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39. ルーカスside



ボロボロと涙を流しながら立ち去った聖女様の後ろ姿を見ながら、俺は何もできずに立ち尽くしていた。

……驚いたのだ。今までどれだけ言葉で傷つけても、彼女は泣く事は一度もなかったから。彼女の泣き顔を見た途端、俺は馬鹿みたいに固まって何もできなくなっていた。





――彼女の気持ちに確信をもったのは、西の結界石の浄化の後だった。

その時俺は、最近俺の顔に惹かれて言い寄ってきた城で侍女をやっている女と街へデートに来ていた。俺を連れ歩く女の顔には優越感がのぞいている。今まで飽きる程こんな顔をする人間を見てきた。人間はいつだって、容姿や金、権力の優劣を比べたがる。俺はそんな女にヘラリとした笑みを見せてその虚栄心を満たしてやり、その裏で王城に出入りする貴族たちの情報を抜き取っていく。辺境伯領へ反感を持つ貴族、半獣人を上手く利用して甘い蜜を吸おうとする貴族、それらを頭の中で振り分ける。


「ねえ、デートなんですもの、髪飾りをプレゼントしてくださらない?」


女の目には欲が灯る。俺の容姿に惹かれながらも、心の奥ではこちらが半獣人である事を見下している。その事に気づかず、半獣人である男をも受け入れる自分の寛容さに酔っている様子に笑いが漏れそうになる。自分が尽くされるのが当然と言うように店の中でも高価な宝石のついた髪飾りを要求してくる女に、俺はもちろんいいよと笑みを返す。気が遠くなるほど長い時間を生きてきた俺には、どうせ使い道がないと放っておいた金が腐るほどある。人生を何周も遊んで暮らせるほどのその金額を女に告げれば、きっと目の色を変えて結婚を迫ってくるのではないだろうか。


女の指す髪飾りを手にした時、俺はふと店の端に佇む綺麗な黒髪の少女の後ろ姿に目を引かれた。緑のリボンを見つめる飾り気のないその横顔に、俺は気付けば声をかけていた。

パッとこちらを振り返った聖女様。大きな琥珀色の瞳がこぼれ落ちそうだ。しかし俺の隣の女を見てその瞳が陰るのを見て、俺はおやと思った。彼女はきゅっと白い両手を握りしめて悲しげな光を宿した瞳を隠す。

俺は、知らずに口の端を上げた。


(……なんだ、俺の事が好きなのか)


ずっと俺を苛んでいた苛立ちは、いつの間にか霧散していた。


長い時間を生きていれば、だいたいの事は予想できるようになる。人の行動も、心も……。それなのに聖女様は、初めから俺の予想外の動きを見せていた。儚げな見た目で気が弱そうにもかかわらず、絶対に歪みの消滅方法を明かさない。脅しと懐柔の言葉を使えば簡単に口を割るかと思ったのに、彼女は真っ直ぐに俺を見て静かに微笑むだけだった。この世界で一人は寂しいと言いながら、俺たちの怪我を自分にことのように心を痛めながら、それでも彼女は口を噤み続ける。

彼女の目的が、思考が分からない。きっと、この苛立ちはそのせいだったのだろう。そうだ、けして彼女の言葉に心が揺さぶられた訳じゃない。その証拠に、彼女が俺の事を好きだと気付いて苛立ちが晴れている。恋する女の思考は単純で分かりやすいからだ。この顔で甘い言葉を囁けば、情報を手に入れるのはいつも容易だった。


「……なんだ、早く言ってくれれば良かったのに」


初めは俺の手を取ることを拒否していた聖女様。記憶を読む力のある俺を疎んでいるかと思っていた。ましてや、周りにはリヒトやマイクたちといった若くて見目の良い青年が揃っていたから、彼女の恋愛遊戯の相手に俺が選ばれることはないと思っていたのだけれど……。


ははっと笑いが漏れる。


(俺の容姿がお好みなら、早くそう言ってくれれば良かったのに。そうすれば、いくらでもやりようがあった。甘い言葉だってささやいてあげたのに。この侍女の女のように、ポロポロと情報を落としてくれるなら)


俺は隣で機嫌を損ねたように喚く女を無視して飛び出して行った聖女様を追いかけた。もう、この女には欠片も関心が向かなかった。聖女様にプレゼントをあげてみたら、どんな顔をするだろうかと、そんな事ばかりが頭に浮かんだ。


おすそ分けの飴を受け取った聖女様は、まるで初めてプレゼントをもらった子供のように嬉しそうで。本当に、嬉しそうで。……なんとなく、胸の底に沈んでいた擦り切れた感情が動くような気がして、俺はぱっと背を向けて彼女の元から立ち去った。


(これは、うまく彼女から情報を引き出すきっかけが掴めたから。それだけだ)


そう言い聞かせながらも、なぜか西の森で崖から落ちた日の夜を思い出す。


『あなたが何者であったって――だいすきだから……』


無垢な子供のようなあどけない笑顔を浮かべて眠りについた彼女の言葉は、何故か頭の中から離れない。


(……何があろうと、俺のやることは変わらない。彼女の想いを利用して情報を引き出し、何を犠牲にしても歪みを消滅させる)



……それなのに、可愛らしく頬を染めて花祭りのお菓子を差し出してきた彼女に、俺は上手くお世辞を伝える事が出来なかった。本当なら、大げさなほどに彼女を持ち上げて甘い言葉をかければ良かった。彼女の警戒を解くためにそうするつもりだったのに、その時はなぜか上手い言葉が浮かばなかった。何故だか、もしも彼女が俺の正体を知っていたならと、そんな事を一瞬考えてしまった。全て知った上でも、こんな風に頬を染めてくれるのかとーーー


(っ、馬鹿馬鹿しい。そんな事、ある訳ないだろう)


そもそも俺は、手作りの料理は苦手なのだ。アピールのためか手作りの料理を押し付けてくる女は今までもたくさんいたが、皆俺がエルフだと知れば毒でも混ぜ込んできたであろうと思えば吐き気がした。遥か昔の記憶にある、実の弟が食べていたシチューと同じだ。本当の俺のために作られる料理なんて存在しない。窓越しに見たあの景色のように、俺には永遠に触れることのできない幻のようなもの。


部屋に戻り、贈られた菓子を見つめる。彼女が手ずから作ったというお菓子。いつものように捨ててしまえば良いと思いながらも、何故かそれが躊躇われた俺はその菓子をテーブルにそっと置いた。

そして俺は自分らしくない思考を追い出すように、そのままリヒトとマイクとともに花祭りに出かけた。


(花祭りで聖女様にお返しと言ってお土産を買ってきてあげようか。女の子はみんな贈り物を贈っておけば喜ぶものだから。でも……彼女は、あんまり高価なものは困ってしまうかもしれないな……)



菓子を受け取った時の彼女の笑顔を無意識に思い出していた俺は、気づかなかったのだ。離宮の掃除をする王城の侍女の中に、この前デートをした女がいたことを。そしてその女が中庭での聖女様とのやり取りを憎々しげに見ていたことを。……そして、その女が俺の部屋に掃除とかこつけて侵入し、テーブルの上の包みをゴミと一緒に処分していたことを。




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