第43話 リスク
魔術によって蘇った死体である「腐死体」といえども、かつての同胞と剣を交えるのはいささか胸が痛む。
次々と地面から這い出し、襲い掛かってくる腐死体を叩き伏せながらバクーはそう思った。
「バクーさん、らちがあきませんね」
「ウム。以前やりあった時も同じような状況だった。一体一体は大したことは無いが……」
肩で息をするラッツにバクーが呟いた。
腐死体の足を刈り、地面に倒れた所にトドメを刺す。文字通り処理するように腐死体を片付けていくラッツ達だったが、一行に終わりが見えないことに多少気圧されていた。
無限に湧いてくるのではないか。
そんな気すらしてしまう。
「……生命付与魔術は発現させた魔術解読師を倒さないと終わらないよ」
そう言ってバクー達の元へ駆け寄ってきたのはユーリアとアルフだ。
先ほど失ったアルフの両足はすでに再生し、ラッツ達と共に終わりの見えない腐死体達の処理に追われていた。
「魔術解読師……この場合、最初の魔女か?」
バクーの表情が曇る。
最初の魔女を斃す為に、まずは邪魔な腐死体共を片付ける必要があるが、その腐死体を片付ける為に、最初の魔女を斃す必要があるとは。
実に本末転倒な話だ。
「とりあえず今は腐死体達を僕達の方にひきつけておく必要があります」
最初の魔女と戦っているスピアーズさん達を邪魔しないように。
アルフがそう言った。
だが、腐死体達は無限に湧き続け、こちらの体力には限界がある。いずれ押し込まれてしまうだろう。それまでにあの死の宣教師達が最初の魔女を仕留める事を祈るしかない、か。
アルフの言葉にバクーはため息を一つついた。
「ヘス君、君はララ殿達を」
「判った……ッス」
脈打つ疼きを必死に押さえつけ、苦々しくヘスが返事を返す。
「閣下は……」
私の後ろに。
そう言いかけたバクーをヴィオラが手で制した。
「私も騎士の端くれだ。ただ何もせず貴殿に守られるほど落ちぶれてはおらぬぞ」
地面に転がる腐死体の頭から剣を抜き取り、ヴィオラが笑みを浮かべる。
「……それに彼奴には駐屯地で侮辱された『貸し』がある」
そう言ってヴィオラが指した顎の先、小太りの腐死体の姿があった。
プライドだけは高く、腰抜けの「白豚」テベス。
首をかき斬られたのか、ぱっくりと口を開いている首が動く度にぐらぐらと揺れている変わり果てたテベスの姿にーーバクーは哀れみすら感じなかった。
「成る程、それは仕方ありませんな」
バクーがヴィオラに不敵な笑みを返す。
今は化け物どもを斬り伏せるのみ。お互い力尽きるまで。
ヴィオラがそう言いたげに、肩を竦めた。
「あの……」
と、そう小さく声を漏らしたのはララだ。
「どうしたララ殿」
「お母さんが言ってたんです」
「母が? 何をだ」
「最初の魔女の復活を阻止する方法です」
その言葉にラッツ達の視線がララに集まった。
「阻止する?」
「はい。私達最初の魔女の血を引く者が持つ力で、魔術を無くすと言っていました」
だけど、最初の魔女は復活してしまった。もう意味が無いことかもしれないけれど、その方法が私達で出来るのであれば、最初の魔女を倒せないにしても、その魔術を無効化することは出来るはず。
そう考えたララが続ける。
「リンさんとカミラさん、私の三人で出来るはずなんです。時間を作って下さい。方法を探ります」
魔術を発動するために時間を作る。
あのビビの街で憲兵に追われていた私とラッツをそう言って助けてくれたのはほかならぬララ殿だ。また彼女に救われることになるのか。
ビビの街の記憶が蘇ったバクーが小さく笑みを零す。
「判った、ララ殿。我らで時間を稼ごう」
弱き者を守るのが我ら騎士の本分。
「ラッツ、ナチ、ここから後ろへは一匹も腐死体を通すな」
「はいッ!」
「了解です」
バクーの声に、ラッツとナチが身構えると、呼応するようにアルフとユーリアもまた腰を低く落とし、戦闘態勢に入る。
「アタシ達も忘れンなよ」
「一匹も通さない!」
一分でも長く時間をかせぐ。
ララ達の前に立つバクー達は己に念じるようにそう心の中で呟いた。
***
あちらは大丈夫のようだな。
腐死体達をなぎ倒すバクー達の姿を見て、スピアーズはそう思った。
「この僕を前に背後の弱者達を気にするんですか、スピアーズさん」
「……お前の相手など片手間で十分だ。ハサウェイ」
スピアーズが笑みを浮かべながら言う。
だが、その言葉は明らかな強がりだということはスピアーズ自身が良く判っていた。
強さの桁が違う。
以前戦った不完全な最初の魔女とはレベルが違う体術に魔術。その全てにスピアーズは軽く絶望していた。
「フフフ、僕には判るんですよスピアーズさん。心が読めるんです」
くつくつと肩を震わせ、最初の魔女が身をかがめ笑う。
「貴方達の恐怖が、絶望が手に取るように判るんですよ!」
「調子に乗らないでくださいよォ、ハサウェイ」
背後から放たれた声。
冷たく言い放つロンドの声に、最初の魔女の笑い声がピタリと止まった。
「同じ死の宣教師だったんですから判るでしょう?」
そう言うロンドに最初の魔女が静かに続ける。
「……何者であろうと対峙した相手は」
「必ず殺す」
スピアーズが小さく言葉を放った瞬間、二人の死の宣教師が動いた。
背後からロンドが白銀の剣で最初の魔女の足を狙い、斬撃を放つ。難なくその剣を躱した最初の魔女だったが、狙いは斬撃を与えることではなかった。剣を避けた事で一瞬動きが止まった最初の魔女に向け、またたく間に距離を詰めたスピアーズが紅蓮の炎を纏った手刀を繰り出す。
「アハッ!」
最初の魔女が小さく声を上げて笑う。
あの時僕の右腕を切り落としたあの手刀。それを待っていた。
「間抜けめッ!」
「……ッ!?」
瞬時に最初の魔女の目に怒りに満ちた殺意がみなぎった。
最初の魔女は右足でロンドの白銀の剣をたやすく叩き折ると、スピアーズの手刀を身をひねりながら避けつつ、遠心力を乗せた蹴りを折れて跳ね上がったロンドの剣の切っ先に放つ。
カウンター気味に剣の切っ先がスピアーズの身体を襲うーー
「ちッ!」
咄嗟にスピアーズが防御に回る。
炎でその切っ先を溶かそうかと考えたが間に合わない。そう考えたスピアーズは、左手に同じように炎を纏うとその腕で切っ先を受け止めた。
肉が裂かれ骨が砕ける嫌な音がスピアーズの耳に届く。
「ぐぅッ!」
その強烈な熱により切れ味を落とされた切っ先は腕をたやすく貫通したものの、スピアーズの身体に届くこと無く、動きを止めた。
「流石はスピアーズさんですねッ!」
「ハサウェイッ!!」
スピアーズとロンドが同時に叫ぶ。ロンドは折れた剣で、スピアーズはもう一度右手で手刀を作り、最初の魔女に襲いかかる。
がーー
「バン」
最初の魔女が囁いたその言葉と同時に、最初の魔女の周りの空気が爆ぜた。その強烈な衝撃波は紙くずのように二人の身体を吹き飛ばし、瓦礫に叩きつける。
「かッ……ハッ……!」
背中から襲ったしびれるような痛みがスピアーズの肺の空気を押し出す。瞬時に酸欠状態に陥ったスピアーズは苦悶の表情を浮かべながらその場に崩れ落ちた。
「弱い。弱い弱い弱いですよ! スピアーズさん……!」
最初の魔女が身を捩りながら甲高い笑い声を轟かせる。
ーーと、その「異変」は突如起きた。
「アハ……あ……ッ!」
その姿をスピアーズは朦朧とした意識の中見ていた。
「誰だッ!?」
最初の魔女が頭を抱え、先ほどとは違う雰囲気で身を捩る。
何かに怯えているかのような叫び声を上げながら。
「オーウェンなんて知らないッ……誰だお前はッ!」
「オ、オーウェン……?」
一体何を言っているんだ。
最初の魔女の姿をにらみながら、スピアーズは瓦礫を掴み、必死に身を起こす。
「やめろッ……囁くなッ! 辞めろッ……!」
身を捩り、その髪を乱しながら発狂した最初の魔女が叫ぶ。
「僕は違う! ……僕はテトラじゃないッ!!」
テトラ。
その名にスピアーズはユナの言葉を思い出した。
復活しようとしているのはジーナではなく、テトラだ、と。
「……スピアーズッ!」
と、もがき苦しむ最初の魔女の向こうに折れた白銀の剣を構えているロンドの姿が見えた。
チャンスだ。
ロンドの目がそう語っている。
最初の魔女の身体の中で何が起こっているのかは判らないが、今なら行ける。
だが、スピアーズが魔術の発現を始めたその時だった。
「……あぁぁぁぁあああッ!!」
「ッ!!」
最初の魔女の叫び声が響き渡る。
その声は今までの物とは違う、怨念と嫉妬、そして怒りに満ちているような断末魔の叫び。
バリバリという、自分の声すら聞こえない程の甲高い爆音が叫び声の後を追うようにスピアーズ達の耳を劈くと、その音が次第に身体の感覚を奪い去りーー
辺りの景色は白い霧の中に溶けこむようにその姿を消した。
***
いつから居るのか覚えていないが、乳白色の光の中にヘスは居た。
どっちが上でどっちが下か判らない。それに、眩しくて目が開けられない。ここは何処だ。さっき突如響き渡った叫び声と同時に身体がしびれてーー
「気をしっかり持て。小僧」
光の向こうで声がする。聞き覚えのある声。
「……だれだ?」
「今はお前の協力者だ」
「……ッ!!」
霧を払いのけるように現れたその男の姿にヘスは驚愕した。
モーリスの街で俺がボコボコにしたサングラスのスキンヘッド。
ランドルマンが静かにヘスの目の前に立っていた。
だがその身体は満身創痍という言葉がぴったりと当てはまるほど裂傷と血に濡れていた。
「なんでお前が。それにその身体……!」
「転送魔術でここへ来た。これは夢でも幻でもない。最初の魔女が作り出した異空間に俺達は居る」
「……なんだって?」
異空間? なんだそりゃ。
ランドルマンの言葉に思わずヘスは訝しげな表情を浮かべた。
「周りをよく見ろ」
「周り……あっ!」
次第に乳白色の光に慣れてきたヘスの目に移った光景。
周りに居たのは、意識を失い宙を舞っている皆の姿だった。
「バクーのおっさん! ララッ! みんなッ!」
「よく聞け小僧。一度しか言わん」
焦るヘスの胸元を強引に掴み、ランドルマンが身体を引き寄せる。
「復活したテトラの力で彼女の邪魔になる者達はこの空間へ転送させられた」
「テトラ? 転送? 一体何を言って……」
「時間が無い。質問はするな」
その手を振りほどこうとするヘスにランドルマンが静かにささやく。
「お前に重要な事を伝える。最初の魔女を斃す唯一の方法だ」
「えっ?」
ランドルマンの言葉にヘスは目を丸くした。
最初の魔女を斃す、唯一の方法?
「簡単だ。モーリスの街でお前が見せたあの力……最初のクルセイダーの一人であるオーウェンという男も持っていたその力を使う。それが最初の魔女を斃す唯一の方法だ」
「オーウェン……」
その名前に聞き覚えが有る。
呪われた最初のクルセイダー。
あの夢の中で「声」が言っていた名前だ。
その名前とともに、ヘスの身体をまたあの疼きが貫く。疼きとともに湧き上がるのは、怒りと渇き。
「……やってやる」
低い声でヘスが唸った。
ララを、皆を助けるためだったら、なんだってやってやる。
ヘスのその表情を見てランドルマンは一瞬何かを考えるように間を置いた後、静かにポツリと続ける。
「……オーウェンも使ったその力には相応のリスクがある。それでもお前は出来るか」
「リスク?」
ランドルマンが静かにヘスの胸元から手を離した。
オーウェンが使った力。たしかにこの男はそう言った。
ヘスは記憶をたどる。
最初の魔女と戦ったオーウェンは、確かーー
「……失うのはお前の命だ。愛すべき者達と引き換えにお前に死ぬ覚悟はあるか」