第18話 盾と矛
苛立ちに似た静かな時間が辺りを支配していた。
カミラが若芽の没食子と泉の水を受け取り、コテージの中に消えてすでに一時間以上が経っている。
魔術書のクラフトに時間がかかることは重々承知だが、本当にクラフトしているのかガーランドには疑問だった。また何かと理由を付けて逃れるつもりじゃないのか。すでに陽は西に傾き、語らう森の木々は橙色に染まりつつある。
「むぅ……」
ガーランドがため息にも似た声を漏らした。
一向に姿を見せないカミラも気になるが、泉から戻ってからララとリンの様子がおかしい。
出発の時以上にお互いを寄せ付けないような雰囲気に、ガーランドは困惑していた。
「……何かあったのか?」
当人達ではなく、ルフの背中にちょこんと乗っているトトとアポロにガーランドが小声で問いかけた。トト達も何やら気まずい雰囲気で近寄りがたいらしい。
「知らねぇけどよ、泉からずっとあんな感じなんだよな」
「泉の中で喧嘩でもしたんじゃないの?」
子供なんだから、とアポロがため息混じりで漏らす。
「泉の中? 泉に潜って水を汲んだのか?」
「んなわけ無いだろ。魔女の泉の下に、最初の魔女の歴史が刻まれた祠があってよ。そこにララとリンが入っていってさ」
「最初の魔女の歴史が刻まれた祠……!?」
まさか、とガーランドがララとリンに視線を移す。
最初の魔女の歴史が刻まれた遺跡があるということは噂で聞いたことがある。そしてそこに足を踏み入れることが出来るのは、彼女の血を引く子孫だけだということも。
「ちょっと待て。と言うことは、ララとリンは最初の魔女の末裔って事か!?」
「ラインライツで見たアレで、薄々はそうじゃねぇかと思ったんだけどよ、バッチシ血を引いてたみてぇだな、ララの奴」
血統証付きだな、とトトが「がはは」と笑いながら付け加える。
だがガーランドはそんなトトと相まって、顔から血の気が引いていった。
ーー笑い事じゃない。
ララが最初の魔女の血を引いているということだけで、一大事なのに、さらに一箇所に最初の魔女の血を引く二人が集まるなど普通じゃあり得ない。今回の助力をララに依頼する前にもっと調べるべきだったか。いや、ララの身元調査で最初の魔女関係の名は出てこなかった。……どちらにしろ二人がここにいることは危険だ。
ガーランドの脳裏に幾つもの言葉が駆け巡り、「魔術書を諦め戻ろう」という結論をだそうとしたその時だった。
コテージの扉がゆっくりと開くと、銀色の髪が森の風にゆらりときらめき、右手には大きめの本が握られたカミラが姿を見せた。
「待たせたね」
「……全くだ」
ガーランドが急ぎ足でカミラに近寄り、魔術書を受け取る。
パラパラと中をめくって行くが、魔術解読師の技能がないガーランドに内容が分かるわけもなく、そのまま魔術書はララの手に渡っていった。
「媒体は血液だ。魔術が発現したら、魔術解読師ともう一人精神世界にダイブ出来るようになっている」
「もう一人?」
ガーランドの問いに、嬢ちゃん達だけで行かせるわけには行かないだろう、とカミラはガーランドを見ながら続けた。
「ララ、どうだ? 魔術は発現出来そうか」
「ええと……はい、大丈夫だと思います」
ブツブツと構文を読みながらララが返す。
「判った。……すまんなカミラ、助かった」
「フン。アンタら協会の連中には本当は手を貸したくないんだけどね。仕方なく、さ。礼は要らないよ」
そう吐き捨てながらカミラは魔術書を読みふけっているララと、腕を組み、森を見つめているリンに目線を移す。
「ララ、リン」
「……えっ?」
「コテージの中に入んな」
突如カミラに呼ばれた二人が困惑した表情を見せる。
先ほどクラフト前には「絶対に中に入るんじゃない」と念を押されていた。なのに、入れとはどういう事だろうか。
「……どういう事?」
「アンタ達に話したい事がある。さっさとコテージの中に入んな」
「カミラ、時間が惜しい。急ぎチタデルに戻りたいのだが」
「協力してやったんだ、こっちの我儘も聞いてもらうよ」
そう言ってギロリとガーランドを睨みつけたカミラが踵を返し、コテージの中に消えていくと、ルフが後に続いた。
ガーランドさんは時間が惜しいと言っているし、どうしよう。
そう思い、チラリとリンに目を移したララに「行くしか無いでしょう」とリンが肩をすくめた。
***
「その感じだと、知ったようだね? 自分たちの事」
コテージの中に足を踏み入れた二人に椅子に腰掛けているカミラがそう呟いた。
優しい樹木の香りが残っている、金物の使用を最小限に留めている木組みの家。大きめの暖炉に温かい空気。そのすべての感覚がララの記憶を刺激した。なにか懐かしい感じがする。
「あなたは誰? どうして私達の事を知っているの?」
そう返したのはリンだ。カミラさんは私達の事を知っている。だから二人であの泉に行けと言ったんだ。
「アンタ達がここに来たのは運命さ。アンタ達の中に流れる最初の魔女の血が導いた」
「運命?」
「ララ、リン、ひと目で分かったよ。アンタ達二人とも母親にそっくりだ」
「……!」
カミラの言葉に二人は息を飲んだ。心臓が波打っているのが自分でも分かる。
母親にそっくり――
その存在すら知らなかった母親の事をカミラさんは知っている?
「お、お母さんを知っているんですか?」
「……ララ、アンタが見せた『盾の力』、あれはまだ出すべきじゃなかった」
盾の力とはあの力の事か。泉でリンが言った言葉と同じ物をカミラが呟く。
出すべきじゃなかった。だからリンの「家族」が犠牲になった。
再度突き刺さった言葉にララの心がズキリと悲鳴を上げる。
「だけどさ、やっちまったもんは仕方が無い。皆を助けるためにはやるしか無かった、だろう?」
「でも……」
「感情は抜きさ。アタシは事実だけを伝える。リンも知らない事実だけを、ね。いいかい?」
カミラのその言葉にララとリンは同時に頷いた。
「最初の魔女の血を引いた者は今、四人居る」
「ご、四人!?」
そんなに沢山、とリンは目を丸くした。
「逆さ。『もう』四人しか居ない。何故かわかるかい?」
「……クルセイダーに?」
「そう。アタシにも子供がいた。娘が三人さ」
カミラが視線を送った先、暖炉の上に写真が飾られていた。若い男女と赤子三人が映った写真。
「カミラさんの娘さん達も……」
「アンタ達は覚えてないだろうけどね、アンタ達も小さい頃はこの家に来ていたんだよ」
カミラが静かに笑みを浮かべた。一瞬だったが、カミラの空気が尖ったものから優しいものに変わった気がした。
だから何処か懐かしい感じがしたのか。記憶には無いが心に残っている記憶の破片に頬が緩んでしまう。
まって、ということは、ひょっとしてカミラさんは……
「あの、私達のお母さんって、ひょっとしてカミラさんの……」
「アタシの妹さ」
やっぱり。
今まで見も知らぬ他人だったが、その事実で不思議と他人には思えなくなってしまう。人の心って不思議でいいかげん。
だが、リンは薄々気がついていたらしく、あまり驚きの表情は見せていない。
「アンタ達の母親とアタシ、そしてアンタ達二人。今残っている最初の魔女の末裔はその四人さ」
「失礼かも知れないけれど……」
ぽつりとリンが言葉を漏らす。
「どうして貴方の三人の娘はクルセイダーに見つかり、私達は無事だったのかしら?」
「アンタ達の母親が奴らの目から逃れる為に二人を『隠した』のさ」
「隠した?」
「身元が分かる情報をすべて抹消して、ね。苦渋の決断だったよ。だけどね、アンタ達二人は助かって、アタシの娘たちは死んだ。それが事実さ」
カミラの言葉にララは何か引っかかっていた
身元が分かる情報をすべて消したって、普通の人であればそんなことは出来る訳がない。誰かを頼ろうにも、誰がクルセイダーなのか分かるわけもなく、逆に危険は増すだろう。
もっと何かあるはず。ララはそう思っていた。
「疑問があるって顔だね、ララ」
「……ええ」
「その答えは直接妹に聞くんだね。アタシが伝えたかったまず一つ目の事実さ」
「母は、何処に?」
冷静にリンが聞き返す。
「ヴァルフォーレ。聖都ヴァルフォーレに妹は居る」
「ヴァルフォーレ!? パルパスの本拠地?」
思わずララが声を上げた。
お母さんはどうしてそんな所に。さらに疑問をぶつけたいララだったが、そんなララを制してカミラは続ける。
「ララ、その疑問は直接母親にぶつけな。いいね?」
「……はい」
「二つ目はララとリン、アンタ達の中にある最初の魔女の『力』についてだ」
先ほどカミラさんが言った「盾の力」というものだろうか。
禁呪の力をはねのけた、あの力。
「まず、ララ。アンタの中には二つの力がある。魔術を無に帰す『盾』の力と生命を無に帰す『矛』の力だ」
「……やっぱり」
カミラの言葉に納得したのは、リンだった。
「代々最初の魔女の末裔は三姉妹というのが通例でね。ウチもそうだったんだけど、アンタ達は特別だった。ララ、アンタには二つの力が宿っちまったのさ」
「……二つの力?」
カミラの言葉に、ララは困惑した表情を見せる。
生命を無に帰す矛って……何?
その言葉が放つ、得も知れぬ悪寒がララの身体を襲う。
「最初の魔女が人間たちを滅ぼすために使った力さ」
ララの脳裏にあの壁画で血の涙を流す最初の魔女の姿が浮かんだ。愛する人を失い「魔女」になった最初の魔女の姿。
思わずララはその場にへたり込んでしまった。
私の中に、皆を、オルガおばさんやヘスをも殺してしまう力が、ある? 私の血は、リンや皆を不幸にしてしまう呪われた血なの?
まとわりつくような悪寒が身体を駆け抜け、ララは足元の地面が抜けてしまったような感覚に陥る。闇の中に引きずり込まれるような感覚。
ああ、助けて、ヘス……!
「……ララ! 目を逸らすんじゃないよっ!」
「……ッ!」
どす黒い闇に引きずり込まれそうになったララがカミラの声に我を取り戻す。
いつの間にかリンがララの腕を掴み、身体を支えていた。
「現実から目を逸らすんじゃない。闇に引きずり込まれるよ。アンタの中の『闇』に」
「……しっかり自分の足で立って。もう絶望しても遅いわ」
リンが力強い眼差しでララの目を見つめる。腹ただしい人だけれど、その眼差しは頼って良いと思えるような気がする。
ララは静かに頷くと、リンの手を握り立ち上がる。
お母さんの元に行ってみよう。お母さんと会えば、すべてが分かる気がする。
「リン、アンタの力は……もうわかってるね」
「……『心』でしょう?」
リンの返答にカミラはゆっくりと頷いた。
「アタシと同じ『心』の力。その時が来れば、その力は目覚める。……アンタがララをしっかりと支えてやるんだ」
「フン。何で私がッ……」
冗談言わないで、とリンがララの腕を突き放す。
「私はララを心から嫌っているの。この子を支えるつもりなんてさらさらないわ」
「わ、私だって……!」
貴女と仲良くする気なんて無い、と言いかけてララはその言葉を飲み込んだ。リンの心が痛いほど理解出来るからだ。
リンの肩が小さく小刻みに震えている。
「アタシから話せるのはここまでさ。後はアンタ達で答えを見つけるんだね」
カミラが安堵の表情でもう一度椅子に腰掛けると、すかさずルフがその傍らに寄り添う。
本当の家族のように、カミラに寄り添うルフの姿にララの心が疼く。
「……フン! くだらない話を長々と……」
苛立ちが収まらないリンがそう吐いて捨て、コテージから勢い良く出て行った。
一瞬コテージの中に流れこんだ冷たい外気が一筋ララの頬を伝う。
「ララ、気をつけるんだよ。クルセイダーの連中は危険だ。特にランドルマンは、ね」
静かに囁くように言葉を漏らすカミラの傍らでルフが「クゥン」と鼻を鳴らしながら心配そうな眼差しをララに向ける。
カミラとルフ、二人の姿を見てララは何故か心細くなってしまった。そしてその心の隙を着いてざわざわと忍び寄る先ほどの悪寒。
会いたい。ヘスに、会いたい。
締め付けられるような心の痛みを堪え、ララはカミラに一礼しその悪寒から逃れるようにカミラのコテージを後にした。