第14話 禁呪書
ヘス達が囚われている牢にけたたましい警報が鳴り響いた。その音に、寒さを和らげるため、牢の中をウロウロと動き回っていたヘスの動きがピタリと止まる。
「な、何スかね? ハサウェイさん」
不思議そうな表情を見せるヘスの耳に、廊下をバタバタと走る憲兵の足音が聞こえた。何か緊急事態でも起きたのだろうか。
「おい! 憲兵! 何の騒ぎだッ!」
ヘスが牢の格子を握り、大声で叫ぶが、虚しくその声の余韻だけが牢の中に響く。
チャンスだと、ヘスは思った。騒いでも何も返答がないということは、やはり何かしら事件か事故が起き憲兵が駆り出されたのだろう。どうにかしてこの鉄格子を抜ければ脱出出来るかもしれない。
「……ハサウェイさん、どうにかこの鉄格子を抜ける方法はないスかね」
「えっ?」
鉄格子を揺さぶりながらヘスがつぶやく。しかし、力技でその鉄格子が外れるわけはなく、軋み音を放つこともなく鉄格子はびくともしなかった。
「……鍵が無いと無理だよ、ヘス君」
無駄なことで体力を使わないほうがいいよ、とそんなヘスをハサウェイは半ば呆れ顔で見つめる。だが、ヘスは諦めるつもりなど全く無かった。
「知恵を絞りだすんスよ! 諦めたら! 駄目っス!!」
ヘスが言葉に合わせ、力任せに牢の扉を蹴りつける。知恵を絞り出すとは言ったものの、ヘス自身に妙案は一つも無く、ただ力任せに牢の扉を蹴りつけるしか無かった。無駄だとは判っていながら、じっとしていられない思いにヘスは苛まれていた。
「こンのクソ牢屋がッ! 壊れるまでやめねぇかンな!」
ヘスが牢の端まで行き、助走をつけ扉に向かい走り始めた。そして飛び蹴りを放とうとしたその瞬間――牢が並んでいるこの部屋の入り口の扉が勢い良く開かれ、一人の憲兵が吹き飛ばされるように階段を転げ落ちてくる。
「……ぐわっ!」
派手に階段を落ちた憲兵はヘス達の牢の前まで転がるとそのまま気を失った。ヘスは一体何が起きたのか判らず、蹴りを放つポーズのまま固まった。
「……ヘス君、あれ」
目の前に伸びている憲兵の腰に喉から手が出るほど欲しい物がぶら下がっていた。牢屋の鍵だ。ハサウェイが、憲兵の腰にぶら下げられたその鍵を指さし呟いた。手を伸ばせばヘスの腕でも充分に届きそうな距離だ。
「お、おおっ!」
やっぱり日頃の行いが良かったおかげだな、と嬉々とした表情でヘスが瞬時に伸びた憲兵の腰に腕をのばす。が、あと数センチの所で、その鍵はヒョイと牢に現れた別の憲兵に奪い取られてしまった。ヘスの日頃の行いが悪かったおかげか。
「なっ! 畜生ッ!」
救助のための縄が目の前で切れてしまったかのような歯痒い表情をヘスが浮かべる。あと少しでここから出られると思ったのに。その歯痒さと苛立ちでヘスはもう一度牢の扉を蹴りつけた。
「……あなたが、ヘス君とハサウェイさんですか?」
鍵を奪い取った憲兵が、腰をかがめヘスと同じ目線に顔をあわせて小さくささやいた。
「……へっ? え〜と、そ、そーだけど……」
「よかった。安心してください。僕達はララちゃんと一緒にあなた達を助けに来た味方です」
そう言って憲兵はその鍵を使い、当然のことと言えば当然だが、何度蹴りつけようとびくともしなかったその扉を拍子抜けしてしまうほど簡単に開けた。
憲兵がララの仲間? と、ヘスは未だ理解できないようで、解き放たれた扉の前で固まったままだった。
「……な、何をしているんですか!? 早く行きましょう!」
その憲兵が焦りの言葉をこぼす。ヘスだけでは無くハサウェイも地面に座り込んだまま、開かれた牢の扉をただじっと見つめているだけだった。
「え、えーと、お宅様は、ララのご友人か何かでしょうか?」
困惑したヘスが何故か丁寧に質問を投げかける。
「利害関係の一致でララちゃんを助けることになったんです。私はラッツ、あそこに居る人がバクー少佐です」
早くして、と焦りながらラッツが捲し立てる。
「早く出て下さい。すぐに他の憲兵が集まってきてしまいます」
「ちょ、ちょっとまって……」
どうしよう、とヘスはハサウェイと顔を見合わせる。突然「仲間だ」と憲兵に言われても信じられる理由がヘスには一つも無かった。ただ、牢から出してくれることは事実だ。例えそれが罠だったとしても。ヘスの顔を見つめるハサウェイは行こうと静かに頷いた。
「ラッツ! 憲兵が来るぞッ! 急げッ!」
部屋の入り口でバクーが叫んでいる。右手には憲兵から奪ったものだろうか、血が付いたサーベルが握られていた。
「さあ、早く!」
「……ラッツさん、一つ良いスか?」
ただ、目の前のこの憲兵が仲間だとしても、ヘスには一つ気がかりなことがあった。
「ララちゃんと一緒に助けに来た」といったラッツの言葉。
「……ララは……ララは何処スか?」
牢の部屋には、憲兵二人とヘスにハサウェイ。ララの姿は何処にも無かった。
***
突然の警報に、階段を昇るララは焦っていた。
多分先ほどの喫煙所でのやりとりで、バレてしまったのだろうか。上の階から、憲兵達が足早に下に駆け下りていくその横を、トトの手を引きながら彼らには目もくれずララは一心不乱に階段を駆け上がっていった。
「お、おい、ララ、もう五階だぞ!」
勢い余って目的の五階を通り過ぎ、六階への階段を登ろうとしていたララをトトが制止する。
「あっ、いけない!」
「おいおい、大丈夫かよ?」
慌てて階段を降りるララにトトが心配そうな表情を見せる。喫煙所でもっとすんなり聞き出すことが出来ればこんな事にはならなかったかもしれない。そんな「お門違い」の後悔がララの頭を支配していた。
「……真っ暗だな」
登ってきた階段は幾つか窓が設けられ、薄暗い琥珀色の光が差し込めていたため一定の明るさは保たれていたものの、この五階は窓もなく、幾つかの松明が掲げられている程度で飲み込まれるような闇が支配していた。
「トト、あそこ」
闇に紛れ、目を凝らしていたララが扉の前に立っている憲兵を指さした。警報が鳴ったことで、他の憲兵は一目散に下に向かっているものの、じっと何かを守るように立っている憲兵。きっとヘスが囚われているのはあそこだ、とララは直感した。
「いかにも、って感じだな」
「行こう、トト」
闇から抜け出すように歩き出したララの左手には「電撃魔術書」が握られていた。
***
「牢番ご苦労!」
ララが先ほどと同じように、できるだけ低い声で扉の前に立つ憲兵に敬礼する。その憲兵はララの姿を見ると、何だコイツ、という怪訝そうな顔を見せたが交代の人員だと思い込んだらしく、即座に安堵の表情を浮かべた。
「やっときたか。一人で寂しかったぜ」
「お、おう……」
やっときたとは何のことを言っているのかララは判らなかったが、敬礼をしたままのポーズで何かを返そうと頭をフル回転させた。
「この警報は何だ? 下で何かあったのか?」
「そ、そうだ。 憲兵が皆下に向かってたから、火事でもあったんじゃないかな」
ララが喫煙所とおなじように「適当」という言葉がベストマッチな言い訳を口走る。トトは苦い表情を見せたものの、今回はどうやらうまく行ったようだった。
「マジか! やべぇじゃん。だから俺だけ残して皆行っちまったのか」
ララはトトの顔を見て、これは不幸中の幸いだと思った。どうやら、この牢の牢番は元々二名でやっていたようだったが、一階の騒ぎに増援として一人が呼ばれたらしい。ということはこの周りには今のところ憲兵は居ないということだろうか。行けると判断したララは即座に行動に移った。
「俺も野次馬したかったな。お前らは下の様子……」
と、火事の具合をララから聞き出そうとした憲兵の身体に突如強烈な電撃が襲う。バチリという音と共に、ビクンと一度身体を痙攣させ、憲兵は足元から腰が砕けたように崩れ落ちた。
「……す、すっげぇ威力だな。死んだんじゃねぇのコイツ」
「ええっ!? ……だ、大丈夫だよ。多分」
気絶させるために放った「電撃魔術」の威力にララ自身驚いてしまったのかしどろもどろで言葉を漏らす。念のために心臓の音を確認してみたが、動いているようでララはホッと胸を撫で下ろした。
そのままララは憲兵の腰にかけられていた扉の鍵を取ると、目の前のいかにも重厚な扉の鍵穴に滑りこませる。あまり使われていないのか鍵穴に入れた鍵は回ろうとせず、トトと二人がかりでウンウン唸った後、重い解錠音があたりに響き渡った。
こんな使われていなさそうな厳重な牢にヘスは本当に閉じ込められているのだろうか。ヘスの名を呼び確認したかったが、不必要な音は立てたくないと、ララは扉のノブに手をかけた。
その姿から想像していた通り扉は重かった。トトに力を貸してもらい、錆びてしまっていた扉が軋み音を立てながら少しづつ開かれていくと、開かれた扉の隙間から放たれた牢内の冷たい空気がララの頬を撫でた。
「……ヘス? ハサウェイさん?」
三分の一ほど開いただろうか、なんとかねじ込めば身体を入れることが出来るほどの隙間からまずララが牢の中に入っていく。人の身長では手をかけることすらできない高さにある小さな窓から、ビビの街の夕暮れが見える。ララの目に映ったのは、差し込む琥珀色の光に照らされている、うつ伏せに倒れた薄汚れている小さな人影――
「ヘスッ!」
思わず彼の名を叫び、ララはその倒れた人影に駆け寄る。
トトが倒れた憲兵を牢の中に引きずり込み、ゆっくりと重厚な扉を閉めた。
「ヘスッ……!?」
差し込んだ光でその姿を確認しようと倒れた人影を抱きかかえるが、ララの目に映ったのは見たこともない少年の姿だった。ヘスと同じ位の少年。囚人というにはあまりにも幼さが残っているボロボロの白衣を纏った少年だった。死んではおらず、気絶しているようで、少年の胸がゆっくりと上下しているのが見えた。
「……ヘスじゃねぇな」
その姿を見たトトがぽつりと言葉をもらす。少年。喫煙所に居た憲兵は確かにそう言っていたがララはてっきりヘスのことだと思い込んでいた。だが、あの憲兵は別の少年の事を言っていたのか。全く見当違いの場所に来ていたことが判ったララは失意の波に飲み込まれてしまった。今から別の場所を探すかと考えたが、この騒ぎでは無理だろう。とりあえず、もう一度ラッツ達に連絡を取ってみようとララは懐から「念話魔術書」を取り出すと、魔術書がわずかに光っているのが見て取れた。ラッツからの連絡だ。どうかラッツがヘスを見つけていますように。ララはそう祈り、魔術書に手を当てた。
「ラッツさん! ヘスは見つかりましたか!?」
ララの耳に隠った警報音だけが届いてくる。周りに憲兵の声が聞こえないということはどこか人気の無い場所にいるということだろうか、とララは考察した。だが、繋がってはいるが返答がない。ララの脳裏に嫌な予感が過る。
「……えっ、これ手を置いて? 話せばいいんスか? え? 繋がってる? うそっ」
こちらの焦りを全く知らない素振りで、聞き覚えのある声がララの耳に届いた。
――ヘスの声だ。なぜかそのヘスの声にララは「お腹の上の辺りがジンジンとする感じ」が起き、笑顔がこぼれてしまった。
「ヘスッ!? ヘスなの!?」
「ララッ! 大丈夫かッ! 今何処だッ!」
ラッツに渡した「念話魔術書」をヘスが持っているということは、合流出来たということか。ララは安堵の表情を浮かべた。
「今東棟の五階にいるの。ヘスがここに囚われていると聞いたんだけど、違ったみたいで」
そう言って、ララは抱きかかえたままだった少年の姿に目を移した。なぜこのような姿でこの少年はここに収監されているのだろうか? もし逮捕されたとしたら、このようなボロボロの白衣ではなく、しっかりとした身なりのはずだ。ララはまるで、病院から逃げ出したかのようなその少年の姿に胸騒ぎを覚えた。
「こっちはララの仲間だと言っているラッツさん達と合流した。ハサウェイさんも無事だ」
「そう、良かった……」
そう言って安堵するララの目にあるものが映った。少年の破れた服の隙間から見える、「魔術構文」――――
「ト、トト。これって……」
「あん?」
ごめんね、と口ずさみ、ララがその少年のボロボロの白衣をめくる。やはりそこにあったのは、身体にまるで刺青のように書き込まれた魔術構文だった。
「ラ、ララ。こりゃあ……」
異様なその少年の姿に思わず言葉を詰まらせるトトの疑問に答えるべく、ララが素早く魔術構文を読んでいく。構文は身体の背中側にも書かれているようだった。背中側は見えなかったが、お腹の部分に書かれたその魔術構文を見て、ララの顔が青ざめていくのがトトの目にもはっきりと判った。
「……ララッ! どうしたッ!」
彼女らの空気を察知してか、ヘスが思わず叫んだが、その声にララは答えられなかった。目の前のこの少年に言葉を失っていた。目の前の少年に書かれているこの魔術構文、幾つかの魔術効果が併記されているようだったが、もっとも多い構文で書かれていたそれは……最上級の破壊魔術……先日の「バンシーの森」を襲ったものと同じ効果が発現される魔術構文だった。
「『禁呪書』って……まさか……」
「オイ! ララッ! 大丈夫かッ! 待ってろ! いまそっちに行くからなッ!」
何かまずいことでも起きているのかと、心配したヘスが捲し立てる。
ララの背筋に冷たいものが走った。もし、思っている通りこの少年に書かれている魔術構文が「バンシーの森」を焦土と化した「禁呪書」だとしたら、いつあれが発現されてもおかしくない。
「……ダメッ! ヘスッ! 逃げて! こっちに来ちゃダメッ!」
思わずララは叫んでいた。全ての魔術構文を確認できていない為、何を媒体としているかが判らない。この少年は気絶したままだが突然発現してしまうかもしれない。本のような魔術書であれば、媒体を掛けあわせなければ発動しないため、例え凶悪な魔術であっても危険はないとララは思っていたが、人体を魔術書にしているのであれば話は別だ。これほど危険な物はない。と、そう考えていたララの脳裏にあることが過った。これはまさか、故意に不安定に魔術を発現させるために人間の手で作られた「兵器」なのではないか、と。
「ララを置いて行くことなんて出来ないッ! 東棟五階だなッ! 待ってろよッ!」
「待って! ダメッ! ヘスッ!」
「待ってヘス君!」というハサウェイの声が聞こえたかと思った次の瞬間、プツリと「念話魔術書」が切れた。ヘスはここに来るつもりだ。ヘスの事だ、押さえつけるハサウェイやラッツたちを振りほどき来てしまうだろう。だが、あたりには警戒している憲兵が犇めいているに違いない。再度「念話魔術書」を発現してみるが何の反応もなかった。不審者が侵入したとあれば、憲兵達も武力を行使して鎮圧にかかるだろう。ここに来るまでにもしかしたらヘスは殺されてしまうかもしれない。
ララはその恐怖にいてもたっても居られず、心が押しつぶされる様な気がした。