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27. 西の結界石(2)


リヒトたちが手伝うと言うのを断って、私は一人食器を洗いにすぐ近くの川辺に向かった。光魔法は瘴気の浄化しかできない。結界石にたどり着くまでの間は完全なお荷物である私は、せめてこれくらいは役に立ちたいとずっと思っていたのだ。


(北の結界石の浄化の時は、何もできなかったから。……光魔法に攻撃魔法もあれば、みんなの役に立てたんだけど……)


お皿を洗っていると、かさりと後ろの茂みから音が聞こえた。振り返った先には、フードを下したローグの姿があった。


「……ローグさん、どうされましたか?」


無言で立ち尽くすローグに問いかけると、彼はグッと拳を握った後ガバリとこちらに頭を下げた。


「ローグさん?!」


驚いた私が頭を上げてくださいと慌てていると、真っすぐな言葉が届けられる。


「すまなかった」

「え……?」


突然の言葉で目を見開く私に、ローグは綺麗なオッドアイを私に向けて言葉を紡ぐ。


「あの後、家で妹に泣いて怒られた。何があったのか、ちゃんと聞いた。……誤解をして、すまなかった」

「そ、んな。私を信用できないのは、当然ですから……」

「妹に言われたんだ。思い込みで差別するのは、半獣人を差別する奴らとおんなじだって……。……あんたに、どんな事情があるかは知らない。それでも、妹を助けてくれた事は事実だ。……感謝する」


ローグの言葉に、私の胸にはじわじわと嬉しさが溢れた。本当は、どこか諦めていたのだ。私が何をしても、誰にも信用なんてされないんじゃないかって。でも、みんなは私の作った料理を美味しいと食べてくれた。ローグは、人間を憎んでいるのに私に感謝を伝えてくれた。――ゲームで知っていた通り、みんな真っすぐで優しい人であることに胸が熱くなる。この世界に召喚されて、みんなに会わせてくれたことを神様に感謝したかった。


「……私こそ、ありがとうございます」

「は?なんでお前が礼を言うんだよ」

「ふふ、言いたくなったからです」


嬉しくて笑顔で返せば、ローグはやや照れたようにふいと背を向けて戻って行ってしまった。

その後ろ姿を見つめていた私に、ふいに横から声がかかる。


「頑張るねぇ。凄いじゃないか、ローグの態度を軟化させるなんて」

「!」


いつの間にそこにいたのか、木に寄りかかる様にして佇むルーカスの姿があった。

月明かりのもと佇むルーカスは、まるでこの世のものではないように綺麗だった。その作り物のような美しい顔が、こてりと傾げられて私を見る。


「でもさあ、虚しくない?元の世界に帰ったら全部無駄になっちゃうよ?それとも、帰らずにここで条件のいい男を捕まえて永住するつもり?あんまりおすすめしないけどなぁ。君、向こうでは働く必要もない生活だったんでしょ?学生……って身分だって言ってたもんね。この年まで学ぶ事ができるなんて、こっちじゃ貴族くらいのものだもの。それを捨ててこの世界を選べば、きっと後悔することになるよ」


皮肉げに口元をゆがめるルーカスを、私は真っすぐに見上げて口を開けた。

少しでも、思いが届けばと願いながら。


「例えお別れがあったとしても……、皆さんと、仲良くなれたらと頑張ることを、私は虚しいとは思いません」


ここで言うお別れは、私の寿命となるだろう。体の症状を考えると、なんとなくだが私が病気を告げられた時と同じように感じる。おそらく、私の寿命はあと一年くらいなのではないだろうか。向こうの世界のような医療施設のないこの世界では、命の期限はきっと、もっと少ない。


「私は、ルーカスさんとももっとお話ができたら嬉しいです」


探るようにこちらを見る翡翠の瞳を見上げて、小さく微笑む。


「……この世界で、たった一人でいるのは、……寂しいですから」


もしかしたら、虚しいという言葉は彼の経験からもきているのかもしれない。どんなに信頼を築いても、誰も彼もが彼よりも先に逝ってしまう。それは、どれだけ寂しいことだろう。


「寂しい、ねぇ。そんな感情、俺は忘れてしまったな」


あっけからんと笑うルーカス。それがただの誤魔化しならどれだけ良かっただろう。でも、ルーカスの表情はまるで当然の事のように、何の揺らぎも見えない。長い、とても長い時間の中で、彼のそんな感情が擦り切れてしまっているのだとしたら、それはとても、悲しいと思った。


「……寂しいですよ。私は、ルーカスさんと会えなくなるのはとても、とても寂しいと思います……。きっと私は、すぐにあなたの前から消えてしまう存在だけれど……、少しでもあなたの、側にいたいです……」


無意識のうちに、口をついて出た言葉。はっとしたように口を手で覆った私に、ルーカスは一瞬口を閉ざした後で、唇の端を上げて作ったような笑みを浮かべた。


「……あは、なぁに、それ。愛の告白?聖女様に告白してもらえるなんて光栄だなあ」

「ちが、そうじゃ、なくて……」


私は焦ったように否定する。

そんな風に取られてしまう言葉だっただろうか?恋愛ごとに疎い私では分からなかった。

それに、私はルーカスの恋人になりたいだとか、そんな風な想いを抱いたことはないはずだ。私なんかがそんな想いを抱くことすら憚られる。ただ、ルーカスが幸せになってくれるなら、誰が隣にいたって――――。


(っ……!)


ずきりと痛んだ自分の胸に、息をのむ。初めはいつもの発作かと思ったけれど、それとははっきりと違うことが分かる。この痛みは、ウィスタリア侯爵のパーティーの夜にルーカスが女性と過ごしたのだろうかと考えた時と同じ痛みだ。


(私、ルーカスさんが他の女性と過ごすこと、嫌だと思っているの……?なんで?私は、ただルーカスさんの幸せを願っていたはずなのに)


自分の気持ちが分からなくて頭が真っ白になる。言葉が返せず焦りで頭がいっぱいになってしまっている私の耳に、その時がさりと茂みから足音が聞こえてきた。


「あ、聖女様、やはりお手伝いをと……。あ、ルーカス先生もいらっしゃったんですね」


茂みを抜けてこちらに気づいて声をかけてくれたリヒトに、私は天の助けとばかりに洗い終わったお皿を両手にもって駆け寄った。


「あ、ありがとうございます!ちょうど洗い終わったところです」


ぺこりとルーカスに頭を下げ、私は逃げるようにテントに戻る。

自分の胸に芽生えた想いに、必死で蓋をしながら。




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