第3話 禁呪魔術書の行方
野戦テントに設けられた机で必死にタイプライターを打つ士官候補生ラッツは焦っていた。
王都キンダーハイムの陸軍士官学校の予科学校を卒業後、「キンダーハイム装甲騎兵団」に隊付きになると聞いた時は天にも昇る気持ちだった。最強の部隊で祖国統一の力になれるんだ――父と母も喜んでくれた。だがどうだ、本隊に合流してすぐに起きたあの事件、「禁呪騒動」でラッツは一気に奈落の底に突き落とされた気分だった。
「おい、按排はどうだ?」
テント入り口の幕を上げ、髭を蓄え甲冑に身を包んだ男が中を覗いている。歩兵から狙われやすい脚部や腕部をしっかりと鉄鋼板で覆い、胸部は真紅の獅子のエンブレムが入ったプレートで覆われている、装甲騎兵団の花型「装甲騎兵」だ。
「は、はい、今……今終わりました!」
慌ててラッツはタイプライターから印刷した紙を抜き取り、机の傍らにおいてあったもう何枚かの印刷物と合わせて席を経つ。
「ラッツ、貴様も来い。閣下がお待ちだ」
「は、はい、了解しました!」
開襟型の青い軍服に、ネクタイ、星が一つ入った肩章に、胸には真紅の獅子をモチーフにした記章が付けられているラッツの身なりは、その全てにまだ真新さが残っている、まさに「新人士官候補生」という雰囲気が尾を引いていた。
「バクー少佐、こちらが少佐の侵攻プランを補足する資料をまとめたもので、こちらが例の事件の報告書であります」
「わかった。例の事件についてどうだ」
ラッツとバクーは資料を読みつつ足早にテントを出る。ラッツがタイプライターを打っていたテントは十五人ほどが入れるティピー型の野戦テントだったが、その周りには幾つもの巨大なカマボコ型のテントや小さなシェルター型のテントが所狭しと立ち並んでいる。
もちろんテントだけではなく、バクーと同じく甲冑に身を包んだ騎兵隊や、青い上着を来た銃士、歩兵に巨大な砲身のメンテナンスを行っている砲兵など数多くの軍人が入り乱れている――――ここはキンダーハイム装甲騎兵団の野営地だった。
「『魔術書』『犯人』共にまだ情報は掴めていません。バンシーの森付近に展開している第三銃士連隊と一〇六騎兵連隊が痕跡を追っていますが、未だ」
「あれほどの人員をさいてもまだ判らんか。一個師団を失ってしまったとは言え、この時期に貴重な戦力を分散させ『禁呪書』などというふざけた物の捜索に当てさせるとは……正気の沙汰とは思えんな」
「もっともなご意見です。捜索よりもバンシーの森から逃がしてしまったゴート傭兵師団の追撃に充てるべきだと自分も思います」
「王室、貴族連中は前線の事を何も判っておらんのだ。目先の利益と体裁にしか興味を示しとらん……!」
鼻の穴を広げ、バクーが憤る。先日彼らの一師団を襲った「禁呪騒動」で、ゴート陣営と同じくハイム陣営の上層部も「禁呪」に興味を示していた。目前の敵を追撃している部隊を下げ、上層部から「禁呪書と犯行に及んだ魔術解読師の捜索に充てるように」と命令書が下されたのがつい先日だった。これまで計画していたゴート陣営への進撃プランは白紙に戻り、前線は混乱していた。
「愚痴をこぼしても仕方がないな。閣下の前では慎めよ、ラッツ」
「承知しました」
二人は野営地の最奥、ひときわ大きい真紅のテントの前で立ち止まる。バクーと同じ甲冑を着た衛兵が二人、入り口の前に立っていた。
「閣下、バクーです」
「入れ」
バクーの声に、テントの中から返事が返って来る。先ほどまで、資料が完成するかどうか心配で忘れてしまっていたが、ラッツは閣下、キンダーハイム装甲騎兵団団長ヴィオラ公爵に謁見するのは初めてだった。ラッツの心臓が急に激しくノックを始めた。
「閣下、改定したプランと、報告書をお持ちしました」
「近くに来い」
テントの更に奥、きめ細かいレリーフで装飾したバロック調のデスクの向こう側に女性が座っていた。シルクのシャツに漆黒のガントレットを纏い、まるで月夜を彷彿とさせる黄金に輝く長いガーリーウェーブの頭髪に透き通るような白い肌。思わず溜息が出てしまうほどの美女だった。「最強の装甲騎兵隊」として名高い「キンダーハイム装甲騎兵団」を率いている騎士は女性だ、という噂は聞いていたが、まさかこれほどの麗人だったとはラッツはつゆほども思っていなかった。
「貴殿の意見を聞こうかバクー」
「はっ、御意に。……ラッツ」
バクーに促され、ラッツはヴィオラの目前に置かれた大陸の地図上に現在のハイム陣営の布陣と、想定されるゴート陣営の布陣を木製の駒を使い並べていく。
「バクー、この青年は誰だ?」
「はっ、先日本隊に『隊付け』で着任しましたラッツ士官候補生であります」
バクーに紹介され、ラッツは即座に針金のように直立した。緊張のあまり顔が強張る。
「じっ、じっ、自分はキンダーハイム陸軍士官学校より参りました、ラッツと申します!」
「フッ、緊張せずとも良い。かまわん、続けよ」
ヴィオラは腰掛けた椅子の肘あてに頬杖をつきながら妖艶な表情をラッツに見せる。そのあまりにも艶やかな姿に、ラッツはつい赤面してしまった。
「こっ、こちらが現在の布陣であります」
「……ふむ」
地図を眺めるヴィオラにバクーが静かに説明を始める。
「当初優位に進めていた今回の作戦ですが、現在ゴートとの戦いはバンシーの森近辺を中心に膠着状態にあります。やはり先日の事件で失った師団と本国からの『禁呪捜索令』で後送された師団が原因かと。膠着状態が長引けば……」
「手痛い反撃を受ける恐れがある……か」
「はい。しかし、バンシーの森の後方にあるゴートの拠点『ラインライツ』を攻め落とせば、敵の補給路を遮断することができ、当面の危機は去ります。さらに……」
バクーは指先をキンダーハイムの背後にある「ハイム川」から一筋書きで、ラインライツまで送る。
「ラインライツの側面の河川を利用すれば、本国の本隊から増援部隊を輸送することも可能です」
「現状の我が軍の兵力は?」
ヴィオラの質問に、ラッツがペラペラと印刷した紙をめくり、返答する。
「現状、我が第三西方方面軍の兵力は一万五千の銃士、八千の騎兵、千五百の砲兵と八百の野戦砲です。ただ……」
「……続けよ」
「ただ、先日の『禁呪捜索令』で三分の一が前線から後退しています。今動けるのは、この野営地に居る兵力だけかと」
「全くもって状況は悪いと言うことだな」
ヴィオラがゆっくりと椅子から立ち上がり、サイドテーブルに置かれたグラスを手に取る。このテントと同じように真紅に染まったワインが注がれたグラスだ。
「例の事件についてはどうだ」
ヴィオラが静かにバクーに尋ねる。
「はい、こちらも現在各捜索隊からは有力な情報は上がってきておりません」
「我が兵の三分の一を使っておきながら、『魔術書』も『犯人』も、か?」
「はい、申し訳ありません」
ブロンドの髪をかきあげ、ヴィオラは一口ワインに口を付ける。ラッツの鼻腔をヴィオラの甘い香りがくすぐった……気がした。
「ヨハネ皇子からの伝書が届いた」
「はっ……? 閣下に、ですか」
「そうだ。どうせ貴族連中の息がかかったものだろうがな」
「伝書には何と?」
「『貴公の第三西方方面軍本隊を禁呪魔術書および犯行に及んだ魔術解読師捜索隊に編入する』と」
「なッ! 馬鹿なッ!」
「密偵の情報では、ゴートの連中も捜索を開始したようだ。先を越されまいかと危惧しておるのだ」
「おのれっ……犬どもめっ……」
口惜しげにバクーが拳を握りしめるが、ヴィオラは動じない様子で、グラスに残った最後のワインを口に含む。
「バクー、出陣の用意だ」
「……はっ?」
「簡単な事ではないか。『禁呪捜索』と銘打って、我が本隊でラインライツを落とすのだ」
「なるほど」
「ただ、私としても気になるところではあるのだ、その『禁呪』とやら……」
冷たく、そして艷やかにヴィオラがバクーに微笑む。なるほど、閣下は「禁呪」を望んでおられる。バクーの脳裏にそうヴィオラの微笑みの正体が見えた。
「御意にあります、閣下」
「資料は置いていけ。下がって良い」
グラスをサイドテーブルに置き、静かにヴィオラがつぶやくと、彼女はテント内の別室、区切られた別のテント内に消えていった。
ヴィオラのテントを出たラッツに秋の日差しが落ちる。その日差しを飲み込むように、ラッツは安堵の表情で小さく息を吸い込んだ。ヴィオラとの謁見はまるで深海の中に閉じ込められていたような気分だった。彼女がとても美しく、神々しさがあり、まるで伝説の「魔女」の様な佇まいだったからだろうか。
「ラッツ、駅馬車を手配せよ。閣下出陣の準備完了後、我々はすぐに出立する」
「はっ……禁呪の有りかに心当たりがあるので?」
「捜索隊はすでに魔術師協会から許諾されている大手の魔術書店やゴート領内、パルパス領内の都市をあたっている……だな。貴様の報告では」
「はい、その通りです」
「だが、これも報告の通り、その場所では目当ての魔術書はおろか犯人のシッポすらつかめとらん。となると、必然的に候補にあがるのは……まだ捜索隊が入っておらん、かつ安全が確保された場所だ……それは何処だラッツ候補生君……」
判らんかね? とバクーはラッツの顔を覗きこむ。突然の質問にウンウンと悩みだすラッツだったが――脳裏に一つの答えが浮かび上がる。
「安全な場所……手が出せない……あ、非武装中立区画……?」
そう言葉を漏らすラッツにバクーは静かに頷く。非武装中立区画……もし犯人が逃げるのであれば、三陣営とも簡単に手が出せないそこがベストだ。これから更に忙しくなるな。そう考えながらラッツはバクー少佐とともに、慌ただしさが増す野営地に消えていった。