬り裂く。
一瞬で事切れた男の背中から剣を抜き、ぶらりと剣を垂らす。その仕草に異様な恐怖を覚えてしまう。
「近寄るなッ!」
あの時と同じように、ロンドの前にアルフが立ちはだかった。その声が始まりの合図になったかのように、まるでダンスでも踊っているかのように、身体を捻らせ、不規則的な斬撃がアルフを襲う。
一太刀目は右手でいなすが、その反動を使い、さらに強烈な二太刀目をロンドが放った。
ガキンという金属がかち合った音が車内に響く。
「くッ! しつこい奴!」
「返してもらうまで、地の果てまで追いかけますよォ」
ロンドが放った二太刀目の斬撃は、アルフの左手首の半分ほどまで達している。
このままだと、左手が切り落とされてしまう。
そう判断したアルフが、ロンドを引き剥がそうと、膝蹴りを放った。
「危ないですねェ」
バックステップで間合いをとったロンドの身体をアルフの膝は捕らえることができず、空を切った。
だが、そのままアルフは次の攻撃に移る。
膝を放ったことで、一歩踏み出した足で力強く床を踏みしめロンドの顔面に向かい、右拳を放つ。
丁度バックステップしたロンドの足が地面に付くタイミング。
避けられない。そう判断したアルフはそのまま拳を振りぬく。
「……ッ!」
だが、その拳もまた空を切った。
まるでそこに拳が来るということを知っていたかのように、僅かに自分の体軸をずらし、紙一重で拳を避ける。
絶対殺傷範囲。視線が交差した二人の脳裏にその言葉が浮かぶ。
ロンドはずらした体軸を戻し、剣をアルフの胴体に放つ。
「ぐッ!」
一点に集中した力が、鉄に近い硬力を持つアルフの身体を簡単に貫く。根本まで突き刺さったロンドの剣先がアルフの背中から伸び、ユーリアの身体に伸びるーー
「……キャッ!」
「……ッ! ユーリアッ!」
小さい悲鳴がアルフの耳に届く。だが、死角となっている背後を見ることは出来ない。
「アンタもすぐ後を追わせてあげますよォ」
ニヤリ、とロンドが冷たい笑みを浮かべた。
「お前ッ!!! 許さないッ!!」
ロンドの言葉に瞬時にアルフは激昂した。
身を引くどころか、アルフはロンドに密着すると、己の胴体に剣が刺さったまま、強引にロンドの身体を羽交い締めにする。
「なッ……」
「むぅぅぅぅぅッ!」
両足に力を入れ、万力の様に締め付けられたロンドの身体がふわりと宙に浮く。アルフはそのままロンドを持ち上げると、後方にブリッジして投げとばした。
「……ッ!!」
強靭な腕力で羽交い締めされたロンドは抵抗する暇も、叫ぶ暇もなく、駅馬車外へとはじき出されると、壁に激突した音だろうか、ぐしゃという潰れた音が遠くに流れて行った。
「……ユーリアッ!」
ロンドの姿が消えた事を確認したアルフは身を起こし、ユーリアの元へ駆け寄ると座席にうなだれているユーリアの身体を確認する。大きな出血は無い。頬が少し切れているだけだ。
良かった。ユーリアの無事に安堵したアルフだった。ユーリアの肩が小さく震えている。僕が居ながら怖い思いをさせてしまった。
もう大丈夫、と震える肩にアルフは優しく触れた。とーー
「……あんの野郎ッ!」
「……えッ?」
アルフは聞き間違いか、と思わず耳を疑った。
恐怖で震えている、ハズ……?
「アタシの顔に傷つけやがった! あのボケッ!」
「え、ええっ!?」
追いかけて駅馬車を飛び降りるのではないかという程の剣幕でユーリアが憤る。
震えていたのは恐怖じゃなくて、怒りだったんですか!?
わけが分からないアルフだったが、今度はユーリアを後ろから羽交い締めにして押さえつけた。
「ユ、ユーリア、落ち着いて」
「死ねッ! 死んでしまえッ!」
怒りが抑えられないユーリアがアルフの胸に刺さっていたロンドの剣を抜き、放り投げる。
お、恐ろしい。
ユーリア怒りに、やっぱり彼女の身は傷ひとつつかないように、最優先に考えるべきだとアルフは思った。
車内で殺人事件が起きた駅馬車は、その後すぐにヴァルフォーレ郊外で停車し、呼ばれた憲兵隊が車内と乗客を検めた。
乗客一人ひとりに尋問を行い身元を確認したがーーそこにアルフとユーリアの姿はすでになかった。