第4話 渦巻く陰謀
ぬかるんだ土砂道を規則正しい蹄の音が踏みしめていく。
季節外れの豪雨で進軍が遅れてしまったキンダーハイム装甲騎兵団は、遅れを取り戻そうと一路、ゴート陣営の拠点に向い足を進めていた。
ラインライツでの勝利後、各地のゴート拠点を攻め落とし、北はパルパス陣営の本拠地である聖都ヴァルフォーレまで50キロまで迫り、南部に至ってはゴート陣営を締め出す事に成功した。大陸の三分の二を集中に収めたハイム陣営は今や、この内戦を終結させ、シュタイン王国統一に一番近いと噂されていた。
だが、ここに来て天候がハイム軍の敵に回ってしまう。例年より早い雨季だ。
シュタイン王国の雨季は冬から春にかけて訪れる。「恵みの雨」「目覚めの雨」と言われる雨季だったが、ゴート陣営の本拠地である城塞都市チタデルに軍を進めるハイム陣営にとってそれは厄介者以外の何者でもなかった。
「少佐!」
長い列を作り、降りしきる雨の中を進む甲冑に身を包んだ装甲騎兵の一団の中、開襟型の青い軍服を着た兵士が駆け寄ってくる。
背後から駆け寄ってくる兵士の声に少佐と呼ばれた騎兵はフェイスガードを上げた。
フェイスガードの下から見えるその顔。痩けた頬に彫りの深い目。無骨、という形容詞がぴったりな騎士ーーバクーが馬の足を止める。
「少佐、後方の部隊が遅れております。行軍速度を落とせとの令です」
「……またか」
伝令の言葉に、深いため息を一つついたバクーは部隊に「止まれ」の号令を出す。ゆっくりと速度を落とし、停止した部隊から即座に小隊長がバクーの元に走り寄る。
「バクーさん、どうしました」
「後方部隊が遅れている。ラッツ、周囲警戒」
「了解しました」
甲冑に身を包んでいたのは、ラッツ。以前の青い軍服に何処か頼りない風貌ではなく、バクーと同じ甲冑に身を包み一端の「騎士」と言っても良い凛々しい顔立ちに成長している。
ラッツが部下数名を辺りに散らし、警戒に当たらせるのを見て、バクーはゆっくりと馬から降りた。周りは代わり映えしない林。襲撃するにはもってこいの場所だ。突貫力のある装甲騎兵がもっとも避けなくてはならないシチュエーションだ。
だが、苛立ちを募らせながらも、冷静にバクーは状況確認を行う。
「ナチ、地図を」
「はい、少佐」
バクーの声にラッツと同じく、甲冑に身を包んだラッツと同期の女性士官、ナチが駆け寄る。
ラッツとナチはあれから幾つもの戦線をくぐり抜け、小隊を預かる一端の「小隊長」に昇進していた。十名近くの騎兵を率いる小隊長としてナチもまた、騎士らしい顔立ちになっている。
「現在地を」
「了解しました」
そういってナチがコンパスを携帯地図の上に載せ、方角と距離を計算する。
「街を出て二時間が経っています。方角的に今我々は目的地であるランクスから東に二十キロ程のここ辺りかと」
「……二十キロか」
急行軍で行けば、一時間ほどの距離。チタデルにほど近いゴートの拠点であるランクスを落とし、橋頭堡とする。それがヴィオラ閣下より与えられた我々の任務。だが、要になる剣術騎兵と銃兵隊が居なければ攻撃することも出来ない。
「忌々しい雨ですね」
ナチがそう言って、フェイスガードの隙間から彼女の大きな目で天を仰ぐ。
轟々と雨音が辺りを騒がせ、ナチの声がかすれて聞こえる。
急ぐべきでは無いのではないか。ナチの声をかすれさせる雨音にバクーはそう思った。この天候で行軍速度が落ちてしまう事はもとより、周囲の音が聞き取りづらいこの状況は装甲騎兵にとって危険な状況だ。少なくとも雨が上がり、天候を味方につけてからでも遅くない。
「上の連中が急いているのだろうな」
「上、といいますと、貴族の連中ですか?」
「昔からそうだ。現場の事を何も判っておらん」
ーーいや、判って居ないだけではないのかもしれない。とバクーは感じていた。
西方方面軍集団、その中でキンダーハイム装甲騎兵団に与えられる任務はいつも熾烈なものだった。キンダーハイム装甲騎兵団が優秀な騎士団だということは知れたことだったが、まるで「厄介払い」をされているかのごとく、前線に投入される。
すでに、終戦後の駆け引きが行われているのか、それともハイム軍の中で唯一の女性騎士団長であるヴィオラ閣下に対する当て付けなのか。
「……バクー少佐ッ!!」
思いふけってしまっていたバクーの耳に再度、先ほどの兵士の声が届いた。先ほどよりも切羽詰まった様な声だ。
「どうした」
「大隊より伝令です。も、目的地の変更……」
全速力で走ってきたらしく、伝令の兵士が思わず咳き込んでしまう。
目的地の変更? 確かに今そう言った。
「どういう事だ?」
「攻撃目標の変更命令です! ランクスから、モーリスに転戦せよ、と」
モーリス……パルパスとの前線にほど近い商業都市だ。現在はゴートの拠点だが、パルパスの進軍が噂されている都市。
馬鹿な。その言葉にバクーは耳を疑った。
ランクスまで後二十キロの地点だ。このまま進軍すればゴートの喉元に食らいつける。それを諦めて……パルパスとの戦いを優先するつもりか。
大隊本部は……いや、ヴィオラ閣下は、ハイムに対して目立った動きを見せないパルパスを刺激してどうするおつもりか。目立った動きを見せない今だからこそ、ゴートを叩くべきではないのか。
……一体駐屯地で何があったというのだ。
「……貴族の連中か」
ヴィオラ閣下がそのような愚策を行う訳がない。貴族の豚共の仕業に違いない。
バクーは思わず怒りで身を震わせてしまう。
「……中隊集まれッ!」
その怒りをかき消し、降り注ぐ雨音を弾き飛ばすバクーの叫び声が辺りに響いた。その声に、即座に小隊長が駆け寄ってくる。
愚策だとしても、ヴィオラ閣下の命令に背くわけにはいかない。だが、ヴィオラ閣下もこのまま策を講じない訳はない。行軍速度を落としつつ、モーリスに向かうのが得策か。
そう判断したバクーは、後退し遅れている剣術騎兵と銃士隊と合流し、モーリスに進軍する事を隊に告げた。
***
バクーの中隊がモーリスへ転戦したその時より時を遡ること一時間前。ハイム軍の駐屯地に西方方面軍集団の各騎士団の師団長が集っていた。
前線からさほど離れていないこの駐屯地に師団長が集まるなど異例中の異例。だが、その目的はひとつだった。
「……まさか」
その瞬間、巨大なティピー型のテントの中、円卓を囲む師団長達の空気が凍りついた。
十人の師団長の視線が集中するその先。きらびやかなレリーフが刻まれたクラウンに黒いロングケープを身にまとった、まだ幼さが残る若い男性。
「密偵より報告があった。パルパスとゴートが手を組んだ、と」
玉座に腰掛け、屈強な師団長達に気圧されもせず、頬杖をついたまま静かに呟いたその男。その男の言葉に再度息を飲む声が師団長の中から発せられた。
「……それは真でありますか、ヨハネ皇子殿下」
言葉を返さず、ヨハネ皇子は虚空を見つめる。
王室・貴族で構成されたハイム陣営がシュタイン王国の正統後継者として推す第一皇子ヨハネ。若干十八歳にしてすでに王としての貫禄すら見える、ハイム陣営の指導者だ。
「敵の敵は味方、というわけだ。すでに北部では北方方面軍集団がゴート・パルパスの連合軍と交戦中にある」
すでにそこまで。ヨハネの言葉に師団長達のざわめきが起きる。ゴートとパルパスが手を組んだとなれば侵攻中であるチタデルにもパルパスの増援が向かっているかもしれない。
簡単に片がつくと楽観視していた戦いが泥沼と化すのではないか。師団長達の脳裏に嫌な予感がはしっているのは明らかだった。
「現在チタデル方面に展開している部隊を転戦させ、モーリスへ向かわせる」
「モ、モーリスへ!?」
モーリスはパルパスの前線から近い、ゴートの拠点。確かにモーリスを占領し、橋頭堡として機能させ、補給経路を確保できればゴート・パルパスの連合軍へ先手を打つことができるかもしれない。
しかし、それはチタデルへの進撃を諦める、ということだ。手薄になった西方から反撃に合う可能性も高い。
「お、お待ちを殿下! すでにチタデル方面へ出立した部隊はチタデル近郊の街に迫っております。今はチタデル攻略を再優先にすべきかと」
隻眼の騎士が席を立ち、ジェスチャーを交えながら力説する。確かに一理ある。このまま一捻りにゴートを潰してしまえば、連合もなにもなくなる。
だがーー
「ヨハネ皇子殿下の仰るとおり、北方に転戦すべきだと私も思う。北方方面軍集団にパルパスの進撃を止める力があるとは思えん」
「だが、我々が抜ければ、西方方面はゴートの連中に前線を突破される可能性も高いぞ」
案の定、場が紛糾した。結論の見えない議論が師団長達の中で交わされ、興奮した師団長の怒号が飛ぶ。
だが、ヨハネは静かに頬杖をついたまま、一点を見つめていた。円卓の一つの席に腰掛ける、黄金色のガーリーウエーブの女の姿。キンダーハイム装甲騎兵団を統べるヴィオラだ。
周りの師団長達に流されること無く、じっと「その時」を待っているかのようにも見える。
「……ヴィオラ」
静かなヨハネの声に、場が一瞬で静まり返る。師団長達の視線が再度ヨハネに注がれた。
「貴殿の『キンダーハイム装甲騎兵団』にモーリスを落としてもらいたいのだが」
できるか、と不敵な笑みを浮かべながら、ヨハネがつぶやく。西方を固めつつ、橋頭堡となりうるモーリスを攻め落とす。「神速」で名高いキンダーハイムの装甲騎兵ならできるはずだ。
「命令とあらば……」
「待て待てッ!」
引き受けましょう、と言いかけたヴィオラの声を遮るように、独りの師団長の叫び声が辺りに響く。
ヴィオラの目に映ったのは小太りした中年の師団長。ハイム王室に名を連ねている狡猾な男、白鷹騎兵団を統べるテベスだ。
「青二才の女将軍にモーリスを落とすことなどできるものかッ! 殿下、モーリス攻略は私の騎士団『白鷹騎兵師団』におまかせをッ!」
鼻息荒く、提言するテベスにヴィオラは虫酸が走った。己の兵を道具としか見ておらず、参謀に指揮を任せ、前線から離れた安全な場所でただ戦況を見守るだけの無能な男。それがテベスだった。
如何に自分の師団が有能で、キンダーハイム装甲騎兵団が無能であるかを熱弁するテベスにヴィオラは静かに言葉をぶつける。
「白鷹殿、我々西方方面軍集団はいわば猛禽の王。空高く舞い上がり、獲物を狙う狩人です。だが、その翼が腐って動かぬ『鷹の翼』であれば、猛禽の王の『嘴』である我々キンダーハイムは容赦なくその翼を切り裂き、敵の喉元に食らいつく事になるでしょう。……『腐った鷹の翼』を持つ白鷹殿にその覚悟はお在りか?」
「……なッ!」
遠回しに「無能な指揮官はでしゃばるな」と言うヴィオラの言葉に、王室の師団長は激昂した。
「何だとッ! 貴様ッ!」
「……やめろッ!」
今にもヴィオラに飛びかからんとする王室の師団長をヨハネが制する。
「モーリス攻略には、スピードが必要だ。神速を武器とするキンダーハイム装甲騎兵団に任せる」
「で、殿下!」
今だ食い下がるテベスにヨハネは厳しい視線を送る。
「貴殿の『やり方』は良く知っておる。按ずるな、貴殿には相応しい仕事がある」
「……承知いたしました」
変わらず不敵な笑みを浮かべているヨハネにヴィオラは胸騒ぎを覚えた。
何か企んでいる。ヨハネの目を見てヴィオラはそう直感した。
王室は正に血で血を争う、獣の檻だ。すでに内戦が終結した後の権力闘争が始まっている。ヨハネ皇子だけではない。ここにいる各師団長、さらにすべてのハイム軍の師団長レベルであれば、少しでも己の権力を強める為に、幾つもの策を講じているに違いない。
ーー本当にこのままハイムがこの国を統治して良いのか。
相手の腹の中を探り合っている獣達の姿を見て、ヴィオラはふと、そう思った。
「良いな、ヴィオラ。貴殿の騎兵団にモーリス攻略を命じる」
「……承知しました。我がキンダーハイム装甲騎兵団は、モーリスを攻略し、死守します」
ヴィオラは静かに立ち上がると、ヨハネと敬礼を交わし、テントを後にする。
ーー良いでしょうヨハネ皇子殿下。貴方がまとっている偽りの仮面を剥ぎとって差し上げましょう。
心でそう問いかけたヴィオラの黄金色に輝くガーリーウエーブが、テントの入り口から舞い込んだ湿った風に乗り、静かに揺れた。