23. 街(2)
地を這うような怒りの声に顔を上げれば、そこには魔術師の黒いローブをはためかせたローグが立っていた。風にあおられたフードがとれ、紺色の髪とオッドアイの瞳が現れる。青とヘーゼルの瞳は、強く周囲を威圧していた。
バリバリと光る手元の電光に、町人は恐怖で顔を引きつらせた。
「ヒイっ」
雨が強くなってきたせいだろう、集まっていた人たちは蜘蛛の子を散らすように家々に逃げ込み戸を閉める。道には、私と女の子、そしてローグだけが残された。
「お兄ちゃん!」
隣にいた女の子が、ローグに駆けていきその勢いのままに抱き着いた。それをしっかりと抱き留めたローグが、女の子の肩を抱く。
「リコ、なんで一人で街に来ているんだ。半獣人だとバレたら危ないと言っていただろう!」
「ごめんなさい、でも、お母さんの調子が悪くて、お薬が足りなくなりそうで……」
二人のやり取りを見て、私はやっとこの女の子がゲームでも出てきたローグの妹であることに気が付いた。『瑞希』がローグと街に出かけた際に、この場面に遭遇して一緒に助けるストーリーがあった。
ローグは、もとはこの国の裕福な商人の子だった。しかし平民には珍しく強い魔力を持っていたために教会で魔力測定を行ったことで、獣人の血が流れていたことが判明してしまう。
ハーリアがルダニア国に属してもう何百年という月日が経っている。水面下では、半獣人と人間の交わりが進み、魔力判定をして初めて自分に獣人の血が入っていたことに気づくという事例は実はそれほど珍しくはないのだ。
獣人差別思考の強かったローグの父親は母親を鞭打ち、着の身着のままローグと妹と共に家を追い出した。昨日までは親しかった街の者たちにも石を投げられ、這う這うの体で別の町まで逃げてきた。金もなく、幼い妹を抱えたローグたちは半獣人の住む辺境まで旅することは難しかったのだ。そこからは、泥をすするような生活が続いた。ローグの強い魔力のお陰で仕事にはありつけたが、半獣人という事で常に足元を見られてはした金しか渡されない。母親はいくつもの内職を抱えて子供の食事を確保しようとしていたが、無理がたたって倒れてしまう。そんなときに、聖女召喚にあわせ王都にやってきていたリヒトたちに出会い、護衛の仕事と引き換えに治療費や生活の援助を受けることになったのだ。
ローグの人間への恨みは非常に深い。これまで受けてきた仕打ちを考えれば、それも当然のことだろう。
緊張の糸が切れたように泣き出したリコを悔しげにぎゅっと抱きしめたローグは、ギッとこちらを睨みつけた。
「おい聖女、お前、リコに何をした?!」
怒りの籠ったその瞳に、ローグが誤解している事は分かったけれどその剣幕に上手く言葉を紡ぐことが出来ない。ローグの剣幕に、リコが驚いたように顔を上げた。
「お、お兄ちゃん?この人は、私を助けてくれた人だよ」
「は、こいつが?ンな訳ないだろ!こいつはな、半獣人を見下してるんだよ!俺たちを救う手段を知りながら、こいつはそれを隠匿している!許せねえ!」
「そんな訳ないよ!私を助けてくれたもん!お兄ちゃんの嘘つき!」
泣きそうなリコに、私はやっと口を開く。仲良しの兄妹に、私の事なんかで喧嘩してほしくない。それに、……ローグの言っていることは、本当のことだ。
「ローグさんの言っていることは本当だよ、リコちゃん」
「え……?」
信じられないというようにまん丸の目で私を見るリコの視線に耐えられず、私は俯いた。
「ほらな、言った通りだろ!行くぞリコ、母さんの様子も心配だ」
泣きそうなリコの様子に、申し訳なくなる。街の男たちと対峙したとき、恐怖に震える私の手を、それでも信頼するようにぎゅっと握っていてくれたから。
私は、せめてこれだけは伝えなければと声を絞り出す。
「ローグさん。確かに、私が半獣人の方たちを救う方法を隠しているのは本当です。でも、私は決して、貴方たちを見下してなんかいません」
「信じられる訳ないだろうが!二度とリコに近づくな!」
手を繋いで家へ帰る二人の小さくなっていく背中を見つめながら、土砂降りの雨の中、私はひとり立ち尽くしていた。
***
雨の中一人で離宮に帰って来た私は、案の定翌日に高熱を出して寝込むことになった。
前の世界では熱で寝込めば集中治療室行きは確定だったのに比べれば、今は無理をすれば動けるし、数日で回復しそうである。
(ここに召喚した神様が、浄化が終わるまでは体が保つようにしてくれたのかな……)
「ありがとうございます、神様。これで、西の浄化へ予定通りに行けます」
初めの北の浄化が終わってからすでに三週間が過ぎている。来週には、西の結界石の浄化が予定されているのだ。それを自分のせいで遅らせる訳にはいかない。
体の中に意識を向ければ、光の魔力が回復してきているのがなんとなく分かる。ほっとしながら重い瞼を閉じると、子供の頃を思い出す。熱を出して寝込んでも、風邪がうつるからと誰も私の部屋には近づかなくて、その夜はお父さんもお母さんも、妹と一緒に食事に行ってしまってとても静かだった。苦しくて、このまま死んじゃうんじゃないかと眠るのが怖かった。今はまだ明るい時間帯だけれど、誰もいない静かな部屋は、寂しかったあの頃を思い出す。
その時、外から明るい声が聞こえてきた。
「ほら、今日は風魔法の復習だよ。特にマイク、君は戦闘時もとっさに出来るようにとにかく体に刻み込んでね」
「うえぇ、魔術の発動は頭使うから難しいんだよ~」
「ルーカス先生はマイクの安全のために言っているだ。一緒に頑張ろう」
どうやらルーカスが中庭でリヒトとマイクに魔法を教えているらしい。楽しげな声を聞いていると、胸の中がだんだんとポカポカしてきた。
(ルーカスさん、笑ってる……。嬉しいなぁ……)
『人間も半獣人も、すぐに過ぎ去ってしまうものさ』
そう言って誰にも執着を抱くことも深く関わることもなかったルーカスだけれど、それでもリヒトたち旅の仲間との絆が深くなるにしたがい、自然な笑顔を浮かべるようになる。それがとても、嬉しかったのを覚えている。
(あなたが、生きていてくれるだけで、私は……)
私は小さく笑みを浮かべて中庭の声を聞きながら、安らかな気持ちで眠りにつくことができたのだった。




