第18話 岐路
「ええと……ここは……」
ララは寝ていた仮眠室にも届くほど慌ただしく走り回っている足音に深い海の底から引き上げられるように目を覚ますと、上半身をベッドから起こした格好で、寝ぼけ眼のまま辺りを見回した。
薄暗い部屋に古ぼけたカーテンで仕切られたベッド。生活感の無い殺風景な風景がそこにはひっそりと佇んでいる。
「昨晩ハサウェイさんと別れて……」
昨晩例の少年の元を離れた後、この仮眠室にハサウェイに案内されたのだとララは思い出した。ヘスの元に残りたいと懇願したララだったが、治療魔術で傷を回復したとはいえ、失ってしまった血液までは補うことができなかったために安静が必要とハサウェイに言われていた。
「……何の騒ぎだろう」
状況をぼんやりと思い出したララは、改めて騒がしいその足音達を不思議に思った。
ララはベッドの傍らに置いていた黒縁眼鏡をかけると、部屋のドアへと駆け寄った。カチャリと恐る恐るドアを開けたその先には長い廊下が続いている。魔術師協会の職員だろうか、廊下を慌ただしく行き交っている人達は黒いベストに紺色のネクタイと、ハサウェイと同じ格好をしていた。
「ララ?」
「……!」
ドアから恐る恐る顔だけを出していたララは、自分を呼ぶ声に一瞬身を竦ませたが、「そういえばこの場所に危険はなかった」とゆっくり声の主へ視線を移す。
「お、やっぱりララじゃねぇか」
「ヘス!? トト!!」
そこに居たのは、何事も無かったかのように廊下を歩いてくるヘスと、その肩に乗っているトトの姿。昨晩ハサウェイから無事だという事は聞いていたが、実際にその姿を見るまで信じきれなかったララは安堵と喜びに頬を緩ませた。
「二人とも良かった、本当に良かった!」
「ぐおっ!」
ララは仮眠所から飛び出すと、体当たりしたかのように勢い良くヘスに抱きつく。あまりにも勢い良く抱きついたため、その衝撃に思わずヘスは腹部を押さえ、苦悶の表情を浮かべてしまった。
「おまっ……傷が……!」
「あっ! ごめん!」
まずい、とララは思ったがすでに遅かった。魔術で回復したとはいえ病み上がりの身体だ。ちょっとした事で傷が開いてしまうのは十分に考えられる。
飛びつくのはまずかったかとララは両手で口元を抑えながら慌ててヘスの身体から離れた。――だが
「へへへ……なんつって」
「へっ……!?」
彼女の心配は全くの杞憂にすぎなかった。だまされたな、とヘスはきゅっと口角を上げ、冷ややかな目をララに向ける。一瞬状況がわからなかったララだったが、そのヘスの姿に本気で心配したララは――――本気で怒った。
「治療魔術ですっかり傷跡も残ってなくてさ、もうすっかりぴんぴ……」
「なんつってじゃないよっ! ばかぁ!!」
瞬時に顔を真っ赤に燃やし、その目に殺意が隠ったララは、叫びながらひねりを入れ、大きく一歩踏み込むと強烈な平手打ちをヘスの頬に放った。
「ギャッ!」
まさか平手打ちが飛んでくるとは思っていなかったヘスはそのララの怒りを頬で受け止めてしまった。ヘスは右足を軸にその衝撃でくるりと一回転しながら、潰れたような叫び声を上げ、壁に激突する。その音と声に何事か、と協会の職員達がこちらに目を向けたのが判った。
「死にかけてちっとは賢くなったかと思ったが、相変わらず馬鹿だなーおめぇ」
ふらふらとグロッキー状態のヘスに、その肩から飛び立ちララの肩にとまったトトが冷たく言い放つ。昨晩憲兵に切りつけられた羽根はすっかり完治しているようで、俺は元気だぞ、とララに教えるようにトトはバサリと羽ばたいて見せた。
「マ、マジで効いた……」
「ほんとにトトが言うように、馬鹿だねッ! ヘスはッ!」
壁に手をつき、よろよろと身を起こすヘスにララがもう一度「馬鹿」と小さく口ずさみながらぷくっと頬をふくらませ罵る。心配して損しちゃった、とララはヘスの身を案じたことを心底後悔した。
「そ、そんな怒んなよ。冗談だっつの」
「馬鹿ッ! 言って良い冗談と悪い冗談が有るでしょ!」
そのあまりにも恐ろしい鬼の形相にヘスは思わず顔をひきつらせる。あの憲兵の指揮官から銃を向けられた時以上に命の危険を感じる恐ろしい顔だった。ララをおちょくるときはもっと熟考しよう。ヘスはそう心に決めた。
「そんなことよりもよララ。お前何処に居たんだ? 朝から皆で探してたんだけどよ」
「……えっ? 探してた?」
ふくれっ面のままヘスを睨みつけているララにトトがぼそりと言った。探してた、とはどういうことだろうか? 昨晩ハサウェイに仮眠室に案内されていた為、その情報は皆に行っているものだと思っていたララは首を傾げた。
「やばいことになったんだ」
ヘスがぽつりとつぶやいた。やばい事という言葉にララの脳裏に一瞬嫌な予感が過る。
「例の少年がハサウェイさんとともに姿を消したんだ」
「えっ……?」
居なくなった? ハサウェイさんが? あの少年と?
あの少年が何か不味いことになったのではないかとは予測していたもののまさかハサウェイも関係していたとは思っていなかったララが目を丸くした。そんなララに「とにかく行こう」とヘスは手を引くと、皆が集まる部屋へと急いだ。
***
「ララちゃん!? 何処に居たんだい?」
「ラッツさん!」
先ほどの廊下から更に奥へ進んだ大きめの部屋に着いたララを待っていたのはラッツの姿だった。いや、ラッツだけではない。部屋に設けられたソファーにバクーの姿もあった。
治療室や仮眠室とは違い、大きめの照明に、気持ちの良い日差しが刺し込む窓、壁を覆い尽くすほどに本棚に並べられた本に、一脚だけ設けられた大きめのデスク。
明らかに協会内でも地位のある人の部屋だろうと想像できる小奇麗な部屋だった。
「昨晩から探しておった。何処に居たララ殿」
険しい表情のバクーが呟く。
「ええと、ハサウェイさんに仮眠室に案内されてそこに居ました」
「仮眠室?」
ううむ、と腕を組みバクーが何か考え始める。
「やはり、ララ殿をあの少年から離す為に、か」
「離す? ってどういう事です?」
ハサウェイさんが居なくなった事と、私が仮眠室にいた事が何の関係があるのだろうかと、いまいち状況が飲み込めないララは首を傾げた。
「俺が説明しよう」
ソファに腰掛けているバクーと同じような逞しい姿の男性が静かに言葉をこぼした。どこかで見た記憶がある人だ。その姿を思い出そうと、昨日から順に記憶を巻き戻していく中で、ララはバラックでの記憶でピンときた。
「あなたは、バラックでお会いした……たしか元軍人の?」
「おお、良く覚えてたな嬢ちゃん。特別な友達に再会できてよかったな」
そう言ってどこか茶化した表情で男が笑みを浮かべると、その「特別な友達」という言葉に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、ララは耳の先まで真っ赤に染め上がってしまう。
「……えっ! いえ、あの、ええと、ありがとうございました」
「さっき感動の再会も済ませたしな。バチーンってよ」
「う、うるさい!」
目を白黒させながら慌てて礼を言うララをケラケラとトトが茶化す。しかし「特別な友人」のヘス本人は何のことを話しているのかさっぱり判らないといった表情だった。
「がっはっは、イイねぇ若いっつーのは」
男は豪快に笑うとララに小さくお辞儀をした。
「俺が非武装中立区画北部責任者、ガーランドだ。あらためてよろしくな、嬢ちゃん」
「……ええっ、あなたが!?」
図太いその声にララは目を丸くした。目の前に居るこの男は確かにバラックにいた元軍人の男だ。ハイムの元装甲騎兵で、怪我をして退役したと言っていたはず。その男が協会の責任者だったとは。
「まぁ、色々理由があってよ、時々ああやってバラックに行くことにしてんだ。……元軍人っつーのは嘘じゃないぜ?」
ガーランドはニヤリと不敵な笑みを浮かべるとチラリとバクーに視線を送った。
「うむぅ、まさかあの時の男が協会の北部責任者だとは思わなんだ」
「ククッ、変装したあれで気づいたら逆に怪しんでンぜ?」
確かに、とララは思った。あの時はみすぼらしいシャツに無精髭、ボサボサの頭とどこからどう見てもバラックに住む貧民層だったが、今は違う。職員と同じようにパリっとした白いシャツに黒いベスト、それに髭は綺麗に剃られ、ボサボサだった頭髪は、短く刈り込まれていた。
「まぁ、そんなことはどーでもいいか。嬢ちゃん、昨晩ウチの職員……ハサウェイというその男と一緒にいたのか?」
ピリッとガーランドの空気が変わったのがララにも判った。ガーランドだけではない。バクーとラッツも同じく真剣な眼差しでララを見ている。その視線が何を求めているのかはまだララには判らなかった。
「え、ええ。例の少年の身体に書かれた魔術構文を見て欲しい、と」
やはりか、とガーランドが一つ重い溜息をついた。
「ううむ、さて……どこから話をするかねぇ」
そう言ってガーランドはニコチンと取らないと落ち着いて話すことができない、といわんばかりに懐から一本葉巻を出した。彼のその姿にピッタリの褐色の葉巻だ。
パンチカッターでヘッド部分を切り落とし、硫黄分の少ない葉巻用のマッチで吸口を炙る。そしてガーランドが一口葉巻をふかすと、干し草のような香りが辺りに立ち込めた。
「魔術師協会には二つの顔があるってのは知ってるか? 大協約の監視者としての顔と、もう一つは大協約の違反者に制裁を加える『裁定者』としての顔だ」
「裁定者……」
ララがこぼしたつぶやきを気にせず、ガーランドが続ける。
「今回の禁呪騒動はその魔術師協会の『裁定者』の顔、『協会魔術院』という協会の下部組織が起こしてしまったあることに端を発してンだ」
そう言ってガーランドはふうと、一つ煙を吐き灰を落とした。
「……協会魔術院の『行き過ぎた抑止力』が封印された『禁呪』を蘇らせたんだ」
「いかにも、な話だな」
静かにバクーが言葉を挟んだ。
「力を持った者は勘違いを起こす。大義名分を掲げていれば尚更、だ」
「……返す言葉もねぇぜ。全くその通りだ。有りもしねぇ協会魔術院の抑止力を超える力を持った勢力の台頭を危惧した魔術院の院長ギュンターが狂気の元に蘇らせ、造られた『人間兵器』……それがあの少年、ブランだ」
人間兵器という言葉を聞き、ララの心がチクリと疼いた。やはり予想していた通りあれは人の命を軽んじた人道に反する物だった。あの少年、ブランの身体に残された「人道を無視した研究」というメッセージがララの脳裏に浮かんだ。
「ブランはもう一つの禁じられた技術『永久魔術』でその魔術を発現する」
永久魔術……ララには聞いたことが無い名前だった。
首をかしげるララにガーランドが続ける。
「永久魔術は身体に魔術構文を書き込む事で、魔術発現の媒体となる体液の掛けあわせを必要とせず、半永久的に魔術の発現が可能になるっつーとんでもねぇ技術だ。『読心魔術』によって読み取る周囲の心の揺らぎがトリガーになり、己の体内の血液を媒体として何度でも発現できる禁呪魔術書……それがクソッタレギュンターが考えた『狂気の兵器』だ」
なんということか。
ガーランドの言葉に、ララだけではないその場の全員が口を閉じ、張り詰めた空気がまるで深海にいるかのような重圧感を全員に与えた。まさに狂気だ。そして魔術の悪用を取り締まるべき魔術師協会内でそのような事が行われていた事に全員が驚きを隠せなかった。
「しかし、そのような事を我々に簡単に話して良いのか?」
目を閉じ、ガーランドの言葉に耳を傾けていたバクーが低い声で問うた。今ガーランドが言っていることは言わば協会の極秘事項に当るものだろう。ゴート陣営やハイム陣営、パルパス陣営が聞けば飛びつくことは間違いない。ハイム陣営のバクーとラッツが居るここで、その危険をおかしても話すべき必要がある内容ということなのだろうか。
「中立の立場にある俺らが、お前らハイム陣営にこの事を話すのは確かに危険だな。だが、そうも言っていられねぇ。事は緊急かつ重大なんだ」
ガーランドがまだ半分も減っていない葉巻を怒りに任せるように灰皿にグリグリと押し付け「続けるぞ」とつぶやいた。
「話はここからだ。先日ギュンターのその研究が明るみになった。暴露したのは魔術院のとある研究員からの密告書だ。ンで、事の重大さを感じた協会の上層部は即座に隠蔽に動いた。ギュンターの身柄確保と、ブランの確保だ」
「……内部告発、という事ですか」
ラッツが小さく呟くと、そうだ、とガーランドが小さく頷いた。
「だが事はすんなりと行かなかった。ギュンターの身柄は確保できたものの……重要なブランが見つからなかったんだ。研究所から消えていた。極秘裏に行方の捜索を行ったがその痕跡すら見つからなかった。そんな時だ、例の事件が起きたのは」
「例の事件……バンシーの森の?」
ヘスが問うとガーランドは静かに頷いた。
「そうだ。あればブランが起こした物だ。……そしてその後だ。『封書』が届いたのは」
「封書?」
「その内容はふざけたモンだった。内容はこうだ。『禁呪書をこれ以上使われたくなければ、魔術院の真実を世に公表しろ』ーー明らかな脅迫状だ」
「そ、それは、その密告した研究員が?」
慌てたような声でラッツが声をはりあげる。
「いや、違う。その研究員じゃねぇ。ブランを研究所から逃したのはその研究員じゃなく、ギュンターだった」
「……えっ!? 何故!?」
ララが声を上げた。
「奴は抑止力を越えた力を持つ勢力が現れることを危惧していたとさっき言ったな。だがそんな勢力など何処にもない。だったら己で作ってしまおうと奴は考えた」
「まさか、そのためにブランを……?」
薬を売るためには治すべき病気が必要になる……まさにその考えと同じだとララは思った。「薬」となる抑止力の開発のために「病気」としてブランは放たれたのだ。そしてギュンターの企み通り、バンシーの森とともにハイム軍の数千人が命を落とした。
まさに愚行だ。それ以外の言葉はララの中で見つからなかった。
「ブランを逃し、その力が公になることで、抑止力としての己の研究を正当化させる。それがギュンターの企みだった。ブランを逃したギュンターは真相が暴かれることは望んじゃいねぇ。逆に暴かれることは奴にとってもまずいはずだ。となれば、封書を送ったのは奴じゃない。別の誰かだ」
ギュンターの企みを知った誰かが、それを利用したというのか。協会の悪を裁かんと行動した誰か――。ララの中で少しづつ点と点が繋がりつつあった。
「だがふざけた事に、協会の上層部は強行手段に出た。それが例の禁呪報告っつーわけだ。脅しが実行される可能性があったが、逆に世間の目を禁呪に集めることで、ブランの確保を優先させたんだ」
「危険だな。その封書を送った者が要求していることは『事の真相』だ。逆上させてしまう可能性もある」
「その通りだ。注目を集める事で封書を送った奴が動きづらくなるとは言え、リスクが大きすぎる。上層部は人命よりも禁呪書を優先させたんだ。ギュンターと何も変わらねぇクズどもだ」
バクーの冷静な意見にガーランドは頷くと溜息をつきソファに背を預けた。
「まさか、この街にブランが居るとは思わなかったがな。――そして確保したブランと共にハサウェイが消えた」
「と、いうことは、ハサウェイさんがその封書を送った犯人……?」
恐る恐るラッツが言葉を漏らした。まさか、と誰もが思った。特にララとヘスには信じられなかった。確かにハサウェイは正義感がある男だった。だが、気の弱い彼にこんな事が出来るはずがない。ララとヘスはお互いに顔を見合い、何かの間違いだ、と言いたげな表情を見せた。
「可能性はある。もしそうではなかったとしても、何かしら情報は知っているかもしれん。あの禁呪を再度発現される前にハサウェイを探す必要がある。お前達をここに呼んだのはそれだ」
ハサウェイとブランの確保に協力してほしい。そういうことか、とバクーは納得した。
「ヘス殿らを助けたのもそれが目的か」
ギロリとバクーがガーランドを睨みつけた。しかし、その目に臆すること無く睨み返すガーランドがニヤリと笑みを浮かべた。
「オイオイ、元同胞の俺を見くびんなよ。小僧達を助けたのはただの善意だ。さっきの頼みは単純だ。『貸し』を返してもらう、っつー事だ」
「か、貸し、ですか?」
「……てめぇらもう忘れたのかよ? 『許可証』だよ」
ガーランドの言葉に、あっ、とラッツが思い出したようにポケットからバラックで彼に貰った廃棄物回収の許可証を取り出した。たしかにこの許可証は彼に無償で譲ってもらったものだ。
「ククッ、やはり善意はまわりまわって己を助けてくれるよな」
「やってくれるか」とガーランドが四人の顔をぐるりと見渡す。「どうする」と言わんばかりにバクーがララとヘスの顔を交互に見た。しかし、ララは決めていた。貸しが有る、無いにしてもハサウェイさんを見つけ、事の真相を聞かなくては。ララが静かに頷くと隣のヘスもまた同じく無言で頷いた。そんな彼女らを見て、バクーは判った、と軽く頷き返事を返す。
「判った。協力しよう。ただ……」
「何だ?」
「今からでも遅くない。すべてを公表すべきだと思うのだが」
犯人がハサウェイであったとしても、そうでなかったとしても、封書を送った者の目的は「真相を暴く」ことにあるのだろう。ブランを確保する事と同時に、最悪のシナリオだけは防ぐ必要がある。そう考えたバクーが協会の部外者として当然の意見を漏らした。
「……それは駄目だ。公表したとして、禁呪が使われないという保障は何処にもねぇ。さらに、だ」
背を預けていたソファから身を起こしガーランドが続ける。
「そんなモンが公開されてしまえば大協約そのものを揺るがす事になりかねない。そうなれば危険な魔術が次々に世間に溢れ、戦争に利用される。被害は今回の禁呪の比じゃねぇ」
「……むぅ、確かに……」
そう言うとバクーは納得したといった表情で顔を伏せた。
「これは協会内での問題で、お前らが憤る気持ちも判る。公表してもしなくても結果は変わらねぇんだったら、俺らで止めなくちゃなンねぇ。勝手だとは重々理解しているが……頼む」
ガーランドが深く頭を垂れた。彼はきっと協会内でそんな矛盾に悩んでいる職員の一人なんだろうとララはガーランドの姿を見て思った。ハサウェイの話ではとても怖い人という話だったが、その怖さも彼の誠実さから生まれる副産物なのだろう。
だがしかし、協力するにしても、問題は残っている。たった一つの問題。
「協力することはもちろん良いんだけどよ、おっさん。一番重要なのはハサウェイの奴が何処に行ったか、っちゅートコだろ?」
ララの心を代弁するように彼女の肩にとまっていたトトがそう言葉を放つ。単純かつ重要な問題だ。
「……ガーランドさん、先ほどブランは『読心魔術』を使える、と言っていましたよね?」
ラッツが、確かめるようにガーランドに問うた。
「ああ、魔術院からの報告では、な」
「実はララちゃん達を助けた憲兵本部で、僕とバクー少佐、そしてハサウェイさんがブランと対峙したときに、彼がつぶやいたんです」
「つぶやいた?」
ガーランドの眉間にしわが寄った。
「はい。つぶやいたんです。『見つけた。ラインライツ。行かないと』って」
「……うむ、確かに言っていた。自分も聞いておる」
そういえば、と腕を組んだままバクーが独りごちる。
「きっと三人のうちの誰かの心を読んだんです。『ブランを見つけた、ラインライツに行かないと』って。僕達の任務は禁呪書を探してラインライツを攻略中のヴィオラ閣下に届けるというものでしたが……」
「ヴィオラ閣下? ラインライツ攻略?」
そのガーランドの問いに、しまったとラッツは顔をしかめた。機密事項をつい話してしまった。チラリとバクーに目を移したものの、もう構わんと手で合図を送った。
「え、ええと、その、はい、キンダーハイム装甲騎兵団団長ヴィオラ公爵閣下です。現在は第三西方方面軍を引き連れラインライツを攻略中だと思います。で、ですね、それが任務だったのですが、あの凄惨な状況で僕はそんなこと微塵も考えていませんでした。あの少年が禁呪書だったとももちろん思いもしませんでした」
「……ふむ、続けろ」
「ええっと、バクー少佐はいかがでした? あの時……」
「む、うむ……むん……」
ラッツの問いかけにバクーは何やら言い出しにくそうな表情を浮かべる。
「え? もしかして考えていたんですか?」
嘘でしょう、とラッツが目を丸くした。確かにバクーは冷静に立ちまわっていたためラインライツの事を考えていた可能性はあるが、あの少年が禁呪書だとはさすがに思っていなかったはずだ。
「いや、その、なんと言うか、だな」
「どっちなんですか!? 考えていたんですか?」
ためらうように言葉を零すバクーにじれったくなってきたラッツはさらに重ねて問うた。
「いや、正直にだな、得体の知れぬあの少年に……腰を抜かしておった」
「……えっ?」
「……腰を抜かしてた? おっさんが? 嘘だろ?」
驚きを隠せないラッツと、信じらんねぇ、と吐き捨てるトトに、ゴホンとバクーが咳払いをした。冷静で鉄の心を持っていると思っていたバクーも自分と同じ「人」だったという事実が多少ラッツに安堵感に似た物を与えたが、気にしないように努め続ける。
「え、ええと、ということはブランが読んだ心はハサウェイさんの心だった、ということになりますよね」
「成程、でかしたぞ小僧。奴の狙いはラインライツの可能性が高いと言うことか」
そう言うとガーランドは勢い良くソファから立ち上がり自分のデスクに急いで向かった。
ラインライツに向かった可能性が高いとはいえ、ラインライツはここからかなり離れている。歩いて行くなどはまず出来ない。どうするか、と考え始めていたララ達の心を読んだかのようにガーランドが何かの書面にサインを書きながら言い放つ。
「ラインライツへは専用の駅馬車を用意する。合わせて魔術院のエージェントも向かわせる。出発は三十分後だ。お前達は出発の準備をしろ」
「専用の駅馬車!? また馬車に乗れンのか!?」
ビビの街に訪れる際に乗った駅馬車がえらく気に入っていたようで、トトが目を輝かせながら騒ぐ。だが、そんなトトを無視し、ガーランドが険しい表情を見せた。
「ラインライツはゴートの領地だ。ゴート陣営の奴らも禁呪を狙ってるから気をつけろ。――それにパルパス教会も動き出したという話だ」
「パ、パルパス教会も?」
これまでこの禁呪騒動に全く絡んできていなかったパルパス陣営だったが、ここに来て動き出したという事にラッツが驚嘆の声を漏らした。
ラッツの顔が青ざめた。ラッツは知っていた。教会が秘密裏に動く際に必ず投入される「あいつら」の事を。
「ガーランドさん、教会が動いたということは……例の」
そのとおりだ、とガーランドが頷いた。
「『死の宣教師』の連中が影で動き始めた。重々注意しろ」
死の宣教師ーーその名前を聞いて、ラッツとバクーの表情がさらに固くなった。決して表に出ることはないその名前。武に長けた十三人の暗殺者で構成されたパルパス教会の暗殺者集団「死の宣教師」。
一人で三十人規模のキンダーハイム装甲騎兵団の一個小隊にも匹敵すると噂されている輩だった。
「……行きましょう」
重い空気をかき消すように、ララの芯の通った声がガーランドの部屋に響いた。危険な禁呪を求めて羽虫のようにラインライツに集まる者達。その誰にもブランを渡すわけには行かないとララは思っていた。ハサウェイさんを見つけて、ブランを確保する。それがこの騒動を終わらせ、これ以上犠牲を増やさないために出来る最善の事だ。
しかし、ヘスに誘われ、軽い気持ちで手伝うことになった禁呪書捜索が、まさかこんなことになるとは。そう思い、もう一度ララはヘスの顔を見つめた。
「終わらせて、バージェスに帰ろう」ヘスの顔がそう言っている気がしたララは静かに笑顔で頷いた。
19話は早ければ月曜日アップ予定!!