第6話 潮流
ヘスはゼンマイ式の携帯時計を懐から取り出し、白いため息をついた。時計の針は一二時を指しているが日の光は見えない。
薄暗くどんよりとした空からは、日の光の代わりに冷たい雪が降り注いでいる。
「親父、まだスかね?」
「うむ。まだ見えんな」
ヘスが馬車の荷台に座っている男に声をかける。皮の鎧に身を包み、長い剣を携えている男、チタデルのゴート商会に向かうまでの護衛に雇った傭兵だ。
ヘスは家の前に停めている馬車の荷台でチタデルのゴート商会に運ぶ荷物の最終チェックを済ませ、出発の準備は万端だった。が、トイレに行くから待ってろ、と言ったきり父親が戻ってこない。はた迷惑な長い糞だ。
はぁ、ともう一度白いため息をついたヘスは携帯時計に目を送った。
ララとトトは朝早くにビビの街に出た。
ララ達が出て四時間位だからビビの街に着いてボディチェックを終わらせた位か。まさかあの時の俺みたいに不法所持で捕まっては居ないだろうな。ヘスの頭に幾つもの良からぬ想像が現れ、どこか心が落ち着かなかった。
「……マジでなげぇ糞だな」
寒さと苛立ちで、もう我慢ならない、とヘスは一度家の中に戻ろうと荷車の車輪に車止めを入れようと屈んだ時だった。
ちょうど荷車の逆側に足が見える。見覚えのない足だ。親父の足じゃない。
嫌な予感がヘスの頭を過る。まさか、物盗りか?
物資を運ぶ貿易キャラバンが盗賊に襲われるという事は度々聞く話だ。まだ出発前の村の中だったとしても油断は出来ない。警戒しながら急ぎ回り込んだヘスは腰に付けた剣の柄に手をかけた。
「……なにしてンだてめぇ!?」
荷台の傍らに立つ男の姿が見える。
ヘスの声に、傭兵も荷台から飛び降り、その不審者を挟む形で対峙する。
「……何って?」
若い青年だ。ヘスよりも年上なのだろうが、この村では見たことがない青年だった。その身なりは小奇麗な装いで盗賊ではなさそうだった。だが、ヘスも、そして傭兵も剣の柄を握ったままだ。
「荷台から離れろ」
傭兵が刺すような声で青年に吐き捨てる。離れなければ容赦なく斬り捨てる、と一歩傭兵が青年ににじり寄った。
「ちょっと探しものをしていまして」
「探しもの?」
ヘスが応える。
「ララって女の子なんだけどね」
「……えっ?」
「おかしいなぁ? 君と一緒に居るって言ってたんだけどなぁ」
そう言って青年はララの姿を探すように荷台に手を掛けた。
ララを探してる? 俺と一緒に居るって誰が言ってたんだ?
その青年の言葉に幾つもの疑問がヘスの頭を過り、その言葉に支配されてしまう。だが、傭兵は違った。己に与えられた任務を迷いなく実行する。荷台を守るという事を。
斬りつける事もできたが、物資が返り血を浴びてしまうことを恐れ、鞘に収められたままの剣を荷台の中に入ろうとしている青年の腕に振り下ろした。剣がめり込んだ青年の腕から、軽い材木がへし折れたような音が響く。
「あれ? 腕が」
その衝撃で青年は膝を突き地面に突っ伏すような体勢になるものの……苦悶の表情も叫び声も上げず、困惑した表情でくの字に折れ曲がった腕のまま、再度荷台に入ろうと腕を伸ばした。
「……なっ……」
思わず傭兵が目を丸くした。
確かに腕の骨は砕けている。それだけで立てないほどの激痛に襲われるはずだ。だがこの男は、立てないどころか顔色一つ変えていない。
どこか恐怖に支配されたような表情で、傭兵は剣を抜いた。
「ララって女の子は何処?」
「てめぇ、何モンだ?」
ねぇ、と問いかける得体のしれない青年に、ヘスも剣を抜いた。
ヘスの視界が陰ったのはその時だった。ふとそちらに目を移すと、そこに立っていたのは、この青年と同じように見たことの無い男が二人。夢遊病者のようなうつろで視点が定まっていない目でぶらぶらと剣を携えている。
「な、何……」
「……ララは何処だ?」
その男達は同時に同じことを口ずさんだ。青年と同じセリフだ。こいつら、ララを探している……というより命を狙っている? 男達の空気からヘスはそう直感した。
「ヘス、下がれ!」
傭兵が叫んだ。だが、蛇に睨まれた蛙のように、ヘスは詰め寄ってくる男達と距離を保つようにジリジリと後ずさる事しか出来なかった。
グシャリという剣が何かを斬り裂く音がヘスの耳に届く。傭兵の剣が青年の左腕を切り落とした音だ。大量の出血をしながらも、青年は怯みもしない。
その光景にヘスは息を飲んだ。
「邪魔を……」
左腕を斬られた青年が地面に落ちた自分の腕を見つめながらぽつりと呟く。
「するなら……」
呼応するようにヘスににじり寄る男が続けた。
「コロス!!」
怒りに満ちた声でもう一人の男がそう叫んだ瞬間、彼らは一斉に襲いかかった。
傭兵は突如詰め寄る青年に反応が遅れてしまった。
傭兵の喉元を青年の残った右腕が掴む。並大抵の力では無い、まるで万力で首を絞られていくように、骨の軋み音を放ちながら凶暴な握力で喉が締めあげられていく。
「ぐっ!」
「傭兵のおっさん!」
傭兵の元に駆け寄ろうとしたヘスだったが、叶わなかった。
先ほどの二人の男は音もなくヘスに近寄ると、剣を容赦なく振りぬいた。
「わっ!」
ヘスは間一髪身を反りその切っ先を躱した。が、空を斬ったその剣の行方を見てヘスはぞっとした。
剣は荷台車輪に刺さり、刃を食い込ませて止まった……と思いきや、まるでパンを切るかのごとく車輪を両断し、そのまま荷台を斬り裂くと荷台に積まれた物資を辺りにまき散らす。
並大抵の力じゃない。というか、人間の芸当じゃない。
その光景とギラリと光る男達の目を見てヘスは慄いた。
「ぐ……」
ドサリと、傭兵が地面に倒れる音がヘスの耳に届いた。この男と同じような力で首を握られたとあれば、潰されてしまう前に事切れてしまう。ピクリとも動かない傭兵の姿に、ヘスは慌てて男達から距離を取った。
「きゃぁぁぁぁっ!」
突如辺りに女性の声が響き渡った。聞き覚えのある声。ヘスの母の声だ。
「母ちゃん!?」
まさか。家にもこいつらが!?
戻らなきゃ、と一瞬男達から目を逸らした瞬間だった。声にならない雄叫びを上げながら、先ほど荷台を両断した男が跳びかかりながら剣を振り下ろす。
「しまっ……!」
咄嗟に自分の剣で防ごうと身構えたヘスだったが、先ほど荷台の姿が脳裏に浮かんだ。失敗した。避けるべきだった。自分の剣もろとも斬られてしまう。
その男の剣の軌道を追いながら、ヘスの目に恐怖が過る。
死を覚悟したヘスの目に黒い影が舞い降りたのはその時だった。頭上から舞い降りた黒い何か。黒い……黒いローブの男。
「……女子供に手を出すのは良くないな」
黒いローブの男がそう口ずさむと、赤い光が放たれ、ヘスに襲いかかった男がはじけ飛んだ。くるくると人形のように宙に舞い、ヘス宅の柵を突き破り、庭に叩きつけられる。
「はぁ、やっと村に辿り着いたのに、休む間も無くゴミ掃除か」
やれやれ、とボンブルグハットを深くかぶりなおしながら黒いローブの男が呟く。
「お、おっさんは……」
「……おっさん?」
ヘスの言葉に、その黒いローブの男はくるりと身を翻すと、中腰になり目の高さをあわせヘスに言い聞かせるように囁く。まだ目の前に傭兵の喉を潰した青年と剣を持った男が居るにも関わらず。
「優しい神父様、の間違いだろ? ……いや、違う。美しいお兄様、か」
間違った、と黒いローブの男は戯けた表情を見せる。
くるくるとカールしたブラウンの頭髪に、大きな黒い瞳、女だと一瞬思ってしまう位、美しいという表現が似合う中性的な顔。
「俺の名はスピアーズ。ハサウェイのガキと同じ死の宣教師の一人だ」
「……な、なんだって?」
身を起こし、スピアーズは冷たい目でヘスを見下ろす。
「お前は、ヘス君だろ?」
「死の宣教師が何で……」
「……ララという少女は何処だ?」
ヘスの質問を聞き流すようにスピアーズが言葉を漏らす。
突如襲い掛かった得体の知れない男達に、自分を助けた死の宣教師。一体何がどうなっているのかヘスには全く理解ができなかった。
だが、何かが起きているのは事実で、その中心に彼らが探すララが居ることは確かだろう。
――ララ達と一緒に行くべきだった。
吸い込まれるような冷たいスピアーズの目を見て、ヘスはただ後悔するしか無かった。