第9話 女王様
ララは憂鬱だった。
ガーランドに協力することには何ら抵抗はない。ブランが奪われてしまった事であの禁呪がまた戦争で使われてしまう可能性があるために、一日でも早くブランを見つける必要があるのは紛れも無い事実だ。しかし、ララは憂鬱だった。原因は明白だ。
「そこの遮光カーテンおろしてくださる? お肌が荒れてしまいますわ」
駅馬車の窓側の席に腰かけているリンがのたまう。
日差しが嫌なら通路側に座ればいいのに、と思いながらもしぶしぶカーテンを下ろすララ。
チタデルに設けられた出張所を出てからというもの、リンはずっとこんな感じだ。ランクがもう一段高い、個室がある駅馬車が良いだの、チタデルの高級料理が食べたいだの、シャンパンが飲みたいだの、当然の如く吐き捨てている。
ララが憂鬱なのはこの女王様のせいだった。
「おめぇ、マジでワガママだな」
何のために付いてきたんだ、とトトが溜息混じりに呟く。
リンが言うには、ガーランドと同じタイミングで、魔術師協会の上層部からの依頼がラミア魔術書房にあり、バージェスの村に作られる分店の店長に就任する予定だった第一級魔術構文師である自分が派遣されたらしい。
やっぱり彼女がラミア魔術書房の分店店長だった。リンのその話を聞いて今回の同行以上にその事実がララを憂鬱の谷底にたたき落とした。
「あら、ごめんなさい。いつも一級サービスを受けているから、癖になっちゃって」
リンが、あなた達と違って私はエリート魔術構文師なの、と付け加える。
鼻に突く。まったくもって嫌味ったらしい女だ。どうしてそこまで私達を苛立たせたいのか。苛立ちを通り越して呆れ果て、さらには賞賛すら感じてしまうララだった。
「……ラ、ララ、こいつ、嘴で突っついて良いかな?」
「突っつくって……ほんと野蛮。下品なカラスは頭の中も下品ね」
ツンとした空気で上から目線で白い鴉のアポロが卑下する。主と同じでこのカラスも嫌な性格だ。身なりは綺麗だけど。
「下品、下品って、テメェの方が下品なしゃべり方じゃねぇか。下品なやつほど下品って言葉をよく使うよな」
アポロにトトが言い返す。でもトト、口が悪いのはどっちもどっちだと思うけど。
「……なんですって?」
「あ、怒った? 怒っちゃった?」
「ちょ、やめなよ、トト」
制止するララを押しのけ、トトが「怒るっつーことは図星か?」と身を乗り出しアポロを挑発する。
「このッ! 糞カラスッ!」
「ハッ! 俺が糞カラスなら、お前は肥溜めカラスだなッ!」
「こ、肥溜め……!? こ、このッ……!」
うんこカラス! とのたまうトト。子供の喧嘩のようにララとリンの肩の上で応酬する汚い口喧嘩は次第にエスカレートし、最初は冷静を装っていたアポロもリンの肩から身を乗り出して反撃をはじめた。
「気に入ってくれたか? そりゃあ重畳至極。何度でも言ってやンぜ! 肥溜めのうんこカラス!」
「きぃ! もう許さない! 下品な糞カラスッ!!」
「やんのか!? おお!? やったろうやないけ!」
癇癪を起こしたアポロにトトがドスの聞いた変な言葉遣いでまくし立てる。
ええと、トトさん、そんな言葉遣い何処で覚えたのですか?
「……ちょ、ちょっと、アポロ、やめなさい」
流石にリンも行き過ぎだと思ったのか、慌てふためく。
が、そんなリンをよそについに二匹のカラスはララとリンの上空で激突した。空中にホバリングしながらぎゃあぎゃあと喚き散らし、お互い嘴と爪でバシバシと叩きあう。
白と黒の羽が辺りにはらはらと雪のように舞った。
「……あのよ、嬢ちゃん達。これからの事を説明しても良いか?」
「「えっ! あ、はい」」
うんざりとした表情を見せるガーランドの言葉に、ララとリンは同時に返事を返す。
声が合っちゃった、とララとリンはお互いを見合い、怪訝な表情をみせる。
「今回の目的は、チタデル近郊の森、通称『語らう森』と言われる場所に住む、魔術師協会が保護管理している老婆の魔術構文師に協力を仰ぎ、『精神魔術書』をクラフトしてもらう事だ」
「語らう森、ですか」
ララには初めて聞く名前だった。そんな森に老婆が一人で住んでいるということだろうか。世間から一線を画し、森の中に住まう老婆の魔術構文師にどうしても禍々しい魔女のイメージが浮かんでしまう。
「危険があるわけじゃないが一応、協会の職員を四名同行する。何かあった時に嬢ちゃん達を再優先で守る、ボディーガードだ」
通路の向こう側に座っていた四人の職員がよろしく、と会釈した。どの職員も剣を携え、物々しい雰囲気だ。まぁ、危険はないとはいえ、用心に越したことはないか。
「それで、私達は何をすれば?」
職員達に笑顔で会釈を返しリンが問うた。つい見とれてしまう笑顔。鼻につく言い回しさえ無ければ、まさに天使のような女性なのに、もったいない。
「すんなり魔術書をその老婆が渡してくれれば特に問題はないんだがな。ちょっと捻くれた奴でな」
「森の中に身を隠して世間との関わりを避けているなんて、まさに捻くれてる典型的な老婆ね」
「まぁ、そう言うな。奴にも事情はあるのだろう」
冷めた声で言い放つリンに、ガーランドが顔を掻きながら答える。
「だが、もし、その老婆がすんなり魔術書を渡さなかった場合、協会の権限で『強制的』に協力させる」
「野蛮ね」
「仕方ないだろう。お前も上から説明を受けていると思うが、ブランの確保が再優先なんだ」
ふん、とリンが苦笑した。
「ラミア魔術書房からの命令だから受けたけど、本当は私あなた達が嫌いなの。知っているのよ? あなた達が魔術構文師にしている仕打ちの事」
「……仕打ち?」
思わずララがリンに問いかけた。仕打ちとは何のことだろう。ガーランドさんの顔を見る限り、あまりいい話ではなさそうだが。
「それに関して、言い訳はしねぇぜ。お前ら魔術構文師にはすまねぇと思っている」
「ハッ、どうだかね」
鋭い視線で睨みつけるリンに、ガーランドと他の職員の空気がピリリと尖った。
一体何のことを言っているのかララは聞きたかったが、ガーランドが自分に説明しないということは知る必要が無い事実だということだろう。あまり政治的ないざこざに首を突っ込むのは良くない。
だって、面倒に巻き込まれるのは嫌だもん。
「……とにかく、話を続けるぞ。もし強制執行で協力させた場合、その老婆が本当に発現できる魔術書を作っているか確認する必要がある」
「成程、ね。それで有能な魔術構文師が必要だったわけね。監視役として」
リンの言葉にそうだ、とガーランドが頷く。
「理由はもうひとつある。知っての通り、精神魔術は大協約で禁止されている上級魔術だ。発現するための技術を学ぶ『ギルド』は無い。故に、その老婆に発現方法も聞く必要がある、というわけだ」
「へぇ、大協約で禁止されている上級魔術を公式に使えるなんて、魔術構文師冥利に尽きるわね」
「ま、それが報酬ってトコだな」
確かにそれはお金を出しても得られない報酬だ。見ることすら出来ない精神魔術書の魔術構文を読め、しかもそれを発現出来る。ララもその言葉にどこか高揚感を押さえられなかった。
「ところで……大丈夫か?」
「……はい?」
「いや、こいつら」
ガーランドがリンの顔を見ながら、引きつった笑顔で上を指さした。
あ、そういえば。
ララも思わず頭の上を見上げた。そこに見えるのは、座席の上の網棚にへたり込んでいる二匹のカラス。いつの間にか静かになっていたと思ったら、ダブルKOで第一回戦は終了しているようだった。
「こ、この肥溜め野郎……」
「糞カラス……」
網棚に転がったまま、まだお互い足を蹴り合っている。その執念に、ララはつい感心してしまう。
「嬢ちゃん達と同じように、仲がいいんだな、あいつらも」
ククッ、とガーランドが笑みを浮かべる。
仲が良いって……まさか私とリンの事!?
「仲が言い訳ないでしょ。こんな子と」
リンがララが言葉を発する前にピシャリと言葉を吐き捨てた。
「こんな子って……リンさん、あなた私に何か恨みでもあるんですか?」
リンが何故自分を目の敵のようにしているのか見当もつかないララは、「あなたに何か嫌なことした?」とつい身を乗り出し問いただす。
「……自分の胸に聞いてみなさいな、ララ」
「えっ?」
思いもしない返答にララが身を竦めた。
ええと、リンに会ったのは先日のバージェスの村が初めてだけど、その前に会ったのかな? いや、腹ただしいけど、会っているなら、こんな綺麗な人忘れるわけない。
と、すれば、あの時の……
「ええと、ひょっとして……私のお店の、魔術書修理の看板ですか?」
自信がなさそうにポツリと呟いたララに、今度はリンが吹き出した。
「……ンなわけないでしょう? あなた本当に阿呆ねッ!」
「あ、阿呆……」
「阿呆か。……まぁ、嬢ちゃんがちょっと抜けてるっつー所は賛同する」
「! ガーランドさんッ!」
リンの言葉に賛同したガーランドに思わずララは声を荒げた。
一体何なの、この人達はッ!
「ガッハッハ、そう怒るな。可愛い顔が台無しだ。喧嘩するのは仲が良い証拠だろう」
「「……ふんっ!」」
またもや息のあった反応を見せるララとリンに、ガーランドと職員達は大きな笑い声を漏らした。




