第44話 託し託されるもの
俺の命と引き換えにララ達を助けるーー
ランドルマンの言葉にヘスは息を呑んだ。
「最初の魔女とオーウェンの戦いは知っているか」
「……カミラやスピアーズのおっさんから聞かされた」
愛し合った同士が殺しあう事になってしまった、悲運と言える二人。俺とララにどこかダブってしまうのは気のせいだろうか。
「そうか。ならその結末も知っているだろう」
「……最初の魔女を斃すことが出来ず、オーウェンは死んでしまった」
「そうだ。だが、殺せはしなかったが最初の魔女は深い傷を負い、そして他のクルセイダーに斃された」
「つまり、もし俺が斃せなくてもお前がとどめを刺すと言う事なのか?」
「俺にその力が残されていたなら、な」
ランドルマンが静かに頷く。
だがヘスには信じられなかった。
確かにこの男がララ達最初の魔女の血を引く末裔達を追っていると言うことは聞いた。復活した最初の魔女を斃すためにわざわざここまで来た、ということは理解できる。だけど、それだけでこの男の言うことを信じる理由にはならない。
アルフさんやユーリアさんは、このランドルマンという男を「ただ己の目的の為に動く狂犬のような男」だという。
鵜呑みに信じるのは危険すぎる。
「俺がその力を使わなかったら?」
「お前たちはこの異空間に閉じ込められたままだ。そして『始まりの厄災』が再来し……世界は炎の中に沈む」
最初の魔女が憎しみを人々に向け、世界を破壊しつくしたと言われる「始まりの厄災」ーー
あの禁呪のレベルじゃないとんでもない危機が迫りつつある、という事じゃねぇか。
「……なんでお前が俺のサポートを?」
モーリスの街で、俺の意思ではなかったとはいえ、半殺しの目に合わせてやった。恨まれるならまだわかるが、何故俺に協力するのか。
「俺にクルセイダーの使命と最初の魔女の末裔を殺す術を教えてくれた『友』が居た。名をジャンと言う」
俺のクルセイダーのすべてを教えてくれた、冷徹な魔女の狩人。
「……友?」
「そいつは俺に最初の魔女の末裔を狩るための全てを叩きこんでくれた『師』とも言える。俺以上に奴らを殺す術に長け、俺以上に冷徹な男だ」
「その人が何の関係があンだ?」
「ジャンと俺との関係が、お前と俺との関係だからだ」
話が見えねぇ。
ランドルマンの言葉にヘスは首をかしげる。
「ジャンが俺の前に現れたのも、運命だった。呪われた血が引き寄せた運命だ。そしてお前もその呪われた血で俺を引き寄せた」
「……よくわかんねぇけど、あの最初の魔女を斃す術を今教えてくれるっつーわけか?」
「生憎その時間は無い」
ランドルマンは苦しそうに言った。
それが、最初の魔女が起こす「始まりの厄災」の事なのか、この死にかけのつるっぱげに残された命なのかは判らないが、その両方なのかもしれないとヘスは思った。
「俺に出来るのは、情報をお前に伝えることと、この異空間からお前を出すことだけだ」
「ちょっとまて。だったら俺だけじゃなく他の皆も……」
「不幸中の幸いというべきだ小僧。最初の魔女が作ったこの空間が最初の魔女から守る。安心しろ。最初の魔女が死ねばこの空間は消え、仲間は向こうに戻る」
だから行くのはお前だけだ。
だが、それが強がりだということはランドルマンの表情から判った。
力が残っていない。
転送魔術も媒体となる人体の体液を必要とする魔術だ。多分血液を必要とするんだろう。これ以上失血は死につながる。だから、最初の魔女を斃せる可能性がある俺だけを送る。
「お前も死ぬ覚悟っつーわけか」
「……それが俺の運命ならば、身を委ねるしか無い」
ランドルマンは否定しなかった。
「……お前らおかしいぜ」
「ジャンと同じ事だ。あの男も俺に全てを託しーー死んだ。最初の魔女を殺せるのであれば……この呪われた血の螺旋を断ち切ることができるのであれば、俺は喜んでお前に託そう」
ヘスはそう言うランドルマンの表情に、悲壮感を感じた。
あのモーリスの街では感じることはなかった、つるっぱげの強がり。
「おい、ハゲ。お前何があったんだ?」
「お前には関係が無い事だ」
「へっ、そうかよ」
興味ないけどな。
だけど、以前とはなにか違う空気を感じる人間臭さ。
「……やるのか、やらないのか」
「やるにきまってンだろ」
ララを助けるためなら。
ヘスがランドルマンを睨みつけながら言葉を吐き捨てる。
「……二つ良いか?」
「何だ」
「最後にララと話させてくれ。そしてもう一つ」
ヘスは懐から一冊の魔術書を取り出した。
「この魔術書に書かれている媒体について、意見を聞きたい」
「その魔術書……『時空魔術書』か」
ユナが持っていた魔術書。
ララの記憶を戻す為に必要と言われ、スピアーズに託されていた。
「この魔術書の媒体になる『炎を捧げ、彼の者を想うべし』っつーのは……」
***
雲の中でふわふわ浮いているような感じだな。
夢の中に居るような感覚で、ララはそう思った。
「お、ララ」
「……あ、あれ、ヘス君?」
乳白色の世界の中、ぼんやりと浮かび上がったブラウンのクセ毛。
ヘスがニヤニヤと良からぬ笑みを浮かべながらララを見ていた。
「気持ちよさそうに寝てたな、お前」
「え、寝てた? あれっ?」
確かヘス君と一緒に、最初の魔女の前に居てーー
なんでこんな所で寝てたんだろう、とララは首をかしげた。
「ここは最初の魔女が作った異空間だってよ」
「……異空間?」
ララは辺りをきょろきょろと見渡す。
端が見えない真っ白い世界。周りにリンやカミラ達が居る事から、夢の中ではなさそうだ。
「……まだ記憶、戻ってねーんだよな?」
「え、あ、うん……」
「そっか」
そう言って不意に見せたヘスの物悲しげな目がララの心をチクリと疼かせた。
それが何かわからないけれど、心の奥底がぞわぞわと波立つ。
「これ」
「……魔術書?」
「うん。ララにとって超重要な魔術書」
何の魔術書だろう、と困惑気味のララにヘスがその魔術書を渡す。
「大事に持ってろよ」
「ヘス君、この魔術書って……」
「ララ、俺はこれから最初の魔女を斃しに行く」
不容易な問いを投げかけられないように、ララの言葉を遮るようにヘスが小さく言う。
「最初の魔女を……斃す?」
「ん。ほら、あのモーリスでハゲのおっさんをボコボコにしたあれだよ」
うっすらとした記憶の中、黒い影を纏ったヘスの姿がララの脳裏に浮かぶ。
私を助けようとしてくれた、ヘス君の姿。
「ヘス君、私も行くよ。お母さんが言ってたみたいに、私の中にある力を使って……」
「駄目だララ。あの力を使うにはお前の記憶が戻らないと。それにさ」
照れくさそうに頭を掻きながらヘスが続ける。
「ララをこれ以上危険なトコに連れてけねぇ。ここが安全らしいからよ、しばらくここに居てくれ」
「でも、ヘス君一人じゃ……」
そう言ったララの脳裏に一つの答えが浮かぶ。ヘスの表情と、言葉。点と点がつながり一つの線になる。
「まさかヘス君……!」
「もう一度記憶が戻ったララと話したかったけどな。まぁ、ララはララだから良いか」
へへへ、と軽く笑うヘスにララが食って掛かる。
ヘス君は死ぬつもりだ。どうして。なぜヘス君が。
「どうして!? なぜヘス君が!?」
「俺ン中に、あのバケモンを斃すための術があるってよ」
「駄目ッ! 絶対に駄目だよッ!」
ララがヘスの腕を掴む。
精一杯の力で握ったララのか細い指がヘスの腕に食い込む。その痛みも、ヘスに取っては愛おしかった。
「お前は忘れてンだろうけどさ、前にもこういうことあったんだぜ? 気持ちワリィ憲兵が居てよ。ララに手だそうとしやがったから、ワンパン叩き込んでやろうと思ったんだけどよ。逆にヤられちまって」
「ヘス君!」
叫びながら、ララの目に涙が溜まって行くのがヘスの目に映った。
だけど、なぜララは悲しいのか判らない。ヘスに感じているこの感情の意図が判らなかった。
「心配すんな。これまでもどんなやべぇ状況でも俺は戻ってきた。……周りの皆に助けられて来たっつーのが大きいんだけどさ。今回もそうだ。ぜってぇ戻る」
零れ落ちそうなララの涙を拭うように、ヘスがララの頬に触れた。
心が痛い。お腹の辺りがジンジンと痛む。
「終わらせて、ララの記憶も戻して、さっさとバージェスに戻ろうぜ」
「……うん」
ララは小さく頷くしか無かった。
行かないで欲しい。その言葉は言えなかった。
ヘスがこれまでと変わらない、力強い笑みを浮かべる。
と、ヘスの姿がまるで霧の中に消えていくように、少しづつその姿を消失していった。
ランドルマンの転送魔術が発現を始めたらしい。
パチパチと火花音を放ちながら、次第に歪んで行く視線を感じ、ヘスはそう思った。
「ヘス君……! 私……」
「じゃあな、ララ」
ヘスの視界からも、パズルのピースが一つづつ剥がれていくように、乳白色の世界がなくなっていく。
ーーそして、ララの愛しい姿も。
「ララ、好きだぜ」
ヘスの言葉を追いかけるように視界が消え去ったその時、彼の唇に優しい何かが触れた気がした。
「……死なないで」
言わずにいられない、無慈悲な言葉。
優しいその感触とともに、ララの口から発せられた涙に濡れた言葉を聞きながら、ヘスの視界は黒く落ちた。
***
ヘスの目に映ったのは、先ほどと変わらない紅蓮の空。破壊しつくされた教会。そしてぼんやりと佇む、最初の魔女の姿。
「俺が出来るのは……ここまでだ」
「つるっぱげッ!」
ヘスの傍らに立っていたランドルマンが弱々しくその場に崩れる。
やはり今のランドルマンには転送魔術は自殺行為だったのか。崩れたランドルマンの表情からは血の気が失せ、唇にはチアノーゼが見えている。
「触るなッ……! お前が向かうべき相手は俺じゃない。最初の魔女だ」
「……ッ!」
肩を貸そうとしたヘスを押しのけ、ランドルマンが言う。
お前の情けなど要らん。
満身創痍で睨みつけるランドルマンの目がそう語っている。
「最初の魔女……」
ランドルマンに促され、ヘスは再度視線のを最初の魔女へと送る。
原型をとどめていない教会内に吹きすさむ冷たい風に最初の魔女の黒髪が揺れているのが見えた。
こちらに気がついていないのか、最初の魔女は虚空を見つめたままだ。
とーー
「ああ……」
ぽつりと最初の魔女が囁く。
「ああ、やっと会えた。兄様、そこに居たのですね」
最初の魔女の優しい声。
同じ声色だが、先ほどのハサウェイの声とは明らかに違う、優しくて穏やかな声だ。
「お前が、テトラ?」
「会いたかった。何年も、何十年も、何百年も、この時を待っていました」
ゆっくりと最初の魔女がこちらへ振り向いた。
声だけじゃない。その表情も幾分か柔らかく、慈愛に満ちているような気がする。
「言っている意味がわからねぇ」
「……『器』のお前には判る必要は無い」
ビリ、と突然深海に放り込まれたような圧迫感がヘスを襲う。
ヘスの言葉に、突如として豹変した最初の魔女が放った空気だ。
「器……器……憎い、君が憎いよ、ヘス君……ッ!」
「……ッ!」
最初の魔女が頭を抱えたと思った次の瞬間、口調も変貌した。
ハサウェイさん。この口調は先ほどのハサウェイさんのものだ。
一つの身体の中で、テトラとハサウェイさんの意識が拮抗している。一つの身体を己の支配下に置かんと、激しい争いが起こっている。
「兄様……早くこちらに……殺す……ヘス君、君を殺すッ!」
ゆらりと揺れる最初の魔女の身体を睨みつけながら、ヘスが戦闘態勢に移る。
この女は、魔術書を使わず禁呪レベルの魔術を繰り出すバケモノだ。ララ達の命を脅かす、斃すべき敵だ。
ヘスの中で、あのモーリスと同じように何かが崩れた気がした。
その瞬間、うずいていた渇きと怒りが心の奥から溢れだし、彼の視界は大きく脈打つ。
「ララ、お前を必ず助ける」
まるで祈りのように捧げたヘスの言葉が開始の合図になったかのように、黒い魔女と黒い影をまとう少年の姿は一筋の黒い線となり交差した。