53. 夢みたいな日(3)
瑞希視点→ルーカス視点
その日の夜、私は初めて離宮の食堂で夕食を食べる事になった。たくさん寝て体はすっかり回復していたので、わざわざ食事を運んでもらうのが申し訳ないと言ったら、じゃあ食堂で食べようかとルーカスにひょいと抱き上げられてしまったのだ。
「ル、ルーカスさん、自分で歩けます!重いですから……」
「ミズキは軽すぎるくらいだよ。元気になるためにも、もっとたくさん食べなくちゃ」
赤くなって下ろしてもらおうとしても、ルーカスは軽々と私を抱き上げたまま離そうとはしなかった。それどころか、何故かとても楽しそうで抵抗する気がしゅるしゅると小さくなってしまう。
「あの、ルーカスさんのお薬のお陰で、体調はすごく良いんです。お薬を用意してくれて、本当にありがとうございました」
本当に、ルーカスに診てもらってから、ずっと体を蝕んでいた痛みや苦しさが嘘のようになくなったのだ。改めてお礼を言えば、ルーカスはとても優しい顔をして「良かった」と笑ってくれた。
食堂につくと、そっと椅子に優しく下ろされてルーカスがすぐに食事を持ってくる。正面に座ると、お椀とスプーンを引き寄せて『あーん』の体制が素早く整えられた。恥ずかしさから涙目でぷるぷる首を振っていると、食事が一人分しかない事に気がつく。
「ルーカスさんは、食べないのですか?」
「俺はミズキが美味しそうに食べてくれているのを見れたら幸せで胸がいっぱいだよ」
ニコニコと、誓約魔法に触れていないため本心からであろう言葉を吐露するルーカスに、なんと返せばいいのか分からなくなる。
「あ、あの、でも、私……ルーカスさんと一緒にご飯が食べられたら、嬉しいです……」
「っすぐ俺の分を持ってくるから待ってて!」
魔法のような早さで自分の分を持って私の前の席についたルーカス。一緒に食べられる事が嬉しくて笑うと、それ以上に嬉しそうな笑顔を返された。
その時、食堂の扉からリヒトとマイクが顔を出した。その後ろには、珍しくローグとヴァルトの姿もある。
私を見て、リヒトが顔を輝かせた。
「聖女様、今日はこちらで夕食をご一緒できるんですか?」
「は、はい。あの、ご迷惑ではないですか……?」
「まさか!ご一緒できて嬉しいです」
「俺も!」
ニカリと笑ったマイクとリヒトの言葉に、じわりと嬉しい気持ちが溢れた。ローグもヴァルトも、何も言わなくても同じテーブルに掛けてくれた。みんなで囲む夕食は、まるでゲームの一場面のようだった。
「聖女、もう体は大丈夫なのか?」
「はい、ルーカスさんのお陰で、もうすっかり良くなりました」
「本当に良かったです!」
「もっと食った方がいいぞ!ん?聖女様の皿にある果物ってなんだ?」
「ルーカスさんが買ってきてくれたんです。ミルの実と言うそうなんですが、とても美味しかったです。マイク君も食べますか?」
「は?! ミルの実ぃ?! あの超高きゅ……!……!」
「ははは、何言ってるのかな?」
なぜか話の途中で声でも出なくなったかのように口をパクパクしだしたマイクにルーカスが微笑むと、その微笑みを見たマイクたちは顔色を悪くしてコクコクと頷いた。
「マイクくん、どうしたんですか?」
「マイクはいつも食事にがっつくから喉にでも詰まったんでしょ。ミズキは気にしなくていいから、いっぱい食べて」
「は、はい……?」
賑やかな食事に、みんなの笑顔。
とても楽しくて、嬉しくて。
ああ、ダメだと思うのに、食事の途中で勝手にぽろりと涙が零れた。
「ミズキ?! 」
ガタリと立ち上がったルーカスが、血相を変えてすぐに私の横に来た。
「どうしたの?どこか辛い?」
心配そうに私を覗きこむルーカスに、慌ててふるふると首を振る。
「ごめ、なさい。ただ、嬉しくて。みんなで食事が出来るのが、すごく、嬉しかったから……」
心配そうにこちらを伺うみんなにそう言えば、みんなはほっとしたように息を吐き、これからたくさん一緒に食事をしようと笑って言ってくれた。
幸せで、本当に夢みたいに幸せで――。
夜になり寝る支度を整えてベッドに横たわって目を閉じると、今日の出来事が次々と脳裏に蘇った。幸せでも涙が出る事を、私は今日初めて知った。
幸せすぎて、あまりにも夢みたいで――怖くなるほど。
(……何もできない私に、こんな幸せをもらう資格はあるのかな……)
シンとした部屋の中で、私はそっと体を起こした。もうみんなも寝ている時間で、静かなのは当たり前だ。それなのに、みんながお見舞いに来てくれた賑やかだった昼間との差にふと怖くなる。そんな訳ないと分かっているのに、このまま寝たら今日の出来事が全て夢になってしまいそうな恐怖にとらわれた。
(ルーカスさん……)
とても優しい笑顔を知ってしまった。ふわりとゆるむ瞳も、甘やかすような優しい声も。それが、全部夢になってしまったら……
(ううん、違う。ルーカスさんは、ちゃんと約束してくれた。一緒に、生きようって。夢なんかじゃない)
ぎゅっと自分を守る様に膝を抱えるけれど、怖い想像が去ってくれることはなかった。
(……ルーカスさんに、会いたい……)
今はもう真夜中だ。きっと寝ているのだから会えないと分かっているのに、それでも少しでも側に行ければと私はそっと部屋を抜け出していた。
***
部屋の一角で、俺はいくつもの文献を並べて薬の精製を行っていた。
今ではほとんど手に入れる事のできない希少な薬草をいくつか使用した薬は、魔力を使った特殊な精製方法を必要とする。今の時代では恐らくもう作れる薬師は存在しないだろう。精製が成功したことを示す色の変化を認め、火からおろす。作業を終えてふと窓の外を見れば、もう月は空の頂点を過ぎていた。
窓辺に立って空に浮かぶ双子月を眺めていると、夕食の時のミズキの様子を思い出す。
もっと心から笑ってほしい。彼女を幸せにするにはどうすればいいか、昨日の夜から、ずっとそんな事ばかり考えている。
その時、部屋のドアの外にかすかな人の気配を感じて振り返る。ノックをするでもなく静かに廊下に佇む気配を探って正体を知った俺は、慌ててドアを開けた。
「ミズキ?! どうしたの?! 」
廊下には、突然扉が開いて驚いたように目を見開いた瑞希が立っていた。こんな時間に何かあったのだろうかと慌てて全身の様子を見てみるも、特に体調に変わりはないようでほっとする。瑞希はとても申し訳なさそうな顔でストールをおさえる両手をぎゅっと握っていた。
「ご、ごめんなさい。こんな時間に……」
「?謝ることなんて何もないよ。ミズキならいつだって大歓迎だよ。眠れない?……何か、不安なことがあった?」
「あ、あの、ルーカスさんの顔を、見られたらと思っただけなんです。そんな事で起こしちゃって、ほんとうにっ――」
本当に申し訳なさそうに頭を下げようとする瑞希の肩をそっと抑えて止める。
「ミズキ、俺にごめんなさいは禁止。君が俺の部屋に来てくれて、俺は今すごく嬉しいんだから」
悲しげな顔をなんとか笑顔に変えたくて、俺は今にも帰ろうとする瑞希を引き留めて部屋のソファに座らせた。瑞希は申し訳なさそうにソファの端で小さくなっている。
「ごめんなさい、本当に、わたし今日、自分の感情が全然、コントロールできなくて……。ルーカスさんに迷惑かけっぱなしで……」
「迷惑なんて全く思わないよ。夜もミズキに会えて、俺にとっては嬉しいことしかないんだから」
俺の言葉に、瑞希は唇を小さく震わせた。
自分の無力さを痛感する。なんでもない相手なら、時間を無駄にしたくなくて何のためらいもなく記憶を読んでいるところだ。けれど、そんなことをして瑞希に嫌な思いをさせたらと思えば絶対にそんな事できない。だからこんな時、どうすれば一番彼女のためになるのかすぐに判断できない。誰より気持ちを知りたい相手ほど、俺は手をこまねいてしまう。ミズキの不安を知りたくて、でも無理に聞いて悲しい思いをさせたくない。俺は希うように、瑞希の小さな手を温めるように包みこんだ。すると、瑞希の体のこわばりが少しだけ解ける。この熱が少しでも瑞希の心を温めてくれるのなら、いつまでだってこうしていよう。
しばらくそうしていると、瑞希が小さな声を聞かせてくれた。
「……今日が、夢みたいに幸せだったから……。寝ちゃったら、本当に夢になっちゃうんじゃないかって、怖くなってしまったんです……」
子供みたいな事で迷惑かけてごめんなさいと、泣くのを耐えるように俯いた瑞希に、俺はたまらなくなってその体を抱きしめた。
「ルーカスさん……?」
「謝らないで。……本当に、ミズキが来てくれて良かった……。一人で泣かせる所だった……」
抱きしめる腕が震える。瑞希が今夜自分のもとに来なければ一人で泣かせてしまっていたと思えば、自分が許せなくなる。
ああ、自分の不甲斐なさに嫌気がさす。ボロボロに傷ついているこの子の心を、どうしてもっと考えてあげられなかったのだろう。昨日の今日なのだ。つい昨日まで、俺は瑞希の想いも知らずに彼女を傷つけ続けた本当に愚かな男だった。そんな男が、身勝手にも態度を急変させて彼女に愛を乞い始めた。彼女にとっては、いまだに信じきれなくて当然に決まっている。受け入れてくれたことさえ、奇跡のようなものなのに。
(いや、違う。奇跡なんかじゃない。すべては、ミズキの優しさに依存しているんだ)
俺は気付かれないようにグッと奥歯を噛みしめた。彼女に、何の憂いもなく笑って欲しい。彼女が俺にくれた奇跡みたいな想いに、少しでも報えるものを返したい。そう思っているのに、一緒にいることで俺ばかりが幸せで彼女にもらってばかりだ。
「ミズキ、お願いがあるんだ。ミズキが眠くなるまで、ここで一緒におしゃべりをしよう。ミズキのこと、いっぱい教えて欲しいな」
「でも、ルーカスさんのお休みの邪魔に……」
「邪魔な訳ない。ずっとミズキの側にいられるなら、俺にとってこんなに幸せなことはないよ」
俺の言葉に、ミズキは泣きそうに目を潤ませてこくりと頷いてくれた。
ふわりと華奢なミズキを抱き上げて、膝の上に抱え上げる。寒くないようにストールを肩にかけ、小さな体を怖がらせないようにそっと抱きしめた。
「ミズキ、不安な時は、いつもこうして一緒にいよう。ミズキが不安な時は、いつでも俺を呼んで。すぐに飛んでいくから」
夜の静けさを壊さないように、二人で内緒話をするように小声でたわいもない話をした。二人で寄り添っているとポカポカと温かくて、瑞希を温めてあげたいのに俺の方こそ瑞希の温もりに心が幸せに満たされていく。しばらくして安心したように俺の胸に寄りかかって眠りについた瑞希を、俺は宝物のように優しく抱きしめ目を閉じた。




