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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第二章「想い出になる前に」
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第15話 三匹の獣達

「……ここからララを探すのか?」


 チタデルの街に着いたヘスは地面に打ち付けられた杭のように立ちすくんでいた。

 雨上がりで濁流と化した川のように行き交う人々。異臭を放っている荷馬車に、明らかに敵意に満ちた沈黙をぶつける傭兵達。

 ……ムリだろ。ヘタしたらこっちが探される方になっちまう。


「お前、チタデルに来たことがあるんじゃなかったのか」

「ええと、オヤジの仕事で少し」


 スピアーズが冷えた表情でヘスに問いかける。

 来たといっても、荷馬車とゴート商会を行き来したくらいだ。ゴート商会への道も判んねぇし、その他に何があるのかすら判らん。

 だけど、ララとガーランドさんが一緒なら、ララ達が行くべき場所はひとつしか無い。

 

「……魔術師協会に行こう」

「フム。そこが一番可能性が高い、か」


 やれやれ、とスピアーズがボンブルクハットをかぶり直す。


「ヘス様でいらっしゃいますか?」

 

 不意に声をかけられたスピアーズが声の方に視線を移した。

 そこに立っていたのは女性。小奇麗な制服に身を包み、大きめの眼鏡をかけている清楚な雰囲気の女性だった。


「あんたは……?」


 突如声をかけられたヘスが眉を潜めた。チタデルに知り合いなど居るはずもなく、疑いの目で女性を睨む。物盗りか何かか。

 だが、目の前の女性の姿はそんな物盗り達とは共通点の欠片もないほどに清楚で、整った服装に身を包んでいる。 


「お待ちしておりました、ヘス様」

「待っていた? 彼を?」


 スイッチが入ったかのように、穏やかで優しい表情と口調に変貌し、天使の様なほほ笑みをスピアーズが浮かべる。

 女性の前でコロリと雰囲気が変わったスピアーズに思わずヘスは言葉を失ってしまった。

 女の前で何いい人ぶってんだこのオッサン。


「嬉しいですね、貴女のように美しい女性が待っていただなんて」

「えっ?」

「正に荒野に咲く一輪の薔薇。お出迎え有難うございます」


 そう言ってスピアーズは、まるで婦人の前に平伏す騎士のように手を取り躊躇なくキスを捧げた。

 冗談だろ。このオッサン。そこまでやるかよ。しかも待ってたのはアンタじゃなくて俺だっつの。

 スピアーズのその姿にヘスは心底呆れ返った。


「い、いえ、そんな。私は上司よりあなた達を案内するように仰せつかった使用人にすぎません」


 女性が頬を赤らめ、恥ずかしそうにスピアーズの腕から、手を抜き取り背中に回す。その姿さえもスピアーズの心をくすぐるのか、静かな笑顔を女性に返す。


「私達を案内?」

「はい。ヘス様の到着が遅れていると情報が入りまして、到着次第ご案内を、と。皆様はゴート商会でお待ちしております」

「……ゴート商会、ですか?」


 スピアーズの言葉に女性は笑顔で頷く。

 スピアーズにはその制服に見覚えがあった。彼女のそれは間違いなくゴート商会の制服。

 

「ララ達はゴート商会に居たんだな。魔術師協会に行かなくてよかったぜ」


 無駄足を居らずに住んだ。早く案内してくれ、とヘスが続ける。 


「はい。では、商会までご案内します」


 スピアーズ達に一礼し、女性が踵を返した。

 この人波の中をかき分けて行くのは女性には難しいんじゃないかとスピアーズは思ったが、やはりチタデルに馴染んでいるからだろうか、翻弄されること無く女性はスイスイと進んでいく。 


「……オッサン、女たらしなんだな」

「ん?」


 頭に手を回し、ヘスが細い目でスピアーズを見ている。

 何処か軽蔑も含んだ目だ。


死の宣教師アポストロフ……つか、パルパスの神父はもっと欲に厳しく己に厳しい人だと思ってたぜ」


 見損なったぜ、と言いたげなヘスの表情を見てスピアーズが失笑する。


「……それが俺の女性への『愛』だ。愛を持って女性達を幸せにする事が神より与えられた俺の使命だ」


 さらりと愛を語るスピアーズにヘスは目を丸くした。

 意味わかんねぇ。愛を持ってすべての女性を幸せって……どういう意味だよ。


「オッサンの愛は女全員に手を出すって事か?」

「フッ……子供だな」


 実際子供か、とスピアーズが呆れた表情を見せる。


「ヘス君、『愛』は汚れた物ではない。……愛と恋の違いがわかるか?」

「知らねぇ」


 ヘスが怪訝な表情で即答を返す。

 知らねぇよそんなこと。恋は、好きって事だろ。愛はお互い好きってことなんじゃねぇの?


「恋は利己。愛は利他、思いやりだ。相手の為ならば自己犠牲もいとわない。それが愛だ」

「……成程」


 スピアーズの言葉にヘスは何処か感心してしまった。

 そういえば、恋は下心、愛はなんとやらってのを聞いたことがある。「愛」っつーのはバクーさんが言っていた「騎士道」に通じるもんがあるな。


「ま、オッサンが女好きっつーのはわかったけどよ、取り敢えずあのゴート商会の職員を追っかけようぜ?」

「……お前にはまだ早いか」


 そう言ってスピアーズが心底残念そうな表情を見せる。

 だが、表情は飄々としているヘスだったが、スピアーズの言葉が少し引っかかっていた。

 ララを心配する俺の気持ちは何だろう。友情か、それともスピアーズの言う「愛」なのか。

 ヘスはそう考えながら、人波に消えかけている女性職員の後を追い、スピアーズと共に歩き出した。


***


 先導する女性が向かったのは、メインストリートから一つ奥に入ったあまり人気の少ない路地だった。シュタイン王国の各地から運ばれてきた貿易品達が売られているのはチタデルの大通りで、こういった路地では「とある目的」を持った人々以外足を踏み入れることはそうない。

 それは幾つかの顔を持っているチタデルの特徴だった。日用品から嗜好品、地方の特産品まで様々な物が売られている大通りとは一線を画し、一歩奥へ入った裏路地に並んでいるのは、ゴート商会が裏で仕切っている「麻薬」に「奴隷」。

 人間の欲を金で満たす、チタデルの闇だ。


「こんな場所だったっけな?」


 思わずヘスが言葉を漏らした。

 人気が無い事が拍車をかけているのか、裏路地は大通りとくらべてジメジメと薄暗く、廃退の臭いが立ち込めている。父親に連れられて足を運んだとは言え、ヘスにはこういった所を通った記憶は無かった。

 

「この道を通った方が近いんです。もうすぐですよ」 


 だが、ヘスが感じた違和感が具現化されていくように、次第に路地は狭くなっていく。

 建物の影になり、陽の光が届いていない路地。空調機やポリバケツ、何かの空き箱がいくつも重なり、路地と言うより建物の隙間という表現が合う道。

 生臭い、腐ったような匂いがスピアーズとヘスの鼻腔をくすぐった。


「くっさ……」


 思わずヘスが鼻をつまむ。何か変だ。疎らだった通行人は消え失せ、空調機の音と自分たちの足音だけが辺りに響いている。

 ……やはり明らかにおかしい。辺りを見渡したヘスが肌でそう感じた時だった。


「……一つ良いですかな?」


 スピアーズがぽつりと呟いた。

 

「この街に来ているガーランド支部長達のことなのですが」

「はい、なんでしょう」


 こちらを見て女性がにこりと微笑む。


「いえ、人数を把握していなくてですね。お待ち戴いているのはガーランド支部長、ララさん、トトさんの三名でしょうか」

「……ええ。三名です」


 女性のその言葉にヘスが眉を潜めた。

 三名? カラスも人の数に入んのか?


「ほう。成程。……トトと言うのはカラスの筈だが」


 瞬時にスピアーズが神父の仮面を脱いだ。ヘスの顔をチラリと見る。

 カマをかけたんだ。俺と同じようにオッサンもこの女を疑っていたのか。恋色にボケてるだけかと思った。


「……フフッ」


 その言葉にピタリと女性の足が止まり、冷めた声が響いた。


「スピアーズは女性に弱い。そう聞いていたんですが」

「俺が弱いのは、『か弱い女性』でね。ゴート商会が何故俺たちを狙う」

「ゴート商会だけじゃありませんよ」

「何だと?」


 女性の声に呼応するように、腐臭を伴った生ぬるい風がスピアーズの両手の間を抜ける。そしてスピアーズの黒いローブがバサリと大きくなびいたその時だった。

 ヘスの顔に影が落ちた。背後からの光を妨げるように現れたのは長いコートを着た男。

 いや、コートじゃない。黒い、ローブ?


「……久しぶりだな、スピアーズ」


 黒いローブを着た男が呟いた。感情を感じない、冷たい声だ。

 その声に、スピアーズの頬が引きつる。路地の奥に身体を向けたまま、聴覚だけをそのローブの男に向けているようだ。


「ガガーリン」


 ポツリとスピアーズが呟いた。ガガーリン。この男の名前だろうか。

 スピアーズと同じ黒いローブに長く黒い頭髪、白く痩けた頬。鋭い眼光からただならぬ殺気を感じる。


「カマをかけるのが遅すぎたようですね。スピアーズさん」


 女性の影から別の男の声が聞こえた。

 その声に今度はヘスの頬が引きつった。

 聞き覚えのある声。その声が呼び覚ますのは、――無慈悲な暴力の記憶。


「あ、あんたは……」

「ふふ、久し振りだね、ヘス君」


 路地の闇から現れたのは、黒いローブを身にまとった黒縁眼鏡の冴えない男。

 ーーハサウェイ……ハサウェイさんだ。

 先日の禁呪騒動の黒幕で、すべてを欺いていた死の宣教師アポストロフ

 ギリと睨むヘスをあざ笑うかのように、彼の眼鏡がギラリと怪しい光を放った。


「俺以外に死の宣教師アポストロフが二人動いているとは聞いていたが。お前達だったとはな」

「僕とガガーリンさんは、司教様の令でここに来ているんですよ。……貴方と『ボス』の動きは筒抜けなんですよ?」

 

 押し殺した様なハサウェイの笑い声が闇に溶け込む。


「成程」 

「……スピアーズさん、貴方、司教様に歯向かうおつもりですか?」

「ハッ、まさか。俺はパルパス教会の神父であり、教会に忠誠を誓った死の宣教師アポストロフだぞ?」


 両手を大きく広げ、スピアーズが答える。


「だけどなハサウェイ、俺に最初に任務を与えたのは司教様じゃあない。俺たちの『ボス』だ。司教様だろうがなんだろうが、任務に後からケチは付けられない。だろ?」


 スピアーズがボンブルクハットをゆっくりと脱いだ。カールしたブラウンの頭髪が風になびき、何処か喜んでいるようにも見えた。


「ふふふ。貴方はそう言うと思っていましたよ」


 そう笑うハサウェイの隣に、幾人かの男達が現れる。ぼんやりとした瞳。その目には見覚えがある。バージェスの村で襲いかかってきたあの男達と同じ、視点の定まっていない目だ。

 いつの間にか案内していた女性も同じように視点の定まっていない、まるで「夢」を見ているかのような目になっている。

 

「僕達が司教様に与えられた任務は二つ……」

「一つ、ブランに関する情報を嗅ぎまわっている邪魔物達を消せ」


 ハサウェイの言葉に呼応し、背後からガガーリンの冷たい声が響いた。


「そしてもう一つ。教会の指揮下を離れ、独自に動いている『ボス』のその部下の目的を確認し……必要とあらば処理せよ」


 眼鏡に隠れたハサウェイの細い目の奥から、身を刺すあの殺気が放たれる。ハサウェイの殺気に射抜かれてしまったヘスは思わず身を竦ませてしまった。


「……俺を処理、だと?」

「スピアーズ、お前は『ボス』に騙されているだけだ。悔い改めヴァルフォーレに戻れば司教様は慈悲を与えてくれるだろう」

  

 ガガーリンが小さく言葉を漏らした。

 話はよくわからないけど、死の宣教師アポストロフであるスピアーズのオッサンを失う事は痛手になるということだろうか。


「……ガキ共、誰にそんな口聞いてンだ?」


 静かな怒りがスピアーズの空気を凍りつかせる。

 ゴン、とスピアーズの拳が路地の壁を叩いた。力の篭ったノック。パラリと壁の破片が空を舞う。


「ガガーリンさんの言うとおり、司教様は慈悲の用意がある、と仰って居ましたよ?」


 ハサウェイがニヤリと笑みを浮かべた。何処か期待を含めた笑み。その期待は大人しく従う事に対する期待ではない。言葉と真逆の本心が隠れている表情。


「俺は与えられた任務を忠実にこなすだけだ。邪魔者は……全員殺す」

「ククッ……簡単に行きますかね? 僕はもう昔とは違いますよ? スピアーズさん」

 

 そう言ってハサウェイが一歩前に出る。同時に背後のガガーリンが距離を詰めた。

 ヘスが咄嗟にスピアーズの背中を守るようにガガーリンに立ちはだかり、腰に下げた剣の柄に手を回す。

 逆光でよく見えないが、ガガーリンの鋭い眼光がヘスの目に映った。怖え。立っているだけでやっとだ。

 恐怖で膝が笑っているのがヘス自身にもはっきり判る。


「かかって来いよハサウェイ。優しく撫でてやるよ。二度と俺にでかい口を叩けなくなるくらいに、な」


 この狭い空間に三人の死の宣教師アポストロフ。あの時は一人でさえ、あの無慈悲な暴力で圧倒されてしまった。それが三人。一体どのような事態が起こるのかヘスには想像すら出来ない。

 

 もう一度、スピアーズが壁を叩いた。

 その衝撃で朽ちていた配管のネジが外れ、地面に落下すると、カキンという甲高い音が暗く落ちた路地に反響した。

 始まりの合図。

 その音が獣達が動く「」の合図となった。

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