第4話 冴えない男
遮光性の低い薄いカーテンの向こうから、気持ちのよい朝日がキンと冷えたララの部屋に差し込んでいる。その凍てついた空気に起こされるように、ララは木製の古びたベッドに掛けられた藁と真菰を中に敷き詰めた掛け布団からもぞもぞと這い出すと、掛け布団の上で自分の背中の羽に顔をうずめるようにして寝ているトトを見やり、起こさないよう注意しながらそろりとベッドから降りた。
「今日は冷えるなぁ」
ララはそう独りごちながら、眠気を拭い去るように小さく身体を伸ばすと、冷えた空気に身震いしながら、急いでテーブルの上に置かれた魔術書で暖炉にある薪に火を灯す。氷が溶けていくようなじんわりとした心地よい温もりが暖炉の前に駆け寄ったララを包み込み、まどろみながら彼女はその幸せなひとときを堪能した。そういえば、ヘスと約束した日は今日だな。夢と現実との境目を彷徨っているララの脳裏に、半ば強引に頼まれた「禁呪書探し」の件が浮かぶ。
探すと言っても、一体どこをどう探せばよいのか。ララには全く見当もつかなかった。
「ララ起きてるか!?」
窓の外からララを呼ぶ声が聞こえる。幸せなひとときを邪魔されたララは怪訝な顔を覗かせ、寝ぼけ眼のままゆっくりと窓から眼下の声の主を見下ろした。ヘスだ。ララは時計を確認したが、まだ約束の時間まで一時間あった。
「もう来ちゃったの? 早いよぅ」
小さく身体をさすりながら、窓を開けララが愚痴る。外の空気は部屋よりも冷たく、ララは強張った表情を見せる。
「あれ、そうだったっけ? ま、いいや。待ってるから早く来いよ」
「もう、自分勝手なんだから……」
怪訝そうな表情で、ララは踵を返し暖炉の前に戻る。窓を開け冷たい空気が入ったせいなのか、トトがもぞもぞと動き出している姿が目に入った。
「トト、おはよう」
「……んあ、ああ。さっきの声、ヘスか?」
「そうなの、もう来ちゃったって」
「張り切ってんなヘスの奴」
大きくあくびをし、羽づくろいをしながらトトがつぶやく。
「どんだけエネルギーが有り余ってるんだ、って話よね。もっと世間の役に立つ事に使えばいいのに」
「……だな。そのエネルギーを使えば、きっとこの貧素な村もキンダーハイムみたいなドでかい街になンじゃねぇの?」
「ふふ、ホントそうよね」
***
「……ぶぇ〜っくしょい! 糞っ、マジで今日は冷えンな」
ララの古魔術書店の中、客用として設置されている椅子に座り身震いしながらヘスが独りごちる。一昨日とは違い赤いマフラーに紺色のコートで防寒対策を行っていたものの、今日の寒波はさすがに骨身にこたえているようだ。
「おまたせ、ヘス」
店の奥からララとトトが姿を見せる。ララが生活している部屋はこの古魔術書店の二階にある。それほど広くないワンルームだったが独り暮らしには充分の広さだった。
「おお、お、おう、ララ。マジで今日は寒ぃな」
「そうだね〜、久しぶりだよね、こんな寒いの」
「とと、と、とりあえず体動かしたいから行こうぜ」
「うん」
ガチガチと顎を鳴らしながらヘスが捲し立てる。
「はい、ヘス。これ」
「ん? なんだこれ」
「舐めてポッケに入れれば判るよ」
不思議そうな表情を見せながらも、ヘスはララから渡された小さな紙をペロリと舐めポケットに入れると、その小さな紙はまるで暖炉を持ち歩いているかのようにぽかぽかと暖かい熱気を放ち始めた。
「うわっ、なんだこれ!?」
「私が作った携帯暖房魔術だよ。効果は一時間くらいだけど」
「ほえぇ〜、すげぇなお前。こんなン作れんのか?」
「そんな、大したことないよ。簡単な魔術構文だし」
ララは褒められたことにもじもじと照れてしまった。物心ついたころから一人でこの古魔術書店で魔術書に囲まれて暮らしていたため、小さいころから魔術書が絵本の代わりだった。ララは特に学校に行ったわけでもなく、勉強したわけでもなく、いつの間にか魔術構文師と魔術解読師の技術が身についていた。
「オイ、そんな事よりもよ、ヘス! 禁呪探しに宛てはあンのかよ!?」
ララの肩に止まったトトが目をキラキラさせている。「宝探しだ!」と昨晩から一人……いや一匹で盛り上がっていた。
「それなんだけどさ、俺にも見当つかなくてさ」
「え〜、なによそれ。じゃあどうやって探すのさ」
「だからハサウェイさんに聞いてみようと思って」
「ハサウェイさん? 魔術師協会の?」
ウンウンと自信満々にヘスが頷く。ヘスが言ったハサウェイさんとは、バージェスの村に設けられた「魔術師協会」の出張所で働く職員だ。
「魔術師協会」は世界規模で活動している非営利団体で、大協約が制定されると同時に設けられた大協約の順守を監視する第三者機関だ。何処の国にも何処の機関にも肩入れすること無く、公正に大協約の順守を監視する為に活動している。しかし、この村のような場所に設けられた出張所は、監視というよりもどちらかと言うと魔術に関するお悩み相談所として利用する人が多かった。
「じゃあ、ハサウェイさんを頼ればいいじゃない。私じゃなくてさ」
「あの人は職員の仕事で忙しいんだから、それは無理だよ」
「何よそれ〜! まるで私が暇人みたいな言い草!」
「それに、ハサウェイさんは魔術師協会の職員ってだけで、魔術には全然詳しくないしさ」
「ふん! 知らない!」
「まぁまぁ、とにかくさ、行ってみようぜ」
ぶつくさと不満をこぼすララを諭すようにヘスが促す。
身も凍る冬空の下、心踊る少年とカラスに、不満をこぼす少女。変なメンバーが魔術師協会の出張所へと歩を進めた。
***
ララの古魔術書店から十分ほど歩いただろうか、トタンで作られた小さいみすぼらしい建物に、魔術書をイメージした立派な看板が見えてくる。魔術師協会のバージェス出張所は……ボロボロの建物と立派な看板の見た目の差がどこか滑稽な雰囲気を出している、みすぼらしい出張所だった。
「あれ、ララちゃんとトト君にヘス君じゃないか」
飾り気のない地味な出張所の中に、男の姿があった。
その男は、職員の制服である、黒いベストにピリッとした真っ白のシャツ、紺色のネクタイと職員らしい小奇麗な身なりをしている。――――が、その小奇麗な身なりとはうってかわり、その「素材」は小奇麗とはほど遠い。ボサボサの頭に無精髭を生やし、野暮ったい黒縁の丸メガネと、この出張所の外観と同じ滑稽な印象を与えている、まさに「冴えない男」だった。
「相変わらず、冴えねぇツラしてんなハサウェイ」
「やあ、トト君」
「ちょっと、トト! ……すいません、ハサウェイさん、おはようございます」
「おはよう、ララちゃん。朝から三人で一緒にここにくるなんて珍しいね」
「ええ。ちょっとハサウェイさんに聞きたい事がありまして」
「聞きたい事?」
ヘスの言葉にずり落ちそうになっている黒縁メガネを上げながらハサウェイが聞き返す。
「『禁呪書』についてなんスけど」
「……『禁呪書』? 例の、バンシーの森事件の?」
「そうそう、それス。何か情報知らないスか?」
「どうしてヘス君が『禁呪書』を探してるんだい?」
まあ、当然の質問か。ヘスはどこか諦めたような表情を見せる。ハサウェイは魔術師協会の職員だ。グラントールの順守を監視する役割として、当然の質問だろう。
「え〜っと、チョット親父の仕事でして……」
「例のゴート商会の賞金につられて君も探してるって感じだね」
「ぶっ! ハサウェイさんも知ってたんスか」
「そりゃあ……昨日から同じ事を聞く人が沢山ここに来てるからね」
「そんなに来てるんですか?」
「そりゃもう。事務仕事に支障が出る位、沢山ね」
困ったという表情を見せながら、ハサウェイがポリポリと頭を掻く。
「ほらヘス、そんな沢山の人が探してるんなら私達が見つけるのは無理だよ。諦めよう?」
「むぅ……負けてられんな……! 気合いれンぞっ!」
「ええっ!?」
ヘスはそう独りごちると腕をまくり上げ、つかみかからんと出張所のカウンターによじ登りハサウェイに詰め寄る。
「それで何か情報があるんスかっ! 『禁呪書』の情報っ!」
「うわっ、危ないよヘス君っ! 何だよ急に! 昨日の人達もだけど、どうしてそれを魔術師協会職員の僕に聞きに来るかなぁ……困っちゃうなぁ……怒られちゃうよ……」
「そいつらに教えたんなら、一回も十回も変わんねぇっスよ! 俺にも教えろっ!」
「うひぃ〜っ!」
本当に困った様な表情でハサウェイが泣き叫ぶ。ハサウェイもまた、ララと同じ病を抱えていた。――――強引なお願いを断れない病だ。お人好しな雰囲気がムンムンとでているハサウェイは、ララのそれよりももっと被害甚大だった。
「じ、情報という情報じゃないけど……隣町のビビの街の魔術師協会に何か情報が来てるとか来てないとか……」
「ほんとスかっ!?」
ボソリとつぶやくハサウェイの言葉でヘスの顔に光が灯る。他に一歩遅れを取ったとは言え、早速禁呪書のシッポを掴んだ。ヘスの表情がそう語っている。
「えっ……隣町……? ラミア魔術書房のある……」
隣町、という名前を聞いてララの表情も明るくなった。隣町、というより、隣町にあるラミア魔術書房に心惹かれているようだ。隣町にオープンしたラミア魔術書房のせいで、お客が減ってしまったとはいえ、世界有数の魔術書店に対するあこがれは強く、ララは機会があれば一度行ってみたいと常々思っていた。
「つか、情報が来てンのか来てねぇのか、はっきりしろッス!」
「わ、わかんないよ! あくまで協会内での噂だもん!」
「おっ、喧嘩か? いいぞヘスもっとやれ」
次第に口調が荒くなり、ハサウェイのネクタイを握りしめグリグリとこね回しながら叫ぶヘスに、何を勘違いしているのかトトが鼓舞するように捲し立てる。
「……ヘス、隣町、行ってみようよ!」
「へっ?」
突然、意を決したように叫ぶララにその場の全員が固まってしまう。
「な、なんだよ急に、やる気出して」
「えっ……そ、そんなことないよッ」
「……ははーん、さては隣町のラミア魔術書房だな? 目が本になってンぞ?」
判ったと言わんばかりにトトが冷ややかな目線をララに送る。頭の中を見透かされたララは必死に「本になっている目」をこすり、慌てて弁明する。
「ち、ち、違うよッ! 私はただ、困ってるヘスを助けたくてだね……」
「ま、俺としてはやる気だしてくれんのは嬉しいけどな!」
慌てるララにハサウェイのネクタイを掴んだまま、ヘスが冷静に応える。
「ちょっ……君達、隣町って行ってもかなりの距離があるんだよ? どうやって行くつもりなのさ?」
「……えーと」
話が盛り上がっている二人と一匹にハサウェイが慌てて問い掛けるが、答えが来ない。何も考えていないのか、と、ついハサウェイは重い溜息を吐き出す。
「本当に君達は……ここで『勝手に行ってよ』と帰しちゃったらオルガおばさんに怒られちゃいそうだし……ハァ、僕も一緒に行くよ……」
「えっ、ハサウェイさんも?」
ララが驚きの声を上げる。行ってみようとは言ったものの、やはりヘスと二人だけでは心もとない気がしていた。
「ちょうどその隣町の出張所にも用事があったからね」
「なんだぁ!? 結局賞金目当てかッ!」
「ち、違うよッ!」
「おっ、また喧嘩か? いいぞヘスもっとやれ」
「馬鹿ッ! やめなさいよッ!」
この抜け目ない泥棒め、とヘスが再度ハサウェイのネクタイを握りしめグリグリとこね回し、トトが鼓舞するが、呆れたララがヘスの後頭部をはたき彼らを制止する。
「と、とにかくさ、ちょっとそこで待っててよ、用意するから」
「……本当にすいません、ハサウェイさん」
ララは出張所のベンチに「禁呪書に近づいた」と喜ぶヘス、トトと座ると、二人を見やり「本当に馬鹿ばっかり」と呆れた。
が、憧れのラミア魔術書房に行けるのかと思うと――――ララもヘス、トトと同じように目をキラつかせながらハサウェイが来るのをまだかまだかと待つのだった。