24. ルーカスside
「死ぬべき命なんてどこにもない」
ウィンという少年へ伝えた言葉には、続きがある。
死ぬべき命なんてどこにもない――そう、俺以外は――。
俺は、この世でだれより罪深い生き物だ。
俺のせいで生じた歪みのせいで、何千、何万もの人の命が奪われた。
死ぬべき俺の命は、歪みを消滅させるためだけに見苦しく生きながらえている。
もう何百年も、俺は歪みを消滅させる方法を探し続けてきた。どれだけ強力な魔法を放っても、魔力が枯渇するまで攻撃を打ち続けても、歪みを消滅させる事はできなかった。歪みから溢れる瘴気のせいで、いくつもの国が地図から消え、多くの命が散っていくのを間近で見続けてきた。その度に、俺は心に刻む。泣き叫ぶ人々の慟哭は、俺へと向けられた怨嗟なのだと。夜寝る度、死んでいった者たちの声で自分の罪を再認識するのだ。「お前が死ねばよかったのに」、と。その通りだ。早くはやく、歪みを消滅させたい。そして早く、この呪われた生から解放されたかった。
――そんな時に聖女として現れたのが、彼女だった。
彼女が歪みの消滅方法を知っていると分かった時の衝撃は、言葉では言い表すことなどできないだろう。それは俺にとって何百年と追い求めてきた、喉から手が出るほどに欲していたものだから。何を犠牲にしても、必ずやり遂げなければならないことだった。
しかし、彼女はその方法を隠匿しようとしたのだ。ゲームとやらの知識で、この世界の現状を、半獣人の苦境を知りながら、だ。そのことに、酷く苛立ちが募った。苦労など知らぬような日焼けのない真っ白な肌に、貴族のように背の中ほどまで伸ばされた綺麗な黒髪。それらがさらに俺を苛立たせる。
目の前に追い求めていたものの鍵があるのだ。焦燥感と苛立ちで、とても冷静ではいられなかった。
マイクの怪我を心配し自分の事より優先するくせに、多くの人の命を救う方法を隠匿しようとする彼女。請われて行った誓約魔法にて彼女に許可なく魔法をかける事はできなくなったが、俺は抜け道を用意していた。
『――緊急時と治療を除き――』
そう、治療だったら彼女に魔法をかけられる。
だから俺は彼女を気にかけるリヒトとマイクにもっともらしい事を言って距離を取らせた。
彼女に味方などいないと思い込ませ、孤独に震え、元の世界に帰りたいと思わせる。心を傷つけ、不安に揺れ動く心を突けば、人間の精神は簡単に押し潰される。そんな状態になれば、俺は治療と称して彼女の精神に踏み込み記憶を見る事ができるだろう。
(徹底的に心を折る方法もあるが……。彼女の孤独に付け込み俺に依存させる方法も効果的か……。いや、彼女の罪悪感に付け込む方法もある)
彼女が根っからの悪人でない事は、その言動を見ていれば分かっていた。それでも、どんな理由があるにせよ、歪みの消滅方法を隠蔽するというのなら容赦はできない。いくらでも俺を恨んでいい。その代わり、その身だけは絶対に守ろう。方法さえ教えてくれれば、ちゃんと元の世界に返してあげる。それは、この世界の事情に巻き込んだ俺の聖女に対する最低限の償いだった。傷ついた心は、精神魔法でこの世界の記憶を消してしまえば全てなかったことになる。
……そう、思っていたのに。
ウィスタリア侯爵のパーティー会場で、ボロボロになりながらも笑った彼女を思い出す。
傷つける言葉を吐いても、彼女は静かに笑みを浮かべた。俺を恨みも、恐れもしない琥珀の瞳で、真っ直ぐに俺を見て笑った。
イライラした。彼女の瞳に。彼女の言葉に。
『……何があっても、私は、あなたの味方でいます』
「……なにが、何があっても味方でいる、だ」
そう言ってきた人間を、俺は何人も見てきた。はじめは信じていた時もあった。
共に瘴気に蝕まれるハーリアの住人を守る為に共闘した女性と恋仲になった事がある。しかし彼女を信頼し自分がエルフである事を告げた途端、恐ろしげな目をした彼女は俺を警邏に密告し、俺は殺されそうになりその街から逃げ去った。
その後も何人もの女性と付き合うが、皆俺がエルフだと知った途端に俺を売るか殺そうとした。
(はは、そりゃそうだ。世界を破滅に追いやった元凶のエルフを、誰が愛すというのだろう)
この世界で、エルフは最大の禁忌であり許し難い存在だ。それでも、この容姿に惹かれて声をかけてくる女性は多い。いつの間にか、女性との交際はただの作業のようになっていた。ヘラヘラと笑って彼女たちが望む言葉を吐き、最後に俺の正体を知らせて恐怖に顔を慄かせて、はい終了。彼女たちの記憶から俺を消してさようなら。
俺は確認作業のように、それを繰り返した。
――そうしていれば、馬鹿な望みなんて抱かなくて済むから。
(……全てを知った上で俺を愛してくれる存在なんて、いる訳がない。そもそも、俺はもう二度と自分の正体を誰かに伝える気はないのだから)
皮肉げに口元を歪め、俺は聖女としてたった一人でこの世界に召喚された彼女の前に姿を現す。
そして今日もまた、彼女を傷つける言葉を吐いては苛立ちを募らせる。
イライラした。傷つけても傷つけても静かに微笑む彼女の笑顔に。
イライラした。彼女の笑顔に、不愉快に騒めく自身の心に。
イライラした。たかが十数年しか生きていない人間に、心をかき乱されている現状に。
(きっと、彼女と初めて会った時の笑顔のせいだ)
初めから、違和感があったのだ。何故なら、初対面の相手に浮かべる表情ではなかったから。何故か、俺たちを欠片も疑う事なく信頼しきっているかのようなその瞳も、俺を見て、心から嬉しそうに笑ったその笑顔も――。
あの時の彼女の表情を思い浮かべそうになった俺は、頭を振ってそれを追い払った。
(あれは彼女に前情報があったから。それだけだ)
俺たちの情報をどこまで知っているか分からない危険な少女。人間の、反獣人派に情報を売られれば非常に厄介だ。パーティーの時のように、人間と接触する時には監視が必要だろう。
(早く、傷ついて泣き出せばいい。早く、歪みの消滅方法を吐いてしまえば楽になれると気づけばいい。……そうすれば、もう彼女の笑顔を見て苛立つ事はなくなるはずだ)
夜もふけた時間だが、未だ明かりの灯っている彼女の部屋の窓を見上げていた俺は、ふいと顔を背けると自室へと歩き出した。
無意識に彼女の笑顔を思い出し拳を握る自分に気づく事なく。




