第8話 望まぬ再会
城塞都市チタデル――
シュタイン王国の中心に位置し、ゴート陣営の本拠地でもあるラインライツにも似た城壁で囲まれた一大都市だ。貿易都市としても名高いチタデルにはシュタイン王国全土の特産品が集まり、この街を訪れる人々も多い。
「いいか嬢ちゃん。チタデルの街だが……」
「見て! トト! 凄い壁!」
「うぉぉぉ……なんだありゃあ。壁がずっと続いてやがる!」
魔術師協会専用の駅馬車の車内、すでに半分旅行気分で目をキラキラとさせているララとトトが永遠に続いているるのではないかと思えるほど長いチタデルの城壁に「うひょ〜」と簡単の声を漏らしている。子供のお守り状態になってしまっているガーランドは、ビビの街を出てからずっと頭を抱えたままだった。
「……おい、ちょっと良いか。嬢ちゃん」
「えっ、あ、はい」
なんでしょう、とララが満面の笑みでチタデルの城壁に釘付けになっていたきらきらとした目をガーランドに移す。
嬢ちゃん達に依頼したのは失敗だったか……。
事態の重要性が判っていないように、はしゃぐララとトトを、脳天気と表現すべきか、図太いと表現すべきか、阿呆と表現すべきかガーランドが真剣に悩んだ。
「……これから行くチタデルについてなんだが」
「はい」
「判っている……かどうか不安なんだが、チタデルは非武装中立区画じゃない。ゴート陣営の本拠地だ」
「ええと、ゴート商会があるんですよね」
知ってますよ、とララが頷く。
ゴート公爵が代表を務める一大貿易商、ゴート商会。表向きは貿易で得た利益を戦争孤児院や医療機関などに寄付するなど慈善活動に熱心で、被支配階級のクロムウェル人を中心に支持を集めていた。
が、先のラインライツでの「ゴーレム事件」で大協約違反を咎められ、ゴート陣営はその影響力を失ってしまった。さらに追い打ちを掛けたのが「裏の顔」の暴露だ。魔術師協会が行ったゴート商会への調査で、彼らの「裏の顔」が暴露されてしまったのだ。
麻薬の密売、奴隷の斡旋――
そのどちらの商売もチタデルの街では非公式の既成事実として街に浸透していたものの、その情報が公になったことで、ハイム陣営、パルパス陣営に付け入る隙を与えることになった。そして彼らのプロパガンダに利用され、数多くのクロムウェル人の権力者達がゴード陣営の元を離れた。
だが一方で、そんな一大スキャンダルがあったにもかかわらず、ゴート商会の懐は前にも増して潤っていた。その事件で内戦が鎮静化し、貿易が活発化したからだ。
なんとも皮肉な話だ。
「特にゴート陣営は正規の軍を持たない、無法者の傭兵集団だ。さらにチタデルはビビの街と違い、法が法と成していない金と権力が正義の街だからな。それを忘れるなよ」
ララはガーランドの言葉に深く頷いた。
ビビの街で酷い目に合ったあの憲兵の指揮官のような男がうじゃうじゃ居るということか。
あのブヨブヨとしていやらしい笑みを浮かべてる指揮官が犇めいている街を想像し、別の意味でララはぞっとした。
***
チタデルはビビの街とはまた違う、異質な街だった。
巨大な大門を行き交う人々と、武装された傭兵に護衛された鉄に覆われている荷馬車。乗ってきた駅馬車のゆうに倍はある貿易キャラバン。
その圧倒的な光景にララとトトはぽかんと口を開けたまま立ちすくんでしまっていた。
「わはは、どうした嬢ちゃん。かわいい口をあんぐりと開けて」
「す、すごいですね」
「なんつーか……世界中の人が集まってる感じだな!」
「まぁ、そんな感じだな」
ガーランドの言葉にもう一度「はぁ」とララが巨大な大門を仰ぎ見た。どの位あるか判らない天高く開いた巨大な門。ところどころ塗装が剥げ落ち、苔に覆われた門は長い年月を感じさせる。
「まずはゴート商会でヘスを探すぞ。はぐれんなよ」
「は、はい」
ララはガーランドの「はぐれんなよ」という言葉に身をすくめてしまった。
この人混みの中はぐれてしまったら、二度とガーランドと再会出来ないかもしれない。
「……はぐれちまったら、明日から嬢ちゃん達は奴隷になってるかも知ンねぇからな」
「は、は、はぐれたら奴隷!?」
ララは眼球が飛び出たのかと思うほど目を丸くした。
あのビビの街の憲兵指揮官のようなおじさんのご飯を作ったり、洗濯したり無償で奉仕するのは絶対嫌だ!!
「……は、早くゴート商会に行きましょう!」
「カ、カラスを奴隷にしても良いことないと思うぞ! おっさん!」
ララは、絶対離れない、とガーランドの腕を全力で掴む。
人々とキャラバンが行き交う大門の中、慌てふためく二人を見てガーランドは抜けるような豪快な笑い声を上げた。
***
大門を潜り、チタデルの街に入ってすぐ、ひときわ大きな塔が二つ連なった建物がララの目に映った。青い盾が描かれた旗が下げられたまるでお城の様な建物。ゴート商会の社屋だ。
龍が装飾された豪華な扉を開けた先、受付が設けられらた、かなりの広さがあるロビーは持ち込んだ物資の引き渡し手続きや、逆に辺境に運ぶ輸出の手続きを行っている貿易商達でごった返していた。
「え? バージェスの村からですか?」
「はい。貿易キャラバンが来ていると思うのですが」
「ええと……」
ララが話しかけた受付の女性がパラパラと台帳のようなものをめくり始めた。この女性の反応から察するににまだ到着していないのだろうか。ララの脳裏に不安が過る。
ララの心配が的中したように受付の女性は、手慣れた動きで次々と紙をめくるとついに最後のページまで辿り着いてしまった。
「いえ、まだ到着していませんね」
「そうですか……」
女性の言葉にララの表情が曇る。
朝バージェスの村を出て、ビビの街を経由してチタデルに来た。ヘス達はもう到着していてもおかしくない。何かあったのかな?
「こちらでお待ちしますか?」
「あ……えーっと……」
困った。どうしよう。このまま一人でガーランドさんと行くべきか。
悩んでしまうララだったが、後ろに並ぶ貿易商から放たれた咳払いにびくりと肩をすくめてしまう。ちらりと背後に目を送ると、すでに長蛇の列がララの後に続いていた。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
ララは笑顔でぺこりと頭を垂れ、後ろに並ぶ貿易商に場を譲った。
「来てないみてぇだな。どーすっか?」
「う〜ん。困ったね」
「待つ時間はあるかガーランドさんに聞いてみっか」
「そーだね」
ここで悩んでいても仕方が無いと、取り敢えずガーランドの元にもどるララだったが、ガーランドから発せられた返答は無情なものだった。
「うむぅ、すまんがここでヘスの到着をのんびり待ってる時間も、ましてやバージェスの村に戻る時間も無ぇ。一日も早く魔術書を手に入れてブランの行方を探さねぇと、いつまたあれが使われるか判らん」
「……そうですよね」
しょんぼりと塞ぎこむララに仕方ない、とガーランドが続ける。
「ヘスが到着したら魔術師協会に来るようにその受付に言っておこう。俺たちの行き先は協会の職員に聞けば判ンだろ。それでどうだ?」
「えっ?」
ガーランドの提案にララはトトと顔を見合わせる。
この近くの森にいる魔術構文師に魔術書をもらうだけだったらそんなに危ないわけ無いし、それにガーランドさんも一緒だ。危なくないならヘスに怒られることもないか……な?
「ガーランドさんと一緒だから大丈夫かな? トト」
「うーむ。そうだなぁ。あいつ言ってたのは危ないことに一人で頭つっこむなって事だったしな」
一人じゃねぇし、大丈夫か、と呟くトトにララは静かに頷いた。
「……わかりました。行きましょうガーランドさん」
「良し。危険は無いが、ヘスから預かってる嬢ちゃんの身だからな。出張所に寄るついでに職員を何人か連れて行こう」
万全を期してな、と笑顔で話すガーランドにララは笑顔を返す。「ヘスから預かっている身」という表現にララは何か引っかかったがあえて何も言わないことにした。
「あ、そうだ。もう一人魔術構文師を同行させてくれと上から話があったんだ」
「え? 魔術構文師を?」
「ああ」
ガーランドは顎に指をあて、思い出すように続ける。
「別のルートで探した有能な魔術構文師らしいんだが、な」
「へぇ……」
魔術構文師なら話が合うかもしれないな、とララは少しうれしくなった。魔術構文師の知り合いも居なければ、会ったこともあまりない。
……いや、そういえば朝、一人魔術構文師に会ったな。銀色の嫌な魔術構文師。ラミア魔術書房の魔術構文師と言ってたな。
「どした? ララ」
トトがぽつりと呟く。
朝の出来事を思い出し、ララはつい眉間にシワをよせてしまっていた。関係ないあの女性の姿をぼんやりと考えている時間はない。慌ててララは頭からその銀髪の女性を顔を消し、笑顔を見せる。
「あ、いや、なんでもないよ」
「……大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。行きましょう」
何処か心配した様な表情のガーランドにララは笑顔で答える。
が、ゴート商会の社屋から数十メートル先にあったチタデルの出張所のロビーで待っていたその魔術構文師の姿にララとトトは己の目を疑った。
「……何でッ!?」
そこに居たのは――――あの銀髪の性悪女。
「……あら、ララ。奇遇ね。こんな所であなたに再会するなんて」
「下品な糞カラス。アタシは再会したくなかったけどね」
「て、てめぇ……」
わなわなと身を震わせるトトを挑発するようにリンが「うふふ」とその雪のように白く美しい足を組みながら笑顔を漏らす。朝、去り際にリンは「また近いうち会うことになるわ」と言っていたが、こういうことだったの?
「協会から連絡が行っていると思うけど、私が有能な魔術構文師というワケなの。よろしくねララ」
有能な、という部分を強調してリンが冷たく言い放つ。その目にはあの時の敵意は無いけれど……何かすごく鼻につく。
ララは性悪女の姿に唖然としながら、先ほど魔術構文師と会えると喜んだ自分を後悔した。