26. 西の結界石(1)
遂に西の結界石の浄化に出発する日となった。西の結界石までは、王都から近い北と違ってここから馬車で一週間ほどかかる。そして境界を抜けてからも三日ほど歩かなければいけない。それはそれだけ、結界が縮小してしまっているという証左だ。
(みんなの迷惑にならないように頑張ろう。すこしでも早く南の地の浄化に行けるように)
馬車の中でグッと手を握っていた私は、ふと視線を感じて顔を上げた。視線の先にはローグがいる。私が目を向けると、こちらを見ていたローグはパッと顔を背けてしまった。
(どうしたんだろう?そういえばリコちゃん、大丈夫だったかな……?)
あの日の泣きじゃくっていたリコの事を考えていると、私の隣にすとんと誰かが腰を下ろした。驚いて顔を上げた私の隣に座ったのは、ヘラリと笑ったルーカスだった。
「やあ、聞いたよ聖女様。風邪ひいてたんだって?俺を呼んでくれたら薬くらい出したのに」
飄々と言葉を紡ぐルーカス。治癒魔法は外傷を治すことは出来ても病気は治せない。しかしルーカスは、この世界の誰よりも深い薬学知識でもって病気にも対応できることを私は知っている。
「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。ただの風邪ですから」
何故かちょくちょく話しかけてくれるようになったルーカスに、私は笑顔を浮かべて答えていた。
あれほどの敵意を持っていたルーカスがなぜ態度を軟化させてくれたのかは分からない。私から歪みの情報を少しでも取ろうとしているのかもしれないし、もしくはリヒト達の手前、軟派な魔術師の仮面をかぶっているだけなのかもしれない。それでも、彼が話しかけてくれることが嬉しかった。彼が笑顔でリヒトにも話をふっている。その笑顔が見れるだけで、私はどんなことでも頑張れると思うから。
***
西の境界を通り抜けた森は、北の森と似たように薄暗く、魔獣の息遣いが聞こえてくるようだった。
何回か魔獣と交戦した後、日が暮れて野営の準備となる。私は食事の準備を始めているルーカスたちに近寄った。
「ルーカス先生は野営料理はこのスープ以外にも作れるんですか?」
「ん?俺が作れるのはこれだけかなぁ。野営の食事なんて、そもそも栄養が取れればいいだけだしね」
「えええ、最近離宮の美味い料理食べてたから先生の味気ない野営料理は悲しいぜ」
三人の会話に心臓が跳ねる。緊張で震える手を握りしめながら、私は息を吸い込んで、思い切ってルーカスたちに声をかけた。
「あ、あの!料理の支度、私もお手伝いしても良いでしょうか」
その一言を言うのに、とんでもない勇気を要した。沈黙が、酷く長く感じられる。嫌がられはしないかと反応が怖くて地面を見つめていると、低く落ち着いた声が聞こえてくる。
「私はかまわない」
それは、少し離れた木に寄りかかり剣の手入れをしていたヴァルトだ。
「あ、ありがとうございます、ヴァルトさん!」
寡黙な彼が声を上げてくれたことに、私は嬉しさで顔を綻ばす。彼は私が熱でお菓子が作れなかったことも責めることなく許してくれた優しい人だ。
さらに、皆から離れたところで座っていたローグから声が聞こえた。
「俺も……問題ない」
「!」
ローグの言葉に私は目を見開く。まさか彼が援護してくれるなんて思いもしなかったから。
「へえ、意外。ローグ君、いつの間に聖女様と仲良くなったの?」
「別に、そんなんじゃない」
揶揄うようなルーカスに嫌そうな顔をしたローグがふいとそっぽを向くのを、私は信じられない気持ちで見つめた。
「あの、聖女様、もしお願いできるのでしたら、私たちは嬉しいです。ルーカス先生含め、料理は皆苦手なんです」
「俺も美味いもの食えるなら賛成!」
リヒトとマイクの言葉に、じわじわと喜びが灯る。
私は残るルーカスに向き直る。彼はいつものヘラリとした笑みを浮かべて口を開く。
「もちろん俺も賛成だよ。女の子に作ってもらった方が美味しいに決まってるしね」
その言葉にほっとして、私はすぐに調理の準備にとりかかった。
(一人で買い物に行くの、不安だったけど頑張って良かった)
火をつける魔道具や町で買ってきておいた調味料を自分のカバンからいそいそと取り出して、スープ作りにとりかかる。野営では凝った料理は作れないから、せめて体が温まる美味しいものをと、干し肉と野菜を煮込んで丁寧に灰汁をとり、調味料を加えて味を調えた。
「おお!うまい!」
「ええ、美味しいです、聖女様」
よそった途端に口をつけたマイクとリヒトの言葉に、嬉しくて自然と顔がほころぶ。みんなで焚火を囲んで食事をするなんて、まるでゲームのなかの『瑞希』になれたようだった。『瑞希』でない私にも、こんなふうに笑顔を浮かべてくれたのが嬉しい。
「……ほんとだ。聖女様は料理上手なんだね」
「!」
ルーカスの言葉はお世辞だと分かっていても、喜びで胸が震えた。
きっと相好の崩れただらしない表情をしていたんだろう。みんなが驚いたようにこちらを見ているのに気づいて、私は慌てて赤い顔を俯け自分の食事を始めたのだった。




