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5. 誤解



「……え?」


ルーカスの質問に、私は頭の中が疑問符で溢れた。


「ルーカス先生、どうしたんですか?」


困惑したようなリヒトの問いかけをサラリと流して、ルーカスは私に笑みを浮かべる。それは、お手本のような笑顔で……。


「気づいている?君はさ、一度も元の世界に戻れるのかって聞いてこないんだ。普通、いきなりこの世界に召喚されたなら一番に気になることじゃない?なのに君は、まるでここがどんな世界か初めから知っていたかのように落ち着いてる」

「!それ、は……」


思いもよらなかった質問に口ごもる私に、ルーカスは更に続ける。

ヒヤリと、冷気が足元から登ってきたような心地がした。


「謁見の間でも、まるでどうやれば良いか分かっていたかのように浄化をして見せたね。さっき、君の世界に魔法はないと言っていたのに」


(どうしよう……。怪しまれてる……?)


ルーカスは、とても頭の良い人だ。齢十歳にして新たな魔法理論を作り出した本物の天才魔術師。そして、隠しているが千年の時を生きる大賢者でもある。彼は、小さな違和感から、全てを理論的に組み立て、繋げていく。


「そして、俺たち辺境伯領の現状を理解しているかのような言動。王の差別発言にも、君は何の反応も示さず今も疑問にも思ってないようだ。半獣人なんて、君は初めて見たはずなのに、マイクの容姿に驚いた様子もなかった」


ドクリドクリと、心臓が嫌な音を立てる。まるで猫に追い詰められたネズミのように、私は逃げ場もないのにソファの上をかすかに後ずさる。

全てを見通すような翡翠の瞳が、真っ直ぐに突き刺さる。


「――君は、この国や俺たちについて知識がある。そうでしょ?」


ルーカスの言葉は疑問形を呈していても、間違いなく確信している響き。


(どうしよう……。こんな展開、ゲームになかった)


私は喉がカラカラに乾いたような心地になる。どう答えるのが正解なのか、分からない。こんな展開、当然ゲームではないのだから。

でも、ルーカスの瞳にこれ以上誤魔化すことなどできないことを悟る。それにみんなに嘘はつきたくなかった。

私はぎゅっと両手を握り、ゆっくりと頷く。


「そう、です……」


「どういう事ですか?聖女様ははこの国の人間だったということですか?王都の人間?」


驚いたようなリヒトの問いかけに、ブンブンと首を横に振る。


「違います!私は、こことは別の世界で、ゲームでこの世界の事を知っただけで」

「“ゲーム”ってなにかな?賭け事のゲームとは違うんでしょ?」


不審に思われないよう、私は必死で言葉を紡ぐ。


「はい。あの、自分が物語の主人公になって冒険が出来る遊びで……。ここはヒロインが浄化のためにこの世界に召喚されて、仲間と一緒に旅をする物語、でした……」

「つまり、今の君と同じ状況ということ?それが君の世界で物語になっていたと」


ルーカスの言葉に、こくりと頷く。


「俺たちの個人情報も、知っていたよね?俺の名前も知っていたし、初対面でも君はリヒトを信頼している様子だった」


(そんなことまで、分かってしまうんだ)


私は力を失ったように、再びこくりと頷いた。


「なるほどね、俺たちはその物語の登場人物だった訳だ。予言書のようなものかな」

「信じて、くれるんですか……?」

「うん、正直信じられない話だけど、実際今の状況から考察するとあり得ない話ではないと思う。光魔法の使い手はこの世界には存在しない。あの召喚陣から出てきた聖女様が異世界から来たのは間違いないからね。王都の人間じゃ、あの魔法陣に干渉はできないはずだ」


ルーカスの言葉に、私は信じてもらえた事にほっと安堵の息を漏らす。ルーカスはまるで私を安心させるように微笑む。


「ねえ、その“ゲーム”はどうやって遊ぶのか教えてよ」

「えっと、訓練や勉強をして力をつけて魔獣を倒したり、次の行動や会話の選択肢が示されて、それを選んで物語を進めていくんです」

「ふーん、その選択肢は当たりが一つだけなの?選択を変える事で何が変わるの?」


矢継ぎ早の質問に、私はたどたどしくも必死に答えていく。


「あの、当たりが一つという訳では……。変わるのは、好感度、かな。それに、選択によって物語の結末も変わります」

「結末が変わるというのは、それはつまり結界石の浄化を終わらせてめでたしめでたしとなるのか、世界が滅亡するか……ってとこ?」

「い、いえ、あのゲームに世界滅亡なんてバッドエンドはなかったです。ハッピーエンドか友情エンドかくらいしか……」


言ってから、私はとても失礼な発言をしている事に気がついた。


(この世界でちゃんと生きている人に、ゲームのキャラに対するような事を言うなんて失礼だ。それに、勝手に恋愛ゲームの相手にされているなんて、気分が悪いよね)


申し訳なさでギュッと膝上でスカートを握りしめた私に、ルーカスは気にすることなく話を続ける。


「なるほど、世界滅亡が無いということは、どの選択肢でも結界石の浄化は上手くいくということだね。じゃなきゃルダニアは瘴気に覆われて滅びちゃうもんね。

…………じゃあ、より上位の選択肢ってなにかなー」


楽しそうに喋りながら私の座るソファの周りをゆっくりと回ったルーカスは、私の正面でピタリと止まると低い声で問いかけた。



「ーー君さ、もしかして歪みを消滅させる方法、知っている?」



ルーカスの言葉に、私は体を強張らせて息をのんだ。

そして正面のルーカスの瞳を見た瞬間、私は間違えた事を悟った。


(気づ、かれた……)


リヒトやマイクだけでなく、ローグやヴァルトも固唾を飲んでこちらを見つめる。

ルーカスの瞳が、獲物を見据えるかのように細められた。


「歪みを消滅させる方法を知りながら……、君はそれを隠して浄化の旅に出ようとしてたんだ?」


その言葉とともに、部屋の温度が一気に下がったような気がした。みんながどんな顔をしているのか、恐ろしくてとても見れない。


「ヒロインって言葉、演劇の女主人公の意味だね。

ゲームで、遊び、好感度、ね……。君は、その知識を使って俺たちと恋愛遊戯がしたかったって訳かな?君にとってこの世界は、見目の良い男と旅をして恋愛を楽しむまさに“お遊び”って訳だ」

「違っ」


私は血の気が引いて、必死に否定しようとする。


「違います、そんなこと、思ってないです!」

「信じて欲しいと言うのなら、記憶を少し見せてくれる?大丈夫、痛いことなんてないよ。君のその物語の知識を共有できれば、安全に旅ができるし歪みも消滅させられて差別にあっている半獣人たちは救われる。そうでしょ?」


(私の記憶を読まれたら、歪みの消滅方法も知られてしまう。それだけは、駄目……!)


ルーカスは自分が原因で作り出されてしまった歪みを消滅させる方法をずっと探し続けてきた。そして『瑞希』たちとの浄化の旅の途中で発見するのだ。歪み発生の起点となった自分自身が歪みに身を投げ、そこでさらに異空間への転移魔法陣を発動させることでこの世界から歪みを消滅させることが出来る事を。


(知られたら、きっとルーカスは躊躇いなく歪みに身を投げてしまう)


ブンブンと首を振る私に、ルーカスの瞳が氷のように凍てついてゆく。

それをサッと笑顔の仮面に隠して、にこにこと無害そうな笑顔で近づき私の額に伸ばそうとする手を、私は咄嗟に避けた。――避けてしまった。

ルーカスは、対象の額に触れる事で記憶を読む事ができるから。


「…………へえ、もしかして、俺の魔法の発動条件まで知ってるんだ。びっくりだ〜」


口調はどこまでも軽くて、しかしその目はまったく笑っていない。


『一度敵とみなした者にはどこまでも冷酷である。』


ルーカスのプロフィールを思い出し、身体が震えた。




「ルーカス先生、止めてください」


その時、青い顔で固まる私に、横から凛とした声がかけられる。


「……元から、聖女様はこの世界になんの責任もない。お力を借りようと無理に召喚したのは私たちです。私たちは聖女様に結界石の浄化をお願いした。そして聖女様は浄化の旅に同行してくださると言っている。それで良いではないですか」


どこまでも真っすぐな、リヒトらしい誠実で優しい言葉。それが、痛い。

ずっと苦境の中努力してきた辺境伯領を背負って立つリヒトこそ、歪みの消滅を何より望んでいるはずなのに。


「聖女様、ルーカス先生が失礼をして申し訳ありませんでした。……まだ、私たちも混乱していますのでこのお話は後日にしましょう。今日は疲れたでしょうから、おやすみ下さい」

「……はい……。……ごめん、なさい……」


穏やかに笑って言ってくれていても、その両手が強く強く握りしめられているのを見て私は泣きそうになった。


(歪みの消滅方法を知りながら教えないなんて、責められて当然だ……)


でも、ルーカスを助けたいからなんて言ってしまえば、それだけでルーカスは自分の命がキーになることにすぐに気づいてしまうだろう。だからそれだけは、言えなかった。


言い訳も、何も言う事ができない私は、リヒトの言葉に甘えてよろよろと扉へ歩を進める。これ以上、この場にいる事などできなかった。


近くを通ったローグとヴァルトの瞳にも敵意を感じ、私は震えながら俯くことしかできない。


(これから、どうしたらいいの……?)


部屋から出て扉を閉めた途端、私は膝から崩れ落ちた。



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