16. パーティー(1)
「ついに、この日がきた……」
私は慣れないドレスを着こみ、バレないようにそっと深呼吸をした。
今日は、侯爵の主催するパーティーの日。そしてここは、ウィスタリア侯爵が王都にもつ豪邸のパーティー会場だ。隣には騎士姿のヴァルトもいる。
「先にも言ったが、俺はここに来訪予定の王族の警護も担当することになったためこのパーティー中に側にいる事は出来ないぞ。俺ができるのは侯爵に紹介するところまでだ。……大丈夫なんだな?」
少し心配そうな様子をみせるヴァルトに、私は安心させるように小さく笑みを浮かべた。
「それだけでも十分です。ここまで連れて来ていただきありがとうございました、ヴァルトさん」
「別に、契約だからな」
そう言って眉を寄せ、ふいとそっぽを向いてしまったヴァルト。しかし、このところ二日に一度厨房で顔を合わせているせいか、それがただの照れ隠しであることが分かってしまう。彼は私と同い年の妹がいるせいか実はとても世話焼きで、こんな私のことも心配してくれているようだった。このドレスも、聖女として支給されるお金を何とか前借りして中古の安いドレスを見繕おうとした私を慌てて止めて、妹さんのドレスを貸してくれたのだ。
(本当にヴァルトさんには感謝しかない。明日から、また美味しいお菓子を作って少しでもお返ししないと)
パーティー会場に入ると、私はその煌びやかさに圧倒されてしまう。
天井には無数の煌めくクリスタルからなるシャンデリアが輝き、会場のいたるところに大輪の花が飾られている。テーブルには辺境伯領では手に入らない瑞々しい野菜やフルーツが使われた上品な料理が並べられており、ウィスタリア侯爵の財を見せつけていた。
(そっか、この世界では瘴気のせいで贅沢品のフルーツが高級だからこそ、お菓子があんまり発展してないのかも……)
テーブルの上の料理を眺めながらそんなことを考える。
ヴァルトと共に人が集まる場所に近づくと、その中央に豪華な金糸の刺繍の施された衣装を羽織った中年の男が立っていた。
「ウィスタリア侯爵、お久しぶりにございます」
「おお、ヴァルト君。久しぶりだね」
ヴァルトの声に振り返った男――ウィスタリア侯爵は機嫌良さげにヴァルトの肩を叩き、次いでその横に控えていた私に視線を向ける。
「こちらが先日北の結界石の浄化に成功した聖女、ミズキ様になります」
「は、初めまして、瑞希と申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
私はスカートをつまみ、付け焼刃だがヴァルトに習ったカーテシーで侯爵に頭を下げる。私の様子を観察するように見る侯爵の瞳に冷たい汗が背中を流れるが、次の瞬間には侯爵は人の良さそうな笑みを浮かべて私を歓迎してみせた。
「おお、これは聖女様!お会いできて光栄です」
親しげに私の肩を抱く侯爵の手には少し居心地の悪さを感じたけれど、侯爵の機嫌を損ねないよう私は精一杯笑みを張り付けた。
「ヴァルト君は警備もあっただろう。ここからは聖女様は私がエスコートしよう」
「……お願いいたします」
かすかに心配そうな瞳で私を見たヴァルトに、大丈夫というように頷く。
去っていくヴァルトの背中に本当は不安でいっぱいだったけれど、これ以上彼に迷惑をかける訳にはいかなかった。
侯爵は私の肩を親しげに抱いたまま、招待客たちに声を向けた。
「皆さま、本日はなんと、結界石の浄化を成功させた聖女様が我がパーティーを訪れてくださいました!」
わっと歓声が上がり、会場中からの視線が集中する。にこやかだけれども、まるで珍獣を観察するかのような貴族たちの視線に、私は逃げ出しそうな足を必死で踏ん張る。
「聖女様は初めてのパーティーに我が侯爵家を選んでくださった。これからも懇意にしたいと思っておりますよ」
「……よろしくお願いいたします、侯爵様」
精一杯の笑みを返せば、満足げな笑みを浮かべて侯爵は私を自派閥の貴族たちに紹介しはじめた。笑顔を張り付けながら、私は多くの貴族たちに囲まれた。
「いやはや、さっそく北の結界石の浄化を終えられてしまうとは、今代の聖女様はとても優秀でいらっしゃる」
「いえ、あの、全て護衛をしてくれた皆のお陰です」
「ふふ、ご謙遜を。“混ざりもの”など、ただの肉壁でしょう」
貴族たちの言葉に、胸に冷たいものが落ちていく心地になる。
(っ、どうして、そんな事が言えるの?みんなが、どれほどの想いで戦っているか……)
クスクス笑う貴婦人の言葉に、とっさに否定の言葉が出そうになるのを唇を噛んで耐える。
「獣の分際で、最近は人間との融和を訴える不届き者もいるらしい。自分たちを人間と同等だとでも勘違いしているようだ」
「この国に置いてやっている恩を忘れおって。獣は獣らしく、主人のいう事だけを行っていれば良いものを」
(……これ以上、酷いこと言わないで……)
グッと耐えるように拳を握り俯いていたところに、ウィスタリア侯爵の言葉が聞こえて来て私はぱっと顔を上げた。
「……それにしても、次の浄化は西の結界石に向かわれるとか?」
(……きた……!)
侯爵の言葉に、空気が変わる。これからの返答で、こちらに向けられる多くの視線が敵意に代わる可能性があるのだと思うと恐ろしさに足が震える。
(ここには、誰も味方なんていない。私が、一人で戦うって決めたんだから)
私はぐっと足を踏ん張り、目の前に並ぶ貴族たちに顔を上げた。
ウィスタリア侯爵の目的は、この場で私から東の結界石の浄化を先に行うという言質を得る事だ。彼は、政敵である西の地の浄化が優先されることに強い不満を持っている。……でも、それをすることはできない。そうすれば、より陰湿な西の貴族からどんな残忍な嫌がらせがリヒトたちに降りかかるか分からないのだから。
(言質はとらせない。その上で、ハーリアのみんなに苛立ちが向かないようにする。そのために、私は来たのだから)
私は息を吸い込んで上を向く。そして、海千山千の貴族たちに向けて笑みを浮かべてみせた。
「はい。次の浄化は、西の結界石と決まっております」




