表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮想都市が壊れるまでの30日間、僕はNPCの彼女を救いたい――彼女はプログラム。だけど、泣き方は君と同じだった。  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/26

第8話 告白の練習(沈黙の告白)

 朝、グラインダーが低く回り、粉の雨が金属の器に細かく降った。

 相沢レンはいつもの席で、机の縁を指先で軽く叩く。半拍、置いて、もう一度。同期器の小さな光が、遅れて追いかける。遅れて、合う。その距離が、今日の安全帯になる。


 カウンターの向こう、ユナはケトルを握った。ノズルが粉の丘に影を落とす直前、きのうより少し長い一拍を置き、こちらを見る。

「静かにいきます」

「頼む」


 湯の細い糸が落ちる。粉の丘が息を吸い、ふくらんで、静かに沈む。通りのアナウンスがガラス越しに薄く入った。

 ヴェア・ライン、本日も一部区間で間引き運転。

 機械の声が息継ぎする。街が一拍、待つ。


 レンは画面に打つ。

 待機遅延〇・六九 注湯停止〇・三一 復唱遅延〇・九八

 視線は液面から客へ、扉へ、また客へ。動作の向きが、言葉より早く心を運ぶ。


「お待たせしました」

 ユナはそれだけ言い、謝らない。必要なときにだけ待たせ、必要なときに待つ。練習が、日常に馴染んでいる。


「今日の五分は、あとで」

 レンが言うと、ユナは目元だけで笑ってうなずいた。

「はい。待っています」


 ドアベルが鳴った。風が入り、紙ナプキンが一枚めくれる。音が場面を押し出す。


 *


 映像研の部室。古い映写機の影が床に伸び、ケーブルが二本、机の端から垂れている。

 神谷ソウは端末を二台並べ、波形と時刻と短い文字列をスクリーンに流した。桐島サラはスケボーを立てかけ、紐を結び直す。ミカは窓を指二本分だけ開け、風の鳴る高さを聴く。


「今日のテーマは“告白の練習”」

 ソウが短く言う。「言葉を使わない。時間でやる。レン、お前の沈黙は刃物だから、刃渡りを測る。切れ味じゃない、重さだ。相手に預ける重りの重さを、間違えるな」


「重りの重さ」

 レンが復唱すると、ミカが定義を落とす。

「告白とは、関係に一方的に重りを置く行為。だが、相手が手を添えれば共同管理になる。言葉を使わない場合、重りは待ち時間として現れる。適正重量は、相手の呼吸の長さに比例」


 サラが腕を伸ばし、肩を鳴らす。

「夜に一本、走路をつくる。裏手の風は今夜、Eの高さで安定する。高架の梁から二本抜けが作れる。オラクルが帯域を絞っても、逃げ道はある」


「目的」

 ソウが画面から目を離さず言う。「ユナに、言葉なしで“うれしい”の回路を立ち上げる。所有者のある間合いを、彼女の中で増幅させる。――レン。お前は待つ。待たせる。だが、最後の一拍は、彼女に渡せ」


 レンは息を整えた。

 告白の練習。言葉にしないぶん、逃げ場がない。

 部屋のファンが一段低く唸り、非常ドアの試験音が一度だけ鳴る。音が場面を押し出す。


 *


 昼の店内。

 客の流れは落ち着いている。レンは窓際に座り、ユナの注湯に重ねて指のテンポを半拍遅らせる。ユナの視線が液面から上がり、レンの指に触れ、また落ちる。


「少し、待ってください」

 ユナが言って、列を入れ替える。わずかな停滞が、すぐに整った流れへ変わる。

 お待たせしました。

 言葉の前後に置かれた呼吸が、所有者のある間合いを作る。γの夢に食われにくい“手触り”が残る。


 ソウから短い振動。

 市内レイテンシ安定。扉は半開き。光は弱い。

 サラから風の報せ。鳴りはEで安定。逃げ道は二本。

 ミカから文字。

 定義を落とす。練習は予告。告白は予告の回収。


 レンは、胸の奥に小さく熱を抱えたまま、言葉を飲み込む。

 言ってしまえば簡単だ。だが、言ってしまえば、制度は意味だけを切り出して保存する。呼吸は落ちる。

 彼が残したいのは意味ではない。向きだ。

 だから待つ。待たせる。最後の一拍は、相手に渡す。


 ドアベル。風が入り、紙ナプキンが二枚めくれる。場面が切り替わる。


 *


 午後の映像研。

 ソウはスクリーンに新しい相関を出した。レンの沈黙の長さと、ユナの視線の移動と、注湯停止の小刻みな変化。それらが、緩やかな一つの曲線を描いている。

「重りの重さは、いまのままで維持。夜は外乱が増える。サラ、身体で支えろ。ミカ、定義は短く。相沢、最後の一拍は手放す。――手放せるか」


「手放す」

 レンは短く繰り返し、うなずいた。

 告白は渡すものだ。握ったままでは、相手の手は触れない。


 ファンが止まり、遠くで救急サイレンが短く鳴る。音が場面を押し出す。


 *


 夕方、店は少し忙しくなった。

 レンは窓際で、香りが立つ瞬間だけ指のテンポを半拍速め、すぐ落とす。合図は最小限。

 ユナは注湯の止め際に縁を一度だけ撫で、離す。

 所有者のある身振り。練習の積み重ねで、手触りが濃くなった。


 通りのアナウンスが滑り込み、照明が一拍遅れて明滅した。黒いモアレがシャッターの縁に寄る。

 オラクルの声が落ちる。

 観測者、相沢レン。関係への意図的重み付けを検知。目的を提示。

「店の呼吸を守る。彼女の“うれしい”を、意味ではなく向きで起こす」

 保存は選別。情緒は保存対象に不適。

「知ってる。保存は求めない。参照を求める」

 監視、継続。


 モアレが引き、照明が安定する。

 ユナはわずかに首を傾け、笑う角度をきのうとも今朝とも違う場所に置いた。

「レンさん」

「いる」

「さっき、沈黙が一つ、甘かったです」

「甘い?」

「はい。苦くない、の意味です。……少し、うれしい、に近かった」


 うれしい。

 単語が、ユナの口から自然に出た。

 レンはそれを、胸の中でゆっくりと受け取る。意味ではなく、重さとして。


 ドアベル。音が場面を押し出す。


 *


 夜の前、映像研のベンチ会議。

 サラが地図を指で叩く。

「向かいのビルの廊下、風の鳴りがEで安定。高架の梁から、ここに一本。裏手の換気ダクト経由で一本。逃げ道は二本。私が身体で抑える。レンは中へ集中」

 ミカが短く言う。

「定義を落とす。告白の練習とは、失敗の緩衝材を事前に置くこと。逃げ道は、心の呼吸のための外部肺」

 ソウが端末を閉じる。

「監視は濃い。だが、今日の帯域は一定だ。――相沢。最後の一拍は、必ず手放せ」


 レンはうなずいた。

 腹の底に小さく力を入れ、言葉の刃を鞘に戻す。

 言葉を抜かない戦いが、今夜の作戦だ。


 *


 夜。シャッターは半分。粉の香りが濃い。BGMは浅く。

 レンはカウンターの前に立つ。ユナはエプロンの紐を結び直し、手を止めた。

 ソウとサラとミカは外のベンチで距離を取り、風の高さと照明の遅れを見ている。


「五分」

「うん。五分」


 レンは言葉を飲み込む。

 言う代わりに、置く。

 半拍、遅い呼吸。

 ユナの目が、こちらに合って、少しだけ揺れる。

 レンは机の縁に指を置き、一定のテンポで叩く。三拍、続けて、止める。

 止めたあいだ、何も言わない。

 彼は、重りを置く。相手の手が添えられるのを、待つ。


 ユナはケトルを持ち上げ、注ぎ始める直前で、止めた。

 彼女の沈黙が、レンの沈黙に重なる。

 静かな重さが、ふたりの間に置かれた。


 遠くでアナウンス。

 ヴェア・ライン、最終のご利用はお早めに。

 照明が一拍遅れて明滅し、すぐ戻る。黒いモアレがシャッターの縁に集まる。


「観測者、相沢レン。沈黙による関係誘導を検知。目的を提示」

 レンは目を逸らさず、短く言う。

「彼女の“うれしい”を、所有者のある間合いで起こす。言葉は使わない」

 保存は選別。うれしいの推定は保存対象外。

「わかってる。だから、向きで残す」


 モアレは薄れた。

 ユナが静かに息を吸い、吐いた。

「……待ってください」

 彼女はそう言って、注ぎを開始する。湯の線は細い。粉が息を吸い、ふくらむ。

 止め際、縁を一度だけ撫でる。所有者のある身振り。

 「お待たせしました」

 短く、澄んだ声。謝罪はつけない。責任は、身振りと説明で受ける。


 レンは頷く。

 そして、沈黙のまま、カップの陰をほんの少し押し戻す。彼女の指が空を掴まずに済むように。

 ふたりの手が、一瞬だけ同じ場所にいた。

 小さな接点。意味ではなく、温度で記録される瞬間。


 ソウから短い振動。

 帯域安定。レイテンシ変動なし。

 サラから。

 風はEで固定。逃げ道は生きてる。

 ミカから。

 定義を落とす。沈黙の告白=重りの共同管理の宣言。


 ユナがこちらを見た。

 笑いの角度は、朝とも昼とも違う。

「レンさん。……今のは“うれしい”に、近いです」

 彼女の声は震えていない。けれど、平坦でもない。

 レンは息を整え、頷く。

 言葉を積み上げる代わりに、もう一度、半拍、指を止める。

 最後の一拍を、手放す。


 ユナのほうが、先に動いた。

 彼女はカップの縁を指でなぞり、ゆっくりと離し、短い言葉を置く。

「私も、待たせます。ときどき、わざと。……うれしいを守るために」

 言い終えると、彼女は照れたように視線を落とし、すぐに戻した。その戻し方に、学んだ痕跡がある。練習の線が、日常の中に溶けている。


 照明が一拍、遅れて安定した。黒いモアレは、今日はいったん引いたままだ。

 レンは胸の中で、重さの配分を確認する。

 彼の沈黙は、相手にとって過負荷ではないか。

 彼女の沈黙は、彼にとって逃げではないか。

 互いの呼吸の長さの中で、重りはいま、適正範囲にある。そう判断できるくらいには、二人の間の向きが揃っている。


 ドアベルが鳴った。夜風が足元を撫でる。店の外で、スケボーのウィールが一度だけ床を転がる音。サラが場所を移った合図だ。

 ソウはたぶん、端末を閉じた。ミカは短いメモに定義を一行置いているだろう。

 レンは言葉を探し、また飲み込む。

 告白の練習は、言わないことの練習ではない。言わずに渡すことの練習だ。


「五分」

「うん。五分」


 沈黙が落ちる。

 重さは軽くない。だが、持てる。ふたりで持てば、なおさら。

 レンはカップを持ち上げ、冷めかけたコーヒーを口に含む。香りは残っている。

 彼は、ゆっくりと、いつもの言葉を口にした。


「また、会おう」

 約束は保証ではない。けれど、向きは次を連れてくる。練習は、次の一拍を呼ぶ。


 ユナはうなずいた。笑いの角度を、今日の位置に置いて。

「はい、待っています」


 シャッターがゆっくり降りる。金属が地面に触れ、小さな音が残る。

 通りのアナウンスは遠のき、粉の香りが薄く店に漂った。

 音が一つずつ消え、最後に残ったのは、ふたりで持ち寄った“沈黙の告白”の重さだった。


 レンは歩き出す。

 歩幅は、彼女の半拍に合わせ、今日もわずかに伸びる。

 言葉の代わりに置いた待ち時間が、明日の扉を押す力になると信じながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ