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44. 東の結界石


その後、私は重い足取りで宿に戻った。私が外出していたことに驚いた様子のみんなに、しかし私は心配ないと笑顔を浮かべることさえもできなかった。



それから東の結界石への道のりは、正直あまり記憶に残っていない。私はただただ足を動かして、結界石を目指した。リヒトやマイク、ヴァルトやローグまでもが私を心配そうに見ているのは気が付いたけれど、私は顔を俯けて、最低限の受け答えしかすることが出来なかった。

一人テントの中で目を瞑れば、今にもルーカスが魔術書の解析を終わらせてしまうのではないかという恐怖で飛び起きる。まともに眠ることが、できなくなっていた。





たどり着いた森の窪地に佇む東の結界石。瘴気で黒い鏡面のような結晶に映る私の顔は、まるで病院に入院した頃の私のようだ。


(この世界でも、私はいらない人間だった……)


私は結界石の冷たい表面に手をついて、ありったけの光の魔力を流す。

今までは、魔力枯渇は命が削られるような恐怖を感じていたのに、何故か今は怖くなかった。ただただ、早くすべてを、終わらせたかった。


キンッと空気が清浄さを取り戻し、浄化が完了する。

なぜか頭が霞がかったようにぼんやりする。ゆらゆらと揺れ動く視界の中で、みんなが魔物の討伐を終えて剣を鞘におさめていた。


「おい、聖女?」

「聖女様?!」


焦ったようなヴァルトとリヒトの声が遠くから聞こえる。そこで、私の記憶は途切れた。




***




真っ暗闇の中で、私は目覚めた。ぼんやりと周りを見渡せば、そこは何もない空間の上方に星々だけがただ静かに浮かんでいる空間だった。

私はそっと起き上がった。星の光を映す地面は水面のように私の動きに合わせて波紋を広げるのに、服を濡らすことはない。立ち上がって周りを見るも、遠く遠く、どこまでも果て無く続くこの空間は、まるで星空の中に自分が浮かんでいるようだった。


「ここは、どこ……?」


普通なら、知らない空間に焦るところなのかもしれない。出口も分からず、どうやって元の場所に戻れるのかも分からない。でも、私の心は不思議なほどに凪いでいた。


(元から、帰る場所なんて私にはない……)


ゆっくりと、星空を歩くように足を進める。目的地なんてなかった。どうせならこのまま、この星空の中の一つの星になれたらいいのにとさえ思った。そんな私の視界の端に、小さな光が映り込む。何だろうかと顔を向けた私は、一瞬後、全身を硬直させた。信じられない思いに目を瞠る。


そこには、小さな光る蝶が舞っていた。


「!!!」


傍目に見ればそれはただの可愛らしい生き物に見えるだろう。けれど、私は知ってる。それが、この世界を守護する神の御使であることを。ゲームパッケージに小さく書かれたお伽噺のような一文。清き心の持ち主の願いを叶える伝説の蝶。ゲームでは、オープニングで演出のように描かれるだけだった。まさか、実際に目にできるなんて思ってもいなかったのだ。


「待って!お願い!」


縋るように、手を伸ばす。光る蝶は、幻のようにひらりひらりと手をかすめることなく飛んでいく。段々と遠ざかっていく蝶を、私は必死で追いかけた。必死で足を動かし、追い縋る。

それでも、光は私の手から零れ落ちるように遠ざかっていってしまう。

足が絡まり、勢いのままにバシャリと地面に転がる。必死に起き上がった先で、光は今にもその灯を消そうとしていた。


「お願いします!私に渡せるものなら何でも捧げます!私にできる事なら何でもします!私の命だって、構わないから……!」


私は、声をかぎりに叫んでいた。


「どうか、どうか、ルーカスさんを助ける方法を教えてください……!」


声が枯れるほどに叫んだ。一瞬、光る蝶がこちらを振り向くように止まった気がした。

しかしすぐ私の目の前で、その光の鱗粉を残して消えてしまった。


「ぁ、ああぁ……」


私は絶望からその場に座り込む。


神の御使いは、神に愛されるほど美しい心を持った人物の願いを叶えてくれると言う。

やっぱり私じゃ、ダメだったんだ。私が、『瑞希』じゃないから。私が、まがい物の聖女だから。

そのせいで、ルーカスさんは助からない。

ルーカスさんを助けられるのは、『瑞希』だけだったのに……。


絶望感で、目の前が真っ暗になる。蹲る水面に、死にそうな顔色の私の顔が映っていた。



……もしも私が死ねば、今度は、正しい『瑞希』が召喚される?



ふと、そんな考えが浮かんできた。

ルーカスが、聖女の帰還のために魔力を貯めている結晶石。それには、聖女召喚に必要なのと同量の莫大な魔力がため込まれている。


神に選ばれた、明るくて、みんなを笑顔にする太陽みたいな『瑞希』。

……『瑞希』なら、きっとルーカスを救える。


(私が、いなくなれば……)


そう思い浮かんだ瞬間、私の意識は再び闇に覆われた。



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