33. 自覚(3)
アンナが、何かに気づいたようにそう言えばと言葉を紡ぐ。
「……そう言えば、来週王都では花祭りがあるんです。花祭りでは恋人同士で同じ花を飾って踊るんですが、親しい人やお世話になっている人にお花とかお菓子を贈ることも多いんです。聖女様も、渡してみたらどうですか?」
「!」
花祭り……ゲームでも、そのイベントがあったのを覚えている。丁度バレンタインに合わせたイベントで、『瑞希』から好きな攻略対象にチョコレートを贈ることが出来たのだ。
「でも、私なんかが贈り物をしたら、嫌な気持ちにさせてしまうかも……」
「?……私は、聖女様が自分を卑下なさる理由が分かりません。こんな風に想われて、それはとても幸せな事だと思いますけど」
アンナの慰めに私は申し訳なさそうに小さく笑う。そう言ってもらえても、自分に自信なんて持てようはずもなかった。だって、私は家族にもいらないと言われてきた人間だから。こんな私に想われても、むしろ迷惑としか思われないことは分かっていた。
「聖女様は、もっと我儘に振舞っていいと思います。だってこの世界を救ってくださるんですから。やりたい事、遠慮なくやってもいいじゃないですか。まあ、正直あの女ったらしっぽい人は私的にはお勧め出来ないんですけどね」
「ふふっ……」
アンナのルーカスへの酷評に小さく笑いながら、私はゲームで『瑞希』がルーカスにチョコレートを渡した場面を思い出す。
『これがチョコレートってお菓子か。美味しいもんだね』
そう言って珍しく食べ物で笑顔を浮かべるゲームのルーカスを思い出して、私はトクリと心臓が跳ねるのを感じた。
(もしもチョコレートを渡したら、食べて、くれるかな……)
元の世界でのバレンタインの日は、とにかく慌ただしかった記憶しかない。妹が学校に持って行くためのチョコレート作りに前日から明け暮れていた。フォンダンショコラにマカロンなど、年々妹が作ってほしいと要求してくるお菓子は難しいものになっていって完璧に作るのに何度もやり直した。妹が学校で配るたくさんの友チョコ用のチョコと、今の彼氏に渡すのだと特別完璧に作るように言われた本命チョコ。
自分には恋愛なんて縁のないものだと分かっていたけれど、それでも楽しそうに本命チョコをラッピングする妹を見ていると小さな憧れが胸に灯った。
(大好きな人にチョコレートをもらってもらえるのは、きっととても幸せなことだろうな……)
なにより、食に興味がなく魔力で補完してしまえるルーカスが少しでも食べ物に関心を持ってくれたら嬉しいと思った。いつでもこの世を去ってもいいと思っている彼に、現世に好きなものをたくさん作ってほしかったから。
「もし、我儘になってもいいのなら、……チョコレートを、贈りたいです……」
「いいと思いますよ。ちょこれーと?は初めて聞きますけど。聖女様の世界の食べ物なんですか?」
「……え?」
アンナの言葉に、私は夢から覚めたようにパッと目を見開く。
「……え?もしかして、チョコレートってこの世界にないんですか?」
嫌な予感に焦って問いかける。ゲームでは『瑞希』が渡してたはずのに……。
(でも、確かに厨房では一度も見たことはなかったかもしれない。ここでは高級品なのかと思ってたけれど……)
「私は聞いたことないですけど」
「そんな……」
思ってもいなかった現実に跳ねていた心がすとんと落ちる。お祭りにかこつけて何かを贈れるのは、きっと今回が最初で最後だろう。だから、できるならば彼が好きなものを贈りたいと思ったのに。……そもそも、彼が好きかどうかも分からないお菓子を押し付ける事なんてできる訳もない。
私は小さな可能性に縋るようにアンナに尋ねた。
「それじゃあ、カカオの実は知っていますか?こんな見た目のもので、中の種を取り出して使うのですが……。炒って、粉末状にしたものは昔薬としても使われていたと聞いたことがあります。そのままだと苦くて、独特の香りがするんですが……」
「うーん……あ、もしかしてあの苦い豆のことかもしれません。薬の材料でそんなものが売られていた気がします。滋養強壮に良いらしいけど、すごく苦いとかって……」
「!そ、それかもしれないです!」
希望が繋がったことに、ぱあっと表情が明るくなる。
「ありがとうございます!アンナさん」
「……出来上がったら、私にも試食させてくださいね。実はそれが目的だったんですけど」
いつもほとんど表情が動かないアンナが、その時はいたずらっ子のようにふっと笑ってくれた。それがまるで私を応援してくれているようで、とても嬉しかった。
翌日、アンナに場所を教えてもらい、スパイスや薬草などを扱うお店でカカオ豆の粉末を見つけることができた。
前にチョコレートのレシピ本で豆知識のように書かれていたカカオからチョコレートを作るやり方を思い出しながら、ゴリゴリとカカオの粉末をすり鉢でする。
(カカオ豆を細かくする作業、すごく大変って書いてあったから、粉末状で売っていて良かった。……ゲームのように、美味しいって思ってくれたら嬉しいな)
湯煎にかけながら、砂糖を加えて再びすり続ける。想いを込めるように、丁寧に、丁寧に。
(気持ちを伝えるようなことはしないから。だからせめてこのチョコを渡すことは、許してくれるかな。チョコで気持ちを伝える文化はこの世界にはないはずだもの。大丈夫だよね?……願わくば……あなたが、笑顔になってくれますように)
この時私は、とても浮かれていたのだ。
彼のことを好きだと、形にする事ができるのが、とても嬉しくて。もらってもらえるのかという不安ももちろんあったけれど、それも含めて、まるで自分が普通の女の子になれたように浮かれていた。
……私なんかを、受け入れてくれる訳なんてなかったのに。




