52. 夢みたいな日(2)
まだゆっくり休んだ方が良いからと皆が戻っていった後、私はなかなか寝付くことができなかった。たくさんの事がありすぎて、ともすればすぐにルーカスの自分を見つめる優しい笑顔を思い出してしまい顔が熱くなってしまう。頭の中がいっぱいいっぱいで、何とか落ち着くために部屋に置いていた歪みの資料に手を伸ばしていた。
なんとか集中して読み進めていると、ノックの音が聞こえてきて返事をする。入って来たルーカスは、私が起き上がって本を読んでいる姿に驚いたような表情を浮かべた。
「ミズキ、休んでなくて大丈夫なの?寒くはない?」
慌てたように肩にストールをかけてくれるルーカスに、私はじわりと心を満たすむず痒い気持ちに頬を染めた。
「ありがとうございます、ルーカスさん」
「うん」
熱を測る様にそっと私の額に触れたルーカスが、安堵したようにふわりと笑う。
「ルーカスさんは、街へ行かれてたんですか?」
いくつかの包みを持っているルーカスに問いかければ、彼は頷いてたくさんの果物やお菓子を取り出した。
「少しでもミズキが食べられたらと思って、いろいろ買って来たんだ。ミズキは果物は好き?このミルの実はすごく栄養価も高い上に甘くておいしいから人気があるんだ。こっちのルーべはさっぱりしていて食欲がない時も食べられると思う。甘い物もあるよ」
「こ、こんなに……?」
山と積まれたお土産に私は目を見開いた。この世界では瘴気の影響で作物が育ちにくいため果物は高級品だ。それをこんなに買い込むなんて、とても高かったんじゃないだろうか。
焦る私に、ルーカスがブドウのようなミルの実を一粒とって差し出してきた。
「ミズキ、口を開けてみて」
「え?」
とっさに開けた口に、果実が入れられる。反射的に噛みしめた途端、口の中に瑞々しい甘さが広がった。いくつでも食べられそうな美味しさに頬が緩む。
「おいしい……」
頬を緩めた私に、ぱあっとルーカスがとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「良かった!気に入った?どんどん食べてね。またたくさん買ってくるから」
「そんな、こんなにあるんですから、もう十分です。高いでしょうし……」
止めようとする私の口に再びミルの実を放り込んで、ルーカスは翡翠の瞳を優しく緩ませて私の瞳を見つめる。
「こんなものでミズキが喜んでくれるなら、俺は市場中のミルの実を買い占めたってかまわないよ。そのくらい何てことない。もっと、ミズキの好きなものを教えて?なんだって用意する。ミズキが元気になってくれることが一番嬉しいことだからね」
「ルーカスさん……」
ルーカスの優しい言葉が、乾いた大地に降る雨のように心に沁み込んで来る。こんな言葉をかけてもらえる事がいまだに信じられなくて、戸惑い情けなく頬を赤らめることしかできない私の手を、ルーカスが宝物のようにそっと持ち上げる。
「ミズキ、少しだけ、君の体の治療のために魔法を使ってもいい?」
「は、はい」
ルーカスの手から、あたたかな光を感じる。目を瞑り真剣な表情で何かを探っている様子だったルーカスは、しばらくして瞼を上げて私を見つめた。
「すぐに完治させることは出来ないけど、発作を抑えてあげることはできそうだ。後で薬をもってくるからね。大丈夫、時間はかかるけど、ちゃんと治るよ」
ルーカスの言葉に、私は目を見開いた。
「ほんと、ですか……?私の病気は、治るんですか……?」
「うん。俺が、絶対にミズキを死なせたりしない。一緒に生きようって約束しただろう?」
真っすぐに伝えられた言葉に、目元が熱くなる。すでに元の世界で死んだ体だ。どこかでこの病気で死ぬのは当然のように感じていた。きっとこの世界でも、一人で死んでいくのだと思っていた。それが、嘘をつかないと誓約したルーカスの言葉でやっと死ぬことはないのだと実感する。これからもルーカスと一緒にいられるという事に、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「歪みのことも、ちゃんと一緒に考えよう。だから今は、無理せずしっかり休んで」
そう言ったルーカスは、資料を片づけると優しく私をベッドに寝かせて手を握ってくれる。
「何か欲しいものやしてほしいことはある?」
砂糖菓子のように私を甘やかす優しい声音に、私はこんなに我儘を言っていいのかなと思いながらもおずおずと口を開けた。
「あの……、眠るまで、側にいてくれますか……?」
「うん、もちろん」
当然のように笑って受け入れてくれたことが嬉しくてへにゃりと笑うと、私は幸せな気持ちに包まれながら目を閉じた。
***
眠りについた瑞希の頬に、万感の思いを込めて優しく触れる。瑞希の為ならどんなことでもしてあげるのに、君が望むのは本当にささやかな事だけだ。それでも、とても嬉しそうに笑ってくれた瑞希にこれ以上なんてないと思っていた愛しさが更に溢れてくる。
「愛してるよ、ミズキ」
ミズキが笑ってくれるだけで、今まで感じたことのない幸せに溺れそうになる。愛しくて、大切でたまらない。彼女の苦しみは、すべて取り除いてあげたかった。
いつまででも寝顔を眺めていたかったけれど、ズキリとした胸の痛みに眉を寄せる。俺は彼女の繋いでいる手を優しく布団の中に戻すと起こさないように静かに部屋を後にした。
「くっ、がはっ」
絶え間なく続く苦しさと吐き出した血に拳を握る。
「……君は、こんな苦しみを抱えながら俺たちの為に頑張っていてくれたんだね」
さっき彼女に治療と称してかけたのは、今は失われた古代の魔法だ。魔術による病気の治療は古の時代でも研究されていたが実現は出来ていなかった。そこで開発されたのが、この禁術だ。体の痛みを他者に移す魔法。拷問や非人道的な使い方もされたこの魔法は禁術とされ歴史の闇に消えて行ったが、歪みの研究で古代の遺跡を回っていた頃に偶然その資料を発見したのだ。
(まさかこの術にこんなに感謝する日が来るなんて思わなかったな)
彼女の病気の治療にはどれだけ希少な薬草を使っても時間がかかる。ボロボロになっている体の修復も行わなければ根本的な治癒にはならないからだ。しかしその間、ミズキに苦しい思いをさせ続けることなんて絶対に許容できなかった。発作の兆候を捉えた時には、何のためらいもなくこの術を使っていた。むしろ、どうしてもっと早くこの術を使わなかったのかと後悔しかない。
(効果はそれほど長く続かないから、ミズキにバレないように何度か重ね掛けしないとね。……病自体も俺に移せれば良かったんだけど)
そう、この禁術は痛みを移すだけで、病気自体を移す事はできない。ミズキの体は、今も病に蝕まれている状態だ。衰弱が始まれば、その症状までは引き受けてあげられない。そして、病の進行は予想よりもずっと早かった。
(薬の効果が出るまでに、ミズキの体が保つか……いや、保たせる。絶対に死なせはしない)
俺は血が滲むほどに拳を握りしめる。
その時、コツコツと廊下の端からアンナがやってくる足音が聞こえてきて、俺は瞬時に魔術で血の跡を消し去ってニコリと笑顔を浮かべた。
「やあ、アンナ嬢」
「屑男ですか、聖女様のご様子は?」
「あはは、相変わらずだね」
ぎろりと絶対零度の視線を受けながらも、ミズキの大切な友人である彼女に反論するつもりはない。言われて当然の事をしてきたのは俺自身なのだから。
「ミズキは今眠っているよ。毒の影響からは回復しているから、明日には起き上がれるはずだ」
「そうですか」
それだけ聞けば用はないとばかりに清々しいほどに俺を無視して横を通り抜けていこうとする彼女に、俺は果物の詰まった包みを渡した。
「これ、ミズキが美味しいって食べてくれたんだ。夕食でもこれを出してあげてくれない?」
「はあ、いいですけど……」
そう言って包みの中を見たアンナは目を瞠った。
「って、これ、まさかミルの実ですか?! 一粒で王都に家を建てられるくらいの超高級品。貴族でもめったに食べられないという……。金と同じ重さで取引されるルーベまで……」
「ミズキには内緒にね。遠慮して食べてくれなくなっちゃったら困るから」
「はあ……。まあ、いいですけど。……随分と心境の変化があったのですね」
「……そうだね。初めて、死にたくなるくらいの後悔ってものを経験したからね」
記憶の中の瑞希の涙を思い出すだけで、自分の愚かさに自分自身を殺したい衝動にかられる。どうして彼女の想いに気づけなかったのか、彼女の苦しみを知ろうとしなかったのか、……どうして、彼女を傷つける事ができたのか。
「これからは、俺の命を懸けてもミズキを守るよ。その点だけは、信用してほしいな」
「……次、泣かせたら二度と許しません」
「肝に銘じておくよ」
ヒラヒラと手を振りながらも、その誓いはどこまでも本心からのものだった。
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