第13話 ララとリン
もふもふ
「ねぇ婆ちゃん、折角来てくれたのにそんな難しい顔してないでさ。おもてなししようよ」
変わらず、コテージの玄関先に設けられた椅子に座るカミラの足をちょいちょいと子供オオカミが前足でつついた。
まるでララとリンがここに来ることを知っていたかのような言い方だ。
ガーランドさんが事前に伝えていたのかな?
「うるさいね、ルフ」
「だってさぁ……」
ルフというのはこの子供オオカミの名前だろう。ピシャリと叱るように言葉を漏らすカミラに、びくりとルフが身を竦める。
「カミラ、やってもらえるのか? ララ達がお前のクラフトをサポートするという事で」
「ふん、サポートじゃ無理さ」
「……作れない理由は別にあンのかよ?」
作れないのは高齢が理由じゃ無かったのか、とガーランドが眉を潜める。
「そうだね、嬢ちゃん達二人に、『魔女の泉』に行ってもらおうかね。クラフトに必要な筆を洗う水が無くてね。魔女の泉の水をひとすくいお願いするよ」
「クラフトに必要な……水?」
リンがガーランドと同じく怪訝な表情を見せた。
私に使いっ走りをさせるつもりなの? と表情が語っている。
「ガーランド、アンタ達には若芽の没食子を取ってきてもらおうか。インクも切らしててね」
「おい」
思わずガーランドの声が低く落ちる。
カミラは遠回しに協力を拒絶しているのではないか。ガーランドが疑いの目でカミラを見据えた。
「なんだい? アタシは協力してやるつもりはあるんだけどね。道具が無いんだから仕方ないだろう?」
「む……」
以前、同じような協力依頼を出した時も、なんだかんだと魔術書を作るまで時間を食わせていた。彼女なりの魔術師協会へのあてつけなのは判るが、なんとも勘弁願いたい。だがそうしたくなる理由も判らんでもない。
複雑な心境に板挟みになったガーランドは苛立ちを発散するように頭を掻きむしった。
「ほら、時間が無いんだろ? さっさと行きな」
「……むぅ」
ガーランドが、根負けし「行けるか」と困惑したような眼差しをララとリンに投げかけた。
水汲みくらいであればなんてことは無い。ただ、リンと行ってという所に何か思惑を感じずには居られないけれど。
「大丈夫です、ガーランドさん」
「すまんな。ララ、リン、頼む」
申し訳ない、とガーランドが頭をたれた。
「大丈夫ですよ。トトとリン、アポロも居るし」
本当は一緒なのは不本意だけど、と付け加えようかと思ったがその言葉を飲み込んだ。わざわざリン達を刺激するのは利口じゃない。
と、ララとリンの姿を見やったカミラが続ける。
「嬢ちゃん二人だけだと少々心配だからね、ルフ、アンタが付いて行きな」
「……ふえっ?」
蚊帳の外という空気で、おおあくびをしていたルフだったが、突如カミラにかけられた言葉に口を開けたまま固まってしまった。
その姿はオオカミというより、どこからどう見てもただの犬。
全員の視線があんぐりと口を開けた子犬に集まる。
「ぼ、僕が?」
「案内だけなら出来るだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
困惑したようにチラリとララ達を見るルフの目が、自信ないなぁ、と言いたげに陽の光を反射し、きらめいている。なんとも愛くるしいそのルフの目につい胸がキュンとしてしまうララであった。
「おめぇ、オオカミっつーより、子犬みてぇだな。オオカミの空気ゼロじゃん」
「ちょっと、トト!」
「だってよ。ビクビクオドオドしてんだもんこいつ」
案内も出来ないんじゃねぇか、とトトは付け加える。
でも確かに、ちょっと不安になる。
「う、うるさい! 僕だってやるときはやるんだぞ」
僕を甘く見ると痛い目を見るぞ、とルフが鼻に皺を寄せ、牙を剥き出し威嚇した。
……だが、見えているのはかわいい小さな牙だ。その姿に恐怖は微塵もなく、思わず抱きしめたくなるような哀愁が漂っている。
なんだろう、このルフというオオカミは。やることなす事全部が愛くるしい。わざとやっているのだろうか。
「やめな、ルフ」
「……痛っ!」
ぽふっと後頭部をカミラに叩かれたルフが顔をしかめ悲鳴を漏らす。
「馬鹿みたいなことやってないで、さっさと案内してやりな」
「わ、わかったよう」
ララは思わず笑みがこぼれた。
カミラとルフ、なんか私とトトの関係に似ているな。ルフはトトと違い、気が弱くオドオドとしているけど、常にカミラの隣を離れようとはせず、お互い家族の様な安心感が見える。
「……か、可愛い……」
突如リンがポツリと独りごちた。
「え?」
思わずリンの顔をララが覗きこむ。そこに居たのはツンとした姿からは想像できない、頬を赤らめルフの後ろ姿を見つめるリンの姿。
……へぇ、あの我儘な女王様もこんな顔をするんだ。
その一面を見て思わずくすりと笑みを溢してしまったララに気がついたリンは、しまったと顔を顰めた。
「な、なに」
「いや、意外だなと」
「……ふん」
笑顔で語るララを一瞥し、リンがルフの後を追う。嫌な性格だけど、少しリンがわかった気がしてララは何故か嬉しくなってしまった。
――ちょっとまって、嬉しくなった? リンの事が判って? どうして?
まさか、とララは頭と違う反応をしてしまった自分の頬に理由を問いただすように己の冷たい手のひらで触れた。
憎たらしくて、意味も判らず私を恨んでいるような素振りを見せるリン。出来れば関わりたくない。だけど、どこかリンの事が気になってしまう自分もいる。一体なんだろう。この感覚は。
「あの」
困惑するララと追いかけるリンを見上げるように、上目遣いでルフがこちらに愛くるしい目線を投げている。
「ちゃんと僕に付いてきてね」
ルフの姿とその言葉にララの頭から、リンに対する疑問がさらりと吹き飛んでしまった。
ああ、やっぱりその目は野生の心をなくした……子犬だ。
「む、む……むぅ」
思わずリンがうめき声をあげる。
肩にカラスを乗せた二人の少女は、すっかり小さなオオカミに心を奪われていた。
***
語らう森の奥地。
人々に恐れられ、忌み嫌われた最初の魔女が逃げ込んだ人の手が入らない深い樹海。その伝承の通り、目の前を歩くルフが居なければ進むべき道も戻る道も判らず簡単に遭難してしまう恐怖がある。
森の入り口よりも更に層が熱くなった木々から空が見えなくなり久しく、薄暗い不気味な空気が辺りを支配している。
「全く、何で私が」
鬱蒼と茂るウリンの木を見上げ、リンが言葉を吐き捨てた。白いコートから覗くヒールがすでに泥で汚れている。
というか、森に来るのにヒールで来たんですか、リンさん。
「お使いなんて、使い走りの下級魔術構文師に任せればいいのに」
リンの肩に止まるアポロが続ける。
「はいはい、そうですね。一人できても良かったんですけどね。カミラさんのお願いだから私も仕方なく」
「そうだぞ、俺らも仕方なく肥溜めカラスと来てンだからな。感謝しろ」
「なんですって! あなたまたヤられたいの!? 糞カラスッ!」
「あぁ!? テメェにヤられた記憶なんか無ぇっつの! 寝言は寝て言えや!」
リンに軽口を返すララだったが、お互いの肩の上の拡声器達は速ヒートアップしてしまう。まさに水と油である。
「……あのう」
「「何よ」」
「ひっ!」
先を行くルフがチラリとララ達を見て言葉を漏らすが、彼女たちの剣幕に思わず悲鳴を上げてしまう。
「お姉ちゃんたち……仲が悪いんだね」
「ええ」
「それはもう」
ルフの質問に刹那のタイミングでララ達は言葉を返す。トトとアポロ程ではないと思うけど、良い関係とはいえない。
「仲良さそうだったのにね」
「……え? どういう意味?」
ララの言葉に思わずルフが「しまった」と目を丸くした。
仲良さそうだった。確かにルフはそう言った。カミラさんのコテージに来て、リンと仲が良い素振りは見せてない、と思う。喧嘩するほど仲が良いという勘違いをして居なければの話だけど。
私達の何処をみて仲が良さそうだったと思ったんだろう。
「ご、ごめんなさい。何でもないよ」
何か引っかかる。
リンの態度にカミラさんの含みがある言葉、それにこの子供オオカミ、ルフの言葉。
何か胸の奥にもやもやが広がる。……ああ、もうはっきり言ってよッ!
ちょっとリンさん、とララが声を張り出そうとしたその時、それまで鬱蒼としていた景色から一辺し、開けた空間が姿をあらわす。森の中にぽっかりを浮かんだように佇む美しい泉。木々の間から差し込む陽の光が水面に反射しキラキラと宝石のように光っている。
「こ、こりゃぁ……」
「綺麗……」
先ほどまでぎゃあぎゃあと騒いでいたトトとアポロもついため息を漏らした。
不純物が少ないのか、透き通った水面からは湖の奥底に沈む神殿の破片らしき残骸が見える。魔女の泉とカミラが言っていた。と言うことはこの非現実的な美しい泉も最初の魔女が作ったのだろうか。
「婆ちゃんがお姉ちゃん達二人でここに来るように行った理由、判る?」
泉のほとりに立ち、水面を見つめながらルフがぽつりと呟いた。
「理由? なんだろう。判らない」
ララが正直な回答を返す。だが、リンは……言葉が返せないようだった。
「……リンお姉ちゃん、ちゃんと話したほうが良いよ」
「えっ?」
「多分、言葉だけじゃ信じないだろうから、さ。あの『中』で全部話した方が良いよ」
何を言っているのだろう。「中」って何?
ララは困惑した表情のままリンを見つめた。リンはこちらを見ること無く、刺すような視線で泉を睨んでいる。
「どうして揃いも揃って……話す必要は無いわ」
「頑固だなぁ」
リンの返事にルフが呆れた顔をみせたその時だった。泉の奥からまるでスポンジが浮き上がるようにいくつかの足場が現れた。そして、その足場達の先に大きく先ほどのルフのあくびのようにあんぐりと開いた祠らしき入り口。
その光景にララは己の目を疑った。これって……まさか魔術?
「とにかく『中』に入りなよ。水は僕が汲んどくからさ」
「だから、私は話すつもりは無いって言ってるでしょう」
「でも、ララお姉ちゃんは知りたがってるよ?」
ルフの言葉にリンがちらりとララの姿を見た。じっとこちらを見つめているララの無垢な目。
その目にリンは得も知れぬ苛立ちが起きる。
そんな目で私を見ないで。……ああ、腹が立つ。
「知らないほうが良いって事、この世にはたくさんあるのよ。ララ。それでも……」
「……私は知りたい」
リン、貴女が何者で、何を知っていて、どうして私を目の敵にしているのか。
それが何かとても重要な事のような気がしてならない。
ララの言葉にリンは何も返さなかった。
優しい風が泉の水面を揺らし、芳しい木々の香りを運んでくる。
「だから」
その優しい風に後押しされるようにリンは一歩踏み出した。泉の中央に現れた祠の入り口に向かって。
「だから貴女は嫌いなのよ。ララ」
風になびく銀色の髪を耳にかけながらリンが囁いた。
その声には憎しみも、苛立ちも、蔑みも無く、ララはその言葉にリンの感情を感じることは出来なかった。