41. 魔術書(1)
東の結界石へ向かう馬車の中、私はぼんやりと窓から過ぎ去る景色を眺めていた。
「聖女様、体調がお悪いのですか?」
心配そうに聞いてきたリヒトに、私はフルフルと首を振って慌てて笑顔を浮かべた。
東の結界石の浄化のために王都を出発して三日目。窓から見える景色は移り変わり、今は広い畑がどこまでも広がっている。
「大丈夫です。少し、寝不足なだけですから」
「それならば、良かったです」
「……おい、森の途中で歩けなくなったら面倒だ、今のうちに寝ておけ」
ぼそりとそう言ったのは、フードを被ったローグだ。
「お、ローグも聖女様が心配だってよ」
「そんなんじゃない!」
ニカッと笑うマイクに、食って掛かるローグ。
「聖女、これでも食べていろ」
ヴァルトからは、小さな菓子を渡される。みんなに余計な心配をかけてしまっていることに申し訳なさが募り、私は何でもないように笑顔を浮かべる。いつもならここで茶々を入れてきそうなルーカスとは、今日も一度も目が合うことはなかった。
「……あの、今日は大河を渡った先の街で一泊するのですよね」
東の地には大きな大河が流れている。そのため、その行き来は船を利用するか、その大河に唯一かかっている大きな橋を渡るしかない。現在は、その橋のふもとの街へと向かっているところなのだ。
「はい、その予定です。これから行く街は物流の要となっているため、とてもに賑わっているのですよ」
リヒトの説明に、私はぐっと手のひらを握りしめた。
知っている。ゲームでは、『瑞希』とみんなが街の色々な出店を回るシーンがあった。そして、その後のイベントも……。
私は、顔を上げてゆっくりと口を開く。
「みなさんに、お願いがあるんです。明日の出発を、一日伸ばしていただけませんか?」
私の言葉に、リヒトは首を傾げる。
「どうしてでしょう?」
「っ、ゲームの知識で、明日出発すると事故に巻き込まれて怪我を負うことになるんです。だから……」
私の説明に、皆の目が見開かれた。このようにゲームの知識を私が伝えるのは初めての事だったからだろう。ルーカスまでもが、こちらを凝視するように見つめてくる。
信じてもらえるだろうか……。ギュッと両手を握りしめる私は、よほど酷い顔色をしていたのだろう。リヒトは心配そうな表情で快諾してくれた。
「分かりました。聖女様の体調も悪そうですし、出発は明後日にすることにしましょう」
私は知らず強張っていた体からほっと力を抜く。
(嘘をついて、ごめんなさい)
心の中で、みんなに何度も謝罪の言葉を繰り返した。明日は、物語上でとても大切なイベントが起こる。その場にみんなを……ルーカスを連れてくるわけにはいかなかったのだ。
***
翌日の朝、私は体調が悪いため一日部屋にいるから食事も不要だと伝え、こっそりと裏口から宿屋の外へと抜け出した。
そしてフードを被り、東の森へ続く道を急いだ。
「はあ、はあ……!」
走るたびに、ボロボロの体が悲鳴を上げる。それでも、私のせいで本来助かるはずの人が死んでしまったらと思うと、足を止めることなど出来なかった。
「!いた……!」
街からの続く街道の端で、小型の魔獣に襲われている商人らしき格好の老人を発見する。ゲームでは、この老人を助けたことで彼から古い魔術書がお礼として渡される。それは、古代語で書かれ今では誰も読むことが出来ないとても貴重なものだった。そこには、空間ごと転移を行う空間転移魔法が記されている。この魔術書を解読することで、ルーカスは自分ごと歪みを空間転移させこの世界から消滅させる方法を発見するのだ。
「こっちよ!」
大きな声で私は魔獣の気を引き付ける。グルリとこちらを向いた魔獣の血走った赤い目に震えるほどの恐ろしさを感じる。けれど、引くことは出来なかった。私はこの時の為に用意していた大量の魔物避けの粉を思いっきりこちらに向かってくる魔獣の顔面に投げつけた。
「ギャウッ!!」
大型の魔獣では効果はないけれど、結界を搔い潜る程度の小型の魔獣は嫌そうに体を捻らせ粉を落とそうとしている。その隙に、私は老人の手を引いて走った。国の大きな街道には、一定間隔で休憩所があり、そこには王宮魔術師によって簡易結界が張られているはずなのだ。
老人も、そして自分も、息も絶え絶えに見えてきた休憩所に走る。ところがちらりと後ろに目をやった時、怒り狂った様子の魔獣がこちらに突進してくる様子が見えて血の気が引く。
「危ない!」
私はとっさに老人を間近に迫った結界内に突き飛ばす。その直後に、強い衝撃を脇腹に受けて吹き飛んだ。しかし不幸中の幸いか、前方に吹き飛ばされたお陰でそのまま結界に転がり込む事ができた。
「ガアアアアア!!」
目の前の透明な結界の向こうで、魔獣が悔しげに爪を立てている。固唾を飲んでその様子を見つめていたが、しかしその内に諦めたのか、魔獣は森の奥へと戻っていった。




