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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
〜幕間〜
27/105

番外編 1 ヘメロカリスの香り 

本編、19話〜22話辺りでのサイドストーリーです。

ちょっと切ない感じかもしれないです。

「花、好きなのか?」

 

 不意にどこか棘がある声で語りかけられたアルフは我に返った。

 人々であふれる街道から一つ入った人気ひとけも疎らな裏路地の一角。ひっそりと佇んでいる生花店にそんな場所には似つかわしくない古びた皮の防具に身を包んでいる傭兵が居た。短く刈り込まれた栗色の頭髪に、青白い肌、人懐っこい雰囲気の目。一見、傭兵とは真逆に位置する好青年といった感じの男だった。


「あ、いえ、特には」

「あっそ。熱心に見てたから、好きなのかと思った」


 女性がどこか残念そうな表情を浮かべる。この生花店の店員だろうか、黒く艷やかなロングヘアーをサイドアップにまとめ、化粧気が無く健康的で整った端整が顔立ちの美しい女性。その口調からは想像できない可憐な女性だった。


「すいません、こんなに沢山の花を見るのは久しぶりで」

「ヘメロカリス」

「えっ?」

「ヘメロカリス。その花。アタシ大好きなんだよね」


 アルフは目の前にある花に目をやった。赤褐色の花をつけた八重咲きの花だ。その他にもピンクや黄色、複数の色が組み合わさったものもあった

 

「ヘメ…?」

「ヘメロカリス。別名『デイリリー』っつーんだけどね」


 変わらない調子で女性は続ける。


「その花、すっげぇ短命なんだよ。一日で終わり」

「ああ、だから、デイリリー」

「そ。ヘメロカリスの『ヘメロ』は『一日』って意味なんだって」

「なるほどね、ヘロメコリス」

「ぷっ、ヘメロカリスだっつの」


 難しい顔をしながら当然のように間違ってしまうアルフに女性はつい笑い出してしまう。そんな女性を見て、恥ずかしそうにアルフも笑い出す。


「す、すみません、難しい名前は苦手で」

「あはは、アタシも時々間違っちゃうんだよね」


 二人は笑顔で肩をすくめる。と、『ユーリア生花店』と書かれた看板がアルフの眼に映った。店員は一人しか居ないようだし、ユーリアとは彼女の名前だろうか。


「ええっと、このお店の名前……」

「あ、うん。アタシの名前」


 やはり、とアルフが笑顔を見せた。


「お花みたいな、良い名前ですね」

「だろ? だから生花店やってんだけどね」

「え、本当ですか?」

「ふふ、ウッソ〜」

 

 ユーリアの顔がいたずらを含んだ子供っぽい笑顔に変わり、騙された事に気がついたアルフが苦笑いを浮かべる。


「や、やめて下さい。僕、すぐ信じちゃうので」

「あはは、悪ぃ。真面目そうだったからよ。つい」


 無邪気なユーリアにアルフはバツが悪そうに、顔をポリポリと掻きながら続ける。


「アルフと言います」

「アルフ、ね……傭兵か?」


 アルフの姿を見て、ユーリアはすぐ判った。

 この街、天高くそびえ立つ城壁に守られた街、ラインライツはゴート陣営の領土だ。正規軍を持たないゴート陣営の軍は一部の精鋭部隊「ゴート私兵団」以外の兵力を金で雇われた傭兵によって構成している。

 アルフもまたそんな傭兵の一人だった。


「あ、はい、そうです」

「あは、でもさ全然傭兵っぽくないね。アンタ」

「ええ、よく言われます」


 そう言って二人はもう一度笑った。ラインライツの街に吹く冷たい秋風が芳しい花の香りを乗せ二人の間を通り抜けていく。

 傭兵っぽくないアルフとガサツな生花店店主ユーリア。

 ヘメロカリスの花に導かれるように出会った二人はこの先に待ち受ける物語をまだ知らない。


***


『銃兵一人銅貨五枚、剣術騎兵サーベラー一人銀貨一枚、槍斧騎兵ランサー一人金貨一枚』


 何の変哲もない酒場。乱雑に並んだテーブルと忙しなく行き交う給仕の女性。傭兵達がそんな給仕の女性にちょかいを出して、怒られる。そんなどこにでも有るような何のこともない酒場に貼りだされた一枚の紙。その紙をじっとアルフは見ていた。

 ゴート軍からの傭兵募集の張り紙だ。噂でハイムはここラインライツを落とすべく軍の再編成を行っているという。「会戦の日は近い」とゴート陣営はこうして張り紙を出し傭兵を募っていた。


槍斧騎兵ランサー一人金貨一枚……」


 ぽつりとアルフが呟く。張り紙に書かれているそれは、「ハイム軍の槍斧騎兵ランサーを一人殺す毎に金貨一枚を報酬として支払う」というものだ。以前はもっと低い報酬だったが、敗戦が続き、ついに金貨一枚まで高騰していた。


「アルフッ! さっさと持ってこいッ!」


 酒場に怒号が飛んだ。カウンターの上にはすでに冷えたエールが四つ用意されている。しまった、とアルフは慌ててそのエールを両手で抱え、急ぎ声の元に走った。


「マジでてめぇは使えねぇ奴だな」

「……すいません、ベクターさん」


 酒場の一角に四人の傭兵が腰掛けている。その誰もが統一感の無い防具を身につけ、何処か軽蔑にも似た眼でアルフを見ていた。


「給仕が全然来ねぇから注文に行かせてみたら、その仕事すらままならねぇとは」

「剣も満足に扱えねぇ、銃も使えねぇ、ベクターのお使いも出来ねぇって、何で傭兵やってんだお前」

「こんなやつを使用人みてぇに雇うなんてベクターも好きモンだよな」


 ぎゃははは、とその傭兵達が高々に笑う。そんな彼らにアルフは作り笑いを浮かべるしか無かった。

 彼らの言うとおり、アルフはその姿と同様に傭兵にはまるで向いていない男だった。剣も銃も満足に扱えず戦場で活躍出来ない。幾つかの会戦を経験してはいたものの、敵の首をとることなど出来るはずもなく毎回の報酬は参陣費として支給される銅貨一枚だけだった。

 そんな中、アルフはこの冷えたエールを喉に運んでいる傭兵ベクターに拾われた。生活の面倒をみる変わりに自分の元で傭兵稼業をやってもらう、という話だった。

 全く役に立たない傭兵と評判のアルフを拾ったベクターに、男色なのかという噂も立ったが、ベクターの狙いは違った。ベクターはアルフの「とある噂」を聞きつけていた。

 

「俺がコイツを拾ったのは理由があんだよ」

「理由?」

「やっとアルフに投資した金を回収出来る時が来たみてぇだぜ」

「あン? どういうこった? ベクター」


 そう言ってベクターはエールを一気に喉に流し込み、その厳つい腕で口元に残った乳白色の泡を拭きながら笑みを浮かべると、彼の巾着袋オーモニエールから一冊の本を取り出した。

 タイトルも書かれていない赤い本。ベクターの周りの傭兵達は意味がわからないようで、本とベクターを交互に見比べた。


「……なんだこれ?」

「魔術書だ」

「ま、魔術書?」


 そう言ってベクターはその魔術書をアルフの手元に走らせた。


「アルフ。てめぇが魔術解読師マニピュラーの技能を持ってるのは知ってんだ。次の会戦でその魔術書使ってもらうぜ」

「えっ、このガキ、魔術解読師マニピュラーだったのか!?」


 思わず傭兵達の間から驚きの声が上がる。アルフは魔術解読師マニピュラー……それも使用すら禁じられている「上級魔術」でさえ扱えるほどの高度な魔術解読師マニピュラーだった。

 高度な魔術解読師マニピュラーはそのほとんどが魔術師協会の管理下にあり、こうして傭兵になっている者など皆無だった。その噂を聞きつけたベクターがアルフを拾った理由がそれだった。


「つか、俺らの独断で魔術使うのは不味いだろ?」

「バーカ、この魔術書はゴート軍から正式に『会戦で使用するため』に貰ったモンなんだよ」

「何……? つーことは、ゴート軍は公式に戦争で魔術を使う、ということか?」


 傭兵達の顔に戦慄が走った。

 それもそうだ。戦争で魔術を使うことはご法度だということは子供でも知っているルールだ。大協約を破るということは世界規模の組織である魔術師協会から武力による制裁を受ける可能性が高い。

 内戦の一大勢力であるゴート陣営がそのルールを破り、戦争で魔術を使おうとしている事に逆に傭兵達は恐怖した。


「上の思惑なんぞ知ったこっちゃねぇ。俺らはただ目の前のハイムの連中をぶっ殺すだけだ」

「とは言ってもよ……」

「うっせぇ。……おい、アルフ、明日までにその魔術書使えるようにしとけよ」


 怖気づく傭兵達を一瞥し、ベクターは給仕を呼んだ。

 戦争で魔術書を使う。アルフにもその重大さがよく判っていた。魔術を戦争で使うなどあってはならない。今度の会戦には行きたくない。アルフは心で強くそう願ったが――――彼に選択の権利は無かった。

 彼の脳裏に何故か恥ずかしそうに微笑むユーリアの姿が映った。

 

***


「あ、また来た」

「はい、今日も来ました」


 あれから一ヶ月。アルフはよくユーリアの元に足を運ぶようになった。その目的は単純で、戦死した傭兵の墓に手向ける花が欲しいというものだった。内戦が続き、戦闘が激化していく中、アルフは毎日の様にユーリアの元に訪れていた。


「まぁいいけどさ。ウチの上客だからねアンタ」

「このお店に来て、ユーリアさんに会うのが唯一の楽しみなんです」

「ばっ……」


 何のためらいもなく、笑顔でそう言ってのけるアルフにユーリアはいつも動揺してしまう。アルフの無邪気な笑顔は凶器だ、とユーリアは思っていた。


「ば、ばーか。そんなこと言われても嬉しくねぇっつの」

「え? でも顔赤いですよ?」

「う、うっせぇ! あちーんだよ! 今日は!」


 死ね! とユーリアが笑顔で茶化すアルフに履いて捨てる。そのガサツな口調からは想像できない、しおらしいユーリアの一面がアルフは好きだった。毎日のようにこうして生花店を訪れ、花を買い、ユーリアを茶化す。

 アルフはユーリアと過ごすその一時がたまらなく幸せだった。


「……実は今日はユーリアさんにお話があって」

「へっ?」


 顔を赤らめたまま、ユーリアが固まった。これ以上茶化したらぶん殴る。ユーリアはそう思った。


「傭兵として、この街の防衛戦に参陣することになりました」

「……へっ?」


 ユーリアは同じ表情で同じ言葉を漏らしてしまう。茶化されると思い身構えていたが全く違う言葉にその意味を理解するために時間を要してしまった。


「明日の朝、ハイムの軍勢がこの街を攻め入ると情報がありまして」

「……」

「それで、その……挨拶に」

「……」


 ユーリアは何も言葉を返せなかった。アルフは傭兵だ。いずれ戦場に行く事になる。それはユーリアにも判っていた。

 アルフは花を買いに来るついでに、お店を手伝ってくれることもあった。「料理は得意なんです」と温かいシチューを作ってくれる事もあった。風邪を引いてしまった時には、お見舞いに来てくれた。


 そうして、いつの間にか、ユーリアにとってアルフは「ただの客」では無くなっていた。

 日を追う毎にユーリアの願いは強くなった。アルフが戦場に行く、その日は一生来なければ良いのに、と。

 

「しばしのお別れです、でも必ず戻ります」

「……どうだか」

「えっ?」

「アンタは傭兵には向いて無いんだよ。いつ死んでもおかしくないくらいに、さ」


 ユーリアの顔に影が落ちたのがアルフにもはっきりと分かる。

 その顔に決意したように、動揺の色を隠せないながらもアルフが続けた。


「ユ、ユーリア……」

「なっ……何よ」


 アルフは初めて「さん」ではなく、まるで恋人を呼ぶように、優しく彼女の名を呼んだ。


「ぼ、僕は必ず戻ります。今回の会戦でたくさんの報酬ももらえるはずです。そ、それで……」


 アルフの顔が真っ赤に染まっていく。彼の中で最適な言葉を探しているようだった。


「戻ったら、傭兵をやめます。それで、僕と一緒に……僕と一緒になってもらえませんか?」

「ばっ……!」


 その言葉に今度はユーリアの頭が爆発した。

 照れ隠しのように「馬ッ鹿じゃないの!?」と吐き捨てたかったが、言葉が続かない。

 そうなれたらどんなに幸せだろう。ユーリアはそう思っていた。

 優しいアルフとずっと過ごせたらどんなに幸せだろう。ユーリアはそう願っていた。

 そして、照れ隠しができないユーリアの頬に一筋、温かい涙が伝った。

 真っ赤に染まった顔で直立したままのアルフに、ユーリアは静かに頷く。

 神様はこんな優しい傭兵を死なせるわけがない。そう思った。きっと彼は戻ってくる。

 そんなユーリアの願いを聞き届けるように、ヘメロカリスの花は静かに彼女たちを見つめていた。


***


「砲撃が来るぞッ!」


 傭兵隊を指揮するゴート私兵の指揮官の叫び声が戦場に響いた。

 アルフは戦場に居る。回りにいるのは屈強な傭兵達。ベクターの姿もあった。そして丘の上に見える真紅の戦旗。

 次の瞬間、凄まじい砲撃の雨がゴート陣営を襲った。塹壕を掘り、砲撃に備えていたものの突如降り注がれたその雨のような砲撃に何人もの傭兵達が犠牲になった。

 粉塵と肉片、死の匂いがアルフの鼻腔を劈き、ごくりと飲み込む唾に血の味を感じた。


「クソッ! 騎兵が来るぞッ! テメェら逃げるんじゃねぇぞッ!」

 

 再度指揮官の怒号が飛んだ。遠くから地鳴りのような音が近づいてくる。死神の足音だ。死神が近づいてくる。砲撃に錯乱しているアルフが怯えて耳を押さえる。


「正面から、装甲騎兵! 密集で来るぞッ!」

「うぉおおっ! 来るなら来やがれ!」


 死神の足音がすぐそこまで近づいてきた。鼓舞する傭兵の声が聞こえる。

 だが、アルフは動けなかった。


「突貫ッッッ!!」

「……ラァアアアァァァァッ!」


 騎兵の声だろうか、その声が通り過ぎて行く瞬間だった。

 金属がかち合う激しい音と傭兵達の断末魔、肉が裂け、骨が砕ける音が同時にアルフの耳を襲った。死の音。アルフはその恐怖に支配されてまいと、叫ばずには居られなかった。

 だが、その死の音にかき消され、自分の声は聞こえなかった。


「次ッ! 剣術騎兵サーベラーと銃兵が来るぞッ!」


 最初に突破していった騎兵が道を切り開き、後続する兵士達がその道を通り、混乱した敵を殲滅する。ここからが本当の戦いだった。


「オラッ! 立てッ!」


 背中をぐいと引っ張られ、アルフは塹壕からはじき出される。

 彼の眼に映ったのは地獄だった。騎兵が持つ槍斧ハルバートに無残に殺された傭兵達。アルフの喉からすえた胃酸が逆流してくる。


我らに勝利をッ!ヒューラ・シュトランザ


 項垂れてしまったアルフの耳にハイム軍の雄叫びが響く。剣とスクトゥムを持った剣術騎兵サーベラーに、ライフルを持った銃兵が涙で霞むアルフの目に映った。

 

「ラァァアァアァァッ!」


 左側面から、剣術騎兵サーベラーがアルフに斬りかかる。その姿に怯えながらも、左手に持った小ぶりな盾でその剣を受け、右手に持ったサーベルで突き返す。だが、アルフのサーベルは剣術騎兵サーベラーのその甲冑に阻まれ、鈍い衝撃をその手に伝える。

 瞬間、剣術騎兵サーベラーと目が合った。こちらを殺さんと睨みつける殺意に満ちた目。

 怖い。死にたくない。アルフはその目に慄いた。と、アルフのその姿に剣術騎兵サーベラーはニヤリと笑みを浮かべる。コイツ、恐怖しているな。剣術騎兵サーベラーの笑みがそう語っていた。


「ハハッ! 死ねッ……」


 剣術騎兵サーベラーがもう一度剣を振りかぶる。その剣はアルフの首を狙っている。

 だめだ。アルフの脳裏にそう浮かんだ次の瞬間、剣術騎兵サーベラーの喉元から突如サーベルが突き出した。

 真っ赤に染まったサーベルが日の光りでギラリと怪しく光った。


「チッ、世話のやけるガキが」


 ベクターだ。ベクターのサーベルが剣術騎兵サーベラーの喉元を貫いていた。


「さっさと魔術を使って終わらせろよ、アルフ」


 だが、流石のベクターもこの地獄には参っているようだった。いくつも返り血を受け、顔は血の気がない土色になっている。幾つか負傷もしているようだった。

 魔術、そうだ、自分はそのためにこの戦場に来ているんだ。そして目の前にそそり立つ城壁の向こうに居るユーリアの元に帰るんだ。その言葉がアルフに勇気を与えた。

 この魔術書は「生命付与魔術」という物だった。大協約でその使用すら禁じられている「上級魔術」だ。目の前に散らばる傭兵の死体を使った腐死体ゾンビを召喚すればこの戦いは終わるだろう。アルフはそう考えた。


腐死体ゾンビを召喚します」


 そう言ってアルフはパラパラと魔術書をめくり始めた。幾つか空中に文字のような物を描き、そして次のページをめくる。だが、すぐに発現すると思っていたベクターが苛立ちを浮かべた。


「早くしろッ! 敵が来るぞッ!」


 ベクターにそう急かされながら、周りから聞こえる兵士達の叫び声に焦りながら、一つ一つゆっくりと確かめるようにアルフは魔術構文に書かれた手順を追っていく。そして、最後のページに書かれた、媒体となる「血液」を供給せよという文字にアルフは安堵の表情を浮かべた。間に合った。これで終わる。「発現します、ベクターさん」と嬉々とした表情でアルフは顔を起こした。

 だが、そこにはベクターは居なかった。居たのはベクターだった者の姿。


「ベク……」

 

 眉間と心臓、二つの穴がベクターの身体に穿たれていた。音のない恐怖がアルフを襲う。喉の奥から悲鳴にも似た言葉が上がってくる。

 と、彼の目にライフルの銃口を向ける銃兵の姿が映った。自分と同じくらいの青年。躊躇ない、冷めた瞳。ベクターを殺したのもこの兵士だ。ぞくりと冷たいものがアルフの中を支配する。

 ――ユーリア。御免。戻れなかった。

 目を見開いたアルフの脳裏にそう浮かんだ時と、彼の胸にベクターと同じ穴が穿たれたのは同時だった。


***


(眠い……何も思い出せない)


 彼は、ぼんやりと空を見上げた。次第に赤く染まっていく空。何処か嫌な感じがする空だった。


(ここは何処? 僕は……)


 彼の耳に、小さく羽虫のような音が聞こえた。ブンブンと騒ぎ立てる虫達の声。


(何だ……うるさい……うるさいぞ)


 足元に小さな虫がたくさん蠢いていた。蟻のような小さな虫。

 その虫達に苛立ちを覚えてしまった彼は、それらを潰そうと足を上げ、思いっきり踏みつけた。

 ズシンという衝撃と立ち上がる泥水の柱。そして舞い上がる虫達。


(ハハ……ハ……舞い上がった)


 その舞い上がる虫達の姿がどこか滑稽に見えた彼は嬉しくなった。そして、もっと舞い上がれ、と今度は腕を地面に振り下ろす。

 同じように幾つもの虫達が空高く舞い上がり、落ちていく。

 赤い小さな花を咲かせる虫達だと、彼は思った。


(ハナ……花……綺麗な花……あの子が好きなハナ……)


 なにか大事なことがあった気がしたが、彼は思い出せなかった。あの子って誰だ、と自問したが答えは出ない。

 と、彼の目に赤褐色の花が映る。中心が青白く、赤褐色の靡く花びらを持った美しい花。


(綺麗……花……赤褐色の……ヘメロカリス。あの子が好きだった花だ)


 彼はその花をつかもうと、足を踏み出した。その花を摘んで持って帰ればきっとあの子も喜んでくれるだろう。その花を摘もうと彼はゆっくりと腕をおろした。

 でもあの子って誰だ? 喜ぶって……誰が?

 ふと彼は恐怖した。


 ――僕は……ダレダ? 


 そして彼が、その花を握ろうとしたその時、花が弾け光りが彼を包み込んだ。

 そして、吹き飛ばされる意識の中で彼は思い出した。


(……ユーリアの元に帰りたい)


 そして、光りの中に彼の意識は消えた。


***


 ラインライツはハイムの手に落ちた。

 突如現れた泥人形ゴーレムに被害がでたものの、ゴート傭兵師団を蹂躙しあっけなくラインライツは落ちた。

 傭兵師団を失ったゴート軍は、籠城することもなく撤退し、ラインライツの街は無血開城することになった。たくさんの傭兵の命が失われたが、市民への被害が無かったことは不幸中の幸いだろう。

 解放軍として、ラインライツに入ったハイム軍を人々は歓迎した。本心は彼らを憎んでいたとしても、生きていく上でそれが必要だったからだ。


 戦闘の影響で崩れ落ちた生花店の跡をユーリアは立ちすくんだまま見つめていた。彼女が呆然としていたのは、崩れ落ちたこの生花店が原因ではない。

 帰ってこなかった。

 アルフは帰ってこなかった。

 やっぱり駄目だったじゃないか。大嘘つき。必ず戻ると言ったのに。

 幾つものアルフを責める言葉が頭を支配した。そうしないと、涙がこぼれ落ちそうだったからだ。


 失意の中、ユーリアは自然とその場所に足を向けていた。

 見ない方が良かったかもしれない。来るはずのない彼の帰還をずっと待っていたほうが良かったかもしれない。

 だけど、ユーリアの足は向かった。

 傭兵が、アルフがこの街を守る為に戦った、その場所に。


 そこにはすでに傭兵が残した鎧や剣を漁っている人達が居た。戦いが終わった戦場は宝の山だと誰かが言ったその言葉がユーリアの頭に浮かぶ。

 幾百、幾千の死体が残る戦場で彼の姿を見つけるのは無理だとおもっていた。そのほうが良いと思った。

 だが、神は無慈悲に彼女に現実を突きつけた。

 塹壕の傍らに本を抱えて横たわっている短く刈り込まれた栗色の頭髪に、青白い肌の男。

 アルフだとすぐに分かった。彼の大きく見開かれたその目には恐怖が満ちてた。

 その姿に、ユーリアは泣き崩れた。どれほど悔しく、そして恐怖したのだろう。どれほど帰れなくなった自分を恨んだだろう。その想いが痛いほど判ったユーリアの目からは、止まること無く冷めた涙が流れ落ちた。


「はぁ、駄目だったんだ」


 アルフの亡骸に覆いかぶさり泣き崩れるユーリアのすぐ横で男の声がした。


「その魔術書、僕がゴートに貸したものなんだけど、上手く使えなかったんだね」


 その言葉にユーリアはアルフの手に持たれた本に目を移す。魔術書。赤いタイトルが書かれていない本だった。


「発現前に死んでしまって、その残留意思が一緒に付与されちゃったみたいだね。そんな事が出来るなんて知らなかったなぁ」


 ふふふ、と男が冷たい笑みを浮かべた。


「それ、返してもらえます?」


 男が赤い本を指さした。だがユーリアは渡したくない、と思った。アルフが大事に抱えているこの本が、彼の形見のような気がしたからだ。そして、アルフの腕から優しく抜き取ったその本を大事にユーリアは抱いた。まるでその本が彼自身であるかのように。


「う〜ん、弱ったなぁ。返してもらえないですか?」


 男の声にユーリアは首を振った。


「仕方ない。力づくで奪うこともできるんですが、ね」


 そう言って男はユーリアのすぐ横にしゃがみ込む。そして、そっと彼女の足元に何かを置いた。

 ――人形だった。小さく人の形をした泥人形。

 それが何なのかユーリアには判らなかった。


「彼の『残骸』だよ。まだ多少自我は残ってると思うんだけどね」

「……残骸? 自我?」


 目を腫らしたユーリアが不思議そうに男を見た。見覚えも無い、若い男。黒縁丸メガネをかけた何処か冴えない印象の男だ。


「時間が立てば少しづつ記憶がもどる、とは思うんだけどね。よく判んないや」


 そういって男はひょいとユーリアが抱えた本を抜き取った。

 と、次の瞬間、足元に立っていた小さな人形が動き出した。


「……ユーリア、戻ル。ユーリア、一緒二ナル」


 よろよろと赤ん坊のようにふらつきながら、その人形はしゃがみ込むユーリアの足にすがりついた。

 その言葉にユーリアは耳を疑った。


「魔術ってまだ判ってない所が多いんだよね。そんな能力がこの魔術書にあったのか、それとも彼の想いがそうさせたのか」


 小さな泥人形は離れたくない、と言わんばかりに何度もその言葉を繰り返した。

 ユーリアはその小さな人形の中に、アルフの温かい姿を垣間見た気がした。あの時、真っ赤になって想いを伝えてくれたアルフの姿が重なった。

 間違いない。この人形はアルフだ。

 ユーリアの腫れた瞳にもう一度涙があふれる。先ほどとは違う、温かい涙。

 ――彼は約束を守ってくれた。アタシのもとに戻ってきてくれた。

 ユーリアはそう確信した。


「はぁ、こんな事、僕の性に合ってないんだけどね。何年も偽り続けたから身体に染み込んじゃったのかなぁ……」


 ポツリとそう呟く男の姿をユーリアはもう一度見たが、そこにはすでに男の姿は無かった。あの魔術書とともに忽然と姿を消していた。


「ヘメロカリス……ユーリアガ好キナ花」


 ポツリと人形が呟く。その言葉にユーリアは笑みを浮かべた。

 時間が経てば、少しづつ記憶が戻ると思う。消えた男は確かにそう言っていた。

 だったら待とう。例え姿が変わったとしても温かいアルフの心が有るのであれば、彼と一緒に居られるのであれば幸せなのは変わりない。

 ユーリアは愛おしそうにその人形を優しく抱きしめた。

 

 ヘメロカリスの花言葉。「苦しみからの開放」――

 温かい日の光が彼女と小さな人形を照らすと、風に乗ったヘメロカリスの香りが優しく彼女たちを包み込んだ。

一話で収めるために、色々端折る必要があったのでちょっと急ぎ足なかんじですかね(汗)


お読み頂ありがとうございます^^

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