55. 手作り(2)
「え?ルーカスさん?」
どうしたのだろうと首を傾げれば、ルーカスに切羽詰まった表情で肩を掴まれた。
「ち、違うんだ!花祭りのお菓子は、手作りが嫌で捨てた訳じゃないんだ!」
「え?」
決死の様子のルーカスの言葉に、私は目を瞬かせた。
「ーーは?お菓子を捨てた?最っ低ですね、さすが屑男」
「せ、先生、そんな事を……」
「えー⁈ ちょこれえと捨てちゃったのか先生⁈ めっちゃ美味かったのに」
「うわ……」
「なんだと!あの天上の甘味を捨てただと⁈」
絶対零度の声音のアンナや顔を青くするリヒトなどの外野からの声にも気づかないほど顔を青くして焦った様子のルーカスは、私の手を握りしめた。
「本当に、ごめん。君にあんなに悲しい思いをさせておいて、俺はまだ、ちゃんと謝罪もできていなかった」
深い後悔を滲ませた表情に、私は慌てて首を振る。先ほどの様子から、記憶を見た時に私が捨てられたチョコレートを拾った事を知ったのかもしれないと気がついた。
「あの、花祭りのお菓子の事なら、いいんですよ。勝手に押し付けたのは私です。だから、受け取ってくれただけでも、嬉しかったですから」
「そんな訳ないだろ!あんなに、一生懸命に作ってくれてたのに、俺は……!っ、……言い訳になってしまうけど、君にもらったお菓子を捨てたのは俺じゃないんだ。確かに今までは、女の子から貰ったお菓子は捨ていた。けど、ミズキに貰ったのは、捨てられなくて……部屋に置きっぱなしにしていたんだ。だけど出かけて帰ってきたら、無くなってて。たぶん、その日の清掃の者が勝手に捨ててしまったんだと思う」
今なら、絶対に手元から離さないのにと悔しそうに拳を握るルーカスに、私は今まで怖くて聞けなかった問いを小さく口にする。
「私のお菓子は、迷惑じゃ、なかったですか?」
「迷惑な訳ないよ!ミズキが俺のために作ってくれたものなら、俺にとってどんなプレゼントよりもずっとずっと価値のあるものだよ。あの時の馬鹿な俺は、その事を分かっていなかったけど」
「甘いもの、嫌いじゃないですか?」
「今までは、料理全般に興味が持てなかったけど……。でも、ミズキが作ってくれたものなら、食べたい!甘いものだって、全部」
普段の飄々とした態度をかなぐり捨てて必死に言い募るルーカスの様子に、安堵とともにフワリと口元に笑みが浮かぶ。
「よかった。ほんとは、ルーカスさんに食べてもらいたくて、プリンをひとつ残しているんです。……もし良かったら、食べてくれますか?」
そう伝えると、ルーカスはグッと泣くのを堪えるように唇を噛み締めて私を抱きしめた。
「うん。……ありがとう、ミズキ。本当に、ごめん。俺は、君に貰ってばかりで。……でも、ミズキの料理が食べられる事がすごく、すごく嬉しいんだ」
私を抱きしめる腕が微かに震えている。
ルーカスにとって本当の自分を知っていて、それでもそんな自分のために作られた料理がどれほど彼にとって得難いものなのかという事をまだ私は理解できていなかった。だからどうしてこんなに私の料理を欲しがってくれているのか分からなかったのだけれど、それでもこんなに求められて嬉しくない訳がなかった。
私はそっとルーカスの胸に頭を預ける。
「ルーカスさんに美味しいって言ってもらえるように、もっと料理頑張りますね」
「これ以上、ミズキが頑張る必要なんてないんだよ。今までずっと、一人で頑張ってきてくれたんだから」
「でも、ルーカスさんために出来ることがあるのが、嬉しいんです」
「っ、……ミズキは、優しすぎるよ。俺は、もうどこから謝ればいいのか分からないくらい、君に酷い事してきたのに。もっと、怒っていいんだよ。もっと俺に我儘になっていい。ミズキが許してくれるまで、俺はなんだってするんだから」
歪みの消滅方法を隠匿する私をルーカスが敵視するのは当然のことだった。それを分かりながらも隠匿したのは私で、だから彼を責めることなんてないのだけれど……。
でも、そう言ってもルーカスは自分を責め続けてしまう気がして、私は咄嗟に口を開いた。
「じゃあ、我儘を言っても、いいですか?」
「うん!もちろんだよ!」
ぱあっと顔を明るくさせるルーカス。どうして、私の我儘でこんなに喜んでくれるのだろう。分からなくて、でも、胸の奥が熱くて。この人に、もっと笑ってほしいと思った。
「あの、ルーカスさんには、私が料理をした時の味見をしてほしいです!」
「それだけ……?」
「あ、あと、えっと、今夜も、お部屋に行っても、いいですか?」
「……」
黙り込んでしまったルーカスに、流石に我儘が過ぎただろうかと心配になって取り消そうと口を開きかけたら、ぽすりとルーカスの頭が肩にのった。
「それじゃあ、俺が幸せになるだけで、全然、償いにならないよ……」
「ルーカスさん、……幸せ、ですか……?」
「うん。……俺はね、ミズキの想いを知った時から、世界一の幸せ者だよ」
「っ!」
ルーカスの言葉に、胸がいっぱいになる。ずっと、ルーカスの幸せを願ってきた。その彼が、幸せだと笑って言ってくれたのだ。嬉しくて、幸せで、昨日で落ち着いたと思っていた涙がまた溢れてくる。
「うれしい……」
心から溢れた言の葉を、ルーカスが涙と共に優しくぬぐう。そして、そっと額に口づけられた。
「!」
ぱっと頬を染めた私を、ルーカスが宝物のように見つめている。
「君のことがさ、大切で仕方ないんだ。本当に、どうすればいいか分からないくらい、君が好きでたまらないんだよ。ミズキが側に居てくれるだけで、きっと俺はこの先ずっと、幸せだよ」
その言葉に、眼差しに。いまだに夢みたいだと思ってしまう私の心がゆっくりと溶かされていく。想いを言葉にすると夢が覚めてしまいそうで、いまだに大好きだと言葉にできない怖がりで情けない私に、ルーカスは溺れるほどの愛情を注いでくれる。
「ルーカスさん……」
「ミズキ」
「……あー、先生?聖女様?俺たちもいる事忘れてない?」
「!」
恐る恐るというように上げられたマイクの声に、私はハッと顔を上げる。厨房の机に座ったままだったみんなが、気まずそうにこちらを見ていることに気づいて先ほどとは違った理由でかあぁと頬が熱くなってしまう。あまりの恥ずかしさから両手で顔を覆っていると、私を隠すように黒いローブの中に抱きしめられた。
「あんまり可愛いミズキを見ないでね。こればっかりは、例えリヒトやマイクが相手でも絶対に譲れないから」
恥ずかしがる事なく、堂々と宣言するルーカスの声が聞こえる。ルーカスのローブの中に隠されている私は、その時みんなを見るルーカスの目が笑っていなかったことについぞ気がつくことはなかったのだけれど。「先生は、本気で聖女様の事が好きなんですね。絶対に誰にも取られたくないくらい」あんな先生初めて見ましたと、後からリヒトが笑って教えてくれた。
その後プリンを食べた時も夕食の時も、ルーカスは「すごく美味しい」「幸せだ」そんな言葉を何度も繰り返しながら本当に幸せそうに私の料理を食べてくれた。その笑顔が嬉しくて、どうしようもなく幸せで。私はこれからもずっと、彼にご飯を作りたいと心の中で願ったのだった。




