第5話 記憶の断片
人数分の寝袋に、小さな簡易テントがひとつ。ランタンに防寒具、食料。そしてそれを入れる革袋に、その革袋を乗せる荷鞍を付けた二頭の馬。
その一つ一つを確認して、ヘスはもう一度、馬の荷鞍が固定されているか確かめた。
「ガーランドのオッサン、準備はOKス」
まだ夜明けとは言いがたい、東の空に少し薄明りが見える眠りの世界。ララ達一行は出立の時を迎えた。夜が開けてしまえば目立ってしまう。ランドルマンの部下達が目を光らせている可能性もある。闇に紛れこの地を離れるのが得策だった。
「カミラとリン、ララは乗馬しろ。俺とスピアーズ、ヘス君は周囲警戒しつつ馬を引く」
「最初の目的地はモーリスと言ったな。ガーランド」
地図を片手に持ったスピアーズがガーランドに寄る。ガーランドが持ったランタンの優しい明かりに照らされ、地図に書かれた「モーリス」という街をスピアーズは指さしている。
「そうだ。かなりの長旅になる」
「休憩を入れつつ、だな。だがゆっくりもしていられない。二、三日という所か」
一日でも早くヴェルドとヴァルフォーレにたどり着かなければ。長引けば長引くほど、ランドルマン達に見つかってしまう可能性が高くなる。時間が勝負か。
「あの……」
と、小さな声が馬上から聞こえる。ランタンの光に浮かんでいるのは、不安げな表情のララだ。
「ごめんなさい私の為に、こんな……」
「……気にするな」
そう返したのは、スピアーズ。一瞬ガーランドと顔を見合わせ、続ける。
「嬢ちゃんが気にすることはない。必ず母ちゃんトコに連れてってやるからな」
「……ありがとう」
そのガーランドの言葉に不安が少し和らいだのか、ララが小さく笑みを浮かべた。
楽な旅ではないだろう。だけれど、皆が居れば大丈夫な気がする。
スピアーズ達のやりとりと、ララの小さな笑顔を静かに見たヘスはそう感じた。
***
ガーランドの予想通り、潜伏していた語らう森近辺には協会魔術院のエージェントが網を張っていた。
エージェントの影を発見する度に、馬を止め、先頭を行くガーランドとスピアーズが待ち構えるエージェントを処理し、歩みを進めるーー
夜明けとともに出立していれば、語らう森を出た段階でランドルマンに補足され、捕縛されていただろう。流石はガーランドのオッサンだ、とヘスは舌を巻いていた。
「うぅ、寒みぃな……」
東の空は乳白色が濃くなり、当たりはランタンを必要としないほど明るくなってきている。
これで何度目だろうか。この先で網を張るエージェントを処理するために向かったスピアーズとガーランドの戻りを待つヘスが身を震わせながら小さく両手に息を吐きかけた。
ちらりと馬の方へ目を移すが、馬の上で厚手の防寒着を着たカミラとリンがうとうとと頭を揺らしている。
「ねぇ」
ヘスの背後から小さく声が届く。ララだ。多少警戒しているような表情を見せながら、ポンチョの下から手を伸ばし、何かを差し出している。
「……ンあ? 何だそれ」
「あったかいやつだよ」
ヘスがララの手から受け取ったそれ。ヘスには覚えがある。いつかバージェスの村でララがくれた「携帯暖房魔術」だ。
「舐めたら、あったかくなるよ」
「……お前、記憶無くなったんだろ」
小さな紙に書かれた魔術構文を見つめながら、ヘスがそうつぶやく。記憶はなくなっているはずなのに、なんで。
「わからない。何も覚えてないけど、魔術書の作り方は覚えてるの」
ポンチョの中に手を入れたララの顔に陰りが見える。
心のどこかに、俺との想い出が残っているんじゃないかと少し期待した。だけど微かに残っていたのは想い出じゃなく、魔術書の作り方の記憶。
だけど、あの時と同じように、もう一度もらったその魔術書にヘスは何処か嬉しくなった。やっぱりララは、ララだ。記憶がなくなってもやることは同じ、だ。
「何かおかしいこと、したかな?」
魔術書を握ったまま、笑みを浮かべるヘスにララは困惑した表情を見せる。
「いや。ララはいつでもララなんだな、ってさ」
「私、何も覚えていないけど……」
はぁ、と白い息を吐き出しながら、ララが続ける。
「……貴方と私は、仲がよかったの?」
どの位仲が良かったか。その問いかけに、ヘスはこれまでの想い出を振り返る。
俺の魔術書捜索にふてくされながらも協力してくれたララ。
ビビの街で目を輝かせていたララ。
憲兵本部で再開した時、泣きそうな顔で怒ってくれたララ。
魔術師協会の出張所で俺に張り手を放ったララ。
ハサウェイさんの件で落ち込んでいたララ。
禁呪書から皆を救い、抱き合ったララ。
バージェスの村で、ビビの街に行かないかと言ってくれたララ。
トント祭で笑うララ。
ーーそして、夢の中で想いを伝えてくれたララ。
「仲が良かったどころの話じゃねぇな」
「えっ?」
「俺を叱ったり、殴ったり、蹴飛ばしたりよ」
ヘスはニィ、とおどけたような、イタズラっぽい笑顔をララに見せる。
「まぁ、なんだ、それが仲が良いかっつーと、ある意味良いかもしんねぇけどよ」
「ふふ、そうなんだ」
思わずララも笑う。もう俺の中にしかない、ララとの想い出。
「……記憶、もどしてやっから」
「えっ……」
恥ずかしそうに、ヘスは鼻の頭を書きながらつぶやく。口にしないといけないような気がしたその言葉。驚いた様な表情を見せるララだったが、すぐに優しい笑顔に戻り、静かに頷く。
「……うん。ありがとう。えっと……」
「ヘスだ。よろしくな、ララ」
そう言ってヘスは握手を求めた。ララにとって俺は初対面の見知らぬ男だ。こっちがあーだこーだ言っても始まらない。ララに合わせてやることが、ララの安心につながるなら、そうするしかない。
差し出された手をゆっくりとララのか細い手が握る。冷たく弱々しい手だ。
「ヘス君。よろしくね」
「ヘヘッ……つか、お前の手、チョー冷てぇ。これはお前が持ってろよ」
そう言って先ほど渡された携帯暖房魔術をその手に渡す。が、ララはそれを受け取らなかった。
「えへへ、もう一つあるもん」
大丈夫だよ、とペロリと舌を出してララがおどける。
前のララよりも実はしっかりしてるんじゃないか。そんなことを思ったヘスは思わず吹き出してしまった。
「用意周到な奴。前はそんなんじゃなかったような気がするけどさ」
「そうなの? じゃぁ記憶が戻ったら、言ってあげて。『記憶をなくしたララはしっかりものだった』って……」
記憶が戻ったら。ララはそう言って息を飲んだ。
記憶が戻ったら、私はどうなるんだろう。こうやってヘス君と話した事や、トト、アポロ、ルフ達の事も全部無くなってしまうのだろうか。
そう思ったララの身体を悪寒が襲う。静かに擦り寄る闇の気配ーーー
「どーした?」
「……えっ?」
ヘスの声にララは我に返る。
今のは何。ぼんやりと頭の片隅に浮かぶ、記憶の断片。思い出しては行けない何かの様な気がする。
その記憶を振り払うように、ララは顔を振った。
「ううん、なんでもない」
「そうか。なら良いんだけどよ」
そう言ってヘスは視線を前方に戻す。いつの間にか陽はのぼり、キンと冷めた空気の中に柔らかい日差しを地上に運んでいる。
初めて見る朝日。今日までずっと小屋の中でどんよりと曇った雨空を眺めていたララの目に映り込む朝日の美しさに思わずララはため息を漏らしてしまう。
もっと色々な事を知りたいな。そう思いながら朝日を見上げるララの視線に、スピアーズとガーランドの姿が映る。
「行こう」
小さくヘスはそう漏らすとララが乗る馬とリン達が乗る馬の手綱を引き、こちらに歩いてくるスピアーズ達に元へ歩き出した。