第13話 腐った林檎
ララ達が何故か手を繋ぎながら、喫煙所の中に消えて行く姿を確認してラッツとバクーは静かに動き出した。経験の無い聞き込みをお願いしてしまったが、彼女達はしっかりやってくれるだろうか。彼女らの姿にラッツはそう不安を感じてしまったが、自分は自分の役割をこなすだけだと憲兵総務室と書かれたプレートが掲げられている扉の前に立つ。ガラス越しに見える幾人もの憲兵と、ガラスに映り込んだ憲兵姿の自分にふうと一つ溜息をつきラッツはゆっくりと扉を開けた。
「時間が無いぞ。手短に行こう」
部屋を望みながらバクーが囁く。ラッツの目当ては憲兵の「報告書」だ。時間的にそろそろ憲兵達の業務時間は終了し、彼らは今日一日の業務を報告する「報告書」をまとめ、提出しているはずだ。そこにヘス達を逮捕した憲兵は詳細を記入しているだろう。それを見つけ出し、情報を得ようとラッツは思っていたのだ。それを手早くこの広い憲兵総務室の中から見つける必要がある。途方も無い作業にも思えたがラッツには報告書を発見できる可能性が高い「ある場所」を知っていた。
「報告書があるとすれば、ここを管理している憲兵のデスクだと思うのですが」
「ふむ。奥から当るか」
一日の終わりで浮き足立っている憲兵達をかき分け、二人は一番奥に設置された「総務課分隊長」と書かれているデスクに向かう。「総務課分隊長」はこの憲兵総務室を取り仕切っている管理職の事だ。報告書を提出する際、必ず一度管理者のチェックが必要なため、ここ憲兵総務室の管理者である「総務課分隊長」に提出する必要があるとラッツは睨んでいた。そこに行けば、苦労せず全ての報告書を見ることが出来るはずだ。
できるだけ目立たないようにゆっくりと向かうべきだったが、自然と足早で部屋の奥にある「総務課分隊長」のデスクをラッツ達は目指した。
「……何だ?」
「総務課分隊長」と書かれたデスクに立派な髭を蓄えた、白髪混じりの中年の憲兵が腰掛けている。現場から退いたが現役時代はバリバリの憲兵だった、とその雰囲気が語っている険しい表情の憲兵だ。自然と気圧されたしまったラッツがごくりと唾を飲み込む。
「はっ、先ほど提出いたしました報告書に不備がありまして、修正の為いただきに伺いました」
尻込みしていたラッツに代わり、バクーがさらりと用件を言ってのける。さすが数多くの修羅場をくぐったバクーは違うと、ラッツが驚嘆しつつも胸をなで下ろす。ここまで来て怪しまれてしまってはどうしようも無い。その心を読んだかのように、中年の憲兵がジロリと変装したラッツ達を顔を見た。まさか、とラッツは背筋に冷たいものを感じた。
「新人か……全く。最近の新人は教育がなっとらんな。ワシの若いころは書類に不備など張り手モンだったわい」
大きく溜息を付き、「あっちにあるから取れ」と中年の憲兵がペンでデスクの上に設けられたレターケースを指す。すでにかなりの数の報告書が集まっているようで、下から二つが埋まっていた。
「し、失礼します」
ラッツとバクーはデスクの逆に回ると、静かに手分けして報告書を探し始めた。「模写魔術書」の残り時間の事は置いておいたとしても、なるべく短い時間でこの場所を去る必要がある。というのは、この中年の憲兵がラッツ達に世間話でも始めようならボロが出てしまう可能性が高いからだ。余計な探りを入れられる前にこの場所を離れたい。そう思い焦りながらも丁寧にラッツとバクーが次々と報告書を流していった。
「貴様らは……」
ポツリと中年の憲兵が言葉を漏らす。やはり来てしまったか、とラッツの顔が硬直した。ハイム軍でもそうだが、この憲兵位の年齢の将校は世間話が大好きだ。家族のこと、趣味のことなど聞いてもいないのに自ら話し、そして「お前はどうだ」と聞いてくる。普通であれば全くのウェルカムであったが、今日ばかりは勘弁して欲しいとラッツは思った。
「何時からここに配属された?」
中年の憲兵は書類にサインを書き込みながら、こちらを見るでもなくそうつぶやいた。答えるべきか無視するべきかラッツは悩んだ。答えてしまってもボロが出る可能性はあるし、無視しても余計な疑惑の目で見られることになる。助けてくださいとラッツはチラリとバクーを見たが、バクーは報告書を確認しながら「貴様が適当に誤魔化せ」と顎を中年の憲兵に向けた。
「ええと、今年からです」
「今年から……ということはもう半年か」
「ええ。そうですね」
そう答えながら、ラッツも必死で報告書をめくっていくが未だにヘスに関する報告書が見つからない。ひょっとしてまだ提出されていないのではないだろうか。嫌な汗がラッツの額から滴り落ちた。
「ここには慣れたか?」
「そ、そうですね。皆さん良い方達ばかりで」
「ふむ」
もう止めて、とラッツは天に祈る。
「だが、ここに居る憲兵は良い奴ばかりではないからな。気をつけろよ」
「……えっ?」
聞き流そうとしていたラッツだったが、中年憲兵の言葉に手を停めてしまう。良い奴ばかりではないとはどういう意味だろうか。「非武装条例」順守の監視と区画各地の治安を守るべき存在の憲兵に「悪」が居るとでも言うのだろうか。
「私利私欲に走っとる奴も居ると言うことだ。内戦が始まって政府からの干渉が少なくなってな。堕落の道に進んでおる者も多い」
ペンを置き、中年の憲兵がその立派な髭を撫でながら小さくつぶやいた。中年憲兵の言葉に、ラッツもそういった噂を耳にした記憶があったと思い出した。憲兵隊が、内戦状態にあるシュタイン王国内で治安維持という名の下に様々な「悪事」を行っているという話だ。強奪、強姦、さらには脅しまでやっているという、まるで犯罪組織かと疑ってしまうような噂も聞いた。内戦前までは政府による干渉があったため、そういった堕落の種は摘まれてきていたが、次第に干渉がなくなり、腐った林檎の様にその芽が広がっていったためだろう。これも内戦による「悲劇」のひとつか、とラッツは肩を落とした。
「……あったぞ、ラッツ」
手を止めていたラッツに「見ろ」とバクーが一枚の報告書を差し出す。
『新市街地のカフェテリアにて、非武装条例に違反した少年と青年二名を逮捕。所持していた魔術書は没収。東棟の牢に収監』
これだ、とラッツが安堵の表情でバクーに頷いた。十分も経たずに発見出来たのは幸運だった。ラッツは急いで残りの報告書をレターケースに入れ、ララに後で連絡を取るために懐に隠してある「念話魔術書」を服の上から確認した。
「報告書、ありました。お騒がせして申し訳ありませんでした」
深々とラッツが中年憲兵に頭を下げるが、中年憲兵はそのままこちらを見ることなく「行け」と手で合図を送った。後はこの場を去るだけだ。走り抜けたい気持ちをぐっと抑え、ゆっくりとラッツは入り口を目指す。
「……憲兵達が堕落するのは当然の事だ」
中年憲兵の元を離れ、ラッツと入り口に向かう中バクーがぼそりとつぶやいた。何のことか一瞬わからなかったラッツだったが、ふと先ほどの中年憲兵の言葉を思い出した。
「聞いていたのですか、少佐」
「一刻も早く我々が再度この国を統治せねば憲兵隊だけではなく、ありとあらゆる所から歪が生まれてしまう。憲兵の堕落はその一角にすぎんぞ」
ラッツはバクーのその言葉を噛みしめるように心に落としこむ。王室や貴族達の私欲などどうでもいい。謀反勢力である、ゴート陣営やパルパス陣営を抑えこみ、この国を再度ハイム人によって統治することが、人民の幸せにつながるのだと改めてラッツは思った。
ーーだが、心の何処かで小さく何かが囁いていた。「本当にそれでいいのか」と。
「おい、お前ら」
背後からの突然の声にラッツ達はピタリと足を止めた。何か嫌な予感がしつつ、ゆっくりとラッツが背後に顔を向ける。そこに立っていたのは、二人の若い憲兵達。その憲兵達は明らかに怪しんでいるような険しい表情をこちらに向けている。
「何故か今日は初めて見る奴らを良く見かけるな。所属を言え」
ラッツの表情が固まった。身体が硬直し引きつった表情のまま、目線だけをバクーに送る。例の報告書を胸元にしまい込むバクーの姿がラッツの目に映った。
「どうした? 言え。先ほどの喫煙室でも同じように不審な奴を見かけたが……お前ら、所属と名を名乗れ」
喫煙室……ララ達のことだろう。不審者って一体何をしたんですか、とラッツが泣きそうな表情を見せる。対峙している彼らの異様な雰囲気を察してか、憲兵総務室内が急にしんと静まり返り、いよいよやばいとラッツの顔が青ざめた。このまま踵を返し、走って逃げるべきかとチラリと入り口を見たが、入り口で別の憲兵が足をとめこちらを見ている。つまりは逃げ場のない状況だった。
「名乗れと言っているッ!」
静まり返った憲兵総務室内に男の叫び声が響く。何も答えようとしないラッツ達を流石におかしいと思ったのか、憲兵が数名近寄って来た。
「おい、お前ら誰だ? 俺たちと同じ部隊証を着けているが、お前ら見たこともないぞ」
終わった、とラッツが天を仰いだ。
「模写魔術書」はその名の通り「模写」する魔術だ。一度見た憲兵の姿を模写したため、同じ部隊証を身につけながらも、顔は見たことが無いという事は大にしてありえる事だ。カチャリとピストルに手をかけている憲兵がラッツの目に映った。
「手を挙げろッ!」
最初に声をかけた憲兵がピストルを構え、こちらににじり寄ってくる。これはもう仕方ないと観念したように両手を挙げるバクーの姿を見て、ラッツも急ぎ万歳するように勢い良く両手を挙げた。だが、バクーは大人しく捕まるつもりなど到底ない様だった。足のつま先でコンとラッツをつつき、アイコンタクトを送る。またですか、とラッツの顔に暗い影が落ちた。
「その懐に入れているものを出せっ!」
憲兵はピストルを構えたまま警戒を解く事無くゆっくりとバクーの上着に左手を伸ばす。そして彼の手がバクーの身体に触れた瞬間、バクーはむしりとるように上から憲兵の左手を掴み、そのまま曲がってはいけない方向に憲兵の腕を捻りこんだ。「ボグッ」という隠った音が憲兵の腕から発せられ、激痛に苦悶の表情を見せながら、彼のピストルが地面に落ちる。
「ぐあぁッ!」
バクーはひねった憲兵の腕を自分の身体に引きつけ、人質だ、と言わんばかりに左腕を憲兵の首に回す。周りの憲兵がピストルを抜く動作と合わせて、ラッツは地面に落ちたピストルを拾い、まずは背後の入り口に立っていた憲兵に向けた。
「下がれッ!」
今度はバクーのドスの利いた声が憲兵総務室に響く。その威圧感にたじろいだ憲兵達が一歩後ずさったのがラッツにも判った。数で劣る闘いにおいて、状況を切り抜ける為に必要な事は「先手を取る」事だ。先手を取った方が状況をある程度支配できるからだ。ラッツ達は、圧倒的に数で劣っていたものの「先手」を取る事で、有利な状況に持ち込んだ。
「う、撃つぞッ! 下がれッ」
ラッツがピストルで威嚇しながら入り口の憲兵を威嚇する。わかったと憲兵は両手を挙げ、入り口への道を開けた。このままゆっくり刺激せずに下がれば切り抜けられる。そうラッツが思った矢先、この有利な状況を覆す事態が起こった。
「……貴様らッ! 何をしとるかッ! さっさと捕らえんかッ!」
先ほどの中年の憲兵の声だ。「総務課分隊長」のその声にこちらに睨みを利かせる憲兵達が一瞬身を竦めた。軍隊の流れを引く憲兵隊でもやはり上官の一言は絶大な効力を持っているとラッツは思った。間をおかず憲兵達の眼の色が変わった。形勢が逆転したーー
そう瞬間的に判断したバクーが捉えていた憲兵の背中を思い切り蹴り、数名が固まっていた憲兵達の中に吹き飛ばす。時間を費やしてしまえば、数で勝る彼らの思う壺になってしまう。一瞬のそのチャンスを活かし、逃げなければと即座にバクーの身体は動き出していた。
「走れラッツ!」
バクーのその言葉に、ラッツと憲兵達が一斉に動いた。「止まれ」だの「おとなしくしろ」だのといったお決まり文句を発しながら憲兵達が襲い掛かってくる。有象無象の相手をしていたのでは時間がいくらあっても足りはしない。そう判断したラッツは憲兵には目もくれず、ピストルを持っていることも忘れ、一目散に入り口を目指す。が、しかし、そう簡単には行かなかった。
「止まらんかっ!」
ラッツ達のその目論見を無視するように、まずは左からラッツの服をつかもうと憲兵飛び出して来た。間一髪でなんとかその腕をすり抜けるが、今度はそこに右のデスクを乗り越え、別の憲兵が飛びかかって来る。やばいと、ラッツはその憲兵を見て瞬間的に思った。憲兵はデスクから跳躍し、ラッツを押し倒すつもりだったがーー憲兵がラッツの身体を捉えることは無かった。
「ぬぅぅんッ!」
「……ぐあッ!」
背後からバクーの丸太の様な腕が憲兵の顔面に襲いかかると、重力に反し捻り込みを入れながら憲兵はデスクの逆側に消えてく。息をする暇もない応酬だった。一度捕まってしまえば、餌に群がる蟻の如く取り押さえられてしまうだろう。バクーの援助についラッツは礼を口にしてしまいそうになったが、「礼は後で言え」とバクーはそのまま走り続ける。
「と、止まれっ!」
先ほどラッツが脅して退けた憲兵が扉の前に立ちはだかる姿が見えた。恐怖に彼の顔は歪んでいたものの、ピストルをこちらに向け構えている。再度ピストルで脅すべきかとラッツが思ったが、「構わん、撃て」と背後から中年憲兵の声が聞こえた。脅す時間は無い、躊躇すれば彼の銃口に補足されてしまうかもしれない。このまま行くしか無い。ラッツが決断したその瞬間、バクーが目の前のデスクに置かれたレターボックスを右手で掴むと脚力と腕力を使い、強引にその憲兵に向かって投げ飛ばした。レターボックスと言えど、限界近く書類がつめ込まれていたそれは相当の重量があっただろう。宙を舞ったレターボックスは、書類をまき散らしながら寸分違わず入り口に立ちはだかっていたその憲兵の身体を捉えた。
「ぎゃっ!」
ひしゃげた悲鳴を挙げてその憲兵が倒れこむ。そして更に運良くバクーが投げたレターボックスが憲兵に当たった事で角度が変わり、入り口の扉にぶち当たった。ズドンと空気が揺れ、ぐらりと扉の枠が外れた。一瞬の間を置き、ゆっくりと廊下側に扉が倒れる。最後の扉をどうやって切り抜けるか思案していたラッツだったが、そのまま行けると判断しバクーと共に廊下に飛び出す。廊下ではまだ騒ぎは起きていないようで、何人か歩いている憲兵の姿がラッツの目に映った。目指すは東棟だ。
「奴らを捕らえろっ! 警報を鳴らせっ!」
背後からの怒鳴り声と共に、けたたましいサイレンが憲兵本部内に響き渡る。何事かと驚いている憲兵達の脇をすり抜け、ラッツ達は全速力で東棟の階段に向かった。
「脱出は難しくなったか」
バクーがそう漏らし顔をしかめたが、今はそれを考える暇は無かった。まずはヘス達が囚われている牢に向かい、ララ達と合流しなくては。
懐にしまっていた「念話魔術書」を抜き出しながらラッツ達も、ララと同じように階段をかけ登っていった。