第10話 憲兵隊の策略
身体に突き刺さるような冷気に、ヘスの身体は壊れたおもちゃの様に震え続けていた。
自分の力で抑えることができないその震えに自分の身体では無いような錯覚さえ覚えてしまう。
「大丈夫かい、ヘス君」
いくつも並んでいる、憲兵本部のひんやりとした石造りの牢の中、鎖に繋がれたハサウェイが心配そうな眼差しをヘスに送っている。唇が青紫色になってはいるものの、寒さには慣れているのか、ハサウェイはヘス程震えてはいないようだった。
「ハサ、ハサ、ハサウェイさんは寒さは平気なんスか?」
羨ましいと、弱々しい笑顔でヘスが囁く。
「僕は北部の生まれだからね、寒さには強いんだ」
「そ、そ、そ、そうだったんスね。俺にはキツすぎるっスこの寒さ……」
「……頑張れヘス君。すぐ出れるよ」
ハサウェイはヘスを励ましたが、その根拠は何処にもなかった。間違いだ、と憲兵に無罪を主張しようと考えたが、収監されてから誰も来ないために交渉しようにも難しかった。
カフェテリアでララを逃した後、ヘスとハサウェイは憲兵本部に連行された。通常であれば、所持品の検査や身元調査、尋問などを行うはずだが、特に何もすること無く、そのままこの身も凍る牢屋に入れられて、経過した時間も昼か夜かも分からないまま、時間だけがただ過ぎていた。
今まで一体どのくらいの人がこの牢に収監されたのだろうか、壁には爪で引っ掻いた跡らしき、いくつもの傷と血糊、それに据えた異臭が立ち込めていた。
と、ハサウェイの考えが届いたのか、牢が並んでいるこの部屋の入り口の扉が、まるで収監された者達の断末魔の叫びのような軋み音を発しながら開く。そして、開いた扉から入ってくる数名の憲兵。その中に一人、どこぞの富豪かと見間違わんばかりに贅肉を蓄え、だらしない体つきをしている男が憲兵達に守られるようにこちらに向かってきている。
「例の件で逮捕した男はこの二人か?」
どこか癪に障る高い声でその男が醜い口元から言葉をこぼす。
「はっ。左様でございます。少年が所持しておりました」
「……ふむ」
開けろ、と牢の前に立ったその男が憲兵に指示した。牢の扉を開け、まず数名の憲兵が先導するようにヘス達の前に立ち、その後ろにその男が立った。ヘス達を凶悪な犯罪者とでも思っているのか、憲兵に隠れるようにその男はヘスとハサウェイを見下ろす。
「……不思議であろう?」
「……?」
「何故、街の入り口でボディチェックしたのにも関わらず、例の魔術書を持ち込めたのか」
ふふん、とその男は鼻で笑うと、両手を背中で組み、ゆっくりとヘスの元へ歩み寄った。
「貴様らの様な金になりそうな武器、魔術書を持っている来訪者のチェックを甘くし、街中で逮捕、没収するのだ。ゴート商会の連中がそれを高く買ってくれるわい」
この男、話を聞いている所憲兵隊を管理している指揮官らしい。どうりでおかしいと思った。何の事はない、権力を乱用し憲兵指揮官が己の私利私欲に走っていたのだ。ヘスはこの男に嫌悪した。
「貴様が持っていた特殊魔術書だけでも、そこそこの金で買い取ってくれるとは思うんだがな、魔術構文師が一緒とあれば比にならんほど金を出してくれるだろう。あるかも判らん『禁呪書』探しなど目じゃないわい」
「へ、へ、へ、反吐が出ンな。職権乱用して小銭稼ぎかよ」
震えながらヘスが虚勢を張る。この男のくだらない私利私欲の為にララを巻き込んでしまったのか。怒りがふつふつと噴き出してくるのがヘス自身にもはっきりと判った。
「……おい」
指揮官が憲兵に静かに、「やれ」と冷酷に指示を出す。一人の憲兵が頷くと、軽々とヘスは持ち上げられ、そのまま壁に強引に押し付ける。ドンという重い音と、鎖が跳ね返る音が牢内に響いた。
「いてぇッ! 何すんだテメェ!」
突然の出来事に身体の震えを忘れてしまったかのようにヘスが暴れる。しかし、屈強な憲兵は全く動じない様子で微動だにしないままヘスの首の根を掴み更に上に持ち上げた。
「うぐッ……!」
「ヘス君!」
ハサウェイの叫び声が牢に響くが、その声も届いていないようだった。ギリギリと締めあげられる憲兵の硬い手でヘスは気道を抑えられ、次第に朦朧としてくる。首を掴む憲兵の腕を引き剥がそうと、さらにヘスがもがくが、まるで石でできているかのようにピッタリとヘスの首に密着した手を剥がすことはかなわなかった。
「降ろせ」
指揮官の冷たい声が牢に響くと、憲兵が即座にヘスの首から手を離す。ぐしゃ、と地面に落ちたヘスが苦しそうに咳き込む声が指揮官の声の余韻が残った牢に木霊した。
「ヘス君ッ!」
叫ぶハサウェイが憲兵に抑えられる姿が朦朧としたヘスの視界に映る。
「小僧、この特殊魔術書を作ったのは誰だ?」
指揮官が懐から、ララが作った「携帯暖房魔術書」をおもむろに取り出した。
ララが自分の為に作ってくれたその魔術書を目の前の醜いこの男が持っているというだけでヘスにさらに怒りがこみ上げてくる。
「げほっ……知ってたとしても、テメェに教えっかよッ!」
ふざけんなとヘスが指揮官を睨みつけ言葉を吐き捨てると、ヘスのその返答に、指揮官は想定していたと言わんばかりに、次の指示を出した。
「そうか」
ゴート商会に売り飛ばした武器や魔術書の報酬で手に入れたのか、指揮官は宝石で飾られた短い指をハサウェイに向ける。
別の憲兵が同じように頷き、スタスタと急ぎ足でハサウェイに近づくと、間髪入れず、サーベルの鞘を使いハサウェイの頬を渾身の力で殴りつける。ゴキンという音とともに、唇が切れたのか、鮮血とハサウェイの眼鏡が牢の冷たい床に飛び散った。
「がはッ!」
「ハサウェイさん!」
「小僧、貴様らは生きてここを出れん。さっさと吐いたほうが楽だぞ?」
どうだ? と、まるで家畜を見ているかのような冷たい目で指揮官がヘスを見下ろす。
「……俺らを殺せばテメェが小汚ねぇ事やってるってバレんぞ」
「ほっほっほ、はて、何のことかな?」
と、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべたまま、突如指揮官が鼻息荒いヘスの髪を掴むと、強引に牢の壁にヘスの顔を向ける。苦悶の表情でヘスが送った視線の先、薄黒くシミが付いた小汚い壁が見えた。
「ぐあッ!」
「良く見ろ小僧。あれは、貴様と同じように魔術書を『不当に』持ち込んだ男が頭を砕かれて残した跡だ。そしてこっちは……」
再度強引に逆の壁にヘスの顔を向ける。あまりにも強引に力をいれたため、ヘスの首が悲鳴を上げた。
「小銃千丁の購入権利書を所持しておった間抜けが残して『逝った』跡だ」
そのまま今度はヘスの顎を掴み強引に自分に顔を向けると、その醜い顔をヘスに近づけ、指揮官が囁いた。
「判るか小僧……ん? 私がこの街の正義だ。もう一度言うぞ? この特殊魔術書を、作ったのは、誰だ?」
はっきりと言葉を区切りながらヘスの脳裏に刻み込むように指揮官が質問を投げる。その言葉にじわじわとヘスに恐怖がこみ上げてきた。こいつの言っている事は冗談じゃない。本気だ。言わないと死ぬよりももっと残酷な事がまっているに違いない。
だが、これ以上ララを巻き込みたくないという想いが折れそうになったヘスの心を辛うじて繋ぎ止めた。
「へっ、こっちももう一度いうぞ? 知ってたとしても! テメェに! 教えっかよッ!」
負けじとヘスも指揮官に言葉を吐き捨てる。ヘスの言葉に、指揮官の目に即座に殺意が隠った事がヘスにもすぐ判った。そして、握られた拳が振りおろされたことも。
「がっ!」
大きく振り下ろした丸々とした指揮官の拳がヘスの顔面を捉える。先ほど押さえつけられた壁に吹き飛ばされると、指揮官が身につけた宝石が災いしたようで、ヘスの額から鮮血が一筋滴り落ちた。うなだれるように両手をついてヘスは起き上がろうとしたが、抑えつけるように上から指揮官が踏みつける。
「ふん。子供は本当に嫌いだ。何をしても自分は許されると思っておる」
もっと傷めつけないと気がすまないと指揮官が再度踏みつけようと足を上げたが、その身体はピタリと止まった。
「うっ……何だ!?」
突如指揮官が胸に手をあてがい苦しそうな表情をみせる。いや、指揮官だけではない、その場にいる憲兵達も揃って、己の胸に手をあてがった。
「ううっ……」
「心臓がっ……」
彼ら全てに共通した現象が起きていた。何か得体のしれない「モノ」にギュッと心の臓を掴まれた様な嫌な悪寒。突然の出来事に、憲兵達は慌てふためき後ずさった。
「こ、小僧、貴様何をしたっ」
「……?」
苦悶の表情をみせる指揮官に、何が起きているのか見当もつかなかったヘスが不思議そうな表情を見せると、恐怖におののいた指揮官はヘスから離れ、再度憲兵の後ろに守られるように隠れた。憲兵達を襲った悪寒はその一瞬だけだったものの、彼らを怖気づかせるには充分な効果だった。
「……得体の知れぬ奴らめ。まぁ良い。聞き出す時間は充分にある」
突然のその出来事に面食らってしまったのか、指揮官は急ぎ牢から逃げ出すように出て行く。その「小物」の姿に、ヘスは嘲笑したが、そのヘスの嘲笑を見てか、指揮官がボソリとヘスに聞こえるようにつぶやいた。
「……そうだ、聞けばこの特殊魔術書を作ったのは、少女だというではないか。充分弄んだ後にゴート商会に売り飛ばすのも悪くないな」
「……何?」
指揮官がいやらしく悪どい笑みを浮かべたのがヘスの眼に映った。その一言に嘲笑は消え失せ、ヘスは指揮官に掴みかからんと牢の鉄格子に喰らいつき激昂する。
「……テメェッ! ふざけた事言ってンじゃねぇぞこの豚野郎ッ! やってみろ! ぜってぇぶっ殺すかンな! 聞いてンのかこの野郎ッ!」
怒りに任せ鉄格子から腕を伸ばすヘスを逆に嘲笑しながら指揮官達が扉から消えていく。
冷たい牢を、時間を感じさせない静寂とヘスの荒い呼吸音が支配した。
「へ、ヘス君」
「……! ハサウェイさん! 大丈夫スか!?」
殴られた頬を抑えながらハサウェイがヘスを呼ぶ。案の定唇を切っているようだったが大事には至っていないようでヘスは胸をなでおろした。
「大丈夫。口が切れちゃったけど」
「さっきの、何かハサウェイさんがやったんスか?」
ヘスは、憲兵達が胸を押さえてたあれ、とジェスチャーを交えながら問う。しかし、ハサウェイはきょとんとした表情を見せるだけだった。
「何の事だい?」
「……いえ、何でも無いス」
さっきのあれは一体何だったのだろうか。ヘスの頭に疑問が産まれた。指揮官一人であれば、あの体格から心臓疾患ということもありえるだろうが、あの場にいた全員、いや「憲兵全員」に同じような症状が現れていた。集団中毒にようなものか、それとも誰かが行使した「魔術」か。しばらく考えたものの、答えは何も出てこなかった。
「……それより、どうにかしてここを抜けだしてララちゃんと合流しないと」
ハサウェイが切れた唇を押さえ、しゃべりにくそうに話す。そうだ、あの豚野郎に捕まってしまう前にララを助けないと。自分が捕まっている事も、殺されてしまうかもしれないということも忘れ、ヘスはララの身を案じた。
「何かいい方法は無いスか、ハサウェイさん」
「……魔術師協会」
藁にも縋る思いで問うヘスに、ためらうようにハサウェイが言葉をひねり出した。今考えられる方法は一つしかなさそうだ。
「えっ?」
「さっき出張所にいた、魔術師協会のガーランドさんを頼れば大丈夫かもしれない。君も故意で持ちこんだわけじゃないし、まだ未成年ということもある。そもそも僕はとばっちりだし……」
最後の「とばっちり」という部分はぼそぼそと小さくあまり聞こえないようにハサウェイは言葉を漏らした。
「えっ? 何スか? 最後の所聞こえなかったっス」
「いや、何でもないよ! とにかく、ボディチェックを怠った憲兵も悪いわけだし、協会を通じて働きかければなんとかなると思うよ」
偽りなく、非武装中立区画北部責任者のガーランド支部長に頼るのが解決に一番近づくとハサウェイは思っていた。憲兵と対等にやりあえるのは世界規模で権限がある魔術師協会以外には無いだろう。ただ、その後自分の身がどうなるかが唯一の心配といえば心配だった。口は災いの元とは良く言ったものだ。ハサウェイは己を悔やんだ。
「おぉ、それは行けるかもしれないスね」
妙案だ、とヘスは感嘆の声を上げた。急いでここを出て、ララを助けないと。
と、ララの事で頭がいっぱいだったヘスの脳裏にふと一つの疑問が浮かぶ。
「えーっと……ちなみに、この状況でどうやってそのガーランドって人に連絡取るンスか?」
「……ん〜……」
ヘスはハサウェイの上に馬乗りになり、ネクタイを握りしめるとグリグリとこね回した。