第22話 ウロボロス
声を上げることなく、まるで影が近づいてくるように協会魔術院のエージェントはガーランドと距離を詰める。
協会魔術院は大協約の違反者に裁きを下すために組織された魔術師協会の下部組織だ。彼ら一人ひとりが凶暴な暴力を携えている事に疑いはない。
ララにはそういった知識は無かったが、彼らの動きだけでそれが理解できた。
だがーー
「ぬうぅぅんッ!」
ガーランドの両手が座席を鷲掴みし、ギュウと力を込めた。白いシャツがはちきれんばかりに膨れ上がり、上腕二頭筋が鋼鉄のように強張る。
その姿に一瞬エージェントがたじろいだ。その瞬間ーー
「ばっ……!」
悲鳴を上げながら座席が根本からガーランドの二本の太い腕で持ち上げられた。
思わず先頭のエージェントが目を丸くする。なんという、馬鹿力か。
「オッサンすげぇ!」
「嘘でしょ!?」
声を上げたのはトトとアポロだ。一方のララとリンは絶句して唖然とするしか無いようだった。
「俺を捕まえンのは苦労すんぞ、ガキ共っ!」
ガーランドの声に、一瞬怯んだエージェント達だったが、流石というべきか、密集を避け車内に四散した。
「ゥオラァアァッ!」
再度ガーランドの腕が隆起し、そのまま座席をランドルマンに向け放り投げる。何度か座席にぶつかりつつも、座席だったそれは寸分違わずランドルマンの身体を捕らえた。
だがーー
すさまじい衝撃音とともに突如角度を変えた座席がランドルマンの傍らの窓をぶち破り車外へ吹き飛ぶ。ガラスが割れるけたたましい音が響き、窓枠ごと吹き飛んだ車内に冷たい外気が流れこんだ。
「何の遊びだ、ガーランド」
ランドルマンが黒いコートの上から足を払う姿がガーランドの目に映る。
蹴りだ。蹴りであの座席を弾きやがった。
「チッ……ララ、リン!」
逃げる。まずはそれしかねぇ。
「……小娘共が逃げるぞ」
ガーランドの思考を読んだランドルマンが呟く。
何が起こったのか理解できずに立ちすくんでいたララとリンよりも、エージェント達が一瞬早く動いた。間をおかず、各々懐から取り出した小ぶりのダガーナイフを逆手に構え襲いかかる。
「生死問わず、連行させてもらいます」
先頭のエージェントが小さく言葉を漏らした。だがその言葉にガーランドが小さく笑みを浮かべる。
狭い車内では同時にアタックできるのはせいぜい二人が限度。何人いようと、戦うのは常に二人だ。二人であれば、十分対処はできる。
「命を取ろうっつーからには……取られる覚悟は出来てンだろうな、お前ら」
ガーランドの目に影が落ちた。
最初の男のファーストアタックは単純なものだった。逆手に構えたダガーで首を狙い斬撃を放つ。実にわかりやすい動き。ガーランドは一歩下がり間合いを外すと、技術というものを感じさせない、大雑把かつ強烈な鉄槌を男の頭上から振り下ろす。
駅馬車の座席を引きちぎった腕力で放たれる鉄槌は吸い付くように男の脳天にめり込んだ。
「ギャッ!」
喉奥から強引に捻り出された様な悲鳴を上げ男が地面に叩きつけられる。ビタン、という音を発し男はそのまま昏倒した。
次だ。
「……シッ!」
ガーランドが次の男を目で追ったその瞬間、間髪入れず次の男がダガーナイフを突き出す。逆手ではなく、順手で握られたナイフがガーランドの喉に迫る。
「甘えッ!」
ガーランドは肘でダガーナイフの軌道を上に逸し、エージェントの重心を上に運ぶと、そのまま懐に背中から潜り込み、一本背負いの要領で男を背後の壁に投げつけた。
「うわッ!」
重力に逆らい、男が宙に舞う。
ガーランドの腕力と己の力を使い、投げられてしまった男は簡単に駅馬車の壁を突き破ると車外に消える。
「ララ、リン、逃げろッ!」
ガーランドの二度目の言葉にララとリンは即座に動いた。
窓の外にはゴートの傭兵達が睨みをきかしている。だったら、今ガーランドさんが開けた後ろ側から行けるかも。
うん、やっぱり。後ろ側には誰も居ない。
「……リンさん、後ろッ!」
ララはリンの背後に開いた即席の出口を指さす。
「お前達は二人を守れッ!」
ガーランドの言葉に職員達が頷く。
と、音もなく側面に周ったエージェントが座席の上から職員を襲った。ガーランドと同じように首を狙った一撃。
「うっ……!」
職員はエージェントのダガーナイフを避ける事が出来なかった。
ダガーナイフが落ちかけた陽の光を反射した瞬間、ぱっと車内に赤い霧が舞った。まさに一瞬の出来事。首を押さえた職員が膝から崩れ落ちた。
「……覚悟ッ!」
そのまま崩れた職員を飛び越え、ララに照準を合わせたエージェントが舞う。外へ出ようとしたララの目にエージェントのナイフが飛び込んでくる。
駄目、動けないーー
「させんッ!」
ダガーナイフがララの背中に届いたかと思ったその瞬間、エージェントの身体はくの字に折れ、逆側の窓を突き破って車外に吹き飛ばされた。
蹴り。ガーランドの蹴りだ。
ガーランドの強烈な回し蹴りが腹部を捉え、断末魔を上げる前にエージェントは車外へ姿を消した。
「ぐぶっ……」
「おじさんッ!」
首を斬られた職員が血を吹き出す。思わずララが足を留めた。
「ララッ! そのまま行けッ!」
ガーランドがこちらに駆け寄ろうとするララを制止し、左手を職員の斬られた首にあてがう。
その瞬間、彼の首から湧き水の様に溢れ出ていた流血がピタリと止まった。
「……治療魔術」
ガーランドの左手を見たランドルマンがポツリと呟く。
治療魔術の構文が刻まれた改変魔術書のグローブだ。
「カッ、雑魚共に隠れてないで、お前が来たらどうだ? ランドルマン」
グローブを付け直し、ガーランドが挑発する。
かかって来いよ、と自ら一歩ランドルマンへと進むガーランドの圧力に気圧され、エージェント達が退がった。
「いいだろう」
無表情のままランドルマンが応える。
と、ランドルマンが一人のエージェントの襟を後ろから無造作に掴んだ。
「ハサウェイとガガーリンを待ってじっくり傷めつけてやろうと思ったが……」
そのまま、腕を引き、エージェントの上半身を後ろに反らす。首が締め付けられているのか苦しそうな表情で男がランドルマンの顔に目を移した。
「ランドルマンさん、何を……」
ランドルマンがサングラスを外す。
サングラスに隠れていた目。その左目は義眼だ。
「お前、その目……」
まさか。ガーランドの顔が引きつる。
ランドルマンがその義眼でエージェントの男の目を見る。見えているはずがない、動くはずがない義眼だったが、エージェントの目には確かに動き、瞳孔が収縮したように見えた。
「ひっ……ひいっ!」
何かを感じたエージェントがランドルマンの腕から逃れようともがく。だが、その抵抗は意味をなさなかった。
強靭な力で抑えつけられたエージェントの動きが次第に鈍く、そして眠りに落ちるようにだらりとランドルマンの腕に身を任せた。
「あれは……」
駅馬車から出ようとしているララの目に、ガーランドの足の間から「それ」が見えた。
ゆらりと揺れる男の姿と、獲物を狙う獣の様に変貌した男の目。
「生死問わず……捕まえる」
生気のない声が車内に響く。どこか恐怖を感じる冷めた声。
その仲間の異変に気が付き、恐れをなした他のエージェント達がランドルマンから離れていく。
「逃げるつもりか」
「いっ、イヤ……自分は……わっ!」
もう一人のエージェントの首をランドルマンが掴む。
「恐れるな。あいつを倒せる力をやろう」
「やめっ……助け……」
そのエージェントもまた逃れようともがくが、ランドルマンからは逃れることができなかった。
彼もまた眠るようにだらりと崩れ落ち、同じように、変貌する。
「精神魔術……か」
二人の男が変貌した姿を見て、ガーランドがそう言葉を零す。
人の精神に作用する上級魔術。
だがこれは……
「暗示感応夢だ」
サングラスをかけ直しランドルマンが答える。
「五感すべてを夢の中に閉じ込め、人格を乗っ取るアレか」
「乗っ取るだけではない。強力な暗示によってその身体能力は何倍にも跳ね上がる」
その言葉を証明すると言わんばかりに、よろよろと立ち上がった二人目のエージェントが座席の背を掴んだ次の瞬間、飴細工を握りつぶすかのように簡単に座席が砕ける。
死者の様に視点が定まっておらず、淀んだ目だ。
「成程……馬鹿力だな」
「お前以上の、な」
二人がまたもや冷笑を浮かべた。
と、チラリとガーランドがララ達に目を移す。協会の職員とともに車外に出たようだ。
あとは、嬢ちゃん達が逃げる時間を稼ぐだけ、か。
ジリジリと詰め寄る獣と化した二人のエージェントにガーランドはもう一度笑みを浮かべた。