第11話 救出作戦
「金貨五枚でこの許可証を?」
聞き間違いかと思ってしまうほどの大金を目の前に出され、男はジロリとラッツを睨みつけた。
「ラッツさん! 駄目です、そんな大金……!」
咄嗟に金貨を差し出しているラッツを思い止めさせようと前に出るララだったが、ラッツは彼女を押しのけ、凛とした表情でその男に詰め寄る。
「はい、売っていただきたい」
男がぶら下げている廃棄物処理の許可証は言わばこの男の「飯の種」だ。バラックで生活していくためには必要不可欠なものだろう。簡単に手放すはずもないということはラッツも承知だった。だが、ラッツが男の目の前に出した金貨は、彼が逆立ちしても手に入れることは難しいほどの大金だ。迷うこと無く、許可証を差し出すだろう。ラッツはそうたかをくくっていた。
「……この許可証を何に使うつもりだ?」
しばし考えた後、納得のいく理由だったら売ってやる、と言いたげに鋭い目つきで男はラッツにそう告げた。予想だにしていなかった男からの意外な質問にラッツは一瞬固まってしまう。
「それは……」
ラッツはこの男に詳細を言うべきか迷い、ララに視線を送った。詳細を話せば、男は自分たちを押さえつけ、憲兵に引き渡すかもしれない。その危険性はまだ充分にある。ラッツの表情で事を察したララは、強張った表情でゆっくりと頷いた。
「……この少女の友人を助けるためです」
「友達……? 嬢ちゃんのか?」
「はい、私の幼なじみです」
男とラッツの間に割って入る様にララがぽつりと言葉を漏らす。さすがのララもこの男に得体のしれないもの恐ろしさをを感じているのか表情は固まったままだ。そんなララを男はじっとララを見つめる。その目の奥にある本心を探っているかのようだった。
「助けるって何からだ? まぁ、なんとなく想像はつくけどよ」
「……憲兵に捕まってしまったんです」
男はやはりな、というどこか落胆したかのような表情を見せ、溜息を一つつく。友達という理由だけでは納得出来ないのか、それとも「憲兵」という言葉が引っかかったのか男は髭を触りながら「ふむ」と、再度何かに迷っているかのように考え始めた。憲兵達に引き渡すつもりはないようだとラッツは安心したが、一方で首を縦に振らない男に次第にもどかしさを覚えた。
「……駄目ですか?」
眉間にしわを寄せ、焦燥感に駆り立てられた硬い表情でラッツが再度男に詰め寄った。
ラッツが差し出した金貨五枚は禁呪捜索の為にヴィオラから与えられた資金の一部だった。この金貨五枚は捜索のために自由に使って良いとバクーから言われていたが、金貨五枚もの大金を目の前にぶら下げられて何を悩むか、もしかして退役することになったハイム軍へのあてつけか、と目の前のこの男にラッツは苛立ちを覚えてしまう。
「その友達は大切な……特別な友達なのか? 嬢ちゃん」
「えっ……?」
突然の男の質問にララは目を丸くした。そして、男の言う大切な、特別な存在というのはどういう意味だろうかとララは思った。ヘスは大切といえば大切な友達だ。ララ物心ついた時から、バージェスの村で何かと一緒に行動していた。しかし「特別」という意味はララにはよく判らなかった。オルガのようなお腹の上の辺りがジンジンとする感じが特別というのであれば、ヘスではなくオルガがそれに当たる。ただ、カフェテリアで身を犠牲にして自分を逃してくれたヘスにも似たような感じがあったのも事実だった。ララには愛だの恋だのと言ったものはどういうものかよく判らなかったが、オルガや今日ヘスに感じたそれは「特別な存在」の証なのかもしれないとララは思った。
「はい、特別な存在……なのかもしれません」
その答えが今ララに出せる最良の答えだった。「へぇ」という何やら良からぬ事を考えていそうなトトの声がララの耳に届く。だが、ララはトトの声を気にせず、真剣な眼差しで男の目を見つめた。男には、友達を助るためには何でもするという、ララの藁にもすがる想いがその姿にかいま見えた気がした。
「フン。判った。……てめぇらに譲るぜ」
男が首にかけていた許可書を首から下ろすと無造作にラッツに差し出す。硬直していたララの表情が、安堵の表情に変わった。しかし、ラッツの表情は固いままだ。
「……ありがとうございます」
ラッツは軽く頭を垂れたが、先ほど感じた苛立ちがまだ収まっていなかった。この男がもったいぶっていた理由が何なのかが引っかかっていたからだ。ラッツはそっけなく金貨を男に手渡し、その引き換えに許可証を受け取ろうとしたが、何故か男は許可証から指を離そうとしない。まだ何かあるのか、とラッツが男の顔を見る。
「……まだ何か?」
「不服そうなツラだな。小僧。あン?」
不敵な笑みを浮かべ、男が低い声でラッツに語りかける。苛立ちが表情に出ていたことに気が付かなかったらしいラッツは、それを隠すように無理矢理笑顔を見せる。
「い、いえ、そんな」
「金貨貰って、こいつを渡して……ってだけだったら、『元騎士』の名が廃るってもんじゃねぇか? 違うか、小僧」
男の言葉にラッツは首をかしげた。その言葉の意味がラッツには理解できなかった。
と、次の瞬間、男が殴りつけたのではないかという程激しく、ラッツに渡された金貨をテーブルに叩きつける。ズドンという重低音とともに、ビリビリとテーブルが震えた。
「なっ……何を……!」
男の突然の行動に、驚いたラッツは悲鳴をあげ慄いた。同時に、バクーがぴくりと男に反応する。同じハイム軍人だとしても目の前の男は退役した軍人。鎖に繋がっていない闘犬は何をするか判らない。そう思いバクーはピリピリとした空気を纏った。
刹那の静寂。その静寂を払いのけるように、テーブルに金貨五枚を置いた男がゆっくりと「返す」とでも言わんばかりにその手を引いた。
「……ハッ、おめぇ、ホントにハイムの軍人か? 『騎士たるもの、忠義を尽くし、かの婦人を守らんとすべし』ってのがハイムの『騎士道』ってもンだろ」
「えっ?」
「今は金も名誉も無くなっちまったけどよ、その『精神』だけは残ってンぜ」
がはは、と笑うその男にラッツは言葉を詰まらせた。ハイムの騎士は軍人として主に忠義を尽くし武勲を立てることはもちろんの事、弱き者を助け、婦人への献身を美徳と考えている「騎士道」に基づいた教育を受けている。ラッツは子供の頃に見た「忠義」と「騎士道」を重んじる装甲騎兵が無敵のヒーローのように見え、それに童心ながら憧れていた、と目の前の男の言葉を聞いて思い出した。だから自分もそうなりたいと士官学校の門を叩いたのだ、と。
この男は、金貨を受け取る事が己の「騎士道」に反してないか悩んでいたのだ。ラッツはその事に気が付き、うなだれるように顔を伏せた。日々の訓練や任務で忙殺されていた、その「心」を忘れてしまっていた自分を恥じた。
「まぁ、つっても深入りはしねぇがな。それはタダでくれてやンぜ、嬢ちゃん」
男はその鋭い目でララにウインクした。
「あ、ありがとうございますっ!」
一時はどうやって助けようかと途方に暮れてしまっていたが、こんなに沢山の人に助けてもらえるとはつゆほども思っていなかったララは、飛び跳ねて喜んだ。
「……かっけぇなおっさん! ハイムの軍人は皆そうなのか!?」
トトが興奮気味に身を乗り出す。カラスながら「騎士道」に興味が湧いたようだ。
「へぇ、言葉を話すカラスとは珍しいな」
目を丸くした男がまじまじとトトを見つめ、続ける。
「……そうだ、おめぇが言うように、ハイムの軍人は皆イカした男だぜ?」
「だよな?」 と男は警戒を解いた仏頂面のバクーを見やり、ニヤリと笑みを浮かべる。バクーは首が取れるかと思わんばかりに深く頷いた。
「当たり前だ」
ラッツはララを顔を見合わせると、微笑みながら肩をすくめた。しかし、ラッツには判っていた。彼が昔あこがれた無敵のヒーロー達は確かにここに居るということを――
琥珀色に染まったバラックの空の下、寂れた酒場に男たちの笑い声が響き渡っていった。
***
「ハイムの軍人って良いな! 俺もおっさん達みたいなかっけぇカラスになれっかな!?」
ララの肩の上で身振り手振りを交えながら興奮しているトトの傍らで、まるで壊れた拡声器を肩に乗せているようなララは「うるさいなぁ」と怪訝な表情を見せている。
酒場から幾ばくか離れた人気の無い廃屋の一室、半分野外と言っても差し支えない場所で、土を踏み固めた床に作られた囲いの中にゆらゆらと焚き火の炎が揺らめいている。その焚き火の炎が薄暗く隙間風も多いボロボロの廃屋の壁面に幾つかの影を落とす。廃屋内の空気は外と変わらずキンと冷えているものの、焚き火の心もとない温もりがララ達の心を癒やした。
「うむ、日々の精進と、鋼の如き意思があれば、トト殿もなれるはずだ」
冗談なのか、本当なのか全く分からない口調で語るバクーに、マジで? マジで? とトトが目をキラつかせる。しかし、堪忍袋の緒が切れたのか、その拡声器のようなトトのくちばしをついにララが強引に掴んだ。
「もう、うるさいよ~トト。カッコ良いカラスじゃなくて、静かでインテリなカラスになってよね!」
「てめ、何をムググ……」
モゴモゴと何か必死に叫びながら、トトがバシバシと羽でララの顔をはたく。そのトトの姿がどうにも滑稽だったのか、叩かれているララ自身がくすりと吹き出してしまった。
「……オホン! トト君がかっこ良くなるならないの話は置いといて、私ラッツが救出作戦の説明をさせていただきます」
じゃれあうララとトトを制止するように、ラッツが話始める。こんな状況でも楽しそうにはしゃぐ彼女らを、もうラッツは羨ましいとは思わず、なんと図太い人たちなのだろうと半ば呆れていた。
「……おおっ! いいぞっ! 次期将軍候補っ!」
ララは笑顔でパチパチと拍手を送り、トトが茶々を入れる。やめてよ、とララ達を制止しようとするものの、まんざらでもなさそうにラッツは頬を赤らめた。が、鋭い眼光を放つバクーに気が付くと、その身を硬直させた。
「こ、今回の作戦は、『憲兵本部への出入り』を可能にしてくれたこの『許可証』が重要な鍵です」
ほほう、と一同から感嘆の声が漏れた。
「その許可証で、憲兵本部に侵入するんですか?」
不思議そうな表情を見せながらララが質問する。
「侵入じゃないよ、ララちゃん。この許可証は、廃棄物回収……要はゴミ回収の為に公共施設に入って良いという許可証なんだ。だから、正面から堂々と入るんだ」
なるほど、とやっとララはその許可証の正体が判ったようで腕を組みウンウンと頷いた。そんな彼女を見てラッツは「こっちに」と手招きすると、足元に憲兵本部の見取り図だろうか、手書きの地図を広げた。
「……ラッツ、貴様一体何処でこんなものを?」
バクーが吃驚の声を上げる。それもそうだ。バクーとラッツは今日初めてビビの街に来た。右も左もわからないはずなのに、そのビビの街の憲兵本部の見取り図など書けるはずもない。
「この許可証で毎日のように憲兵本部に出入りしていた先ほどの方の情報を元に作りました」
バクーがなるほど、という声を漏らす。見かけによらずしっかりとした男だ。ラッツの準備の良さにバクーは舌を巻いた。だが、地図に書かれているのは、入り口から廃棄物を集積している一階のその場所までだった。憲兵本部は広く、その大半が空白になっていた。
「……ほとんど真っ白だな」
「いや。これでも充分だよ」
使えんのか? とラッツの顔を伺うトトに笑顔で応える。一部とは言え、酒場の男に憲兵本部の中を聞けたのは幸運だった。入り口から廃棄物集積所までのルートだけだが、その間にある、憲兵総務室の情報が得られたのは大きかった。
「作戦はこうです。まず今夕の定期廃棄物回収員として正面から憲兵本部に入ります。そのまま……」
ラッツは指を入り口からホールを通り、憲兵本部の西側に進めていく。
「廃棄物集積所がある、憲兵本部の西棟に向かって進みます。もちろんそのまま集積所へは向かいません。狙いはここの憲兵総務室です」
「憲兵総務室……」
地図の中で、一番大きく書かれていた部屋の上に乗せたラッツの指を見て、ララが顎に指を乗せ首をかしげる。
「そう。憲兵総務室は憲兵に逮捕され収監されている罪人たちの情報が集まっている場所だよ。ここに行けば一発で判るかもしれない。だけど、判らないかもしれない」
「と、すると、どうする?」
「二手に分かれます。自分とバクー少佐は危険度が高い、この憲兵総務室で情報を探ります。一方のララちゃんとトトくんは」
ロビーから逆方向に指を進め、憲兵総務室と比べると比較的小さめに書かれている部屋で指を止める。
「ここ。憲兵達の喫煙所です。ララちゃんとトトくんはここで聞き込みをお願いします」
「聞き込みか! 何かかっけぇな!」
「トトくん」
はしゃぐトトに、ラッツが厳しい表情を向ける。その顔は、今までの青年の顔ではなく、一端の軍人の顔だった。
「聞き込みもヘスくん達を探すために重要な任務です。真面目にお願いするよ」
「お、おう」
面食らったトトが、スマンと言いたげに羽をひと羽ばたきする。そんなトトを見て、ララがくすりと笑顔を見せた。
「ララちゃんがカスタムした魔術書は三種類あったよね」
「はい」
ララは、ええと、とリュック中から七冊の魔術書を出す。小さめの本が四つに、それを一回り大きくした本が三つ。
「まず、見たものに変化できる『模写魔術書』が四冊と、離れた人と会話ができる『念話魔術書』が二冊、それにちょっと危ない非殺傷型の『電撃魔術書』が一冊」
電撃魔術という、いかにも危なそうな名前を聞いて、トトが慄いた。
「なんつー名前だよ。いかにも危険ですっていう匂いがぷんぷんすんな!」
「危険だからトトは使っちゃ駄目」
ざっけんなよ~使わせろよ~とふてくされるトトを無視し、ラッツが続ける。
「憲兵本部内に入った後は、全員『模写魔術書』で憲兵になろう。そして、二人に一つ『念話魔術書』を持って、連絡を取り合いながらヘスくんの場所に行く。一つだけある『電撃魔術書』はいざという時の為にララちゃんが持っておいて」
その説明に、「あっ」と何か重要なことを思い出したようで、ララがラッツの説明に割って入る。
「この魔術書、お話した『転送魔術書』のレプリカ魔術と同じように、制限があるので覚えておいて下さい」
そう言って、ララが小さめの青い魔術書を掲げる。
「これ、『模写魔術書』のレプリカです。通常は、魔術構文に書かれた手順に沿って解除しないと効果が切れることはないのですが、これの効果は三十分です」
「三十分……短いな」
バクーが眉をひそめた。時間との勝負か。ラッツはララが掲げた魔術書を見つめながら、全員に緊張感が高まったのを感じた。続けて、一回り大きい赤い魔術書をララが掲げる。
「次にこの魔術書。『念話魔術書』のレプリカです。こちらも正式版であれば、制限なく、何処に居る人とでも会話ができますが、これは届いて三百メートルほどです。障害物があれば、もっと短くなってしまうと思います」
「ううむ、成程。問題が山積みといった所だな」
またもやバクーが顔をしかめる。限られた時間と距離。不安要素が多くまだ動くべきではないかとバクーは思った。
「しかし、時間が経てば経つほど私達の手配書が各所に周り、さらに動きづらくなっていきます。時間がありません」
地図を丸めながら、決意の隠った表情でラッツが言う。ラッツのその表情を見て、バクーとララ、トトが頷く。彼らのその表情にはわずかな笑顔もなかった。
「……やりましょう」
この作戦はそう簡単には行かないだろう。だが、バクー達はようやく手繰り寄せた唯一の禁呪の手がかりを、ララ達はようやく実行できるヘス達の救出を終着点に、もう後には戻れないその道をゆっくりと進み始めた。