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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第一章「失われた魔術」
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第23話 母の記憶

 いつか見た木組みの家。

 あの時感じたものと同じ暖炉の火が放つ優しい音と樹木の匂い。懐かしさであふれた木組みの家。どこかぼやけた風景の中でララは優しく揺れる天井を見上げていた。ララの視点がゆらりと揺れるたびに、キィという物悲しい木の擦れる音が響いた。


「その昔、人々がまだ憎しみ合い、争いに明け暮れる前。遠い遠い昔」


 ララの耳に優しい声が聞こえた。あの時と同じ声。優しくて、安心する声。


「お母さん?」


 不安に喉を震わせ、ララが言葉を漏らした。その声に呼ばれるように、ララの視界に女性の姿が映る。この前とは違う、はっきりとした女性の顔。黒く長い艷やかな髪。慈愛に満ちている穏やかで大きな瞳。雪のように白く透きとおった肌。安らげる笑顔。見覚えはやはりなかったが、ララには判った。本能がそう告げていた。お母さんだ、と。


「なぁに? 昨日の続き、聞かせてあげるからね」


 そう言って母は視界から消える。ぱらりと本をめくる音が聞こえた。そして、ゆっくりと物悲しい軋み音を伴わせながらゆらりと揺れる天井がララの目に映った。


「とある小さな村に美しい女性が居ました」


 ――――キィ、と声の間を抜い軋み音がララの耳に届く。


「彼女は不思議な力を持っていました。火を自在に操り、風を起こし、傷を癒やし、失った命をも蘇らせる不思議な力」


 ――――キィ、と途切れることの無い音が響く。


「その不思議な力に人々は恐れ、彼女は忌み嫌われてしまいました。彼女に近づくな。その怪しい目で見られただけで命を奪われるぞ、と。追い立てられるように彼女は逃げました。人々が決して訪れない、山奥のさらに山奥。日の光も届かない鬱蒼とした森の中に彼女は逃げました」


 ――――キィ、と女性の声に相槌を討つように音が木霊す。


「誰もいない森の中。でも彼女は寂しく有りませんでした。彼女の不思議な力で言葉を喋れるようになった動物達が周りにたくさん居たからです」


 ――――キィ、と小さく音が伝わる。


「でも彼女は思いました。もし自分のこの力を人々に伝える事ができたら、きっと人々は怖がることも無くなるんじゃないか。人々をもっと幸せになるために私の力が使われたならば、笑顔で私を迎えてくれるのではないかと」


 ――――キィ、と静かに。


「そうして彼女は作りました。人々が簡単に使えるようにその不思議な力を形に残しました。人々は彼女の予想通り、その不思議な力が使える事に喜び、彼女を受け入れました。彼らが信仰する女神の再来だと喜びました。そんな彼らを見て、彼女もまた喜びました。笑顔に囲まれた幸せな日々でした」


 ――――キィ、と悲しく。


「でも、そんな幸せな日々はすぐに終わってしまいました。悪い人達がその力を悪用したからです。人々から笑顔は無くなり、憎しみ合い、争いに明け暮れる毎日が始まってしまったのです」


 ――――天井の揺らぎは止まり、静寂が支配した。


「自分の犯してしまった過ちに彼女は苦しみました。そして彼女が住んでいた村が赤く燃え上がっている姿を見て彼女は決意しました。私が犯してしまった過ちは私で終わらせよう、と」


 女性の声が止まった。静寂に不安になったララの喉から自然と声が出る。


「……それで、どうなったの?」


 小さなその声にパタンと本を閉じる音が聞こえた。そしてララの目に映る、覗きこむような母の姿。


「彼女は終わらせたの」

「終わらせた?」

「そう。すべてを終わらせる事ができる不思議な力を使ってね」

「終わらせる事ができる力?」


 そう言葉を返すララを母は優しく抱きかかえた。小さい花柄のポンチョが置かれた揺り椅子が見える。子供だった。ララは今よりももっと幼い小さな子供だった。その事にやっとララは気がついた。


「不思議な力。彼女は『魔女』だったの。一番最初に魔術を造った『魔女』」


 そういって母は優しく、ララを抱きしめる。暖かかった。心が溶けるような慈愛に満ちた母の暖かさ。母の服から懐かしい匂いがした。その香りだけはララの心に残っていた。それが母の記憶だったのだと初めて気がついた。


「最初の魔女?」

「そう。……私達の先祖様よ、ララ」

「……えっ?」


 その言葉に驚いたララが母の身体から離れた。私の先祖? 最初の魔女? 困惑した表情を見せるララに母は優しさを絶やさず、ただじっとララを見つめている。


「すべてを終わらせる魔術。ララも覚えておきなさいね。その魔術は……」


 母の口が音もなく動いた。母の声と同じように聞こえていた暖炉の暖かい音も無くなっていた。静寂の中、ララは母の口元に目を凝らす。すべてを終わらせる魔術のその名前に。


『テテレスタイ』


 確かに母の口はそう動いていた。

 合わせるようにララがその名前を口ずさんだ。声は出なかった。だけど「そう」と母は頷いた。そして、それが合図になったかのように、まるで焼けていく写真の様に木組みの家が、小さな揺り椅子が、そして優しい母の姿が剥がれ落ちていくように消えていく。


「……お母さん!」


 ララは叫んだ。怖かった。母の記憶がなくなっていく気がした。ララの意識が引っ張られるように母の元から引き剥がされていく。母の元を離れたくない。その一心だった。


「お母さん!」

「ララ、ごめんね。……愛してる」


 その姿が抜け落ち、霞んでいく意識の中わずかに見えた母の口元からそう言葉が漏れた。

 行かないで!

 ララはもう一度そう叫んだ。

 だが、何処か哀しげなその声に送られるように、ララの手から母の暖かい指先がこぼれ落ちた。


***


 抜け落ちた母の跡に映ったのはうねるようにひしゃげる景色。

 ギュッと収縮された空気が、凄まじい熱風と共にブランの姿を陽炎のように霞め、辺りの雨露を一瞬で蒸発させた。そして赤く燃え盛る空が赤い霧となってブランに舞い降りてくる。

 禁呪が発現した。瞬間的にそう直感したララは、無意識で両手をブランに掲げた。

 もう止めて、と心に願った。熱風がララに襲いかかったその時。母のあの言葉が脳裏に浮かぶ。


「……テテレスタイ」


 小さくララがつぶやいた。すべてを終わらせるその言葉を。

 その瞬間、赤く腫れ上がった熱風がララの両手に吸い込まれ始めた。ズドンという衝撃がララを襲ったが、その小さな足で精一杯踏ん張り、凶暴なその力に負けまいとさらに両手を大きくつきだした。しかし、その凶暴な力はララを容赦なく攻め続けた。


「駄目ッ……」


 耐え切れない。ララがそう諦めかけた時だ。背後から力強い腕がララを支えた。


「ま、負けんなよっ……ララっ!」


 ヘスだ。ヘスが苦悶の表情でララの背中を支えていた。ヘスは何が起きているか判らなかった。しかし、その腕は無意識でララを支えていた。


「ヘス……! うん、負けないッ!」


 ヘスがララの腕に手を回し、身体全体でララを支えた。その力を借りて、ララは一歩進み、さらに腕を伸ばす。霞がかった熱風の向こうにブランの顔が見えた。こちらを見つめ、静かに笑っている気がした。ゴウ、とさらに大きなうねりがララの腕を襲う。断末魔のようなひときわ大きな力だった。その熱風がララの顔を襲うと、思わずララは目を閉じた。

 終わって。ララはそう願った。

 助かって。ララはそう祈った。

 もう一度ズドンと衝撃がララを襲う。その凶暴な力はララの腕を伝い、その小さな身体を抜け、背後のヘスさえも通り越して行くと、ララとヘスはついに空に投げ出されてしまった。


「うわぁっ!」

「きゃぁっ!」


 ヘスとララが恐怖を付加した叫び声を上げた。すう、と冷たい風をお尻に感じた瞬間、グシャリと湿った土の感触がヘスを襲った。


「げべっ!」


 冷たい土の感触を感じた次の瞬間、ララの身体がヘスを押しつぶす。どの位高く舞い上がっていたのか判らなかったが、躊躇なくお腹をララのお尻に潰されたヘスはそのぬかるんだ土にめり込むように埋まってしまう。


「痛っ!」


 思わずララが声を上げた。


「『痛っ』て、痛てぇのは俺だっつの!」

「あ、ご、御免!……って禁呪!?」

「あっ!」


 つい恥ずかしそうに謝ってしまったララだったが、思い出したように急いで身を起こすとブランの姿を探す。ヘスもララの身体にしがみつき、ぬかるんだ地面から上半身を起こすと、ララと同じようにブランに目を映した。

 ――そのままララ達は固まった。ふたりとも眼を丸くして、どこか間抜けな表情だった。


「えぇっと……」


 ポツリとララがつぶやいた。その目に映っているのは、小さく円形に焼かれた草原の中心で倒れているブランに、吸い込まれるような澄み切った雲ひとつない青空。固まったララの頬を優しく冷たい風が撫でていく。


「これは……」


 ヘスの声にゆっくりと二人は見合う。その事実が染みわたるように、二人の顔に次第に笑みが生まれていった。


「……助かった!?」

「助かったんだ! ララッ!」


 やった、と二人同時に両手を掲げ、そのままララ達は強く抱き合った。助かった。ララの願いが通じた。その事実にただ二人は喜んだ。


「ちょ、おま、何だ今のはッ!」


 頭の羽根が少し焦げ、剥げているような姿のトトがぴょんぴょんとララ達に駆け寄ってくる。


「トト! 助かった! 助かったんだよ!」

「何ッ……ぶわッ!」


 愛おしそうにララはトトにも抱きついた。離せと、ララの腕の中で暴れるトトだったが、関係ないと笑顔でララはさらに力強く抱きしめた。

 終わった。

 母のあの言葉で皆助かったんだ。

 そう思ったララはもう一度ヘスを強く抱きしめると、笑顔で二人と一匹は喜びを分かち合った。

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