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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第一章「失われた魔術」
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第20話 無慈悲な暴力

 ぱらぱらと降り注いでいた小雨が、凶暴さを増した驟雨しゅううとなり対峙する彼らの身体を叩きつける。つい木陰に隠れたくなる程の雨足だったが、そこに居る誰もが微動だにできなかった。


「……ラッツ」


 ハサウェイのわずかな動きすら見逃すまいと、彼を注視しているバクーがぼそりと呟く。雨音で声が聞き取りにくい今だからこそ、と、バクーは次の手を昂じた。


「馬を使い、ララ殿らと共に先にいけ。ラインライツは近い」


 その言葉にラッツがバクーとハサウェイを交互に見る。ハサウェイは先ほど「ブランは作戦行動中」だと言った。ということは、ブランは一人でハイムとゴートがぶつかる戦場に赴いているはずだ。グズグズしていられない。ブランを殺してでも止めないと、バンシーの森以上の被害がでてしまう。そう思ったラッツはゆっくりとバクーに頷いてみせた。


「了解しました。ララちゃ……」


 だが、バクーとガーランドの姿に隠れる様に、ゆっくりとラッツが動き出したその瞬間だった。


「……! 避けろッ!」


 ガーランドの叫び声が雨音を遮り、辺りに響き渡る。その瞬間、まるで巨大な剣で叩き斬られたかのように、先ほどまで乗っていた駅馬車が紙細工のように両断された。正面から丁度中心を斬られる形になった駅馬車は折り重なるように崩れ、御者もろとも一瞬のうちに瓦礫に帰した。

 けたたましい破壊音の後に訪れる静かな雨音。その一瞬の出来事は、誰もの思考を停止させてしまった。


「だから、言ってるじゃないですか、誰も、ここは、通しませんって」


 一言一言念を押すようにしっかりとした口調でハサウェイが言葉を吐くと、瓦礫と化した駅馬車に驚いた馬の悲鳴が木霊した。


「何度も同じこと言わせないでくださいよ。馬鹿は本当に嫌いなんです」


 そう言ってハサウェイは雨に濡れたシャツの腕をまくった。シャツの下に隠されていたのは、その姿からは想像だに出来ないほどに引き締まった前腕筋。バクーやガーランドのそれとは明らかにタイプが違う、しなやかで強靭さを秘めたような美しい筋肉。

 しかし、隠されていたのはその筋肉だけではなかった。その腕に刺青の様に描かれている「魔術構文」がガーランドの目に映る。


「その腕は……まさか! 永久魔術エターナルマゲイア!?」


 ガーランドの上ずんだ声にハサウェイは眼鏡を上げながら笑みを浮かべた。


「あは、今恐怖しましたね? いや、判りますよ。不思議ですよね。何故僕の腕に永久魔術エターナルマゲイアが書かれているのか」


 彼らを容赦なく攻め立てた雨の音が次第に鳴りを潜めていく。そして空を覆っていた薄暗い雲の隙間から、光の欠片が一筋降り注いだ。


「フン。何処でそれを手に入れたのか知らねぇが、てめぇを半殺しにして絞り上げれば判ることだ」

「僕を? 半殺し? あははっ」


 ハサウェイが身を剃りながら、信じられない、と高笑いする。そのまましばらく彼の笑い声が続いたが、突如、身を逸らしたままピタリとその声が止まった。


「……いや、笑えないね」


 逸らした身を起こしたその顔に笑顔は無かった。と、次の瞬間ハサウェイは数メートルはあったバクー達との距離をまたたく間に詰めた。まずい。ガーランドの脳裏にそう過った時にはすでに遅かった。「走って間合いを詰める」という表現とはかけ離れているその素早さに、ガーランドとバクーは一瞬反応が遅れた。ひとまばたき程度の刹那だったが、ガーランド達は後手に回らざるを得なかった。


「……この糞ガキがッ!」


 正拳をハサウェイの顔面へ撃ち抜こうとガーランドが腰を捻った瞬間、重心をかけた左足をハサウェイの鉄の様な蹴りが襲った。


「なっ!」


 鉄のような蹴り。ハサウェイの足はまさに鉄のように硬い、筋繊維が凝縮された剛脚だった。力まず、重心をずらす事に重点を置いたハサウェイの足払いにガーランドの巨体は安々と宙を舞うと、そのままガーランドのみぞおちをハサウェイの強烈な肘が襲った。

 鈍い音が身体を通じてガーランドの耳に届く。痛み、と言うより雷に打たれた様な衝撃がガーランドの全身を駆け巡った。そのままガーランドはどうすることも出来ず、重力に従い、ぬかるんだ地面に叩きつけられてしまう。


「……ッ!」


 しかし、ガーランドに肘を叩きこんだハサウェイにわずかに隙が生まれたのをバクーは見逃さなかった。低く体勢を落としたハサウェイの頭部を狙い、強烈な膝蹴りを放つ。

 が、彼のその膝もハサウェイを捉えることは出来なかった。掌を使い、バクーの膝の力を外側にずらし軌道を逸らすと、ハサウェイはがら空きになってしまったバクーの脇腹にコツンと拳をあてがう。


「……衝撃インパクト


 ハサウェイの口元が小さく動き、そう言葉をもらしたのがバクーの目に映った。言葉の意味は判らなかったが、その言葉が何をもたらすかはすぐに判った。肉をえぐり、内蔵に衝撃が走る。ハンマーで殴られた様な衝撃が脇腹から背中に突き抜けバクーの身体もまた、宙に浮いた。


「グホッ!」


 内蔵をやられてしまったのか、バクーの口から鮮血がほとばしると、うつ伏せの格好で泥水をまき散らし地面に昏倒した。

 流れるようなハサウェイの立ち回りだった。圧倒的なスピードと圧倒的な暴力。その光景に、現実離れしたその光景にラッツ達は固まっていた。これまで幾度と無く危機をくぐり抜けたバクーが喀血し地面に横たわっているその姿がラッツには信じられなかった。


「フフフッ。馬鹿。本当に馬鹿です。敵うわけない相手に喧嘩を売るなんて」


 くるりと身を翻しハサウェイが冷たい声で笑った。


「さて、後は君たちを処理して終わり、だね」

「ハサウェイさん……!」


 最後の希望にすがりつくように、ララが声を上げた。

 もうダメだとは判っていた。目の前に居る鋭いナイフのような殺気を纏っているハサウェイが真実で、あの優しく何処か頼りないハサウェイが偽りだということは判っていた。

 だが、ララは声を出さずにはいられなかった。


「私達を助けてくれたハサウェイさんは……もう、居ないんですか」


 懇願するようなララの言葉にハサウェイは何も返さない。


「もう、これまでのハサウェイさんには戻れないんですか」


 湿った風がララとハサウェイの間を通り抜けていった。その風が木々を揺らし、辺りに葉擦れの合唱を響き渡らせる。


「……そうだね。優しいハサウェイは死んだんだよ、ララちゃん」


 ハサウェイがニィと残酷な笑みを浮かべると、思わずララは唇を噛み締めた。

 その現実を受け入れる為には、ララは力の限り唇を噛み締めるしか無かった。


「どうしようか。あの駅馬車の様に切り刻んであげようか、それともバクーさんの様に内臓から壊してあげようか」


 誰に対してというわけではなく、独りごちるようにハサウェイが言葉を放った。その言葉にゾクリとラッツの背中に冷たいものが走る。

 これまでラッツを援護していたバクーは居ない。後ろに居るのはララとトト、ヘスだけ。彼女らを守るのは自分だ。その現実にラッツの膝はカタカタと悲鳴を上げ始める。自分は非力。でも、非力だけど……軍人だ。ハイムの軍人は己の命を賭して弱者を守るもの。暗示のようにラッツはそう己に言い聞かせ、ララ達を守るようにハサウェイの前に立ちはだかった。


「あは、どうしたんですか? そんなに震えて」


 クックッと、ラッツの姿にハサウェイは冷笑を浮かべる。そして、ゆっくりとラッツを威嚇するように両手を広げ歩み出した。濡れた地面に反射した光が彼の眼鏡を照らしギラリと輝く。


「さぁ答えて下さいよ。どちらが良いです?」

「……どちらも御免被る」

「……!?」


 背後から突如放たれた声に、ハサウェイが踵を返す。その目に映ったのは……間近に迫るバクーの隆々とした肩。バックステップで距離を取ろうとしたハサウェイだったが、バクーの肩はすでにハサウェイの胴を捉えていた。


「ぐっ!」


 たとえ力で優れていたとしても、その歴然とした体重の差はどうしようもない。

 肩から体当たりされた格好でハサウェイは吹き飛ばされると、草木をまき散らしながら道脇の林の中に消えた。


「ラッツ! ララ殿!」


 行け、とバクーの目が語っている。ラッツは無言で頷くと、栗色の毛並みの良い馬の手綱を取り、ララとヘスを鞍へと乗せた。しかし、悪魔は彼らを逃さない。


「……行かせないって言ってるだろッ!」


 怒りを含んだハサウェイの声とともに、林の奥から空気を切り裂く風の音がラッツ達に襲いかかる。先ほど駅馬車を両断したあれだ。避けれない。ラッツがそう思った瞬間、凄まじい金属音が響いた。


「何っ!?」


 驚嘆の声を上げたのはハサウェイだった。ハサウェイが放ったそれを遮ったのは、巨大な長方形の盾「スクトゥム」と長剣を構えるガーランドの姿だった。


「がっはっはっは、良いモンが転がってやがったぜ」


 ドスンと地面にスクトゥムを立てるように置き、豪快にガーランドが笑う。先ほどのハサウェイの一撃で彼もまた致命傷を受けていたはずだった。そのガーランドとバクーの姿にハサウェイの表情が曇った。


「……成程。中級魔術の『治療魔術』ですか」

「俺の治療魔術は伊達じゃねぇぜ小僧」


 どうだ、と言わんばかりに左手にはめられた黒いグローブを掲げる。細かい刺繍が施されたグローブだ。


「そのグローブが、貴方の治療魔術の『魔術書』というわけですか」

「数百ページに及ぶ魔術構文をこのサイズに改変カスタムするのにどんだけ金をつぎ込んだと思ってんだ」


 特殊魔術書、とハサウェイが小さくつぶやいた。グラントールを取り締まる立場の男が、そんなものを持っているとは。思わずハサウェイが笑みを浮かべる。と、ガーランドのグローブに気を取られていた一瞬を突き、ラッツの掛け声と共に馬が走り出した。 


「行けっ!」


 慌ててラッツが手綱を引く。ハサウェイとの距離は離れているとはいえ、安全とは言い切れない。


「ちっ! 行かせないと何度言ったら……!」


 走り始めであれば十分追い付くことが出来ると判断したハサウェイが地面を蹴り、先ほどと同じ脚力を見せ、ラッツ達の馬との距離を詰めた。

 馬を殺して、そのままララ達を処理する。ハサウェイの頭にそう「絵」が描かれた。が、それが実行されることは無かった。

 空気を裂く音と引き連れながら、ハサウェイの目前に何かが振り下ろされる。衝撃が地面を揺らし、褐色に濁った水と十分に雨を吸い込んだ泥を巻き上げた。

 馬まで手が届きそうなわずかな距離だったが、ハサウェイはそれを躱したために馬の鞍を掴むことは叶わなかった。 


「くっ!」


 すぐさま馬ごと斬り裂こうと構える、がハサウェイは動けなかった。すでに射程距離外だ。彼の目に映っているのは、あざ笑うかのように栗毛の馬が泥を跳ねかえらせながら走り去っていく姿。ちらりとララの哀しげな表情が見えた気がした。


「……」


 無言のまま振り下ろされた「それ」をハサウェイは見下ろす。槍の穂先に斧頭と逆側に三本のスパイクが取り付けられた長柄武器、槍斧ハルバートだ。


「……やってくれましたね」


 静かにハサウェイが囁く。その声に返事を返すかのように、かなりの重量があるであろう槍斧ハルバートをおもちゃのようにくるくると回しながらバクーが構える。バクーのその厳つい顔に一筋、亀裂のような笑みが走った。

 槍斧ハルバートを構えるバクーは、それまでとは違う、力に満ちた「騎士」の表情に変わっていた。


「鬼に金棒、槍斧騎兵ランサー槍斧ハルバート剣術騎兵サーベラーにスクトゥム……」


 首を鳴らしながら、ハサウェイを挟み撃ちにする形でゆっくりとガーランドが剣と盾を構える。


「……本気で行くぜ、『死の宣教師アポストロフ』」


 ガーランドの死の宣教師アポストロフという言葉を聞き、ハサウェイの表情が硬くなった。


「……へぇ。良く判りましたね」

「手合わせすんのは初めてだけどよ。噂以上でも以下でもねぇな」


 ガーランドの言葉にバクーが静かに頷く。

 だが、ガーランドのその言葉は虚勢だった。二人がかりだとはいえ、死の宣教師アポストロフとやりあい、それを退けるのは無理に等しいことだろう。それほど彼ら死の宣教師アポストロフの力は恐ろしく、彼らが所属する「慈悲深い恵愛」のパルパス教会とは程遠い「無慈悲な暴力」を彼らは携えていた。


「それを判っていながらなおも剣を向ける貴方達には開いた口が塞がりませんよ」


 面白くない、とハサウェイの表情に怒りが生まれたのがはっきりと見えた。


「……いいでしょう。僕も少し本気を出すとしましょうか」


 雨で濡れた魔術師協会の黒いベストを脱ぎ捨て、ハサウェイが静かに吠える。その顔には今までの冷めた笑顔は無い。


「僕が、死の宣教師アポストロフの中で何と呼ばれているか知っていますか?」

「知るかよ」

「屍術師」

「……何?」


 ゆっくりとハサウェイが地面に手を突く。


「屍術師、ですよ。僕の名は、死の宣教師アポストロフ十三使徒の一人、屍術師ハサウェイ」


 そう言うハサウェイの眼が光った。冷たく感情を持たない眼だ。バクーは同じ眼を見たことがあった。幾度と無く戦場で見た死者の眼だ。何も感情が無い、虚空を見つめた無垢な瞳。


「さあ、楽しみましょう。怨霊召喚サモン・アベンジャー!」


 そう叫ぶハサウェイの声と、地中から腐臭を纏った死者達が現れたのは同時だった。


21話は 13日(木)にアップ予定です!

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