友へ
俺は缶ビールを両手に把持して旧友と会うことにした。
アパートの屋上は熱帯夜なのに、今日だけはほんの少し肌寒く感じる。四回目の今日。俺は毎年いつもの時間に、いつもの場所で奴に会う。今日は予定よりも早く到着したが、奴はもう屋上のベンチに座って待っていた。
奴は同級生の幼馴染みである。ガキの頃はいつも待たされていたのにな。俺は鼻息を漏らして奴に接近した。
「久し振りだな」
俺が声をかけると、奴は幼さが残る笑みをこちらに向けて小さく首を傾げた。
「そうだな。元気にしてたか」
「ああ。この通りだよ」
俺は奴の隣に腰かけると俺らの間に缶ビールを置いた。カシャ、プシュと心地よいタブの音が静かな屋上に響く。俺は喉を鳴らしてビールを飲むと一年振りの旧友との談話を愉しむことにした。
「おまえが調子乗ってブランコから飛び下りて骨折したあの公園、秋に取り壊されるってよ」
「えっ、マジで?」
「マジマジ。あの辺一帯が都市開発進めるらしいぜ」
「じゃあ、近くにあったお好み焼き屋も潰れるじゃんか」
「あそこは三年前に閉店したよ」
「うわショック。段々変わっていくよな、この辺も」
「まぁな」
「あとは?」
「高田んとこに双子が生まれた」
「それは去年聞いた」
「そうだっけ」
「そうだよ」
増えるコンビニ。消える商店。変わり変わる景色や人間関係。一年間の出来事を話すにはあまりにも短く、あっという間に時が過ぎていく。
限られた時間の中、俺は奴に伝えるべき大切な話を言えずにいた。
気合を入れるためにビールを呷る。奴はそんな俺を見て――いや、正確にはビールを持っている左手を凝視して、先に口を開いた。
「おまえ、結婚すんの」
「はあ?」
「だって結婚指輪じゃね」
俺は缶ビールを落としそうになった。唇が震える。奴は俺を察してニヤリと口角を上げた。
「まさか、麗衣と結婚すんのか」
「いや。まあ……」
俺は曖昧な回答しかできなかった。
彼女は奴の元カノだった。別れたとはいえ彼女と結婚するなんてそう簡単に言えやしなかった。
いや、あれは否応ない別れだった。双方嫌いになってさえいれば、気負いしないで話せたと思う。
彼女は未だに俺を奴の面影と重ねる時があった。それでもよかった。そうしないと俺も彼女も壊れていた。
相変わらず俺は卑怯者だ。奴が結婚指輪に気付いてくれて心底安堵している。
奴は変わらずお人好しな眉を顰めて空を仰いだ。
「そうかそうか。俺が言うのも何だけどメシも旨いし気ぃ利くし、いい嫁になると思うよ」
「ああ。知ってる」
「惚気っすか。腹立つなあ」
奴はクシャリとした顔だけを俺に向けて言った。
そこには負の感情が一切見受けられなかった。
「そうか。安心した。幸せそうでよかったよ。おまえも、あいつも……」
「ああ」
「絶対に幸せになれよ。俺の……いや、幸せになってほしいからさ」
「ああ」
俺は奴の顔を直視することができなかった。何も言えずに目を瞑って、空っぽになった缶ビールに口をつける。お情けで含んだ一滴のビールは苦くも辛かった。
「なあ、それ旨いの?」
ビールを美味しいと思って飲んだことはない。二十歳になったから。大人になったから飲んでいるだけに過ぎなかった。それならどうして無理してまで飲んでいるのかなんて答えることができず、俺は曖昧に頷くことにした。
「まあな。おまえの分も用意したが……」
飲めないな。たった五文字の言葉を苦みとともに飲み干した。
奴は俺の心情を察したように、眉尻を下げて苦笑いをした。
「そうだな。俺はまだ未成年だから」
心音が秒針のように規則正しく刻んでいた。静寂が落ちる。生暖かな風が二人の間をすり抜けていく。
時間は奴を置き去りにしたまま、刻一刻と過ぎていく。
奴が立ち上がって俺を見る。俺もつられて勢いよく直立した。
「そろそろ時間だ」
合図とともに、奴の身体が透き通っていき、闇夜と同化した。
去年も一昨年も三年前にも見てきた、別れの時間だった。
別れは唐突に訪れる。今も――四年前も唐突に訪れた。
気の利いた言葉すら言えやしない。来年も会える確証なんてない。お盆時に毎年与えられる三十分間。俺は涙を堪えるのに必死だった。
大人になれなかった友へ。たまにはゆっくり帰ってくれよ。
俺の作った歪な精霊馬は、今宵も役目を果たさず部屋で立ち尽くしている。
「また帰って来いよ」
俺は消えていった笑顔にそう告げた。




