はじめまして、愛する人。また逢えたら、今度は純白の道を共に歩むことを望んでいいですか
こつり、こつり、ヒールを鳴らしながら街を歩いていく。
澄んだ空の下、広がるのは純白に統一されたデコレーション。季節に沿って彩られるこの街は、何色にも染まれる真っ白で。初夏だというのに、どこか雪の中を思わせました。
「……」
見上げて、周りを見渡して。
きれいなデコレーションやドレスたちを見ながら歩いていく。
窓ガラスに映った自分の顔が少し困ったように笑っているのが見えて、相変わらずね、なんて、理由がわかっているからより困ったように笑った。
意識を、ショーウインドウに映る自分から窓ガラスの中にあるものに移す。そこにあるのは、純白のドレス。
それを見て、また自分が困ったように笑ってしまったのがわかった。
「……あの頃あのまま進んでいたのなら、私はこれを着ていたのかしら」
なんて、”あの頃”にこんなドレスは存在しないとわかっていながら思ってしまう。
同時に、いつものように。
「未練がましいわね」
相変わらず、と。
独り言ちて、またヒールを鳴らしながら歩き始めました。
大好きな人がいた。
今で言う結婚も決めていた、大好きな人。
その人には、自分の身勝手で別れを告げたけれど。
六月がジューンブライドと呼ばれ、街やテレビで取り上げられるようになってから、妙に当時のことを思い出した。
「結婚をしたいと思っているんだ」
お別れを決める、ずっと前。
恋人になって間もなく。オトハは、いつものように本を開きながら、いつも通り穏やかに言った。
あの頃は今よりももっと悲観的だったから、言われた言葉に一度止まって。自分がその相手だなんて思えなくて。
「……だれ、と」
なんて、少し恐怖しながら聞いたのを今でも覚えている。
こちらを見たオトハはきょとんとしていた。何を当然なことを、と。
その顔に、私の被害妄想は加速して。
あぁ私はその結婚する人の前にこうして付き合っているんだと、わけのわからないことに恐怖を覚えて。思わず目をそらしてしまう。
それに、オトハは納得したんでしょう。恐怖している私とは裏腹に、笑って。
「当然、君とだよ」
その言葉に、弾かれたようにオトハを見た。
少し照れたような、けれどどこか慈しむような、そんな顔で。
「少しかっこつけたかったんだけど、失敗したかな」
なんて肩を竦めて笑った。その言葉を理解して、今度は私が照れたようになってしまう。
「え、あの」
「うん?」
待ってそんな甘く手を握ってこないで。
「は、早いのでは」
「僕はもう適齢期だけれどね」
「そうですけれども」
恋人になってまだ数か月。クリスティアとリアスを見ているからか、そんな結婚だなんてまだまだ先だろうと思っていて。
目の前に座るオトハの甘い戯れに、たじろいでしまう。
「カリナの反応は本当にかわいらしいな」
「っ、からかってるんです?」
「いいや? 愛しているよ」
ぐっと、恥ずかしさにオトハを睨んだ。それさえも楽しいのか、オトハは笑うばかり。
少し年上の恋人は、いつだって少し意地悪だ。
一通り楽しそうに笑って、オトハはまた私の手を甘くさする。
「さっきの話」
ほんの少しだけ真剣な声になったから、自然と背筋が伸びた。
優しく動く指を見ながら、耳はオトハへ意識を向ける。
「僕は、カリナと生涯を共にしたいと思っているよ。この先ずっと、一緒にいたいと思ってる」
「……」
「もちろん、カリナがあまり結婚に前向きでないのならそれでもいいよ」
「……ほかのヒト、とかですか?」
「まさか。それなら一生恋人でいるだけさ」
なんて、掬われた手に口づけを落とされた。その目は、どこか逃がさないというような、そんな目で。
「……ずるいと思います」
「何がかな」
「おとなしそうに見えてそういう、獲物は逃がさないというような裏腹な感じが」
「僕だって男だからね。――ただ、まぁ」
手の甲に優しくすりよって、どこか寂し気な瞳になって。
「君が望むなら、別れもきっと受け入れるんだろうね」
小さく落とされた言葉に、その時はそんなことないと言い返した。
けれど現実とは残酷で。
私は治ることのない病気になって、オトハに別れを告げた。
身勝手で、わがままな別れ。
あなたに負担をかけると私が苦しいから、別れて欲しい。
そうしてどうか、幸せになってほしい。
そんなわがままを、あなたは受け入れてくれて。
お互いに、いつかまた巡り逢ったとしても、互いに恋をしないと、誓った。
それでいいと思っていたの。
いつかそれは思い出となって、あんなこともありましたね、なんて笑い話になって。
本当に、いつかあなたとまた出逢ったとき、「はじめまして」と笑えると思っていたわ。
「……」
長い旅だもの。
きっと、そんな最初の頃の恋愛なんて、意識しなくとも忘れると思っていた。
でもね。
「不思議ね」
もういないはずなのに、どこかに必ず”あなた”がいるの。
図書館に行って大昔の本に触れたらあなたを想って。新しい本を読めば、きっとこれはあなたが好きだと感じて。
あのまま私たちのように長生きしていたのなら、こんな服が似合うのかしらとか、こんな食べ物、きっと好きよね、とか。
夢にまでたまに現れて、あなたの姿すら忘れることができなくて。
ときおり口ずさんでいた歌も、忘れられないまま。
ねぇオトハ。
「あなたがここに生きていたのなら、このドレスを着て、あなたと手を取り合っていたのかしら」
ショーウインドウに手を添えて、その中にあるひとつのドレスを見上げる。
真っ白で、純白なウエディングドレス。
ヴァージンロードは兄に手を引かれながら歩くんでしょう。
クリスティアとリアスが嬉しそうに私たちを見て。
歩いた先に、真っ白なタキシードに身を包んだあなたがいて。
カリナ、って。
きっと優しく笑ってくれているのかしら。
あぁ、だめね。
「――いつまで経っても、忘れられないわ」
忘れられないし、ありえない未来の想像までしてしまうの。
ここにあなたがいたのならと、そんな妄想を。
もしもまた巡り逢えたのなら。
私はきっと、「初めまして」なんて言えないわ。
目からあたたかい雫があふれてくるのがわかる。往来だと知っていても、こらえきれずに、腕を目元にあててしゃがみこんだ。
もう逢えない大好きなあなたは、今どこにいるのかしら。
新しい姿で、誰かと幸せな人生を歩んでいる?
それに、どこか寂しいと思ってしまう私はずるいかしら。身勝手に別れを告げて、あなたの幸せを願うという建前で、自分を守ったくせに。
それでも、どうか思い出すことだけは許してほしい。
いつか出逢ったとき、あなたが大好きだった笑顔で、「初めまして」と笑うから。
あなたにまた恋をしたとしても、それを明かすことはしないから。
だから、どうか――。
そっと願って。
誰も見ていないからと、静かに涙を流し続けた。
♦
歌が聞こえた気がした。
懐かしくて、きっと誰も知らない、その歌。
けれどその自分の答えにすぐに、いや、と心の中で首を横に振った。
知っている子は、いる。
その歌が好きだと、かわいらしく笑う女の子。この時代にはもういることはないはずだけれど。
わかっているのに、その歌を聴きたくて見渡した。うっすらとしか見えないこの目を凝らして物にぶつからないようにしながら、音が強い方に歩いていく。
「……」
こつり、こつり。ヒールの音がリズムを刻んで、その歌が紡がれる。
そんなはずないとわかっている。
でも。
その声を、覚えていて。
脳裏に、あの頃がよみがえった。
大切な子。花のように笑う子で、はじめて、ずっと一緒にいたいと願った子。
思わず、手を伸ばしかけた。
けれどすぐに止めた。
頭の中で己を叱咤する。
”あの頃”とは、違う。
姿かたちが、違う。
「~♪、♪」
きっと、「初めまして」だ。
彼女にとっても、僕にとっても。そもそも、確信なんてない。偶然かもしれない。たまたま、なにかで知っただけかもしれない。
わかってる。
わかってるけれど。
「、あの」
「はい」
確かめたくて声をかければ、その子がぱっと振り返った気がした。
うっすらと見えるその顔は、笑っているのだけはわかって。
また手を伸ばしかけて、それを止めて。
精一杯、笑ってみる。
「はじめまして」
「? はじめまして」
笑ってくれたと声でわかる君に、息を吸って。
「……いい歌ですね、その歌」
先ほどのきれいな歌を、褒めてみる。
「……」
一瞬驚いた雰囲気になったけれど、その子はまたふわりと笑った雰囲気になって。
「そうでしょう?」
そうして、
「忘れられない歌なんです」
なんて言うから。抱きしめたい衝動に駆られた。
カリナだよね、と。喉から何度も音が出たがる。
どことなく声だってあの頃のままだ。うっすらとしか見えない風貌も、記憶の中の彼女とそっくりで。
歌を覚えているのは、偶然? それとも、君も僕のように記憶を残して旅を続けてる?
ねぇ、もしも。実はね、と話したら、君はどんな反応をするだろうか。
僕は姿かたちが変わってしまったから、きっと信じてはくれないんだろうか。それとも、私もね、なんて。あの頃みたいに照れたようにかわいらしく笑ってくれるんだろうか。
僕もまだ、少し信じられないところはあるけれど。
妙に確信もあるから、ふと、笑って。
「……そう」
「? あの」
君が好きだった、おだやかな顔で笑って。きっとそこにいるだろうと、まっすぐ前を見た。
そうして、ずるいとわかっているけれど。
告げる。
「――僕も忘れられないよ」
それだけ言って、背を向けて歩き出す。
どこか雰囲気が変わった彼女は、もう背にいるから明確な感情はわからない。
けれどこつり、ヒールが鳴って、迷ったようにこちらに近づいた音がした。
何歩か歩いて、また止まる。
そうして、息を吸った音が聞こえて。
「……また逢う日まで」
合言葉のようなそれに、今度は僕が振り向いた。
けれど近くに彼女はおらず、花が散ってしまったように、なにもなくて。
見えるのは、飾りつけだけ。きっと純白だろうというのは、季節特有だからわかった。
ふと隣を見上げれば、ショーウインドウの中にドレスがうっすらと見える。
この目ははっきり見えないけれど。記憶の中ではしっかりと見えた。
この時代になってから、きっと似合うんだろうと何度も想像してしまったそのドレス。
教会の中で、彼女の双子の兄や親友に囲まれて、きっと君は美しく笑うんだろう。
もう二度と恋はしないと誓ったけれど。
「時効なんて、君は聞いてくれないかな」
またもし巡り逢ってしまったら、きっと今度は、手を伸ばしてしまう。
君との約束を破らないように、二度と逢わないよう、願いながらも。
どこかで、また逢うことも願いながら。
「また逢う日まで、カリナ」
愛する君へ。
そう小さくこぼして、純白らしいその街の中を、一人歩いて行った。
『はじめまして、愛する人。また逢えたら、今度は純白の道を共に歩むことを望んでいいですか』/カリナ&音宮隼人




