第14話 最初の魔女
浮かび上がった大小いくつもの岩は、泉の中心に現れた祠の入り口へ一筋の道を型作っている。寒冷地特有の乾燥した風が、その浮かび上がった岩の水分を乗せ、まるで「はやく中に来て」と手招きするようにララ達の頬を撫でた。
「行くわよ」
ララを促すでもなく、ひとりごちるようにリンが小さく囁いた。その声に呼応して、ピチャリと泉に現れた道をリンのヒールが踏む音が静かな泉のほとりに響く。
ララの心はざわめいていた。知らない方がいいこともある。リンが言ったその言葉に気圧されてしまったのか、それとも何か別の物なのか判らなかったが、何処か憂虞していることは事実だった。
ララはふうとざわめきを抑えるようにひとつ深呼吸をして、リンの後を追う。
「僕はここで待ってるから」
ルフがララ達を見送る。
「迷子になンなよ?」
泉のほとりに立つルフにララの肩に乗るトトが言葉を漏らした。
迷子になるなって? ここで待っていると言ってるじゃないか。
ルフは思わず首を傾げてしまった。
「……どういう事?」
「いやさ、お前頼りないから、待ってるだけで迷子になりそうだもん」
「そっ……! そんなことあるわけ無いだろッ! 早く行って来てよッ!」
う〜、と唸りながらルフがカラカラと笑うトトを威嚇する。先ほどまでであればつい吹き出してしまいそうなルフとトトのやりとりだったが、ララにはもう笑うことができなかった。
ララの視線は只、目の前の白銀の女性の姿を追っている。
***
泉の中心に現れた祠。自然石を積んで作られた祠だ。苔むした自然石からかなりの年月が経っていることが想像できる。その祠だけではない。まるでその区画だけ切り取ったように丸く形どられた小さい島にも木の葉型をしたマゴケがびっしりと地面を覆い尽くしている。
「この祠は最初の魔女が残した子孫たちへの『警鐘』よ」
「……えっ?」
自然石で組まれた祠の入り口に立つリンが苔むしたその自然石を指で触れながら囁いた。
警鐘って何の警鐘だろう。
……それにどうしてリンはこの祠の事を知っているのだろう。
「……まさか、こんな事になるなんてね。こちらにいらっしゃい、ララ。すべてあなたに話してあげるわ」
リンが何処か腹を括ったと言いたげな表情で、ララに手を差し伸べた。ゆっくりとその手を握ろうと手を出したララだったが……その差し伸べられた手を見て、ララの心がもう一度ざわめいた。
どうしよう。
ざわめく心に引き止められるように、ララの手がピタリと止まる。こちらを静かに見つめるリンの目にドキリとしてしまったララは目を泳がしてしまう。
駄目。ララの心が囁く。その手を握っては駄目。
「どうしたの? 知りたいのでしょう?」
「……うん」
ララはゆっくりとリンの指を握った。
リンの冷たい手の感触がララの心に広がる。
心のざわめきはもう、聞こえなかった。
***
気がついた時、ララは薄暗い部屋にリンと立ちすくんでいた。陽の光が差し込む窓など存在していていないが、壁自体がぼんやりと発光しているような殺風景な部屋。
何も無い部屋だった。白色の石灰岩に覆われた部屋。あるのは四方に囲まれた壁だけ。
その閉塞感と不気味な雰囲気にララは身をすくめてしまう。
それに何処か身体に違和感がある。なんだろう。
「……あれっ? トト!?」
違和感は左肩だった。
いやに左肩が軽いと思ったけど、先ほどまで左肩に止まっていたトトの姿が無い。辺りをキョロキョロと見渡すが、トトの姿が無い。それに、リンの肩にとまっていたアポロの姿も。
「彼らはここには入れないわ。入れるのは私とあなただけ」
「入れない? どういう事ですか? それにここは……」
困惑するララを気にもとめず、リンが白色にぼんやり光る壁に歩み寄っていく。
そしてゆっくりとその壁に触れた時、信じられない光景がララの目を襲った。
「こ、これは……!」
まるで水面に広がる波紋のように、壁に触れたリンの手を中心に壁一面に壁画と文字が広がっていく。どこか審美的で抽象的な壁画だ。ぐるりと部屋の四面に描かれた壁画は何か物語を語っているようにララの目に映った。
「この壁画は最初の魔女の記憶と警告。私達最初の魔女の血を引く子孫の為の、ね」
「え、えええっ!?」
私達って、どういう事!? リンも最初の魔女の血を引いている……!?
ララの頭は文字通り混乱した。
でも、血を引いていることと、私を目の敵にしている事に何の関係があるのだろうか。
……ちょっとまって。今気がついたんだけど……
「最初の魔女の血を引いているって……もしかして私とリンさんは……」
もしかして、私とリンは……血の繋がった……
「……私は妹が居るなんて一度も思ったことはないわ」
どえぇえぇぇっ! やっぱり私とリンは、し、し、姉妹!? 嘘だぁ!
さすがに気まずそうに呟くリンに、ララは心底度肝を抜いてしまった。
だけど、そうであればリンに感じていた色々な気持ちに納得が行く。リンの記憶なんて全く微塵と無いけれど、母の記憶と同じように心の何処かに残っていた血の繋がりというものなのだろうか。
というか、姉ってどんなものなんだろう? いきなり姉です、って言われてもよくわからない。
だけど、こんな憎たらしい女性が姉だなんて……。
「これから話す事は、あなたにとってはまだ『早い』真実よ」
「は、早い?」
「先日あなたが見せた最初の魔女の力。あれはまだ披露すべきじゃなかった」
そう言ってリンが視線を壁画に向けた。
彼女の視線に呼応して、壁画が光り輝く。
「最初の魔女の伝説は知っているでしょう?」
「は、はい。魔術を作った魔女で、人々に恐れられた……っていう」
ララは混乱する頭から、最初の魔女の話を無理やり引っ張り出す。
「そう。人々に自分の魔術を伝える事で、笑顔で迎え入れてくれるんじゃないかと彼女は魔術書を作った。だけど、人々に伝えた魔術書が原因で人々は争うようになってしまった」
リンの説明にララが感じていた疑問がもう一度ふつふつと湧き出してきた。
その争いの原因になった魔術を最初の魔女は「終わらせた」と母から聞いた。だけれど、魔術書は今も残り、争いは絶えず起きている。
「最初の魔女は『テテレスタイ』ですべてを終わらせたんじゃないんですか? あの禁呪書を止めたみたいに……」
「それは違うわ」
リンが即答した。
その声に反応して、壁画の絵が光り、浮かび上がる。炎に包まれ、苦しんでいる人々の絵と、黒いローブを着た女性が、多くの人々に剣を向けられている絵。
「魔術による戦争。『始まりの厄災』と呼ばれたそれにより、世界は破壊しつくされたと言われているわ。そしてそれまで最初の魔女を受け入れていた人々は手のひらを返し、彼女を迫害し始めた。それは以前よりも増してね」
二度目の迫害。人々に剣を向けられている最初の魔女の絵の表情がとても悲しそうにララの眼に映った。
「最初の魔女は己が起こした事を後悔した。人々に慕われたいという己の『欲』が起こしてしまった事だと、自分を責めた。だけど、彼女に救いの手が差し伸べられたの」
そして壁画に描かれた男女の姿が浮かび上がる。最初の魔女と……もう一人の男性は、誰だろう。
「彼女は人々を恨みはしなかった。それは彼のおかげだったのかもしれない。一人の男性が最初の魔女を人々の迫害から守ったの」
壁画の最初の魔女は嬉しそうだった。
多くの人に受け入れられなかったけれど、一人の男性に受け入れられたという喜びが表現されている壁画。だけれど、描かれている男性の表情は何処か哀しげだ。
「失いつつあった、最初の魔女の愛は彼によって辛うじて彼女の中にとどまったの。だけれど、それも長くは無かった」
次の壁画が浮かぶ。その絵にララはつい口を両手で覆ってしまった。
そこに描かれていたのは、幾つもの剣が突き立てられた男性の姿と、赤い涙を流す最初の魔女の姿。そして、背中に黒い羽を持つ少女の姿。
「最初の魔女を倒せば魔術は無くなる。そう考えた人々は『魔女狩り』を始めたの。それを先導したのは、最初の魔女を守った男性の妹。兄を奪われた妹の妬みは、愛する兄の命さえも奪ってしまったの」
次の壁画が浮かぶ。
血の涙を流す最初の魔女と対峙する黒い羽を持つ少女と人々。
痛い。ララの心がズキズキと痛んだ。
「愛する人を奪われた最初の魔女は人々を恨み『魔女』になった。全てを終わらせるために『魔女』になったの」
言葉を失っているララの目にさらに次の絵が浮かんだ。
最初の魔女の胸に剣を突き刺す黒い羽を持つ少女。
「妹は最初の魔女を倒した。だけれど、魔術も憎しみも争いも世界から無くならなかった」
「……どうして?」
思わずララは声をあげる。
「魔女の血は無くなっていなかったから。最初の魔女と男の間に子が産まれていたの。そして、その子を妹達は探した。見つけ出して……殺すために」
次の絵は浮かばなかった。ぼんやりと光る壁に見えるのは、うっすらと輝く壁画と文字。
その子が……私達の先祖さま? その妹達って……
「これが、私達とその妹達『クルセイダー』の戦いの歴史よ」
「クルセイダー?」
「魔女の血を絶たせる為に暗躍する組織よ。ここ数年動きが見えなかったけれど、あなたが見せたあの力のせいで、その動きが活発化しているわ」
私が見せた力? 禁呪を押さえた力、「テテレスタイ」の事か。
「そしてあなたの命も狙われているわ。狙っているのは、ランドルマンという男」
「ランドルマン……!」
その名前にララは驚く。たしかガーランドさんが言っていた、協会を二分している強硬派の先鋒。スキンヘッドのあの写真がララの脳裏に浮かんだ。
「ランドルマンはあなたの命を狙っている。禁呪書に関する情報を知っていて、なおかつ最初の魔女の血を引いているあなたを」
なんてことだろう。あの力で禁呪は発現せず、多くの人達が救われたと思っていたのに、それを憎んでいる人達がいるなんて。
そう思ったララの脳裏に嫌な予感が過る。
ひょっとして……リンが私を目の敵にしている理由って……
「もしかして、私があの力を大々的に使っちゃったから、リンさんにそのクルセイダーの手が?」
「……私を我が子のように面倒をみてくれた最愛の女性がクルセイダーの犠牲になったわ。あなたのせいで」
ララの心がぎゅっと締め付けられた。私がやったことで、不幸になった人達がいたなんて。その事実がララの心を締め付けた。
私の血は呪われた血なの?
何か、深い闇の中に沈んでいくような感覚がララを襲う。
「たとえ妹だとしても、たとえどんな事理由があったとしてもあなたを許せない。私から大切な物を奪うきっかけを作ったあなたを」
「……ごめんなさい」
その言葉に、ララは鋭利なナイフで心をえぐられた気がした。謝らずには居られなかった。
そしてその痛みに思わずララの頬を冷たい涙が伝う。
「だけど……」
壁面を見つめていたリンがくるりと踵を返す。そのリンの頬にもまた一筋の涙が光っている。
「こんなにあなたを嫌っているのに、あなたを心配している私が心の中から居なくならないの。こんなにあなたを憎んでいるのに」
リンのその言葉に少しララの心から闇が消えていく様な気がした。
姉の心の声に、悲痛な思いを漏らす姉の心の声にララは救われた気がした。
「……ごめんなさい」
ララは謝るしか出来なかった。
知らない方が幸せだったかもしれない幾つもの真実にララの心は押しつぶされそうだった。
闇の中に落ちないよう、真実に心が壊れないように、必死に現世しがみつくようにララは謝罪の言葉を漏らすしか無かった。