19. パーティー(4)
(これは、夢?どうして、ルーカスさんがここに……?)
何とか起き上がった私の視界に、月の光を編み込んだような美しい金色の髪を靡かせたルーカスが月夜を背に立っていた。その姿を目にした途端、信じられないほどの安心感が私を包む。
しかし声を上げようとしたその時、激昂したラングがナイフを手にルーカスに飛び掛かった。
「ルーカスさん!!」
動けない私は顔を青くさせて叫んだけれど、ルーカスはそんな攻撃意にも介さないように最小限の動きでゆうゆうと避けると、ラングの膝を蹴り上げた。ラングは自分の飛び掛かった勢いそのままに無残にべしゃりと床に倒れ込む。
情けなくも気を失ったラングを、ルーカスは蹴り上げて仰向けにするとその額に指を当てた。そして、小さく呪文が唱えられる。
「!」
月明かりのもとで魔術の光がルーカスを淡く照らす。その美しい光景が、私の胸を苦しく締め付けた。
(あれは……)
私が声もなく見つめる先でルーカスは、何でもない事のように一仕事終えたとでもいうように立ち上がった。
「さて、と。こいつには、適当に酔いつぶれた記憶でも埋め込んでおくか」
そう言って口の端を上げるルーカスに、私は自分の両手をぎゅっと握りしめる。
(ああ、やっぱり、記憶を操っていたんだ……)
悲しい気持ちを抱えながら立ち尽くす私に、ルーカスがここで初めて私に視線を向けた。
「ねえ、――君は、何の目的があってここに来た?」
その視線に、息をのむ。
ルーカスの瞳は絶対零度の冷たさを湛え、私を見下ろしていた。
「一応聖女様の護衛として助けたつもりだったけど、もしかして君もお楽しみの最中だったかな?」
冷めたその視線に映る自分の格好を思い出し、私はバッとまくり上がったスカートを直し身をすくめる。羞恥心と悲しみが胸を苛む。助けてもらえた事が涙が出るほど嬉しくて……、でも、こんな姿をルーカスに見られた事が悲しかった。何より、私が望んでこんな行為をしていたと思われることに、胸が引き裂かれるような痛みを覚える。
私は俯きながら、必死に首を振った。
「ちが、違います……!」
「ふうん、ま、どうでもいいけど。それより聖女様、“混ざりもの”を蔑むパーティー、楽しかった?」
軽蔑を含んだルーカスの言葉に、私は全身の血が凍るような心地になる。
(ああ、見られたんだ。貴族の人たちと“混ざりもの”を蔑んでいるところ。あんなところ、見られたくなかったのに……。どうして、ルーカスさんがこのパーティーにいたの……?)
「ああ、言い訳なんていいよ。ま、俺も楽しませてもらってたしね。ほら、俺ってこの容姿でしょ?人間のお嬢さんたちに半獣人でもいいって熱心に誘われちゃってね」
ルーカスの説明に、私は彼がここにいることに得心する。ゲームの中でも、美しい容姿のルーカスは半獣人に限らず人間の女性たちにもとてもモテていたのだ。
でも、ゲームでのルーカスは今はハーリアのお祭りにいるはずなのに……。
(でも、そうだ。北の結界石の浄化の時もマイク君が怪我してゲームとは違う事が起きた。私が『瑞希』でない時点で、物語の通りには進まないんだ。……ここはゲームじゃなくて、みんなが生きている現実なんだから)
「君はリヒト狙いかと思ってたけど、こっちの貴族も狙ってるのかな?なかなか積極的だね」
楽しげに紡がれるルーカスの言葉が、重石のように私の胸に積み上がって息が苦しくなってくる。私はぎゅっとスカートを握りしめた。
「……信じてもらえないかもしれません。でも、私は、あなたたちを裏切るようなことは決してしません」
「へえ、歪みの消滅方法を隠匿しておいて?」
「……そうです」
ルーカスの言葉は、まるで鋭い氷の矢のように私の胸を刺す。氷のような凍てついた瞳でソファに座り込んだままの私に近づいてくると、ルーカスは私を追い詰めるように近づきソファの背もたれにとんと手をついた。ルーカスの秀麗な顔が間近に迫る。
「ねえ、君が今無事なのは、俺が口止めをしてるからって分かってる?」
美しい彫刻のように整った口元が、皮肉げに歪む。
「君が歪みの消滅方法を知っているという事は、今のところあの部屋にいた俺たち護衛しか知らない。だけどもし、この国の貴族たちに知られたらどうなると思う?君、貴族たちに命を狙われちゃうよ?」
「え……?」
「ルダニアの貴族たちは、魔力も力も強い半獣人たちを奴隷のようにコキ使うことで、かなりの利益を得ているんだ。もし歪みが消滅してハーリアが独立するなんて事になったら困る奴らはいっぱいいるってことさ。だとしたら、その方法を知る君を消そうとしたって不思議じゃないだろ?」
「そんな……」
私は顔から血の気がひくのを感じた。
この国で力を持つ多くの貴族たちから命を狙われることになったら。そう思うと、身体が震える。
青くなった私に、彼は囁くように告げる。
「君が歪みの消滅方法さえ教えてくれるなら、俺は君を元の世界へ返してあげるよ」
彼の言葉に嘘がないことを私は知っている。ルーカスは、百年に一度召喚される聖女が浄化後に元の世界に帰れるように、特殊な結晶石に長い時間をかけて魔力を貯めている。そして毎回聖女召喚の年には陰ながら聖女を守り、元の世界に返してきたのだ。自分が原因の歪みのせいで、異世界の人間までをも不幸にしないために。
彼の言葉に従ってしまえばいい。そうすればこの苦しみはなくなる。そんな甘く誘い込まれるような言葉。
――それでも……。
「……いいえ」
――例えあなたに嫌われても、私は頷くことはできない。……絶対に。
「それだけは、教えることはできません」
真っ直ぐにルーカスの翡翠の瞳を見上げる。
ルーカスの瞳が、苛立たしげな色をうつした。いつも作ったような笑顔を浮かべる彼が見せる、人間味のある表情。私は、彼のその瞳を真っ直ぐに見上げて下手くそな笑顔を浮かべた。涙の跡も残り、髪も乱れている。きっと酷い顔だと思うけれど、あなたの目に映る自分は、『瑞希』のようにいつも笑顔でいようと決めたから。
「歪みの消滅方法を教える事は出来ません。それでも私は、ルーカスさんを、みなさんを裏切るような事はしないと誓います。……何があっても、私は、あなたの味方でいます」
これだけは伝えたいと思った私の心からの誓いの言葉は、当然のように彼の心に届く事はない。
「はっ、口では何とでも言える」
吐き捨てるように言ったルーカスは、興味を失ったように私に背を向け扉へ向かった。
「これ以上怖い目にあいたくなかったら、ヴァルトに泣きついてさっさと連れ帰ってもらうんだね」
そう言って去っていったルーカスの背が扉の向こうに見えなくなったところで、私の瞳からは耐えていた大粒の涙が零れ落ちた。
「っ、……よかった……ちゃんと、守れた……」
――ゲームでの、ルーカスのすべてを諦めたような瞳を覚えている。
ゲームではリヒトが暗殺者に狙われた時、ルーカスはいつものように陰で暗殺者を処分しようとしていた。しかしこの時、殺したところをリヒトに見られてしまうのだ。
ルーカスにとって、リヒトは特別な子だった。長い時を生きるルーカスは、人に深く関わることはとうの昔にやめてしまった。深く関わったところで、人間も半獣人でさえ、瞬きの間にルーカスを置いて過ぎ去ってしまうものだから。
誰にも執着せず、ヘラヘラと笑って浅い人間関係を繰り返す。何百年もそんな生き方をしてきたルーカスは、ある時偶然、何者かに追われる半獣人の子を助ける。それが、リヒトだった。
しばらく匿った後はすぐに親元に返すつもりだったルーカスだが、当時の情勢が彼をそこに留まらせた。当時ハーリアの領主であったリヒトの父親は、半獣人の地位を向上させようと、友好的な近辺の領主たちと関係を強化しようとしていた。しかしその動きを嫌った反獣人派の過激派の者たちが反発し、リヒトの父親とリヒトの乗った馬車を襲った。そこで逃がされたリヒトを、偶然ルーカスが保護したのだ。幸いな事に領主は一命を取り留めたが、寝たきりの状態に。辺境伯領は、当時七歳だったリヒトの肩にのしかかる事となったのだ。
元より歪みによって国を捨てる事になったハーリアの半獣人たちに罪悪感もあり、さらには初代ハーリア領主に恩のあったルーカスは陰からハーリアを守護してきた。だから今回の件を放置する事ができず、リヒトの教育係兼護衛として城に留まることにした。
そこで、純粋に自分を慕うリヒトに、ルーカスは何百年ぶりかの愛おしさを思い出すのだ。それからずっと、ルーカスはリヒトを我が子のように守ってきた。そこにマイクも加わって、ルーカスにとって彼らを守護し教え導く穏やかな生活は温かな心を取り戻すきっかけとなる。
しかし、暗殺者を手にかけたルーカスを目にして一瞬怯えを見せたリヒトに、ルーカスは全てを諦めたように小さく笑って呪文を唱えると彼を一瞬で眠らせた。
そしてリヒトの額に指を置き、その時の記憶を消したルーカス。……あんな悲しい瞳なんて、させたくなかった。二人の笑顔を、守りたかった。
「私、ちゃんと出来たよね……?……ふふ、推しの笑顔を守れたって言ったら、杏さん、褒めてくれるかな……」
止まらない涙をゴシゴシ擦りながら、私は大切な人生の師匠を思い浮かべて小さく笑った。
ズキズキと続く胸の傷の痛みに、気づかない振りをしながら。




