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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第三章「想いの行き着く先で」
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第47話 想いの行き着く先で

 ララとリンは虚空の彼方に消える母の姿をじっと見つめていた。

 発現した魔術を無に帰す力。その力で魔術によって創られた最初の魔女オリジンの身体は塵と化した。


「怪我は無いか。リン、ララ」

「……ん、大丈夫」


 リンとララの肩に手を乗せ、そう声をかけたスピアーズに小さくリンが返す。

 安堵の表情を浮かべるスピアーズにリンが小さく笑顔を見せた。

 とーー


「……! スピアーズ、その腕!」


 肩に手を乗せるスピアーズの腕に起きた異変にリンがすぐに気がついた。

 あの炎を自在に操る、スピアーズの腕に刻まれた永久魔術エターナルマゲイアが、次第に消えていく。

 魔術を無に帰すあの力。その効果がスピアーズのそれにも現れていた。


「……ボスの願いは成就された。悔いは無いさ」


 薄れゆく己の腕に刻まれた魔術構文を眺めながらスピアーズが言う。


「魔術が無くなってしまうというのは本当なの?」

「どのレベルの魔術に影響があるのかは判りませんが、私達に起きている事から推測するに、本当でしょうねェ」


 リンにそう言うロンドの腕に刻まれた魔術構文もまた、スピアーズと同じように消失しつつあった。

 魔術が無くなる。

 もしその影響が、今まで人々と共にあった下級魔術にまで及ぼすのならば、もたらされる混乱は計り知れないだろう。 

 

「ちょっと待ってよ。魔術が無くなるって……アルフはどうなるのよッ!?」


 ユーリアが叫ぶ。

 最初の魔女オリジンは生命付与魔術で生成されていた。その最初の魔女オリジンが消失してしまったとしたらーー同じく生命付与魔術で生成されたアルフもーー


「僕は今のところ大丈夫ですよ、ユーリア。だけど、力がなくなっていくのは判ります。……以前のように身体の修復が出来なくなってきているようです」


 そう言ってアルフは、腐死体ゾンビに破壊されていた左手をユーリアに見せた。

 確かに、根本からぽっきりと折れている小指と薬指が再生されないままになっている。だけど、以前のような力を出せないにしても、最初の魔女オリジンの様に灰にならずに済んだだけ幸いか。

 アルフの姿に少しホッとしたユーリアが胸を撫で下ろした。


「それよりも、ここからどうやって抜け出すか、なんですが……」


 何か案がありますか?

 アルフがそうスピアーズ達に話しかけたその時、彼らをあざ笑うかのように最悪の状況が襲った。

 何もない乳白色の異空間が突如として大きく揺れ始め、バリバリと何かが引き裂かれるようなけたたましい音が当たりに響き渡り始める。


「こ、これはッ……」


 思わずラッツが慌てふためいた。

 視界的には全く判らないが、肌と耳、そして直感ではっきりと判る。

 ーーこの世界が、崩壊を始めている。


「皆、集まりなッ!」


 何が起こるかわからない。なるべく固まって脱出方法を考えるしか無い。

 そう考えたカミラが叫んだ。


「何か策がお在りか」

「……無いね」

「むぅ……」


 カミラの発現に何か脱出方法のアイデアがあるかと思ったバクーが問うたが、カミラは無情にも即答する。

 困った。この異空間では軍人などなんの役にもたたんか。

 バクーがそう頭を抱えたその時ーー


「わッ!」

「……ッ! ナチ、早くこっちに」 

 

 何が起こるか判らないと考えたカミラの予想が的中した。

 ナチのすぐ足元に一筋亀裂が入ったかと思うと、地面が音を立てて崩れ始める。ガラスが砕け散り、地面に落ちるように、裂け目から現れた漆黒の空間の中に今まで立っていた白色の破片が消えていった。

 あのバリバリという音は、空間が裂けつつある音だったのか。


「これは不味いな」

「閣下もこちらに早く」


 次第に亀裂は増え、ララ達は一塊になったものの、次第に漆黒の裂け目に追い詰められていく。

 白色の世界は、闇に包まれつつあった。


「クッソ! せっかく生き延びたっつーのに、こんな形で終わンのかよッ!」

「最悪、ホント最悪ッ!」


 ララとリンの肩で二匹のカラスがのたまった。

 だが、それはこの場に居る全員が思っていた事だった。

 逃げる手段は無いのか。

 とーー


「困ってるみたいだね」


 金切り音を携えながら、引き裂かれていく空間に突如として現れたのは幼い少年だった。

 ララ達には見覚えのない少年だったが、その中であの二人だけは見覚えがある姿ーー


「アンタ、運び屋スマグラー!?」

「ど、どうしてここに!?」


 現れたのは運び屋スマグラーーー

 追い詰められたララ達の前に現れたのは、モーリスの街で行方をくらましたあの運び屋スマグラーだった。


「あんた達に借りを返しに、ね」


 そう言って運び屋スマグラーはウインクする。


「ユーリアさん、彼は……」

「モーリスの街で会った奴だよ。まぁ、色々とあってね。てっきり死んだかどっかに逃げたと思ってたんだけどさ」


 きょとんとしたララにユーリアが答える。

 確かにランドルマンと対峙した後、運び屋スマグラーは姿をくらましていた。生き延びて、借りを返しにわざわざここに?

 いや、借りを返しに、と言っても、そもそも普通には来ることすら出来ないこの異空間にアタシ達が居るなんて判らないはず。なのにこいつはどうしてここにーー

 

「……って言うのは、まぁ半分冗談なんだけどね」


 運び屋スマグラーがユーリアの心を読んだようにけろりと言う。

 

「どういう事?」

「ランドルマンにさ、ここに行くように言われて」


 ランドルマンが?

 その言葉にユーリア達はもちろん、スピアーズも驚きを隠せなかった。

 自分たちを殺そうと付け狙っていた、協会魔術院の狩人がなぜ。


「どうしてランドルマンが?」

「さぁね。僕が逃げた後にモーリスでボコボコにされたらしいけど、死にかけて『毒』がぬけたんじゃないかな」


 頭の後ろに腕を回し、運び屋スマグラーがカラカラと笑う。

 答えになっていない返答にユーリアは怪訝な表情を見せる。

 ここにランドルマンが居ない以上、その真意は誰にも判らない。

 だけど、運び屋スマグラーが居ればここから脱出できるのは事実だ。


「そんな事よりもさ、早く行こうよ」


 そう言って運び屋スマグラーはシャツをまくり上げ、腕をユーリアに見せた。

 彼の身体に刻まれた永久魔術エターナルマゲイアもまた、その姿を消そうとしていた。


「時間は無い、か」

「うん。ラスト一回ってとこだね」


 一回でも発現できれば全員が助かる。

 運び屋スマグラーの言葉にスピアーズは笑みを浮かべた。


「行きましょう、ララ」

「……うん」

 

 集まって、と声をかける運び屋スマグラーの元に促すように、リンがララの肩を叩いた。

 今だ、後ろ髪を引かれる思いで、ララは消えた母の跡を見つめている。

 そこに母は居ない。あるのは次第に勢いを増し、ララのすぐ足元まで迫ってきている漆黒の闇だ。


「……私、行くね」


 ララが小さく呟いた。

 ずっと忘れないよ。

 そう心で語りかけながら、その手には、己の記憶を戻してくれた、母の忘れ形見とも言える、あの時空魔術書がしっかりと握られていた。


***


 目に映るのは倒壊した司教座聖堂の残骸。幾人も重なりあって息絶えたパルパスの騎士達。

 ーーだが、先程まで空を覆い尽くしていたおぞましい紅の空は鳴りを潜め、この時期、決してこの北の大地に見せることが無い季節外れの深い青空が広がっていた。


「も、もどった!!」


 思わずそう叫んだのはルフだった。

 まるで、雪の庭を駆け回る犬ころのように、尻尾を振りながら「もどったもどった」と叫びながら辺りを駆けまわる。


「助かった……!」


 その場にへたりこみつつも、助かった事に喜びを隠せないラッツ。

 誰もが助かった事に喜びをにじみだしていた。

 ーーただ一人、ララを除いて。


「ヘスは何処に……」


 ヘスの姿を探し、辺りを見渡していたララの目に、一際大きな瓦礫の影に座り込む男の姿が目に映った。


「あれは……」


 ララと同じ場所に視線を送っていた運び屋スマグラーが言葉を漏らす。

 スキンヘッドにボロボロになったサングラスをかけた男ーー

 何処かを見つめながら息絶えていたランドルマンの亡骸だった。

 

「……結局あんたは何がしたかったのさ」


 ララと共にランドルマンの亡骸に歩み寄った運び屋スマグラーが小さく囁いた。

 あの時、モーリスで逃げ押せることができたのは幸運だった。だけど、あの後、満身創痍のランドルマンが現れ、僕に「彼らを助けてやれ」と一言そう言った。

 毒が抜かれたと冗談半分で言ったけど、本当にそうだったんじゃないかと思うよ。

 違うかい、と心の中でランドルマンに問いかけた運び屋スマグラーは、静かにランドルマンの瞳を閉じた。

 とーー


「……! ヘスッ!」


 ランドルマンの視線の先を見たララが叫ぶ。

 幾つかの瓦礫に挟まれるような形で覗いているのは栗色のショートヘアの少年。ピクリとも動かないその姿を見たララは思わず駆け出した。


 一握りの希望を胸に。ヘスの生還を願って。

 がーー


「……ッ!」


 あまりにも残酷な現実がララを襲う。

 力なく地面に投げ出された腕。そして、ヘスの瞳は虚空を見つめたまま、その光を失っていた。


 駄目だった。

 ヘスは死んでしまった。

 その事実に、ララはヘスの傍らに崩れ落ち、ヘスの亡骸を抱きかかえ、ただ涙を流すしか無かった。

 だが、ララが絶望に打ちひしがれたその時だった。


「……ララ」


 悲しみで支配されたララの心の中に、ひとつ、己を呼ぶ声が響いた。

 聞き覚えの無い、透き通った女性の声だ。


「……ッ!?」


 ヘスの身体を抱きかかえながら、自分の名を呼ぶその声を確かめるようににララは顔を上げた。

 ヴァルフォーレの冷たく刺すような風ではない、ふわりと温かい風が涙で濡れるララの頬を撫でる。

 そこに居たのは、見覚えのある黒髪の女性ーー最初の魔女オリジンだった。


最初の魔女オリジンッ!? まだ生きていたのかッ!」


 皆に緊張が走る。

 確かに目の前に現れたのは、まぎれもない最初の魔女オリジンの姿。先ほどまで死闘を演じた相手の出現に誰もが身構え、戦慄した。


 だが、彼女の中の何かを、ララは感じていた。

 今まで最初の魔女オリジンに感じなかったこれはーー


「有難う……」


 優しい笑顔を見せて、最初の魔女オリジンが囁いた。明らかに今までとは違う、慈愛に満ちた笑顔だった。

 その表情に、辺りを支配した緊張が次第にほぐれていくのがララにははっきりと判った。

 そして脳裏に浮かんだのは一人の女性の名前。


「ジーナ……さん?」


 ララが小さく呟いた。

 テトラさんでもハサウェイさんでも無い。彼女が、ジーナさんだ。

 これまで最初の魔女オリジンに感じなかった、何かお腹の辺りがジンジンとするそれにララは直感した。


「有難うララ、リン、カミラ。それに皆さん。皆さんのおかげで、呪いの螺旋は断ち切られました」


 静かに、まるで子守唄を歌うように優しい声で最初の魔女オリジン……ジーナが言った。


「呪いの……螺旋?」

「テトラがかけた魔術です。私の血と、彼……オーウェンの血にかけた呪い。その呪いがやっと解けました」


 ジーナの言葉にララは母が語ったジーナとオーウェン、そしてテトラの真実を思い起こした。

 愛する兄と一緒になるために、テトラが仕組んだ罠ーー


「私からも礼を言うよ」


 ジーナの言葉に呼ばれるように、彼女の背後から独りの男性が現れた。ジーナと同じく、長い黒髪を後ろで束ねた優しそうな男性。

 愛おしそうに彼を見るジーナの姿から、この男性がオーウェンであることが直ぐにララには判った。


「オーウェンさん?」

「はい。クルセイダーの呪われた血に閉じ込められていた私もジーナと同じく貴方達のおかげで助かった」


 遠い未来復活するその時の為に、ジーナの血族の中にテトラ自身を、そしてクルセイダーの血族の中にオーウェンの精神を移管させた、とお母さんは言っていた。

 そのテトラが発現した魔術が効力を失った事で二人は開放された、と言うことなのだろうか。

 ということはーー


「テトラさんと……ハサウェイさん……お母さんは……」


 自身の予想の答え合わせをするように、ララは静かに二人に問いかけた。


「あの異空間は、別の世界へつながっている途中の『橋』。三人の精神は別の世界へと旅立った」

「三人って……お母さんも?」


 オーウェンにそう問いかけたのはリンだった。


「確証は出来ないし、確認することも出来ないけれど」

「それって……」


 つまり、別の世界でお母さんは生きている?

 そう考えたリンの言葉を遮るように、オーウェンが続けた。


「テテレスタイによって『上級魔術』が失われた今、彼女がこちらの世界に戻ってこれる手段は無いよ」


 その言葉にララとリンは言葉を飲み込んだ。

 会える手段は無いーーだけど、だけど、お母さんは生きている。


「テトラは……妹は犯してはならない罪を犯してしまった。妹にかけてやるべき言葉も、情けも無い。彼女はこのまま何処かの世界で……罪を償い続ける必要があるんだ」


 そう言いながらも、オーウェンは苦痛の表情を浮かべていた。

 

「……魔術は残すべきでは無かった。私の失敗はそこから始まってしまいました。人々が幸せになれるようにとやった事は……本当は余計なおせっかいだったんですね。私は愛する人の妹を悪の道へ誘ってしまった」


 静かに、ジーナが言う。

 その言葉をじっと静かに聞いていたララだったが、僅かな間を起き、そっと口を開いた。


「違う、と思います」


 ララの言葉にジーナの頬がぴくりと動く。


「……テトラさんは決して『悪』じゃありません。ハサウェイさんも、です。今なら、人を、何かを愛する辛さと喜びは痛いほど判るんです。愛し愛される為に必死になる。それっていけないことなのでしょうか」


 ララから発せられた意外な言葉に、ジーナやオーウェン、そしてリンまでもが驚きの表情を浮かべた。


「私、ヘスと会うまで……ううん、ヘスと会って、そして皆と出会って、お母さんに会うまで『愛』ってものが判らなかったんです。でもいろんな人に『愛』を貰った今なら判るんです。お母さんは私とリンの命を救う為に、ヴァイス司教に力を貸しました。仕方なく、です」


 私達を痛い程愛してくれていた。だからお母さんは、その道が血塗られたものだと判っていながら、ヴァイス司教に肩入れをするしか無かった。


「テトラさんも一緒だと思うんです。愛する人と一緒にいたいから。だから……」


 人を裏切ったり、苦しめたりすることは決して許されないこと。だけど、テトラさんやハサウェイさんの気持ちは判る。

 ララはそう思いながら、次の言葉を丁寧に選ぶように、続けた。


「生まれてから……はじめから罪を犯そうとする人なんて居ない、と私は思うんです。……犯した罪は償うべきだけど……テトラさん達の愛し愛されようとした気持ちは……判ってあげたいんです」


 そう言ってララは息をしていないヘスの顔に視線を送った。

 以前なら判りもしなかったこの事。教えてくれたのは、ヘスだよ。


「貴女は、テトラと……貴女を裏切り続けたハサウェイを許す、というの?」


 ジーナがララに問う。

 その問いに、ララは考える間もなく、視線を落としたまま小さく頷いた。


「……ハハ、やっぱりララは違ったね、ジーナ」

「ええ、オーウェン」


 ふふ、と笑う二人の声がララの耳に届くと、ララは思わずはっと二人の顔を見上げた。


「正直に言うとね、ララ、君ならそう言んじゃないかと思った」

「たくさんの愛が貴女を変えた」


 そう言ってオーウェンとジーナは微笑みを絶やさず、ララの側へ腰を降ろした。


「ジーナと話をしてたんだ。君がもし僕達の求める答えを持っていたのなら……君と君の愛する人の未来を見届けようって」

「……? どういう事?」


 オーウェンの言葉にララは首をかしげる。

 見届ける、ってどういう意味だろう。


「私とオーウェンが見れなかった未来を、貴女たちの目で見せて欲しいの」


 そう言って、ジーナがララの頬に優しく掌を乗せた。

 それにあわせて、オーウェンがララの胸で眠るヘスの頭に同じように掌を置く。


「待って、どういう意味……」


 困惑するララの言葉がその口から漏れたその時、優しい光が天からララ達に降り注いだ。

 あの異空間でユナを照らしたあの光と同じくーー


「ありがとう、本当に、ありがとう。ララ」


 ジーナの優しい声がララの頭に響いたその時、ララの両手に温もりが感じた気がした。


***


 暗い。

 どちらが上か下かも判らないその空間で、ヘスはただ身を任せるように漂っていた。

 前に来たことがあるような感覚がする。

 ええと、いつだったっけ。


 思い出そうと頭を捻るが、何も思い出せない。

 思い出すのは、あの異空間で見たララの最後の顔。


「仕留めることは出来なかったなぁ」


 ポツリとヘスが呟いた。

 最初の魔女オリジンを斃す為にあの黒い影の力を爆発させた。だけど、感覚で判る。

 ーー最初の魔女オリジンを斃すことは出来なかった。


「ララの記憶もどったかな」


 あの魔術書の媒体は、命だとあのハゲが言ってた。戻ったのなら、俺との想い出がララの中に蘇ったンなら、それはそれでオッケーだろ。

 そう考えながら漂っていたヘスは、いつの間にか見知らぬ細い道に立っている事に気がついた。


「あれ?」


 全く見覚えの無い道。

 両脇は青白い壁で覆われた、やっとで人が二人通れる位の細い道だ。その圧迫感と得も知れない不気味な存在感がもの恐ろしさをヘスに与える。

 と、細い道の先に古びた木組みの扉が見えた。

 その扉を見て、ヘスの背筋に何故か冷たいものが走る。


 ーーその扉をくぐっては駄目。


 耳の奥でララがそうささやいているように思えたヘスは来た道を戻ろうと振り返ろうとした。

 その時だったーー


「うわッ!」


 突如背後から肩を掴まれたヘスは強制的に前を向かされたまま、身動きを奪われてしまった。


「お、お前はッ!」


 後ろからヘスの身体を掴んでいたその男。

 スキンヘッドにサングラスをかけた、黒尽くめのコートを着たランドルマンだ。


「振り向くな。前を向いていろ」


 ランドルマンが変わらない冷たい口調で言う。


「ハッ、オッサン、あの異空間から引っ張りだしてくれたのは有りがたかったンだけどよ、どーやら駄目だったみたいだぜ?」


 見ろよ、俺達死んだんだ。

 ヘスが背後のランドルマンに顔を向けること無く吐き捨てる。


「そんなことはない。残った者達がお前の意思を継ぎ、最初の魔女オリジンを仕留めた」

「……へ?」


 なんで判ンだ。

 ランドルマンの言葉に驚きを隠せずに居ながらも、ヘスは疑いの目を振り向かずに背後に送った。


「信じられないか?」

「当たり前だろ。俺は自分で見て無ぇモンは信じねぇ性格だからよッ!」


 と、ランドルマンの腕を剥がそうとヘスがもがき始める。

 つか、離せよ。この扉は危険だってララが言ってんだ。俺は戻る。

 とーー


「……私がこうやって君の前に現れることができるのは答えにならないか?」

「わッ! お、お前ッ……だ、誰ッ……」


 突如、隣から発せられた別の声にヘスは身をこわばらせてしまった。

 どこから現れたのか全く判らなかったが、突如として現れたその男。

 隣に立っていたのは、黒い髪を後ろで束ねた男だった。


 何か聞き覚えがある声だけど、誰だったっけ。さっきの暗い場所と同じ時に聞いた声だ。

 必死に名前を思い出そうとするが、黒い靄がかかったように霞むヘスの記憶からこの声の主の名前を引っ張りだすことは出来なかった。


「有難う、ヘス君。君達のおかげなんだ」

「……『君達』のおかげ? あんた向こうの結末を見たのか?」


 正面を見据えたまま、ヘスが小さく呟く。

 何かわからないけれど、こいつの言葉には信憑性がある。

 そんな気がしたヘスは思わず質問を投げかけてしまった。


「見たよ」

「ララは無事なのかッ!?」


 思わず隣に立つ男に飛びかかろうとしたヘスだったが、背後のランドルマンに身体を押さえられ、強制的に正面を向かされてしまう。


「いてぇッ! テメェッ! コラッ! ハゲッ!」

「振り向くな」


 さっきから何なんだこのハゲは。振り向くと何があるっつーんだ。

 ランドルマンの腕を引き剥がそうと暴れるヘスに半ば呆れたような表情を浮かべながら、男が続ける。


「僕の口からは言えないね。どうなったかは、君の目で確かめるんだ」

「……なんだって? どういう意味だ!?」


 僕の口からは言えないっつー事は、ララは無事じゃないっつーことなのか。

 だが、ヘスの言葉に答えたのは、背後で身体を押さえるランドルマンだった。


「小僧、お前は運が良い。あの小娘に感謝しろよ」

「……あ? どーいう事……」


 と、再度ランドルマンに言い足りない悪たれ口を叩こうかと思ったヘスの背筋を悪寒がまるでおぞましい蟲の様に、ぞわぞわと這い登った。


「うッ……!?」

「嗅ぎつけられた、か」


 ランドルマンが小さく呟いた。

 

「嗅ぎつけられた……ってどういう意味だよッ!?」

「行け小僧。俺が奴らを止めておく」


 そう言ってランドルマンはヘスを放り投げた。

 その強靭な腕で投げられたヘスはあの古びた扉の前にぐしゃりと叩きつけられる。


「痛ッ! てめッ……!」

「振り向くなヘス君」


 怒りに満ちた表情を浮かべ「一発なぐらねぇと気が済まん」と拳を握りしめたヘスを今度はあの男が止める。


「だからなんだっつーんだ……」

「彼らは使者だ。君とランドルマンを連れに来た天の使者達だ」

「天の……使者?」


 何だそりゃ。

 男の言葉にヘスは訝しげな表情を浮かべる。


「『帰天を司る女神リリス』の使者。奴らに捕まったら……もう戻れないよ」

「……戻る?」


 さっきから、自分の目で確かめろとか、戻れるとかって何を言ってンだ。

 俺は死んじまったんだ。……もうララの元に戻れるわけねぇだろ。

 つか、後悔はして無ぇ。ララの記憶が戻ったんなら、やった甲斐があったと思ってる。


「……君の意思を聞いてなかったな。君はーーもう一度ララの元へ戻りたいか」

「ッ!」

 

 男の言葉にヘスは息を飲んだ。

 この男とハゲの話を聞いて、期待はしていなかった。いや、しないようにしていた。

 ララの元に戻れるんじゃないかと期待して、もし裏切られたら、と考えたら……怖かったからだ。

 

「俺は……」


 後悔はして無い。

 だけど、出来るのならばーー


「もう一度ララと話がしてぇ」


 ヘスが静かに男に呟いた。

 曇りのない透き通った瞳を男に向けながら。

 その瞳を見て、男が微笑む。


「……時間が無いぞ。早く行け」


 ぐずぐずするな、とヘスの目の前にある、古びた扉のノブに手を回しながら、いつもの冷ややかな声でランドルマンが言った。


「つか、なんなんだオッサン。あんたそんな奴じゃなかっただろ」

「……」


 こちらを振り向かず、扉に顔を向けているランドルマンは何も返さない。

 一体何なんだ。

 あの異空間の時から、これまでのランドルマンとは違う空気にヘスは困惑していた。


「さあな。お前にやられたあの時、流れた呪われた血と一緒に、俺の中の『毒』がぬけたんだろう」

「……毒?」

 

 と、ひたひたと背後から忍び寄る足音が近づいてくる。

 もうすぐそこまで、使者達が来ている。


「……お前には感謝している。最初の魔女オリジンの末裔達を殺していくうちに忘れてしまった物をいくつも思い出させてくれた」


 ランドルマンの空気が変わった。

 まるで、厳しい冬から、命が生み出される春に移り変わるようにーー

 

「……ッ! オッサン!」


 振り向いてはいけない。

 そう口酸っぱく言っていたランドルマンがゆっくりとヘスの方へと振り向いた。

 トレードマークだったサングラスを外し、ランドルマンはその下に身を潜ませていたーーこれまでに見せたことの無い、柔らかい笑顔を見せながら。


「元気でな、小僧」

「お、おい! オッサン!!」


 ランドルマンが扉のノブを回した。

 開けては駄目だ。

 そう思っていた扉の向こうからまばゆい光が狭い通路に流れ込むと、その光に飲み込まれるようにランドルマンの姿がヘスの視界から溶け出していった。


 その扉の先。そこは踏み入れてはいけない世界ではなくーー


***


 薄い霞がかった世界が晴れていく。

 澄んだ雲ひとつ無い蒼い空。雪解けの冷たい風に香るのは、かすかな春の匂い。

 ヘスの目に飛び込んできたのは、最初の魔女オリジンと戦ったあの場所だった。


「……あ」


 陽の光で逆光になり、よく見えないけど、すぐ近くに誰かの顔がある。

 涙でくしゃくしゃになっている少女ーー


「ララ?」


 毛先がカールしている黒いショートボブ。

 紛れも無い、ヘスがもう一度会いたいと願っていたララだった。


「……ヘスッ!? ヘスッ!!」

「小僧ッ!!」

「ヘス君ッ!!」


 ララの驚いた声に引き連れられ、ヘスの視界に次々と知った顔々が現れた。

 

「ララ? トトに、スピアーズのオッサン……あれ? 俺は……」


 死んだ後、どうなったんだっけ。

 ぼんやりとした頭を抱え、ヘスはこれまでの記憶をたどった。

 確か、細い通路でランドルマンが扉を開けてーー


「もぉばかぁ!!」

「ぐぉッ!」


 記憶をたどっていたヘスが虚を突かれたように、ララの強烈な平手打ちを頬で受けてしまった。

 以前もララに平手打ちを食らった記憶があるが、死に上がりの今は、よりキツイ。


「ララ……おまッ……俺は死に……」

「私を放って勝手に死んでんじゃないよッ!!」

「ぐえッ!」


 ララがギュウとヘスの身体を締め上げる。

 今度はさば折りか、とヘスは思ったがどうやら違うようだった。

 肩を小さく震わせながら、ララがヘスの身体をもう離さないと言わんばかりに力強く、優しく抱いていた。


「……ごめんなララ」

「ほんとだよ……ッ」


 ヘスもまた、ララの肩を抱く。小さいララの身体があまりに愛おしく、ぎゅっと強くヘスは抱きしめた。


 戻ってこれた。

 その現実がヘスとララを祝福する。


「こんの野郎ッ!」

「痛ッ!」


 いちゃついてんじゃねぇ! とのたまいながら、ララの肩からトトがくちばしでヘスの頭と突く。

 と、それに合わせて、文字通り、もみくちゃにされるようにヘスは今度は仲間達の祝福を受けた。

 

「良かった、良かったよヘス君!」

「お前は男だッ!」


 ユーリアは涙をぼたぼたと垂らしながら、半ばアルフに引かれつつヘスの頭をゴリゴリと撫で、バクーは豪快な笑い声を上げながらバシバシとヘスの背を叩く。

 皆が喜んでくれている。

 その事に、ヘスはララと顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。


 喜ぶララ達の間を季節外れの晴天の下、風がもう一度、一足早い春の香りを運んできた。

 ーー戦いは終わった。

 喜びを爆発させながらこの場に居る誰もが、そう感じた。

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