32. 自覚(2)
……ああ、自分はなんて強欲なんだろう。
私は神様にもらったこの生を、最後まで悔いなく過ごそうと決めていた。そしてルーカスを犠牲にすることなく歪みを消滅させる方法を探し出せたなら、何も悔いなんてないと思っていた。あなたが幸せになってくれるなら、誰が隣にいても良いんだって思っていた。なのに……。少しだけみんなと打ち解けるようになって、あなたと話す事ができるようになった今……欲が、出てしまったのだ。
歪みを消滅できた後、あなたが心から笑顔を浮かべられるその時を、側で見たいって。『瑞希』じゃなくて、私が、あなたの側に居られたら……って。
もちろんこの気持ちを伝えるつもりなんて全くない。それでも、この世界を救う情報を自分の都合で隠している私がそんな身の程知らずの想いを抱いていることが、本当はずっと、申し訳なくて苦しかった。だからずっと、自分の気持ちに気づかないふりをしていたのに。
私がこんな想いを抱えているのを知られたら、きっとルーカスにはより軽蔑されてしまうだろう。ハーリアでは皆が瘴気のせいで苦しい生活を強いられている。それなのに聖女として結界石の浄化という大切な役目を背負っているなか、こんな浮ついた想いを抱えているなんて……。
「……そんな事、許されません。私なんかに、ルーカスさんを好きになる資格なんて……」
ギュッと両手を握り俯く私に、アンナは首を傾げる。
「?人を好きになるのに、資格なんているんですか?王城の侍女なんて大半は、玉の輿求めて狙いの殿方に勝手に恋してますよ。お近づきになるために無理やり配置換えを強いている子もいるくらいです。本来、恋なんて自分勝手な物なんじゃないんですか?」
アンナの言葉に、私はぱちぱちと目を見開く。
「そう、なんですか……?」
友達もいなかった私は恋愛話をしたこともなく、普通の女の子たちがどんな風に恋愛をしているのかも分からない。ただ、何となく恋はキラキラとして綺麗な物だと思っていた。自分には縁がないくらい、とても綺麗で素敵なものだと……。
「そうですよ。誰かを愛する権利は全ての人に平等に与えられているって、教会でもそう言ってます。自分の心は、自分だけのものでしょう?なぜ、想う事をためらわれるんですか?」
「だって……、私は聖女として召喚されました。大切な使命があるのに、護衛をしてくださっているルーカスさんにこんな思いを抱くなんて、きっと、軽蔑されてしまいます……」
「どうしてです?聖女様は精一杯お役目を果たしてくださっていますよ。その思いのせいでお役目に支障が出る訳でもないのに、誰も文句なんて言いませんよ」
「でも、……そもそも私は、すべてが終わればお別れしなければいけない人間ですから……」
「……ああ、元の世界に帰られるんですよね」
アンナの言葉に、私は無言で頷く。本当はすでに元の世界で死んでいる私に帰る場所などないのだけれど、アンナにこれ以上心配をかけるつもりはなかった。
私の顔をじっと見つめた後、アンナは自分の姉の話なのですけれど……と静かに言葉を紡ぐ。
「私自身は恋愛ごとにはとんと縁がありませんが……、私の姉は、大恋愛の果てに親の反対を押し切って病気で余命が短い男に嫁入りしていきました。そして二年後、姉の夫が危篤だと連絡を受けて私は姉の元に駆け付けたんです。駆けつけた時には、すでに姉の夫は息を引き取っていて……。私は、姉まで後を追ってしまうんじゃないかと心配でした。それだけ、二人は仲が良かったから。でも、姉は泣きながらも満面の笑顔で幸せよって言ったんです。別れがあることが分かっていたからこそ、その短い時間で精一杯あの人を愛することが出来たの……って」
「っ!」
「聖女様は、たった二年しか共にいられないのに結婚した姉の行為は無駄だったと思いますか?」
アンナの問いかけに、私は激しくブンブンと首を横に振った。
「そんな訳ない!そんな訳、ないです……」
アンナの姉の気持ちを思うと、胸が締め付けられた。残されたアンナの姉の悲しみはどれだけのものだろう。それでも……、最後に笑って幸せだったと言ったアンナの姉が眩しくて、とても、羨ましいと感じてしまった。
「なんでですかね?聖女様を見ていると、姉のその時の笑顔を思い出すんです。まるで命を削るように、全てをかけて誰かを愛するような……。だから聖女様には、後悔してほしくないと感じてしまったんです。悲しい別れはあるかもしれません。だから想いを告げないというのも正しい判断かもしれません。でも、その想いだけは、せめて聖女様自身が認めてあげてもいいんじゃないかって思ったんです。……だって、あんなに幸せそうな顔をされていたから」
私はグッと唇を噛んだ。アンナの言葉がゆっくりと心に沁み込んでくる。
想うだけなら、いいのだろうか……?
私、ルーカスさんを好きになっても、いい……?
あと少しの短い命の期限の中で、あなたに恋をしても、いいの……?
もしもそれが許されるのならば……なんて、幸せなことだろう。
「……私は、ルーカスさんが好き……」
恐る恐る、小さく言葉にしただけで、想いがあふれ出てくるようだった。
(あなたの優しさが好き。あなたの哀しみを背負いながらも真っ直ぐに立つ強さが好き。リヒト君たちを見守るあなたの優しい笑顔が、大好きなの……)
胸がいっぱいで、苦しいくらい。でも、溢れ出すこの気持ちに名前が付いたことに、目の前の視界がひらいたように喜びがあふれた。
何故だか泣きそうになって、私は持て余すほどに大きなこの気持ちを抱き締めるようにぎゅっと胸を抑える。
「……私、今まで恋をしたことがなかったんです。でも……誰かを好きになるというのは、こんなにも嬉しいものなんですね」
誰にも愛されることなく死ぬだけだった私が、恋をすることができた。その苦しみも喜びも、奇跡のように大切に思える。
目頭が熱くなって誤魔化すように目元をこする私に、アンナが優しげな声をかける。
「やっぱり……聖女様は、姉に似ています。姿かたちは全然違うのに」
「……ありがとうございます。そんなに素敵なお姉さまと似ていると言われて、すごく、嬉しいです」
私はアンナに、心からの笑顔を浮かべた。




