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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第二章「想い出になる前に」
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第20話 弱き心が生む暴力

 辺り一面に立ち込めているのは、崩れた建物が巻き上げた砂塵。数メートル先も見えない目隠しをされているかのような状況。

 視界を奪われたのはいい状況じゃない。二対一の状況ではなおさら、だ。

 建物が倒壊したのはガガーリンの仕業だろう。ヘス君に渡した「あれ」でこんな芸当は無理だ。

 スピアーズは倒壊した建物の一つ隣の屋上でその時を待っていた。

 ハサウェイが砂塵に紛れ、襲いかかるその時を。

 感覚を研ぎ澄まし、スピアーズはハサウェイと最初の魔女オリジンの位置を探る。

 聴覚、嗅覚、触覚。それに知覚。

 来る。波紋が広がるように感じる。


「……シィッ!」


 砂塵の中から突き出されたのは、スピアーズの喉を狙った手刀。

 だがすでにスピアーズはハサウェイとの間を外していた。ギリギリその手刀が届かない距離で躱す。しかし、更に一歩踏み込んだハサウェイがもう一度手刀を放つ。

 踏み込んだ一歩がスピアーズの予想よりも大きかった。その手刀は十分スピアーズの喉元に届く距離。だがーー 


「うっ!」


 避けられないと咄嗟に判断したスピアーズが手刀を肩で受け、その力を外に逸らした。巧みに力をずらされたハサウェイが体勢を崩す。その顔面にスピアーズが膝を打ち込もうとしたその時。


「裂ケロッ!」

 

 砂塵の向こうから最初の魔女オリジンの声が響いた。その声と合わせて砂塵が斬り裂かれ、空気の刃がスピアーズに襲いかかる。


「チッ!」


 膝を諦め、スピアーズが身を撚る。姿が見えない空気の刃が甲高い音を放ちながらスピアーズの顔をかすめた。頬がわずかに切れ、鮮血が舞う。

 空気の刃はそのまま屋上の塔屋を切り裂き、霧散する。

 と、スピアーズの目にハサウェイの獲物を狙っている冷徹な眼光が映った。

 何かを狙っている目。まずい、ハサウェイの反撃が来る。

 スピアーズが軸足を蹴りあげ、距離を置いた次の瞬間ーー

 

「あれっ」


 スピアーズの予想は的中した。先ほどまで居た場所に鋭い氷柱がそそり立つ。奴の魔術だ。


「いや、惜しい。今のは捉えたと思ったんですが」


 先ほど最初の魔女オリジンが切り裂いた塔屋の一部が落ちる。ズシンという地響きとともに屋上に立ち込めていた砂塵が晴れた。

 そこに見えるのは、余裕の表情で冷笑を浮かべるハサウェイと、その傍らに立つ最初の魔女オリジン


「この状況から察するに」


 ローブを払いながらハサウェイが続ける。


「ヘス君はガガーリンさんにやられてしまったのかもしれませんね。貴方が渡した聖騎士の遺産パラディンスレイヴも無駄だったというわけです」


 残念ながら。ハサウェイが笑う。

 だが、その表情にスピアーズは違和感を覚えた。ハサウェイの鋭い眼光の奥に見え隠れする、それ。


「何をそんなに恐れている、ハサウェイ」

「……恐れている? 僕が、ですか?」

「まぁ、仕方がない事だ。お前は頭で強がっていても、心では恐れている」


 ぴくりとハサウェイの頬が引きつる。


「恐れている? 貴方を? 馬鹿な。まるで僕に敵わない貴方を恐れる?」

「俺だけじゃない」


 ゆっくりとスピアーズが詰める。一歩、また一歩とハサウェイとの距離を。


「お前はすべてに恐怖し、怯えている」

「何を……」

「お前の心には芯が無い。信念が無い。心の拠り所すら無い。だから、恐れる」


 ジリ、とハサウェイが無意識で後ずさる。

 無防備に両手を広げ、歩いてくるスピアーズを無意識に恐れている。 


「お前の中は空っぽだ。だから力にすがり付き、己の支配下における『人形』に縋る」

「……黙れッ」


 ハサウェイが小さく呟いた。

 僕が空っぽだと。お前、お前に僕の何が分かる……ッ。僕の……! 


「三年前、例の禁呪書を手に入れるために、魔術師協会にスパイとして潜り込んで、ヘス君達に出会って気がついた」


 僕の心を覗くなッ……僕の心をーー


「ヘス君達の『大切な人への強い想い』を感じてお前は気がついた。……自分には何も無いということを」

「黙れッ!!」


 怒りに任せ、スピアーズの言葉を払いのけるようにハサウェイが腕を振り上げると、舞い降りた粉塵を巻き上げ空気が刃となり金切り音を纏いながらスピアーズに襲いかかる。

 

「弾けろッ!」


 スピアーズの言葉と共に、耳をつんざくような金属がぶつかり合う音が響き渡った。スピアーズの魔術で空気が弾け、ハサウェイのそれが相殺された音。


「……ッ!」


 その瞬間、スピアーズとハサウェイの立場が一変した。 

 笑みを浮かべているのはスピアーズだ。最初の魔女オリジンを従え、有利なはずのハサウェイは苦い表情でそのスピアーズを睨みつけている。


「そして……お前も『そうなりたい』と思ったんじゃないのか? ハサウェイ」


 ハサウェイは何も返せなかった。 

 歯ぎしりをしながら、スピアーズを睨みつけるしか無かった。


「お前は弱い。任務を言い訳に逃げた。自分の心から、だ。そして前以上に力に縋った。それがその化け物オリジンだ」

「クッ……ククッ」


 ハサウェイが小さく肩を震わせている。怒りに満ちた目でスピアーズを見据えながら。


「その通りだよ、スピアーズさん。だから……」

 

 ララを助けたいと想うヘス、それを諦めないヘス。

 彼は白。光り輝いている、白だった。僕には無い、白。

 一緒に居たら、ひょっとしたら彼らの様になれるかと思っていた。

 だけど駄目だった。僕の中には何も無い。彼らの中にあるような心、想い、愛。

 だったら……

 だから……


「僕は『力』ですべてを手に入れるんだ」

 

 ハサウェイが歪んだ欲望を静かに叫んだ。

 僕に手に入らない物なんて無い。すべてを手にするのは、僕だ。その力は僕にはある。

 屍術師の僕にはそれが出来る。僕にない心も、何もかも手に入れる。


「無理だよ、ハサウェイ。『心』が無いお前は俺に勝てん」

「だったら……」


 試してみろ。スピアーズ。

 ハサウェイがそう小さく囁いたその時。

 最初の魔女オリジンが右手をスピアーズに向け、あの言葉を放つ。


「テテレ……スタイ」


 最初の魔女オリジンの周りの景色が歪み、赤く染め上がる。

 炎の矢。俺の魔術をまた放つつもりか。

 先手を打たれる前にスピアーズが動く。地面を蹴りあげ、最初の魔女オリジンとの距離を詰める。

 まさか突っ込んでくるとは思っていなかった最初の魔女オリジンの動きが一瞬止まった。炎の矢の射出が一瞬遅れる。

 次の行動に移れるに十分な一瞬。最初の魔女オリジンが放つ炎の矢をスピアーズが躱し、右手を地面に手を優しく添える。

 

「俺の炎の熱さを味あわせてやるぜ、最初の魔女オリジン!」


 痺れな、とスピアーズが続けた瞬間、最初の魔女オリジンの足元が赤く燃え上がる。

 しかし、最初の魔女オリジンには「無に帰す盾」がある。最初の魔女オリジンが高熱を発する足元に左手を向けた。

 

「……ッ! 離れろ、最初の魔女オリジンッ!」


 一手遅れた。虚を突かれた。

 ハサウェイが最初の魔女オリジンに命令を下すが、すでに遅かった。


 くるりと身を翻し、スピアーズが左手を最初の魔女オリジンに向ける。その人差し指から放たれる、一本の炎の矢。

 その矢はまるで一本のレールの上を進むように、最初の魔女オリジンに……彼女の眉間を容赦なく貫く。


「……チッ!!」


 眉間を貫いた矢は大きく燃え上がり、最初の魔女オリジンの顔を喰らう。

 最初の魔女オリジンといえども、その宿主は人間の体。電源が落ちたロボットの様に最初の魔女オリジンはその場に崩れ落ちる。


「よくもッ! 僕の人形をッ……!」


 ハサウェイが再度腕を振り上げた。

 崩れ落ちる最初の魔女オリジンもろともスピアーズを斬り裂かんと空気が尖り、鋭利な刃物と化す。


「……だからお前は三流なんだよ、ハサウェイ」


 最初の魔女オリジンの身体が二つに分断されたが、その空気の刃はスピアーズの身体をかすりもしなかった。身を低く保ち、最初の魔女オリジンの身体を押しのけ一気にハサウェイとの距離を零に持ち込む。超接近戦。

 最初の魔女オリジンの身体から、黒い霧が立ち上り、空へと霧散する。

 ハサウェイの間近まで迫る、栗色のウエーブヘアー。 

 慈悲深い死の宣教師アポストロフの目。

 無慈悲な神父の顔。


「スピアァァアァァァァズゥウゥウゥゥッ!!」


 ハサウェイが憎悪とも、嘆きとも取れる咆哮を立て、青白く光る手刀をスピアーズに振り下ろした。同時に、スピアーズもまた、赤く燃える手刀を作る。

 その二つが交差した瞬間、空気が激しく揺れる。

 一瞬の間。

 ーーそして舞い上がる真紅の薄霧。


「……祈れハサウェイ」


 崩れたのは、ハサウェイ。

 胴体から切り離された右腕が宙を舞った。

 何が起こったのかハサウェイ自身にも判らなかった。

 そして宙を舞う自分の腕がドサリと地に落ちた時、やっとそれが頭の中で処理される。

 

「……ッ!?」


 ハサウェイの身体から出血はなかった。肉が焼ける吐き気をもよおす臭い。

 スピアーズはハサウェイの腕を焼き斬っていた。

 それが余計に己の身に起きた出来事を曖昧にする。


「腕ッ……僕の……腕がッ」


 ハサウェイの顔から血の気が引く。足元に力が入らず、そのままその場所にへたり込み、ただ、そこにあるべきものを探すように、ハサウェイの左手が右腕を探し宙を彷徨う。

 と、その時。

 スピアーズ達が居る建物にすさまじい衝撃が走った。隣の建物が倒壊したその残骸が滑り、この建物に直撃したようだ。

 再度砂塵が舞い上がり、ぐらりと地面が傾く。


「スピアァァアァァァァズ……」


 砂塵の中、ハサウェイの慟哭が響く。


「殺すッ! お前だけはッ! 絶対にッ! 殺す……」


 更に建物が揺れる。梁が折れ、自重に耐えられず、崩壊が始まる。

 その中、スピアーズは見ていた。同じ死の宣教師アポストロフであるハサウェイの姿を静かに。


「必ず……」


 お前を殺す。憎しみに満ちたその声と共に、ハサウェイの姿が砂塵の向こうに消える。

 次の瞬間、傾いた地面が音を立てて崩れ始めた。巨大な瓦礫と化し遥か下の地上に向って。

 

「……祈れハサウェイ。天に召す男に、女神様の祝福を」


 轟音が響く砂塵の中、優しく呟くスピアーズの声が瓦礫の間を縫う。

 慈悲深い死の宣教師アポストロフの声に、返事を返す物は何もなかった。 

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