第21話 ララの決意
ヘスとスピアーズが二人の死の宣教師を退いた同じ時、一台の駅馬車が土煙を立てながら一路、チタデルへの帰路を急いでいた。
目的の魔術書を手に入れたララ達が乗る駅馬車だ。
日はすっかり傾き、琥珀色に輝く空が窓から外を望むララの顔を憂鬱に照らしている。
ハサウェイさんの時と言い、駅馬車にはあまり良い思い出がない。駅馬車はまるで良からぬ事の代名詞のようにララの心に暗く影を落としていた。
「チタデルに着いたら解散、かな」
そう静かに零したのはトトだ。
だが、ララはその言葉に何も返さず窓の外から流れる木々を訝しげに、ただぼんやりと眺めている。
「嬢ちゃん達には感謝している」
パラパラと魔術書をめくりながらガーランドが呟いた。だが、その表情は硬い。
知らなかったとはいえ、最初の魔女の血を引く二人を「語らう森」に連れて行くことになってしまったことがどうしても引っかかっていた。身の危険は無いと確約した上で協力を承諾したララ達に何かあっては面目が立たない。
「……ランドルマンって人の事ですけど」
ガーランドに答えるように、ララが漏らす。今までに無く、弱々しい小さい声。
「私のことを狙っていたって、ガーランドさんは……」
知っていたんですか。そう口に出そうとしてララは言葉を飲み込んだ。
その言葉はガーランドさんの事を疑う意味を持つ言葉だ。
ガーランドさんが知っていたはずはない。最初の魔女の力の事の詳細は話していないし、もしそうだとしたらもう無事には居られないはず。
「すまん、嬢ちゃん。お前達が最初の魔女の血を引いていたと判っていたら、同行を頼みはしなかった」
「……それが逆に怖いわね」
静かにリンが言葉を挟むと同時に駅馬車が大きくガクンと揺れた。舗装されていない林道から、石畳で舗装された道に入ったらしい。
「どういう意味だ?」
「てっきり私は貴方がララの素性を知っているものだと思っていた。だけど貴方は知らなかった。そしてランドルマンとも手を組んでいないとするならば……」
「……誰かが描いた罠、か?」
最初の魔女の血を引くララとリン、そして俺を一度に集め、そこを襲う。そうして得をする奴は一人しか居ない。
ランドルマン。やはりあいつの罠か。
「チタデルに着いたらすぐに分かれましょう。三人が一緒に居るのは危険な気がするわ」
「……ちょっと待って」
リンの言葉をララが制止する。
「カミラさんが言っていたお母さんの事」
凛とした表情でララがリンを見つめる。その表情が語っている事はひとつ。
「貴女まさか、本当にヴァルフォーレに行くつもりじゃないでしょうね」
過去の事、最初の魔女の事、「力」の事、リンさんの事、そしてお母さんの事。
もう無視出来ない。このままバージェスに戻っても、もう今までのまま過ごすことなんて出来ない。ヘスは反対するかもしれない。そんな危ない所に行かせられないって。
だけど……
「このまま有耶無耶にしたくない。……いえ、無理。無理なんです」
何かがきっかけで、あの祠の壁画の様な事が起きてしまうかもしれない。その力が私の中にある。それが、怖い。
「……あの村の人達はどうするつもり?」
「それは……」
オルガおばさまに、ヘスのお母様、それに……ヘス。
離れたくない。皆に会いたい。これまでと同じように、オルガおばさまのお家でパイを作って、ヘスのお母様とお話して、ヘスと笑って。
だけど、私のせいで皆が悲しむ事があっては、いけない。
「思い詰めんじゃねぇぞ、嬢ちゃん」
はっとしたララの目に映ったのは慈しむような眼差しを投げかけるガーランド。
「取り敢えず、嬢ちゃんの大切な奴らと話せ。動くのはそれからだ」
「でも……」
ララが即座に言葉を挟む。
会えば辛くなる。きっと行けなくなる。
「良いか」
ガーランドが身を乗り出し、我が子に言い聞かせるように続ける。
「嬢ちゃんの周りの人間は、足枷でもなければ、敵でもない。嬢ちゃんの事を想っている奴らだ。一人じゃ通れない道も、皆の知恵を借りれば必ず道は開ける。まずは想いの内を奴らに話せ」
そう言ってガーランドはララの頭にその無骨な手を乗せる。
大きくてゴツゴツとした、心強い手だ。
「そんな顔すんなっつの。俺も嬢ちゃんの事を想っている奴らの一人だ。前回と今回、色々世話ンなってるしな。俺も力になる」
ニヤリとガーランドが笑みを浮かべた。
お父さんが居たとしたらこんな感じなんだろうか。ちょっと悪そうで、でも頼りになる。
ガーランドの笑みに誘われるように、ララはコクリと一つ頷いた。
「おい、ララ! 俺も居ンだからなっ! 俺はお前の味方だぞっ!」
忘れんな! とトトがララの肩で喚く。
「……あは、うるさいよぅ、トト。わかってるって」
「ワハハ、どうだ周りは味方だらけだろう」
トトとガーランドの豪快な笑い声につられてララにもつい笑みが浮かぶ。
ガーランドさんの言うように、一度話そう。ヘスと、皆に。
ララが思ったその時だった。
馬の嘶きが聞こえたかと思うと、駅馬車がガクンとスピードを落とし、けたたましい軋み音を発し急停車した。その衝撃に車内は大きく揺れ、全員が体勢を崩してしまう。
「な……っ!」
「何だッ!?」
駅馬車の窓からはチタデルの門が見える。だが、止まった場所は中途半端な場所だ。事故だろうか。
咄嗟に立ち上がったガーランドが御者の元に向かおうとしたその時。
駅馬車の扉が開き、ゆっくりと一人の男が姿をあらわす。
決して会いたくは無かった、その男。
「……この駅馬車はここが終点だ。ガーランド」
スキンヘッドに黒いサングラス。感情が感じられない、冷めた表情。黒いコートがふわりと風に靡いた。
「……ランドルマン……」
潰れた喉から声を絞り出すように、ガーランドが囁く。
彼の姿に、四名の協会職員が警戒の色を発した。
「何故お前がここに居る」
「何故? 分かるだろう、ガーランド」
ゴツ、とランドルマンの硬いブーツが駅馬車の床を踏みしめる。
「ガーランドさん! 周りに……!」
「……何?」
駅馬車の窓から見える人影がガーランドの目に映る。黒いベストを着た幾人の男達と、統一感の無い軽装の男達。
協会魔術院の連中と、あれは、ゴート商会の傭兵? どうしてゴートの連中が。
「ガーランド、お前に大協約違反の疑いが有る」
「……何だと」
「非武装中立区画北部責任者ともあろうお前がまさか『精神魔術書』を生成しているとはねぇ」
氷に亀裂が走ったかのように、ランドルマンが口角を上げた。
「……やはりお前の罠だったか。ギュンターを使い俺をハメたか」
「何のことか判らないな。ガーランド」
「虫唾が走るわね、クルセイダー」
リンが立ち上がり、ランドルマンに一瞥する。
だが、リンの姿を見て、ランドルマンの表情が一変した。
「……最初の魔女の血」
それまで感情が無かった表情に現れたのは、怒りの色。ぞわぞわと毛が逆立っているのが見て分かるほどに強烈な憤怒。
「血が滾るぞ、魔女の末裔。汚れたお前らの血を浄化するために神に与えられた俺の『裁定者』の血が」
「……リン、ララ。下がれ。逃げる準備だ」
ガーランドと職員達がランドルマンの進路を遮るように前に出た。
「抵抗するか、ガーランド」
「当たり前ェだろ、ボケ」
「……いいだろう」
睨み合ったままお互い冷笑を浮かべる。
一触即発の空気。
ジリ、とガーランドが足を踏みしめた、その時、ランドルマンが動く。
「ガーランドッ! 上級魔術の生成および不法所持、大協約違反で貴様を逮捕するッ!」
耳をつんざくランドルマンの声が駅馬車内に響き渡る。
その声と、協会魔術院のエージェント達が車内に押し寄せてきたのは同時だった。