40.
ルーカス視点続きます。
(どこにいった?)
花祭りから帰ってきて、俺はすぐにテーブルの上の包みが無くなっていることに気が付いた。どこを探しても見つからない包みに、俺は久しぶりに焦りの感情が湧き出るのを感じる。
(まさか、清掃の者が誤って捨ててしまったのか……?)
確かめようかと踵を返しかけ……、俺は自分らしくない感情の揺れに戸惑いの表情を浮かべた。
(はあ、俺は何をやっている?たかが菓子がなくなったくらいで、何を焦ることがある。聖女様には美味しかったと伝えてお返しを渡せば何の問題もないだろう)
俺は花祭りで買ってきた飴に目をやった。前にあげた飴と違い、今回買ってきたのは薄桃色の花びらの形の飴が可愛らしいガラス瓶に詰められたもの。瓶の首に綺麗な緑色のリボンがついたその商品を見た時、なんとなく彼女の顔が思い浮かんだ。
(きっと彼女は喜ぶだろう。あんな小さなおすそ分けにも、嬉しそうに笑っていたのだから。そうだ、今度は彼女の見ていたあの緑のリボンを買ってあげてもいい)
俺は何故か逸る心を抑えて聖女様を探した。彼女は、いつも俺を見ると花が綻ぶように微笑む。会えて心から嬉しいのだと、まるで俺の存在を肯定しているようなその微笑みに、いつの間にか揺れ動くようになった心をいつものように押し隠す。
それなのに――。
「ルーカス、さん……」
……なぜかこの日、彼女は怯えた様子で振り返った。先日、頬を染めて菓子を手渡してきた彼女の琥珀の瞳に、俺を拒絶するような色が滲む。その瞳に、俺は体の動きを止めた。
(なんだ?何があった?)
引き留める間もなく、彼女は避けるように俺から去っていった。その次の日も、次の日も……。
分からない事象に、再び苛立ちが募っていく。あれだけ俺に好意を示していたくせに、なぜ俺を拒絶する?
しばらく彼女に会うこともなく過ごした花祭りの最終日、俺は人ごみの中で偶然、彼女を見つけた。降り注ぐ花びらの中笑顔を浮かべた聖女様はとても綺麗に微笑んで――その笑顔を、ヴァルトに向けているのだった。
(――はは、なんだ。そういうことか)
短い生の中で、人はコロコロとその心を変える。そんなの、分かっていたことだった。いつだって人は、自分に都合の良い方へ乗り換える生き物だ。ましてや彼女は、召喚された当初から護衛である俺たちに好意的だった。恋愛遊戯の対象は、誰でも良かったんじゃないのか?
胸の奥から、ドロリとした苛立ちが込み上げる。
リヒトやマイクと楽しそうに話す笑顔も、ローグにお礼を言っていた嬉しそうな表情も、ヴァルトへ信頼を込めた瞳も――俺以外へと向ける彼女の瞳、全てが忌まわしかった。
(歪みの情報を得るために、聖女様には俺を選んでもらわないと……)
それが叶わないのであれば、その心を傷つけて壊すだけ。すべては、歪みを消滅させるために。
その翌日、聖女様が帰ってくる時間を離宮の前のベンチで待っていた。真っ赤な夕日で染められた道を、小柄な彼女が歩いて来る。俺に気づいた彼女が立ち止まって、目を見開く。夕日に煌めく琥珀の瞳は、まるで宝石のように綺麗だった。しかし彼女は次の瞬間、感情を静かな微笑みの下に隠して俺に挨拶をした。
いままで俺を避ける態度に苛立っていたのに、なぜか俺を見て浮かべた静かなその笑みに今まで以上の苛立ちが湧きあがった。少し前まで、俺を見て真っ赤になって揺れていた瞳から、その熱が消え失せているようで。
「へえ、聖女様、もう俺を避けるのはやめたんだ?」
気が付けば、俺は背後の木に彼女を追い詰めていた。
「昨日のお祭りで君とヴァルトを見たよ。いつの間にか随分と仲良くなってるみたいじゃない。やっぱり半獣人より人間の方がいいと思ったのかな?」
彼女の瞳に怯えが混じるのを、俺は冷めた目で見下ろす。
異世界から来てこの世界の情勢をはじめはよく知らなかったとしても、今はもう半獣人への差別を十分に分かっているだろう。人間とくっついた方が、どれだけ賢い選択かも。
「でも、俺的にはそんな悪女も大歓迎だよ。どう、聖女様、俺とも遊んでみる?」
……少しは傷つくだろうと、分かってした事だった。
彼女のやわらかな唇は思った以上に甘くて、キスに不慣れな拙い様子に気分が良くなる。
「ははは、嫌がらないんだ。やっぱり聖女様は誰でもいいんだね」
それでも、こんなことで泣くとは思っていなかったのだ。
彼女は、どれだけ傷つける言葉を言っても一度も泣き出すことはなかったから。いつも、ただ静かに微笑んでいたから。
とっさに緩んだ腕から逃げるように去っていった彼女を、俺は追いかけることもできずに立ち尽くした。
自分の感情が整理できないのは、いつぶりだろうか。俺はいつだって、計画通りにすべての出来事をなぞるように過ごしてきたから。人の行動も、感情も、おおよその予測はつく。それらを盤上の駒のように動かし、物事を進めてきた。いつも、そこに自分の感情など差しはさむ余地などない。そんな必要もなかったし、そんな感情とうの昔に捨て去ったものだったから。
なのに、ただ彼女の涙を見ただけで、――俺は、何もできずに立ち尽くすしかなかったのだ。




