第21話 何の為に、誰の為に
彼らは風のように大地を走り抜けた。
馬の蹄が大地を蹴るたびに、幾層にも重なった重厚な装甲の軋み音が甲冑を伝い耳に響く。もう自分達を阻止できる物などこの世には存在しない。そう思えてしまうほどの高揚感が騎士達を支配した。地鳴りのような蹄の音に、装甲が擦れ合う鋭い音、そして、彼らが吐く言葉にならない雄叫び。キンダーハイム装甲騎兵の突撃時に発するその「異音」は対峙した敵兵士を恐慌へと追いやり、彼らに無視できない心理的ダメージを与えることから「悪魔の跫音」の異名で恐れられていた。
「構えぇぇッ!」
先頭を走る装甲騎兵から高々に号令がかけられると、一団の先頭を突き進む「槍斧騎兵」と呼ばれる騎兵達が槍斧を前方に構えた。
「……構えたッ!」
ハイム軍の陣と、クロムウェル軍の陣の丁度中間で騎士達が一斉に槍斧を構えた姿が砲兵長の眼に飛び込む。東の山からきらめく太陽の光が槍斧に反射し、ギラリと光を放った。
「支援射撃開始ッ!」
砲兵長の声と掲げられた赤い旗の合図で、沈黙したまま不気味に佇んでいた幾つもの巨大な野戦砲が咆哮した。
野戦砲は主に榴弾を高仰角の曲射弾道で射撃する重火砲だ。榴弾が発射される凄まじい衝撃で、砲周囲の空気が歪むと、射撃の衝撃を軽減するために砲身が後座し、復座機が即座に砲身を元の位置に戻す。発射された榴弾は装甲騎兵の上空を通過し、目前のゴート傭兵達の中に吸い込まれていった。
「着弾……、今ッ!」
観測兵が着弾を確認した。パッと黒煙が上がり、塵芥のように傭兵たちが吹き飛ぶ。
命中した。それを確認した砲兵長が次の指示を出す。
「着弾点修正ッ! 目盛り四シュトリヒッ!」
砲兵が俯角を調整し、掛け声の後再度野戦砲が轟音を轟かせる。発射された榴弾は着弾点を奥にずらし、まるで騎兵達を道案内するかのようにゴート傭兵を蹴散らしていった。
「這う砲撃」。騎兵部隊の前進速度に合わせて着弾地点を前進させる射撃戦術だ。
「クソッ! 騎兵が来るぞッ! テメェら逃げるんじゃねぇぞッ!」
ゴート傭兵師団の指揮官だろうか、混乱した傭兵達に怒号が飛んだ。巻き上げられた粉塵で視界が取れない。だが「悪魔の跫音」は確実に近づいて来ている。
「うぉおおっ! 来るなら来やがれ!」
恐怖を押し殺す為に傭兵の一人が己を鼓舞した。と、粉塵を切り裂く白銀の甲冑が傭兵達の眼に飛び込む。白い塊だった騎兵達が、そのひとりひとりの姿がはっきりと認識できるほどの至近距離にまで迫っている。
「突貫ッッッ!!」
「……ラァアアアァァァァッ!」
突貫、の掛け声で、騎兵達から更に大きな雄叫びが上がった。剣を交える前にすでに勝敗は決していた。逃げ惑い、恐怖に引きつるゴートの傭兵の顔が一瞬騎兵の目に映った。
「うわぁああぁああぁッ!」
恐怖に錯乱した傭兵達が剣を振りかざし、猛烈なスピードで突進してくる装甲騎兵に一太刀入れようと無謀にも向かっていくものの、ある者は馬の蹄の餌食になり、あるものは槍斧に串刺しにされ、またある者は騎兵の装甲に弾かれた味方の剣に絶命した。一方的な虐殺だった。
「蹴散らせッ!」
津波のように押し寄せた騎兵はスピードを落とさず、雨雲を切り裂く雷のようにゴートの傭兵師団の中心を引き裂いていく。彼ら騎兵の目標は、さらに後方。予備部隊と補給物資、それに指揮官が待機している本陣だ。
キンダーハイム装甲騎兵団が得意とする楔形の陣形鋼鉄の傘。
重火砲による支援射撃を受け、速度を武器とした槍斧騎兵が突破口を開き、第二波となる剣とスクトゥムを携えた剣術騎兵が開かれた突破口を広げ、ロングレンジの銃兵が先を行く槍斧騎兵を援護するというこの戦法で、彼らキンダーハイム装甲騎兵団は「無敵の騎兵」として名を轟かせていた。
「手応えが有りませんな」
後方に待機していたゲルトがヴィオラにそう語りかける。
勝負はついた。あっけないほど簡単に。
そもそも指揮系統が貧弱な傭兵の集団であるゴート商会の私兵はこういった防御戦には不向きだ。混戦状態に陥った傭兵達は、右も左も分からない状態で闇雲に剣を振る。彼らを包囲する網が次第に閉じていっていることにも気が付かずに。
「大事な部下を失わずに済む。味気なく終わる方が良い」
冷ややかにヴィオラが呟く。先頭を走る装甲騎兵達は、ゴートの後続部隊と接敵したようだ。物資を積んだキャラバンが散り散りに逃げていく姿が見て取れる。
ゴートの後方部隊を蹂躙したのち、騎兵は残存兵を挟撃するために反転するだろう。それで終わりだ。ヴィオラがそう思った時だった。
「か、閣下!」
ヴィオラの目に信じられない光景が飛び込んだ。剣術騎兵の一団の中に突如現れた、巨大な岩の塊。いや、岩とも泥とも取れる歪なその塊。城壁の半分ほどの高さだろうか。ゴート傭兵達を蹂躙する騎兵を見下ろすようにバケモノが地中から姿を現す。
「泥人形……?」
ヴィオラはそのバケモノを知っていた。
あれは、グラントールで禁止されている上級魔術、命なきものに生命を吹き込む「生命付与」の魔術で生み出された泥人形だとすぐに判った。
ゴツゴツとした巨大な泥人形が攻城砲の倍はあるかという腕を振り回し、地面に叩きつけると、幾つもの人影が空中に弾き飛ばされる。白銀の甲冑を着た兵士と、薄汚れた鎧に身を包んだ兵士。敵味方など関係なく手当たり次第に泥人形は暴れていた。
魔術の軍事利用は下級魔術でも大協約違反になる。発現自体が禁じられている上級魔術を軍事利用するなど気が触れたのか、とヴィオラは嘲笑した。
「大協約を反故してでも勝利にすがりつくか。逆賊共め、面白い」
ヴィオラの艷やかな唇がつり上げると、その端整な顔を覆い隠す漆黒のフェイスガードを下ろし愛馬の手綱を引いた。
「砲兵隊、射撃待機! 指示を待て! 私自ら出陣する!」
「閣下、お供します」
ゲルトがフェイスガードを下ろし、提言した。
「丁度身体を動かしたいと思っていたところだ。共に踊ろうではないか」
ヴィオラの表情はフェイスガードで見えなかったが、笑みを浮かべているのがその空気で判る。ゲルトが頷くと、まるで白鷹を引き連れる鴉のようにヴィオラを先頭に装甲騎兵の一団が丘を駆け下りて行った。
***
ララは最後に見たハサウェイの刺すような視線が頭から離れなかった。
もう、ハサウェイさんは居ないんだ。ぎゅっと閉じた瞼の裏に、バージェスの村で「僕も一緒にいくよ」と困ったような笑みを浮かべていたハサウェイの顔が浮かぶ。
「見て! ラインライツの城壁だ!」
ラッツの声にララは我に返ると、彼が刺す指の先に視線を送った。林の木々の隙間からチラチラと見える巨大な城壁。その付近には幾つも軍旗が掲げられている。
「ララ、ハサウェイさんの事は後で考えよう」
「えっ?」
振り落とされないようにしっかりとしがみついてた、ヘスの背中を通じて言葉の振動がララの耳にとどく。
「今考えても仕方がないだろ。今はブランを止めることに集中しよう」
そう言ってヘスは顔だけをララに向けた。表情は見えなかったが、ヘスのその目がララを勇気づけた。そうだ、悩んでいる暇はない。今はブランを止めることに集中しなくちゃ。
「うん、ありがとう、ヘス」
ララの言葉にヘスは頷く。
と、彼女らの視線の先に、巨大な人影が映った。岩とも泥とも取れる無機質な素材で造られた巨大な影。
「あ、あれはなんだ……!」
「泥人形!? まさか!? 戦争に魔術が使われている!?」
ラッツの声にララが驚嘆の声を上げた次の瞬間、雷鳴とも取れる、泥人形の叫び声が辺りの空気を震わせた。そしてズシンという地響きとと共に、巨大な泥水の柱が立ち上がる。泥人形が叩きつけた腕の衝撃に木の葉のようにバラバラと舞い上がる兵士の姿がララの目に飛び込んだ。
「酷い……」
「あれは、ひょっとしてブランが?」
ヘスが身を乗り出して泥人形の姿を見る。
「判らない。でも生命付与の魔術構文は書かれていなかったはず……」
上級魔術「生命付与魔術」ーー
様々な文献にも明記されている「人道に反する」とされる魔術の一つだ。生命付与魔術はその名の通り命が無い物に命を吹き込む魔術で、生命を吹きこまれた物は魔術解読師の意思のままに動く人形と化す。岩や泥を使った泥人形や死体を使った腐死体、さらには人と動物を掛けあわせ、身体能力を上げた傀儡兵などの存在が文献に残っている。死者への冒涜、神への冒涜と批判された生命付与魔術は大協約で禁止され、歴史の闇に葬られていた。
「……! ララちゃん! ヘス君! あそこ!」
街道から林を抜け、開けた平原に踏み入れた時だった。ラッツはついに見つけた。ゆらりゆらりと足を進めている幽霊のような少年の姿。だが、かなりの距離がある。それに、その先には白い塊と黒い塊が入り乱れている戦場。
「ラッツさん! 彼の近くで降ろして下さい!」
「えっ!?」
「私がブランを止めます! ラッツさんはこのままハイム軍の方へ!」
「止めるって……どうやって!?」
ラッツの問いにララは俯く。すぐに答えは見つからなかった。
「ブランは任せてください。ラッツさんはハイム軍を」
「ララ、俺も一緒に行く」
「俺もだ、ララ!」
断らせないぞ、とヘスとトトがララの眼を注視しながら言う。何処か気圧されてしまったララは無言で頷いた。
「わ、判ったよ! 皆気をつけて!」
気をつけて。その言葉はここでは意味を持たない事はラッツは判っていた。混戦状態にあるハイム、クロムウェル両陣営に、泥人形、そしてブラン。一瞬気を抜けば命をおとす危険な場所だ。だが、せめてそう言葉をかけずにはいられなかった。
「ラッツさんも!」
一瞬の間を置き、ララの声がラッツの耳に届く。混沌とした空気が支配する戦場を駆け抜ける栗色の馬に躊躇の色は微塵も感じられない。
***
眠りを妨げられたような苦悶の表情を浮かべた「死者」達がぬかるんだ地面からはい出てくる姿に思わずガーランドとバクーは後ずさった。元々は傭兵だったと思われる簡素な防具に身を包み頭の一部が欠損した者に、片腕が無い錆びた甲冑の者……彼らが戦死者だということはすぐに判った。
「あは、今の声聞こえましたか?」
死者の兵隊を携えたハサウェイが嬉々とした声を上げた。風に乗って聞こえる唸り声とドスンという地響き。そして微かに聞こえる阿鼻叫喚の叫び声。
「クロムウェルの連中があの魔術書を使ったようですね」
「あの魔術?」
ガーランドの言葉にクックックとハサウェイが笑みを浮かべる。
「彼らに渡った『上級魔術書』です」
「話が見えん」
「北部責任者の貴方でさえ知らない魔術師協会の『闇』ですよ」
「……『闇』だと?」
「この内戦は単純ではない、と言うことです。表面上は敵対している組織でも、無関係を装っている組織でも裏では繋がっているんです。それは何故か」
額に貼り付く前髪をかきながらハサウェイがもう一度口元を緩ませた。
「単純ですよ。金になるからです」
「……金、だと?」
怪訝な表情を見せたのはバクーだった。
「金の為にこの内戦は仕組まれた、と?」
「何故ブランは研究所から逃げ出せたのか。何故僕がその情報を知っていたのか。何故僕の腕に永久魔術があるか。何故クロムウェルの連中の手にあの魔術書があるのか」
さすがに話の内容が解ってきたガーランドが眉をひそめた。
「……魔術師協会が裏で糸を引いている?」
「ガーランドさんも、バクーさんも、僕も駒の一つにすぎないんですよ。強大な権力に目隠しをされ、彼らに言われるがまま動かされているただの駒です」
そう考えればすべてがつながる。
何故パルパス陣営のハサウェイの腕に永久魔術があるのか。極秘裏だったとしてもなぜ魔術師協会の上層部がギュンターの凶行に気が付かなかったのか。
答えは単純だ。協会は裏でハイム、パルパス、クロムウェルと繋がっているからだ。
予想するに、ギュンターは抑止力の暴走でブランを造ったのではない。協会上層部からの依頼で禁呪を復活させたのだ。兵器として各陣営に売りさばく為に、だ。そしてその「兵器」のお披露目として、密告した研究員を利用しブランを放った。すべては協会の上層部が描いたシナリオ通りというわけか。
「協会が金の為に禁呪を復活させ、パルパスがそれを利用した?」
「……ご名答です」
ガーランドの言葉にハサウェイが答えた。永久魔術で「無慈悲な暴力」を得ている死の宣教師が表立って活動するために障害になるのが大協約というわけだ。協会のスキャンダル、権威の失墜、グラントールの存在意義の喪失。それがパルパスの狙いか。
「だけど、僕は駒で終わるつもりはさらさらないんですよ」
ハサウェイがうなだれるように足元に視線を移す。
「……僕がすべてを手にするんだ」
ハサウェイの目が怪しく光を放つ。そこに見えるのは野望に渦巻くどす黒い意思。
「お主の野望に興味など無い。貴様を倒し、ララ殿達と合流するだけだ」
「だな。独裁者ごっこは一人でやってろ小僧」
バクーが構える槍斧の切っ先がハサウェイが呼び起こした死者の鼻先をかすめる。地獄の底から放たれたような怒りの唸り声を死者が放った。
「……ブランが放つ『天魔の炎槌』の巻き添えになるのは御免ですからね。終わらせましょうか」
そう冷たく言い放った次の瞬間、死者の兵隊がバクー達に襲いかかった。
腐敗が進み、身体が欠損しているのにも関わらず、予想に反する素早さだった。ガーランドに向かってきたのは頭の一部が欠損した傭兵の死体だ。戦術など考える脳をそもそも持ち合わせていないそれは、無心でその手に持たれた錆びた剣を振り下ろす。避けるまでもない、とスクトゥムで剣を捌くと、がら空きになった胴の心臓部分に剣を突き刺す。腐敗し、もろくなっていた死者の身体は簡単にガーランドの剣を根本まで飲み込んだ。だが、血はおろか、怯む気配すらない。胴体に剣がささったまま、傭兵の死体は再度剣を振りかぶった。
「めんどくせぇ」
そう言って、ガーランドは胴体から剣を抜き出すと、その両足をバターのように切り裂いた。安々と両方の足が膝から欠損してしまった傭兵の死体はバランスが取れずドスンとその場に崩れる。間髪入れずにガーランドは止めをさした。泥と濁った水を飛び散らせながら、傭兵の死体の首が宙を巻い、ハサウェイの傍らに落ちる。
「……相手にならんな」
チラリとバクーに視線を送ったが、彼もまた槍斧で死者の兵隊の首をはねた所だった。
しかし、相手にならないとはいえ数で向こうが優っている。一度に来られてはさすがに危険か、とバクーが思ったその時、予想が現実となった。
「ムゥ!」
六体の死体が一斉にバクー達に飛びかかった。斬っても怯まない死体を槍斧で突き刺したとしても意味が無い。となれば、「斧」の部分でなぎ倒すのみ。バクーは槍斧をくるくると回すと、斬撃を放つために下段に構えた。
「シィッ!」
力む掛け声とともに、遠心力を加えた斬撃を死体達に放つ。一番右の死体の胴体を二つに割り、二体目の胴体を半分ほど斬り裂いた所で槍斧は動きを止めた。死体が纏っている甲冑が邪魔をしたためか。
「バクー! 離れろっ!」
ガーランドの声が響いた。何事か、とバクーは視線を送った。
彼の剣もまた甲冑を着た死体の胴体で動きを止めている。その姿に、まさかこれが狙いか、とバクーが危惧したその時。足元から巨大な氷柱が天高くそそり立ちバクー達を死体ごと巻き上げた。巨大な氷柱に合わせ、幾つもの小さな氷の矢がバクーの身体を貫く。
「ぐあっ……!」
思わず苦痛の声をバクーが上げた。
かなりの重量があるであろうスクトゥムが舞い上がっている姿がバクーの目に映った。そのまま受け身を取れず地面に叩きつけられた衝撃がバクーの身体を襲う。氷の破片や死体達の残骸が周りに降り注いだ。
「あはは、『生命付与魔術』はこうやって使うんですよ」
死体に命を付与した腐死体で動きを止め、魔術で腐死体もろとも吹き飛ばす。理にかなった戦術だ、と朦朧とした意識でバクーは感心してしまった。
だが、受けたダメージは深刻だ。ガーランドの声で一瞬身を逸らしたために直撃は免れたが、四肢にいくつも赤く血に染まった氷の矢が突き刺さっている。ガーランドの無事を確認したく身を起こそうとしたが、激痛で動けない。
「さぁ、終わりです」
ハサウェイの目に狂気がみなぎった。
万事休すか。と、バクーの脳裏に諦めにも似た感情が浮かんだ次の瞬間、彼の目に見たことのない光景が広がった。突如訪れた夕焼けのように赤く染まったラインライツの空。
「あれは……」
バクーの周囲から音が消えた。まるで無音質に閉じ込められたような痛い静寂。
あの空とこの静寂は負ってしまった傷が見せる幻なのだろうか。それともこれもハサウェイの魔術の一つなのか。
紅蓮に染まる空を見つめながらそう考えたバクーの意識は、行き場を失った音が変貌した空気を振動する衝撃波にかき消され、暗い闇の中に沈んでいった。
第22話は15日(土)アップ予定です^^
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