第5話 精神魔術
冷たく乾燥した懐かしいビビの街の空気がララの頬を撫でる。ビビの街はバージェスよりも南寄りのため、多少気温は高いものの寒い事には変わりがない。スノーフレークのポンチョの下にオルガから貰った厚手のシャツを着込んでいるが、風が吹くたびに痺れるような寒さが身体の芯を襲う。
ララとトトは書店をオルガにお願いした後、駅馬車に乗り、バージェスの村から、ここビビの街に足を運んでいた。
また事件なの、とオルガは心配したものの、ちょっと話を聞きに行くだけだという事に彼女は胸を撫で下ろした。
「マジでさみぃな」
ポンチョのフードの中にうずくまっているトトが言葉を漏らす。バージェスの村を出る時は「旅だ!」とララの肩にとまり威勢良くわめき散らしていたが、すぐにフードの中にいそいそと潜っていった。ララの体温と合わせて丁度トトの身体にフィットしたフード部分が「ぬくぬくあったか」らしい。
「山間部だから余計に寒いね」
マフラーで口元を覆っているララが応える。
駅馬車内は比較的温かかった為、余裕だと思っていたが、そうは行かなかった。ビビの街の門でボディチェックをしてもらう時に前回のような事が無いようにリュックとポケットの中身をすべてひっくり返し入念にチェックしてもらった為、その間にララの身体はすっかり冷えてしまっていた。
「……あ、いい匂いすんな」
「ほんとだ」
トトがフードから顔だけをヒョイと覗かせる。こんな寒い時期にピッタリのピロシキの匂いだ。お腹が空いていたララはついゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「ピロシキは後でだよ、トト」
「わかってるっつの。取り敢えず、ガーランドのおっさんトコに急がないとな」
後でヘスの家族とオルガおばさまにおみやげとして買って帰ろう。そんな事を思いながらララはガーランドが待つ魔術師協会の出張所へと急いだ。
***
前に来た時と変わらない出張所だ。バージェスの村の出張所と比べ物にならない位に大きな建物。前回来た時は気が付かなかったが、ビビの街の出張所は入り口の扉が二重構造になっていて、屋内の暖気が外に漏れないようになっている。
その扉をゆっくりと開けると、寒さで凍えるララをじんわりとした温かい空気が歓迎した。
ロビーに居るのは疎らに見える訪問者達。以前の人で溢れかえっていたあの時と比べて穏やかで静かな時間が流れているようだった。
「あの、ガーランド支部長に呼ばれて来ました。ララと申します」
マフラーを外し、リュックにねじ込んだ後、職員らしき男性にうやうやしくララが話しかける。
「ああ、貴女がララさんですね。お待ちしていました。こちらへどうぞ」
笑うと目尻にしわが寄る、優しそうな職員だな。ぼんやりとそう思いながらララは出張所の奥に案内された。
ガーランドの部屋に向かう廊下でガラスに寒さで頬と鼻が赤くなった自分の顔が映る。
しばらくぶりのガーランドさんとの再会なのに、赤っ鼻は恥ずかしいな。何処か恥ずかしくなったララは顔をごしごしと擦る。
「おおう、嬢ちゃん、久しぶりだな!」
案内された部屋、本棚に囲まれた小奇麗な見覚えのある部屋。そしてそこに居るのは短く刈り込まれた頭。肉の薄い骨ばった顔。非武装中立区画北部責任者、ガーランド支部長だ。
「ガーランドさん! お久しぶりです!」
ララがガーランドが差し出した骨ばった手を両手で握りブンブンと振る。本人達は喜びに満ちた再会の握手のつもりなのだろうが、身体のサイズ的にどう見ても父親の腕に掴まり、「高い高いして」とねだる子供状態だった。
「すまんな、わざわざ来てもらって」
「いえ、久しぶりにガーランドさんに会いたかったですし」
ララがニコリと小さく笑みを浮かべる
「おや? あの小僧はどうした?」
「家の仕事があって。でも、ガーランドさんに会いたいっていってたんですけどね」
「ほう、二人して嬉しい事言ってくれるじゃねぇか」
笑顔をのぞかせるガーランドにララももう一度笑顔で応える。
「……ンで? 上手く行ってんのか? あの小僧と」
あっちの方は、と何処か茶化しているような表情でガーランドが問う。やっぱり来た。手紙の文面から会った時に聞かれるだろうなとララは想定していたが。
「べ、別に何もないですよ。普通。普通です。うん」
意味もなく焦燥感に襲われたララは目をぱちくりさせながら、言葉を探す。その姿にガーランドはついニヤニヤと良からぬ笑みを浮かべた。
「まぁ、順調のようで何よりだな」
「……悪そうな顔だな! おっさん!」
フードから顔をのぞかせてトトが吐き捨てた。
「お、トト。居たのかよ。相変わらず……カラスだな。お前は」
「当たり前じゃん」
ぴょこぴょことフードから抜け出し、いつもの定位置に戻ると、ララの顔のすぐそばで大きいあくびを放つ。いやに大人しいと思ったら寝てたのか。
「ところでガーランドさん、手紙に書いてあった件ですが……」
「ああ……」
ガーランドの顔から笑顔が消えた。かなり切羽詰まった状況なのか。釣られるようにララも硬い表情になってしまう。
「実は、な、例の禁呪書『ブラン』が何者かに奪われていたことが判った」
「……えっ!?」
奪われていた事、という言葉にララは目を丸くした。今、ガーランドさんは「奪われた」ではなく「奪われていた」と確かに言った。
「本当に情けない話だが、嬢ちゃん達がバージェスの村に戻ってすぐ、だったようだ」
「『奪われていた』って、どういうことですか?」
「手前の事で心苦しいが嬢ちゃんに隠しても仕方がねぇ。協会内のとある男が作為的に情報を止めていやがったらしい」
こっちに、とガーランドが手招きする。
デスクの上にポンと置かれた一枚の写真。スキンヘッドで黒いサングラス、黒いコートを着た体格の良い男。ララには見覚えの無い男だった。
「この人が?」
「そうだ。こいつはギュンターが居た例の『協会魔術院』の責任者の一人だ」
協会魔術院……魔術師協会の『裁定者』としての顔。でも何故その人が重要な情報を止めていたのだろう?
「どうしてこの人がブランの情報を作為的に止めていたんですか?」
「ハサウェイが協会に打ち込んだ楔の話、覚えてるか?」
バージェスに戻る時に、ガーランドが言った「ハサウェイが起こした禁呪騒動で協会内が二分してしまうかもしれない」という楔のことだろうか。
「はい」
「危惧していたとおり、今まさに協会内は二分している。あの事件を公表し、世間に頭を下げるべきだとする穏健派と、事実をもみ消し、関係者の『口封じ』をするべきと主張する強硬派だ」
「く、口封じ!?」
ララが驚嘆の声を上げた。
「そうだ。そしてこいつがその『強硬派』の先鋒、ランドルマンという男だ」
「な、成程……」
話は理解できたが、協力内容がまだ判らずララに嫌な想像が膨らむ。このランドルマンという男を捕まえて欲しいとか、そういうのだけはやめて下さい。
「ンで、嬢ちゃんにお願いしたいってのはこっからだ。……いやそう身構えるな。この男を捕まえて欲しいとか、そういうんじゃねぇ」
ララは自分でも気がついていなかったが、ガーランドの口から発せられる言葉を逃すまいと身構えてしまっていたらしい。その姿にガーランドは苦笑いを浮かべる。
「あ、そうなんですね……よかった」
「ククッ、ンな事はコッチの仕事だ。まぁ、ランドルマンに逮捕状が出てるわけでもないが、な」
それもおかしな話だ、とララは思った。あの恐ろしい禁呪書が身体に刻まれたブランが何者かに奪われたという事実を隠していたとなれば大事件だ。それすらもできなくなっているということであれば、二分した協会内は相当まずい状況にあるということだろうか。
「じゃあ、私に協力して欲しいっていうのは……」
「結論から言おう。ブランの行方を知っている可能性が高いギュンターの『頭の中に入る』魔術書の捜索を手伝って欲しい」
「へっ……?」
ギュンター? 頭の中? 魔術書? 突如発せられた幾つもの単語にララは困惑してしまった。
「各陣営に売るために協会上層部の依頼でギュンターがブランを作ったのはほぼ間違いない。とすれば、ギュンターを尋問し誰の依頼で作ったのかを吐かせ、その協会上層部の職員を突き止めれば自ずとブランを奪った連中の手がかりにたどり着くはずだった」
「だった?」
「ブランが奪われたという報告を受けた俺は、捕らえたギュンターの元に向かった。だが遅かった。すでにギュンターは何者かにやられていた」
その言葉にララの背筋に冷たいものが走る。
「こ、殺されたって事ですか?」
「いや……殺されてはいない。だが普通に聞き出すことが出来なくなっていた」
「どういうことです?」
ガーランドはララにもう一枚、写真を渡す。そこに写っていたのは、うつろな目を開き虚空を見つめている男の姿。得も知れぬ恐怖が感じられる写真だった。
「『精神魔術』……魔術構文師の嬢ちゃんなら聞いたことあるだろう?」
その言葉にララは目を見開き、ガーランドの顔を凝視した。
「精神魔術」――
幾多も存在している魔術の中で、特に超常的な性質をもつ魔術の一つだ。物理的に作用するものではなく、その魔術が影響を与える物は、人の精神。精神魔術にかかれば簡単に人を廃人に追い込め、また逆に隠された秘密を探る事も可能になる大協約で禁止されている上級魔術だ。
「……まさか、『精神魔術』で?」
ガーランドが硬い表情で頷いた。
「ただ口封じをするだけなら、犯人はランドルマンに違い無かっただろう。だが、犯人は奴を殺さず、何故か精神だけを破壊した。犯人はランドルマンの可能性もあるが、全く別の何者かの可能性も高い。目的が全く判らん」
「そうですね……」
ララが硬い表情で頷づく。
強硬派の仕業だとすれば、間違いなくギュンターは殺されていたはず。だけど、殺さなかった。精神魔術でその頭の中を覗かれてしまうリスクを負っても彼を殺せなかった何か。もしくは犯人の策略?
ララには全く見当も付かなかった。
「そこでギュンターの頭ン中を見る『精神魔術書』が必要になった訳なんだが、残念ながら、協会に上級魔術である『精神魔術』の魔術書も無ければ、それを作れる魔術構文師も居ねぇ。嬢ちゃんにはその俺達と一緒にその魔術書の捜索に同行してほしい、って訳だ」
また魔術書の捜索か、とララの頭に嫌な予感が過る。さらに強硬派が暗躍しているとあれば、前回の禁呪捜索以上に危険だろう。
しかし、ガーランドはそんなララの心配を察するように続ける。
「ただ、あても無い捜索じゃ無ぇ。協会が保護管理している魔術構文師に一人可能性がある人物が居る。そこに行って協力を乞うつもりだが、念のためこっちからも魔術構文師を連れて行きたいんだ」
「成程……」
「今から行けば日が落ちる前に返ってこれるはずなんだが……どうだ?」
「えっ、今からですか?」
思わずララは声を上げてしまった。一人で頭を突っ込むな、と念を押すヘスの顔が頭に浮かぶ。危ないお願いだったら一旦戻るって言っちゃったからなぁ。
「ちなみに何処なんですか?」
「城塞都市チタデルの近郊の森だ」
「……チタデル?」
ヘスが今日行っている街だ。であれば、チタデルに寄って、ヘスと一緒に行くことも出来そうだ。
「何かあるのか?」
「いえ、ヘスが今日行っているのがチタデルなんです。だったら、一旦チタデルに寄ってヘスも同行していいですか?」
それがいい、と手をポンと叩きながらララが提案する。ヘスから「変な事をさせるな」と頼まれたトトが口を挟みそうになったが、チタデルに寄るのであれば良いかと、口をモゴモゴさせながら言葉を飲み込んだ。
「……あぁ、一日でもヘス君と離れてるのは嫌だろうからな。かまわんよ」
またニヤリとガーランドが笑みを浮かべた。
そのにやけたガーランドの顔に、ついに「いい加減にしろこのおっさん……」と照れを通り越して軽い殺意がララに芽生えてしまう。
「なんだ、ララお前ひょっとしてヘスの事好きなのか?」
ララの心を知る由もないトトが単刀直入に問いかける。哀れなトトは自らララの地雷原に足を踏み込んでしまった。その言葉にギラリと目を光らせると、ララは顔を真っ赤に腫れ上がらせながら、トトの嘴を掴みグリグリとこねくり回す。
「むがっ、何だテメェ、やめろ、いたい、ごめんなさい、ちょっとやめて」
「がっはっはっは、やっぱイイねぇ若いっつーのは」
「むぅぅぅぅぅぅぅ」
理由も判らず許しを乞うトトと、ガーランドの豪快な笑い声、そして、怒りと恥じらいが混ざった複雑な心境のララの声がコーラスのようにガーランドの部屋に響き渡った。