第10話 パルパスの三女神
聖パルパス教会はシュタイン王が生きていた頃からこの国に深く浸透している「国教」だった。
パルパス教は古来からおとぎ話としても人々に伝わっている「三女神」を神と崇める多神教で、信者たちは生涯をかけ、その使いである聖者パルパスの信義「己の欲を戒め、利他愛により争いを絶やすべし」という教えを実践する事が使命とされている。
「す、すげぇ……」
教会の扉を開け、ヘスの目に映ったのは、色鮮やかなステンドグラスに飾られた大聖堂だった。
三女神が描かれたステンドグラスから差し込む光りが鮮やかな色調を教会の壁に彩り、まるで神話の世界に迷い込んでしまったかのような感覚に陥ってしまう。
無宗教のヘスだったが、現実離れした世界に心を揺さぶられ、ビビの街に建てられた荘厳なパルパス教会のゴシック様式の大聖堂を仰ぎ見ながらため息を漏らした。
「教会は初めてか?」
ヘスの前を歩くスピアーズが静かに問いかけた。
「宗教は持ってないからな。中に入ったのは初めてだ」
「バージェスの村にも小さなパルパスの教会はある。今度来ると良い」
「ま、気が向いたらな」
「そうか」
そこまで興味は無い、と言いたげな表情で答えるヘスに、スピアーズが淡白な返事を返す。
神様に頼るのは、自分にできることをすべてやった後だ。人事を尽くして天命を待つ。何事においても、努力をしなければ神様は微笑んでくれない。ヘスはそう考えていた。
「……でもおっさん、教会に来て、ララ達の居場所が判るのか?」
スピアーズに連れられれ教会に来てみたものの、その意図がヘスにはよく判らなかった。
一時間ほど前、ビビの街に着いたヘスとスピアーズは、ガーランドが居るであろう魔術師協会の出張所に足を運んだ。だが、ガーランドは出張所には居なかった。
緊急の用事で外出している、という事は教えてもらえたが行き先までは無理だった。まぁ、見知らぬ男達に責任者のガーランド支部長の行き先など教えてくれるわけはない。門前払いを喰らったヘスとスピアーズは、その足で教会に向かった、というわけだった。
「教会に信者を通じて街の情報が集まる。……まぁ、非公式の情報屋といったところだな」
「成程ね、ますます宗教が嫌いになンぜ」
「それはどうも」
冗談半分で言葉を返すヘスに、「俺も君が信者になろうがなるまいが興味はない」と言いたげに、振り返ること無くスピアーズが切り返した。
「スピアーズ神父」
大聖堂を進んだ先、スピアーズと同じ黒いローブを着た神父が穏やかな表情でお待ちしていました、と言わんばかりに彼らを迎え入れた。
「お出迎え有難うございます」
「いえ、これも仕事の一つですので」
神父がニコリと微笑みを浮かべた。
仕事の一つ? 神父のその言葉にヘスは眉をひそめてしまった。
「仕事の一つって……?」
「おや、スピアーズ神父、そちらの方は?」
「任務ですよ。彼はその協力者、というわけです」
「ああ、成程」
笑顔がを途切らせる事無く神父が頷いた。だが、その姿にヘスは何処か空恐ろしい気持ちに苛まれてしまった。
この神父はスピアーズが死の宣教師ということを知っていて、それに協力している?
「魔術師協会のガーランド支部長の行き先をご存知ですかな?」
「……ガーランド支部長ですか」
神父は「確か……」と顎に手を置き記憶を思い起こす。彼がその情報を掘り起こすのにそう時間はかからなかった。
「確か魔術書を捜索に城塞都市チタデルに向かったと聞いておりますが」
「城塞都市チタデル?」
「はい」
「……例の魔術書ですか」
成程、とスピアーズが笑みを浮かべた。
「と、思われます」
静かに神父が頷く。
「わかりました、有難うございます。それともう一つ、ここに来るまでに二度襲われましてな」
「ほう」
神父の目が鋭く光った。射刺すように鋭く尖った視線。ひょっとするとこの神父も裏の顔を持っているのか、と思わせる怪しさだ。
「人外の腕力に、痛覚が無い身体。何かご存知でしょうか」
「ふむ……」
再度神父が顎に手をあて、ステンドグラスで飾られた協会の天井を仰ぎ見た。
「申し訳ありません、存じ上げません」
「そうですか、有難うございます」
「……が、噂に聞いたことが有ります」
「噂、ですか」
神父がチラリとヘスの顔を見、視線をスピアーズに戻す。
ここで話してよいでしょうか、と言いたげな神父に、どうぞとスピアーズは肩をすくめた。
「協会魔術院のランドルマンという男です」
ランドルマン。その名前にぴくりとスピアーズの頬が引きつった。
「その名は聞いた事があります」
「なんでも、大協約で禁止されている上級魔術書を使い、協会に仇なす者達を葬っている、と」
「上級魔術書、ですか」
「あくまで噂ですが」
「ボス」の話ではそのランドルマンがララという少女の命を狙っていると言っていた。所持しているのが何の魔術書なのか判らんが、あの襲ってきた連中はランドルマンの息の掛かった奴らという可能性は高い、か。
「情報有難うございます」
「それと……」
一歩スピアーズの元に踏み出した神父の目がより鋭さを増した。
「二名の死の宣教師があなたと同じ目的で動いているようです」
「……何だと?」
思わずスピアーズの口調が荒ぶる。
この件は俺が受けた任務のはずだ。たとえ同じ死の宣教師といえども、横から茶々を入れられてはたまらない。
「その二名は誰かわかりますか?」
「いえ、そこまでは」
ボスはその事は何も言っていなかった。ということは、司教様の命なのか、それとも……ボスはわざと俺に隠して居たのか?
嫌な予感がする。
一つの任務で三名も死の宣教師が動くことなどありえない。それほど大きな物なのか、それとも……。
「……成程」
「スピアーズ神父?」
ピン来たスピアーズがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
あの時「ボス」が答えなかった質問、スピアーズが問いかけた「お前個人のお願いって感じだな」という質問が脳裏に浮かぶ。
「いえ、なんでもありません。それでは私はこれで」
「女神様の祝福を」と囁き一礼し踵を返したスピアーズはヘスの横を抜け、そのまま出口に向かった。
「おい、よくわかんねぇけど、ララの居場所がわかったのか?」
「居場所どころか、すべてがね」
後を追いかけるヘスにスピアーズが答える。
その言葉の意味が判らないヘスは難しい顔で首をかしげてしまった。すべてがわかったとはどういう意味だろうか。
「ところで君はララの何なんだ?」
「……はい?」
「君の、女か?」
「女!? お、お、お、女ってどういう意味だ」
急に何を言い出すんだこのおっさんは! とスピアーズに突如投げかけられた質問にヘスは息をつまらせてしまった。
「大事な女か、という意味だ」
「大事な、といえば、まぁ、なんだ、そ、そ、そうだな」
気を動転させ、語尾を小さくすぼめながら答えるヘスのその言葉に、スピアーズはちらりと真意を確認するようにヘスの顔に視線を送る。一瞬見えたスピアーズの表情は硬く、何かを覚悟しているようでもあった。
「……最初の魔女の話は知っているか」
「最初の魔女の話?」
また突然何を言い出したのか。彼が言う最初の魔女の話とは、小さいころ、絵本で見たことがあるお伽話の事だろうか?
「ララのあの力、『無に帰す力』は最初の魔女の力だ」
「……なんだって?」
「クッ。知らなかったようだな。ララは最初の魔女の血を引く魔女の末裔だ」
スピアーズの言うとおり、ヘスは知らなかった。
不思議な力だとは思っていたが、ヘスやトト、それにいくつもの人の命を救ったララのあの力が最初の魔女の力だったとは。
「疑心を抱いたか? 彼女が君に話していなかった事と、その事実に」
スピアーズは足を止め、静かに囁いた。
だが、ヘスは力強くスピアーズの後ろ姿を睨みつける。そりゃあ少しは驚いたが、疑心なんて微塵もない。言葉を放つ必要はなく、ヘスの目がそう語っている。
「……ンなわけ無ぇだろ。最初の魔女の末裔だろうがなんだろうが、ララはララだ」
「良し。その言葉、忘れるなよ」
そう一言言葉を漏らすと、スピアーズは再度歩き出した。
さっきからスピアーズの言っている言葉の意味が全く理解できない。遠回しに言うのが死の宣教師の特徴なのか。ヘスは困惑を通り越して、怒りがふつふつと湧き出してきた。
「お前はさっきから何だっつーの!」
ちょっと待て! というヘスの声が静かな教会に響く。
全くもって何を言っているのか判らない。ララのその力が狙われているというのは判っていたが、その力が最初の魔女の力だったら、どうだと言うんだ。
苛立ちを募らせながら駆け出すヘスにステンドグラスの鮮やかな光りが落ちる。そしてそんなヘスを、大聖堂のステンドグラスに描かれた三女神、「命の目覚めを司る女神トント」、「愛を司る女神ルイン」、「帰天を司る女神リリス」が憂思の目で見守っていた。




