第7話 つけ狙う者
ヘスは剣をスピアーズに向けたまま睨みつけた。
剣の切っ先が恐怖で震えているのがヘス自身にもはっきりと判る。ハサウェイさんと同じ、パルパス教会の暗殺者集団、死の宣教師。
得体の知れない男達以上に、自分が逆立ちしても足元にも及ばない死の宣教師が放つ冷めた眼光にヘスは恐れ慄いていた。
「ララをどうするつもりだ」
「……お前に質問しているのは俺だ。質問を質問で返すのはマナー違反だろ?」
スピアーズの目に殺意がちらついた。
苛立ちにも似た空気。ヘスはスピアーズの圧力に思わずへたり込んでしまいそうになった足を力で抑えこむ。
この男はララの命を狙っている? だとすれば死んでもララの行き先を話すわけには行かねぇ。
ギリ、と歯を食いしばり、ヘスが剣の切っ先をスピアーズに突き出した時だった。スピアーズの後ろに現れる人影。先ほど襲いかかってきた剣を携えたもう一人の男だ。
男は剣を大きく振りかぶり狂気に満ちた目をこちらに向けている。
「死ィィィィィ!!」
「危ッ……!」
男が奇声のような叫び声をあげ、剣を振り下ろす。この男も先ほど馬車を両断した男と同じように桁外れの力を携えているに違いない。咄嗟にスピアーズの身を案じてしまったヘスだったが――――それは全くの無駄に終わった。
くるりを身を翻したスピアーズは左手で男の剣の軌道を逸すと、流れるように右手で男の後頭部を掴む。
「……俺の邪魔をするんじゃあない」
スピアーズは遠心力と男の力を利用し、そのまま男の顔面を地面に叩きつける。グシャリという男の顔が潰れる音と共に、スピアーズのローブが重力に逆らい舞い上がるようにはためく。
「ガァァアアァァッ!」
間髪入れず、片腕の青年が己の血をまき散らしながらスピアーズに飛びかかった。が、スピアーズは怯むこと無く強烈な後ろ蹴りを青年の腹部目掛けて放つ。ズドンという鈍い音とともにカウンターをもらう形になった青年は吐瀉物をまき散らしながら吹き飛んだ。
「ぐほぉぉおっ……!」
「……咲き乱れよ」
ポツリとスピアーズが冷たい声で囁く。
その瞬間、腹部を押さえながら地面に倒れこむ青年の下から巨大な炎の柱がまるで天に登る龍のように立ち昇った。その熱風と衝撃でヘスは思わず顔を腕で覆う。
顔を覆った腕の隙間からヘスの目に映る光景。それはハサウェイと同じような「無慈悲な暴力」がもたらす信じられない光景だった。
熱風で歪んだ景色と赤くそそり立つ炎の柱に舞い上がる青年の姿。
叩きつけた男の後頭部から手を離し、ゆっくりと立ち上がるスピアーズの背後に天高く舞い上がった青年の「残骸」がドサリと落ちてくる。
「ヘス君、もう一度聞くぞ? ララという少女は何処だ? 家の中か?」
恐怖で放心状態になっていたヘスだったが、スピアーズの「家の中」という言葉にふと我に返る。
「母ちゃん……!」
思い出す、先ほどの母の叫び声。そうだ、家に戻らないと……!
「家に母ちゃん達が居るんだ! 頼む! 一緒に来てくれッ!」
「……何?」
ヘスはスピアーズが死の宣教師ということも忘れ、すがるように助力を求めた。自分の力だけでこのバケモノ達から両親を守ることは無理だ。
「何故俺がお前の両親を助ける必要がある?」
「そ、それは……」
スピアーズの冷めた言葉にヘスは思わず口にしてしまった自分の言葉を悔いた。
この前自分たちの命を狙った死の宣教師が助けてくれるはずがない。
「……死の宣教師に頼んだ俺が馬鹿だったぜ」
どこか諦めたような表情でヘスは自宅に向かい走り出す。
黒い炭と化した青年の脇を抜け、庭に赤い花を咲かせてぴくりとも動かなくなった男を飛び越え、家の中へ消えていくヘスの姿をスピアーズは目で追った。
「……クソったれ」
スピアーズを攻め立てる、物言えぬ鬱陶しい苛立ちに彼はそう吐き捨てた。
「母、だと。ふざけやがって」
もう一度スピアーズが独りごちる。
彼の鼻を人が焼けた嫌な匂いが風に乗り、するりと通り抜けて行った。
***
ヘスが家の中に入った時には、すでに血の匂いが漂う酷い惨状だった。
誰のものかも判らない丹色の血痕が壁にこびりつき、幾つかの死体が転がっていた。
親父が斬ったのだろうか、その死体にはいくつもの切創が残っている。ヘスは残された血痕をたどるように両親の姿を探し奥へ進んだ。
「……!」
ヘスの足が止まった。
リビングのソファの向こうに見えるのは、倒れた母の足……そして、その上に覆いかぶさるように倒れているのは、父の姿。
「母ちゃん! 親父ッ!」
ソファを飛び越え、ヘスが二人の元に駆け寄る。
「母ちゃ……」
その姿に思わずヘスが固まる。ヘスの目に映ったのは目を覆いたくなるような光景だった。二人の身体の下からしみだしているのは、どす黒い血の塊。
「……ララは、何処だぁ」
柱の影から感情が感じられない言葉を漏らしながら男が現れる。表で見た男達と同じように、うつろな目で両手を赤い血で染めたあげた男。
その姿に瞬時にヘスは理解した。こいつが、母ちゃん達を……!
「てンめぇぇぇぇぇッ!」
ヘスの悲鳴に近い叫び声がリビングに響き渡る。怒りに任せ、飛びかかったヘスは握った剣を躊躇なく男に振り下ろす。
男の肩から入った剣の切っ先から骨と肉を斬り裂く感触がヘスの両手に伝わる。普通であれば致命傷になる切創だ。
だが、全く気にする様子もなく男がヘスに殴りかかろうと拳を振り上げた。
しまった。瞬時にヘスの表情から怒りが消え去り、冷たい恐怖が顔をのぞかせる。そして男が振り上げた拳が振り下ろされるまさにその時だった。
「屈めッ!」
叫び声がリビングに木霊した。
「お前ッ……!」
思わず声の方を見たヘスの目に飛び込んできたのは、来るはずのないスピアーズの姿。
そして、ボールを投げるようなフォームでスピアーズが「何か」を放った。
「屈まんかッ!」
彼の手から放たれた紅蓮の炎に包まれた塊だった。思わずヘスは尻もちを突くように地面に倒れこむ。
「……ぐぉおぅッ!」
スピアーズの手から離れたそれは、ヘスの頭上をかすめ男の顔面を捕らえた。バチンという破裂音とともに男の頭部が炎に包まれ、即座に断末魔の叫び声が部屋に響き渡る。
突如襲った「熱」と「酸欠」で男は悶えるようにもがき苦しむ。
糸が切れた人形のように地面に倒れ、絶命するまでにそう時間はかからなかった。
「母ちゃんッ! 親父ッ!」
ヘスが地面に倒れている男女二人に駆け寄る姿がスピアーズの目に映る。
遅かったか。
ピクリとも動かない二人の姿にスピアーズはそう直感した。
「嘘だろっ! オイ! 母ちゃん! 親父ッ!」
錯乱したヘスが一心不乱に母の身体を揺する。
だが反応は無い。ヘスの母の身体からはなお紅血が滴っている。
「……離れろ」
「お、おっさん! 母ちゃん達……大丈夫だよなッ!?」
ヘスは母と父の傍らに膝をついたスピアーズにすがりつくと、祈るように必死の形相で彼の胸元を掴んだ。
「おっさんじゃないと言ってるだろ。お前の両親はこのままだと確実に死ぬ……」
スピアーズが言う「死ぬ」という言葉にヘスの顔から血の気が音をたてて引いていった。
「……が、ララという少女の情報と交換だ」
「……えっ?」
スピアーズが左腕をまくり上げながら小さく漏らす。ヘスにはスピアーズが言う言葉の意味が判らなかったが、彼の腕を見てすぐに理解できた。
その腕に見えるのは、刺青のように身体に刻まれた魔術構文……ハサウェイさんの腕にもあった、半永久的に魔術が発現できる禁じられた技術、永久魔術だ。
「お前の母と父を助けてやる。力づくでと言うのはあまり好きじゃなくてね。約束出来るか?」
どうだ、とスピアーズがヘスの目を覗きこむ。
魔術で二人を助けてくれる? 死の宣教師のこの男が? ララの情報と引き換えに?
スピアーズの言葉に「判った」と即答したいヘスだったが、その言葉をぐっともう一度飲み込んだ。
「お前は……ララを殺すつもりなのか?」
ヘスがスピアーズの目を睨む。だとしたら例え母と父と引き換えだとしても簡単に頷く事は出来ない。
ヘスのその目にスピアーズは笑みを浮かべた。
「ククッ、心配するな。そのララという少女を傷つけるつもりはない。むしろ逆だ。その少女を守るよう言われて俺は来た」
「守る……? って誰に?」
「お前にそれを話す必要は無い。……早く答えろ。ララという少女の情報を渡すなら助けてやる」
この男はあの時自分達の命を狙ったハサウェイさんと同じ死の宣教師だ。守るために来たと言って簡単に信用出来ない。……だけどこのままだと二人は確実に死んでしまう。
「……一体何からララを守ろうとしているんだ」
「それは……」
スピアーズは少し考え、続けた。
「お前達は目立ちすぎた。ララの『無に帰す力』はそう安々と使うべきじゃなかった」
「……どういう事だ?」
「ララの身が危ない、と言うことだ。彼女の命を狙っている奴らが居る。表で死んでる奴らが関係しているはずなんだが」
そう言って、自分の言葉にスピアーズは眉を潜めた。
こいつらは途中、駅馬車で襲ってきた奴らと同じに違いない。駅馬車で聞けなかった「主人」の正体をついでに聞くべきだったか。
「ララのあの力を狙っている……?」
「まぁ、そういうことだ。ハサウェイの件でお前が疑心暗鬼になっているのは判るがな。少しは大人を信用したらどうだ? ……俺は敵じゃない」
スピアーズが呆れたような表情を見せる。
ヘスがこの男の言葉を信じれないのはそれだった。
でも、この男は己の正体を明かした上で自分を二回、そして今、母ちゃんと親父を助けようとしている……。
「信じられなければ、お前も来い。……時間はそう無いぞ」
時間は無い。それは目の前で倒れている二人とララの身、両方に言えることだろう。
悩みぬいたヘスは、ぐっと唇を噛み締めながら……小さく頷いた。
「フッ……信じる者を我らが母は見捨てはしない。ただ祈りなさい」
ヘスの姿を見て、スピアーズが微笑みながらそう囁いた。
その笑顔は先ほどの刺すような冷たさを纏った死の宣教師の笑みではなく、慈しむ神父の笑顔だった。
その表情のまま、まくり上げた左腕を優しく倒れたヘスの母の身体に乗せる。スピアーズの腕が青白く発光すると、その光が手を伝いヘスの母と父に染みこんでいく。
ヘスには見覚えのある光景だった。これはいつかガーランドが見せた「治療魔術」だ。
その光りが消えると同時に母と父の顔に血色が戻る。
「……ララはビビの街に行っている。魔術師協会のガーランドさんに会いに」
「ガーランド……? 非武装中立区画北部責任者のガーランドか」
成程、とスピアーズが呟く。
と、スピアーズの声に呼応するように、ヘスの母が「ゲホッ」と一つ咳を放った。苦しそうな表情をみせているものの、二人共に命に別状はなさそうだ。
思わずヘスの顔に安堵の色が浮かぶ。
「……どうする? 来るか?」
まくり上げた腕を戻し、スピアーズが「まぁ、どちらでもいいが」と言葉を漏らし、踵を返した。
ヘスはぐっと部屋を出るスピアーズの後ろ姿を睨んだ。
……選択の余地は無い。
まだ信用できないあの男を一人でララの元に行かせる訳にはいかない。絶対に。
「勿論行くに決まってンだろ」
あの時別れ際にバクーが語った「男は強くあり、女は命を賭してでも守れ」という言葉がヘスの頭に浮かんだ。時は経ったが今も心に残っているあの言葉。
ララは俺が絶対に守る。誰にも触れさせねぇ。
そう硬く決意を改めたヘスは、剣の柄を握りしめ立ち上がると、敵か味方かまだ判らない死の宣教師の後を追った。