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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第三章「想いの行き着く先で」
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第1話 それぞれの決意

 彼女が戻ってくるまで馬と共にこの場所でただじっと待つ。何の他愛もない事が憂鬱で仕方がなかった。 

 その原因は、天から降り注ぐ冷たい雨。

 降り始めて今日で二日目だ。女を待つのは嫌いじゃないが、身体を冷やす雨だけは我慢ならない。

 チタデルの門脇で一人立つスピアーズは、天への苛立ちをもみ消すように煙草を雨が滴る壁面にこすりつけながらそう思った。

 煙草の火が雨に濡れ、灰に帰す音が雨音の間を縫い、彼の耳をくすぐる。


「お待たせ」


 そう声をかけたのは、スピアーズと同じ、大きめのフードが着いたコートを着た女性だった。大きな袋を一つ抱え、小走りにスピアーズに駆け寄ってくる。

 フードから覗く銀色の艷やかな髪に、純白の肌。リンだ。


「……あぁ、買えたか?」

「ええ。……と言うか貴方、煙草吸ってたの?」


 リンがスピアーズに袋を渡しながら怪訝な表情を見せる。

 神聖な神父が煙草ってどうなの。

 

「……煙草を吸う神父は嫌いかい?」

「別に」


 私には関係ない。

 優しい微笑みを浮かべるスピアーズをリンは冷たくあしらう。


「君と二人で会話を交わしたい所だが、急ごう。ここはもう安全じゃない」

「安全じゃない……ってどういう事?」


 前半の「ふたりで」の部分はあえて聞き流し、リンが言葉を返す。

 私の顔はゴートの連中にも、協会にも割れていないはず。チタデルの門までスピアーズと同行し、中に入るのは私だけ。だからこうして「買い出し役」を引き受けている。

 

「詳細は、『隠れ家』で話す」


 そう言ってスピアーズが、まるでエスコートするかのように恭しくリンの手をにぎり、スピアーズの傍らで待機している馬のあぶみに足をかけるよう促す。

 手慣れた動き。その仕草に思わずリンの鼓動は高なってしまう。

 もう何度もこうやってスピアーズと買い出しに来ているが、彼のこの色気のある仕草には未だに慣れない。


「……離して」


 鼓動が高鳴ってしまっている事を気付かれないように、リンは素早くスピアーズから手を離すと、小さく吐き捨て、そのまま鐙に足をかけ、ひょいと鞍に腰を下ろす。


「……素直にならないお姫様だ」

「……ッ!」


 困ったような表情を浮かべながら、スピアーズは鞍に腰を下ろし手綱を握る。

 何か嫌味の一つでも返そうとリンは思ったが、気恥ずかしくなってしまった。先手を打たれたような状況になってしまったリンは、スピアーズのコートの端をギュッと握りしめしか無かった。

 本当に、この人の空気には慣れない。調子が狂ってしまう。

 そう苛立ちにも似た鼓動の高鳴りを感じながら、リンは「早く出しなさい」と小さくつぶやいた。


***


 会話も無く、森の中を走り抜ける蹄の音。しばらく進んだその先、いつものようにリンの目に映ったのは、鬱蒼と茂る木々の中に佇む小さな小屋。その姿は木々の波に流されないように、必死にしがみついているようにも見える。

 それは視覚的なものなのか、この小屋に隠れている自分達の心理的なものなのかはわからない。


 あれから二日が経った。

 たった二日しか経って居ないがもう何日も経っているような錯覚がリンにはあった。

 ララの魔術でカミラのコテージは全壊し、コテージから幾ばくか離れた、物置として設けられていたこの小屋に一行は身を隠していた。簡易的な小屋だったが、何時来るか分からないランドルマンの追手から身を隠すのには十分だ。


 いつものようにスピアーズが先導し、扉を開けて待っている。

 その一つ一つに無駄に色気がある男の脇を抜け、リンは雨から逃れるように小走りで小屋の中に入る。


「おかえり」


 アポロの声がリンを迎える。冷たく寒い外と比べると幾分か温かい小屋。そこに居るのはあの日から変わらない、いつものメンバー。

 小さいテーブルの上に広げた地図を見ながら何やら話し込んでいるガーランドとカミラ。ベッドで寝ているヘスに、その傍らにとまるトト。その傍らであくびをしているルフにーー

 もう一つのベッドに腰掛け、窓の外をぼんやりと眺めているララ。


 やはり、ララは記憶を失っていた。

 すべての記憶を失ったララに、私は謝る機会を失い、ヘスは想いを告げる機会を失った。

 ララの小さな背中を見て、そう思ったリンの胸が締め付けられるように疼く。


「おぉ、すまんなリン」

「大丈夫。これくらいしか出来ないから」


 リンが雨で濡れたコートを脱ぎながら、テーブルの上に袋を置いた。

 

「ヘス君はまだ起きない?」 

「ああ、まだ起きないね。あれからもう二日目だがね。ララの方も判らないけど、こっちも原因不明さ」

 

 あの日、気を失ったヘスはあれからずっと寝たままだ。クルセイダーの血のせいなのか、それともララを失ってしまった精神的ショックからくるものなのか分からない。


「……それで、計画は決まったのかしら」


 地図の上には進むべきルートなのか、いくつか赤いラインが引かれているのがリンの目に入った。そのラインの終着点は遥か遠方。北の大地。


「ウム、そうだな」


 ガーランドはそう言うと、再度地図の上に視線を戻す。


「目指すべき場所はやはりここ、ヴァルフォーレだ」


 そう言ってガーランドは地図に乗せた指をチタデルから遥か北の地、聖パルパス教会の総本山ヴァルフォーレへ滑らせる。


「ヴァルフォーレに居る、ララの母、か」

「そうだ」


 スピアーズの声にガーランドが返事を返す。


「記憶を失ったララが言っていることを信じる、と?」

 

 再度のスピアーズの言葉に、ガーランドが静かに頷いた。 

 『お母さんが呼んでいる』ララが呟いたその言葉。あれから幾度と無く、ララが呟いているその言葉。


「ララの母に会えば、判るかもしれねぇ。なぜ嬢ちゃんが記憶が無くなったか、そして、嬢ちゃんが言っている事が本当なら、なぜ嬢ちゃんを呼んでいるのか」

 

 カミラの見解では、ララの記憶が無くなってしまったのは、暗示感応夢ウロボロスの影響ではない、という。暗示感応夢ウロボロスがトリガーになったのかもしれないが、原因は他にある、と。

 確かに、カミラのいうことには一理あった。

 夢の中でララは本人も含め、誰も知らなかった「ヘスの血脈」のことを知っていた。その真実を知るきっかけになった何かが原因の可能性は高い。

 再度ぼんやりと窓を見つめるララの背中に視線を送り、リンはそう思った。


「でも、どうやって行くの?」

「行くとなれば、陸路を進むしか方法は無い。俺に転送魔術が使えれば、一瞬なんだがな」


 スピアーズの声に辺りに重い空気が立ち籠める。

 転送魔術。正式ライセンス版の魔術書であれば、どんなに遠くはなれていても一瞬で移動することができる、大協約で禁止されている上級魔術書。

 だが当然ながら、その魔術書はここには無い。

 

「方法は考えないといけないね」

「……その前に、良いか」


 カミラの言葉をガーランドが制止する。


「嬢ちゃんを巻き込んじまったばかりに、こんな事になっちまった。俺はその責任を取るつもりだ。絶対嬢ちゃんの記憶を戻す。だが……」


 ガーランドがテーブルの周りに立つ三人に視線を送り、続ける。


「……お前達はこれ以上首を突っ込む必要は無ぇぞ?」


 降りるなら今だ。ガーランドの目がそう語っている。

 チタデルで運良くランドルマンから逃げ押せる事が出来たが、次また対峙すれば、どうなるかは分からない。普通であれば、駅馬車を使えば問題ないヴァルフォーレへの道も、常に危険がつきまとってくるだろう。

 ララの為に命の危険に晒される覚悟はあるのか。その意味を含むガーランドの言葉に、しばしの沈黙が小屋を支配した。暖炉から炎の揺れる音が辺りに響く。


「ララは私の妹よ。降りる気はないわ」


 沈黙を遮り、静かにリンが口火を切った。

 その口調は決意に満ち、迷う必要もない、と言いたげだった。

 

「まぁ、首を突っ込む必要はないがね。妹の娘を見捨てるわけにはいかないだろ」


 めんどくさいけどね。とリンに続き、カミラがぼやく。


「……お前はどうする、スピアーズ」

「俺がボスから与えられた任務は、ララを守る事、だ。最後まで付き合うさ」


 スピアーズの言葉にガーランド無言でその目を見つめる。

 死の宣教師アポストロフは信用出来ない。己を見つめるガーランドの目はそう語っている。その視線に、スピアーズは笑みを浮かべた。


「信じられん、か?」

「一度死の宣教師アポストロフには裏切られているモンでね」

「ククッ、ハサウェイのガキか」


 警戒するのも当然か、とスピアーズは苦笑しながら、懐から一枚の紙を取り出す。


「……何だ?」


 ガーランドが受け取ったそれ。魔術師協会の手配書だ。そこに書かれていたのはーー


「……以下の大協約違反者四名の身柄を拘束した者に……金貨百枚」


 すでに想定していたのか、大した驚きも見せずガーランドが淡々と手配書に書かれた文字を読み上げる。


「手配されているのは俺とガーランド、カミラ、それにリン。……仕組んだのはランドルマンだろうな」

「う、嘘でしょう?」


 補足するスピアーズを押しのけ、リンが手配書をガーランドから奪い取った。

 そこに書かれていた確かに、四名の名前。スピアーズが言うとおり、ガーランド、スピアーズ、カミラ、リンの名前が書かれている。


「だ、大協約違反……」


 きっとラミア魔術書房にもこの情報は行っているはず。となれば、懲戒免職は免れないだろう。

 第一級魔術構文師クラフターの私が指名手配だなんて。

 大協約を反故した魔術構文師クラフターの末路は痛いほど良く知っている。世界規模で活動を行っている魔術師協会から地の果てまで追い立てられ……見せしめとして処刑される。

 

「……成程。皆ケツに火が着いた、最悪の状況という訳だね」


 クツクツと笑い声を立てながら、カミラがつぶやく。

 ヴァルフォーレに行っても大協約違反がどうなるわけでもないが、この場にとどまったとしても状況は変わらない。カミラの言うとおり、もう後戻りは出来ない。残された道は、前に進むだけだ。

 半ば諦めにも似た心境で、リンが手配書をテーブルの上に落とした。


「俺はララを守りつつヴァルフォーレに戻り、ボスの判断を乞うつもりだ。もう一度いうが、それが俺の任務。……どうだ、俺を信じるか、ガーランド」 

 

 そう言って、スピアーズが鋭い視線をガーランドに送る。

 ガーランドはすぐには言葉を返さなかった。心を見透かす様にじっとスピアーズの目を見たまま、口を噤む。

 尖った空気が二人の間を交差する。


「判った。お前を信じようスピアーズ」

「……どうも」


 この男にチタデルで一度助けられている。注意はすべきだが、これからの計画に必要な「戦力」だ。

 ガーランドはそう言うと、テーブルの地図に再度視線を落とした。


「大協約違反の件は薄々予想はしていた。想定内と言って良い」

「……想定内、と言うことは何か解決法が?」

「安心しろ、リン。お前が魔術を使ったのは止むを得ない状況の上での事だ。魔術書も俺が所持していた事にして、お前への手配は取り消させる」


 ガーランドなら、魔術師協会内でそれなりの地位がある、非武装中立区画北部責任者のガーランドであれば、できるかもしれない。だがーー


「……同じように指名手配されている貴方にそれが出来るのかしら」


 ガーランドもリンと同じく、手配書に名を連ねている。それは、同時にこれまでの影響力すべてを失っていると言い換えても良い。

 

「方法は、ある」


 そう言って、ガーランドが指を地図上の一点を指す。チタデルとヴァルフォーレの中間、パルパス領地とハイム領地の境目に位置する非武装中立地帯だ。


「……ヴェルド?」

「そうだ。シュタイン王国内の魔術師協会出張所を束ねる魔術師協会シュタイン王国支部、通称『セントラル』がある街だ」


 スピアーズの問いに、ガーランドが即答する。


「……それで?」

「俺の目的地は、ここヴェルドだ。……スピアーズ、お前にはその先のヴァルフォーレまでの案内を頼みたい」


 ガーランドの言葉にどこか気圧されてしまったリンは、次の言葉を飲み込んでしまう。

 「セントラル」にガーランドが行ったとしても、リン達にかけられた大協約違反の罪状が無効になるという保証はない。だが、たとえ逮捕され、処刑されることになっても必ず助ける、とガーランドは言っている。だからこそ、己の目的地はヴェルドだ、と。


「嬢ちゃんとお前を巻き込んじまったのは、俺の責任だ。こっちの問題は俺が必ず何とかしてやる」

「……判った、ガーランド。引き受けよう」


 ガーランドの決意を感じたスピアーズが静かに呟いた。


「すまんな」

「ガーランド、俺が持っている情報を一つ提供しよう」

「……情報?」

「ララの件に関係している情報だ」


 スピアーズのその言葉に一同の顔色が変わる。


「嬢ちゃんに関係している情報? 何だ」

「ララの母について、だ」

「貴方、母を知っているの?」


 リンの言葉に、考えるように、スピアーズが一瞬間を置く。


「カミラ、ララの母の名は……ユナという女ではないか?」


 スピアーズのその言葉に、カミラは目を丸くした。

 

「……どうして知っている」


 やはりな、とスピアーズが苦笑し、続ける。


「先ほど言った通り、俺の任務はボスから与えられた、と言ったな」 


 ララを守れ、と与えられたという任務。その任務を与えたのがボス。


「その女の名が、ユナだ」


 信じられない。とカミラが慄く。確かに妹はヴァルフォーレに身を隠すと言っていた。だが、それが聖パルパス教会の中だったなんて。

 それも、この男に任務を与えるほどの地位だとすればーー


「……まさか。妹はーー」

「ララの母は、俺と同じ、死の宣教師アポストロフ。それも、十三人存在する死の宣教師アポストロフ達のリーダーだ」


 すべては、ボスの計画。目的までは分からないが、事の発端と終着点はヴァルフォーレにある。

 そう語ったスピアーズは、赤いラインの終着点、聖パルパス教会の総本山にして歴史ある古都、ヴァルフォーレを静かに見下ろした。

 

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